伊藤ひであきの地方からの提言


2001年夏の終わりに
問われているのは「精神の構造改革」
 2001.8.31

 今世紀最初の夏が終わろうとしています。「改革」「改革」の参院選、明石市民夏祭りでの将棋倒し事故で始まり、連鎖反応のように凶悪事件が続いた。そして、教科書採択問題、靖国問題など国のありようが問われ、月末には失業率が5%を超え、株価が17年ぶりに11