伊藤ひであきの市政報告

2004年9月定例本会議 一般質問
2004年9月 ●一般質問ポイント(9/8 08:30)
1.8年間の早川市政と新たな展望について(豊橋は再生したのか)

 12年前、豊橋市議会ヨーロッパ視察団の一員としてアテネの街の都市景観・環境保護をテーマに視察した折、立ち寄ったパナシナイコ競技場に、日本の野口みずき選手が灼熱のアテネの街を走り抜けてガッツポーズをしながら入ってきた時の笑顔は、逆境に打ち勝った人間の輝きがありました。

 今年もまた、豊橋の高校が甲子園の土を踏めなかったけれど、準決勝まで進んだ中京大中京高校の頑張りの影に、毎日300回の素振り、1000回の腹筋そして5時間の練習が繰り返されてきたことを知るにつけ、ただただ頑張り続けることの大事さに打ちのめされます。

 昭和39年夏、岐阜県立大垣北高校のグランドは燃えていました。サッカー部が水都祭記念高校サッカー県大会で準優勝。その時のエースストライカーが今、大垣市議会の野村 弘議長、ゴールキーパーが豊橋市議会の私。

 その年の女子ハンドボールクラブのエースが、今、兵庫県芦屋市議会の山田美智子議員、そして、甲子園一歩手前で延長の末敗れた大垣北高校野球部の2番セカンドが7月に損保ジャパンの副社長から社会保険庁長官に就任した村瀬清司氏。人生、いろいろです。

 そんな20004年の夏。私の周囲に大きな変化が起きました。

 夫婦二人だけの生活から家族が二人増え、二倍になりました。連れ合いを亡くし8年間一人住まいをしていた82歳の義母が岐阜を引き払って我が家に来ました。二人の子供のうち長女は藤沢市、しかし次女のいる豊橋市を終(つい)の棲家(すみか)に選びました。
 岐阜を引き払う時にでた大量の粗大ごみの処理を通じて岐阜市と豊橋市のごみ行政の違いを現場で確認できました。
 豊橋へ来た義母が岐阜で受けていた要支援の介護保険を豊橋で継続するために手続きをし、ケースワーカーに来ていただきケアプランを立てる仕組みを実地で学び、ディサービスを下見して議員として管内視察したときとは全く違う視点で豊橋の介護保険を学習しました。
 そして、82歳の高齢者がなぜ引きこもるのか、どのような思いで介護サービスを選択するのかも教えられました。

 もう一人、東京杉並区に住み、横浜みなと未来で働いていた娘が、転勤で刈谷に通うために我が家に住むことになりました。
 そして、杉並区の女性施策、文化施策と豊橋のそれらの違いを通じて「豊橋の議員さんしっかりしてよ」と叱咤されました。

 さて、21世紀最初の豊橋市長選まであと2ヶ月。現職の早川市長以外に立候補者が名乗り出ないまま時が流れています。地方を取り巻く大きな変化の中でこのまま「べたなぎ」状態で推移していいのか。愛知県2番目の都市の市長選挙が無風でいいのか、これで豊橋は活性化するのか。大きな課題が突きつけられています。

 市政始まって以来の不祥事で揺れた90周年の秋から8年。豊橋はあの苦渋の日々からどのように再生したのか。またこの間を担った早川市長は「一期目では、福祉・環境・教育など、各分野で種をまいてきた。二期目で花を開かせ、実をならせたい」と取り組まれてきたが、市長のいう「静かなる改革」で不況感・停滞感を打破して花は咲き、実はなったのか、相次ぐ異常気象で花は枯れ、台風続きで実は飛んでいったのか、どうか。

 また、この間、中核市移行、新焼却炉導入、介護保険制度発足、行政評価手法の導入、基本構想・基本計画、三位一体改革など時代の大きなうねりの中での早川市制8年はどのように回転し、あの地に落ちた政治からどのように再生したのか、今こそ検証しなければなりません。

 そして、この「べたなぎ」状態から「豊橋100年祭」に向けての新たなる展望をどのように見出すのか。6月議会の地域産業活性化への取組み、豊橋の子ども達の教育問題に続いて以下の項目について市長にお伺いします。

(1)平成6年の公正取引委員会による立ち入り調査、平成7年の独占禁止法に違反したとして排除勧告の行政指導、そして平成8年9月4日の豊橋東口駅前広場整備に伴う電気設備工事による談合疑惑で前市長の息子が逮捕され、一気に豊橋市政は坂道を転げ落ちていった訳です。
 不祥事の舞台となった「根強い談合体質による公共工事の入札」はどのように改革されたのですか。
 また、前市長への12・25判決で指摘された市職員の管理体制・綱紀弛緩などへの取組みで、公平で透明性のある市政への転換はどうなされたのかお伺いします。

(2)地に落ちた市政の再生のために「開かれた市政」「市民参加の市政」への転換は早川市政の大命題でした。
 その具体策として「市長への手紙」「つぶやきカード」「財政問題懇談会」などはどう機能し、市政は特定の声の大きな人のためにあるのではありません。「小さな声に耳を傾ける」公正さが必要であるとして取り組んでこられた市民との協働のまちづくりはどう展開したのかお伺いいたします。

(3)早川市政8年はまたごみ行政の8年でした。特に、就任直後からの次世代型焼却炉導入を巡っての約18ヶ月に渡る議会論議は行政と議会との緊張感ある関係が続き、この事が豊橋再生の大きな原動力になったのではないかと確信します。
 また循環型社会への大きな転機の中で、長く続いた5分別から、6分別、そして昨年からの7分別と分別拡大、またプラスチックごみの全量リサイクルへの取組みなど廃棄物行政の取組みの8年でもありました。
 その結果、530運動発祥の地―豊橋で「ごみゼロ社会」の展望は開けたのかどうか伺います。

(4)またこの間、行政改革から具体的な「行政評価システム」の時代に入りました。
 そして5年間の「事務事業評価」の実践を経て、「政策施策評価」の新たな段階に入り、豊橋の行政評価システムがいつの間にやら全国に誇りうる先進的な評価手法として確立されてきました。
 しかし、これは市民に良質なサービスを提供するための手段であり、ツールです。一連の評価手法でその導入目的である市役所改革はどう進んだのかお伺いいたします。

(5)この8年間で「女性助役」の登用、「男女共同参画課」の設置、そして今春の「男女共同参画推進条例」の制定など女性施策も大きく進んだことは「男女共同参画の時代」の追い風があったとはいえ評価できるものです。
 一つ足らないものがあります。それは豊橋市民病院における「女性専門外来」であります。

 昨年来開設した、新城、春日井、一宮と「女性専門外来」を視察してきて気がつくことは、経験豊な女医の存在があって開設できたということですが果たして継続できるのかどうかという疑問も残ります。
 第三次救急医療を担う基幹病院であり、急性期の病院をコンセプトにする豊橋市民病院には88名の医師のうち女医は5名、それも若手。女性専門外来のために経験豊な女医を新たに連れてくるにはそれだけの財源が伴いますし、赤字部門を作る結果にもなりかねない。
 ならば、小牧市民病院のように女性専用相談室や西宮市民病院のように経験豊な看護婦による女性医療相談室などはこの趣旨を充分に反映したものでニーズに応えています。この春、市長に提出された4万5千人の署名に答える道も工夫次第であるのではないかと考えます。

 昨年6月議会以来のこの問題に対する市長の前向きな取組みからその具体化について伺いたい。

(6)昨年来の国の「三位一体改革」は「三位一体」とはうらはらに税源移譲でなく補助金削減を先行させて「三位ばらばら」であるところに根本的な問題があります。
 景気浮揚のための特別減税、それによる税収不足、それを補うための臨時財政対策債などを発行していては国も地方も財政破綻は目に見えています。その付回しを地方に持ってくるようなやり方は納得できません。
 その結果、豊橋においても今年度予算計上額に比べて25億円余の不足となり、前年比52%となるなど地方財政を翻弄しています。本来「三位一体改革」の目的は骨太方針の通り「地方の裁量度を高め自主性を大幅に拡大する改革」であったはずです。
 迷走を続けるこうした動きに早川市長は中核市市長会、全国市長会でどう発言し、「義務教育費削減」をどう認識し、「自立した地方主権の街づくり」にどう向かうのか伺いたい。

(7)東三河の広域課題について二点伺います。
 昭和52年12月に設立された「豊川水源基金」は四半世紀が経過し、豊川流域の17市町村が一体となり実施する水源対策を目的とする新たな事業」を検討し、その原資を水道料金で1トン1円相当額を負担する考え方について伺いたい。
 また、4年前の市長選挙で早川市長自ら公約にあげた「三河市構想」は遅々として進んでいません。市町村合併は効率的な行財政運営を推進していく有力な手段であることに異論はありません。市長の「三河市」構想への取組みについてどう取り組むのか伺いたい。


ホームページに戻る   議会メニュー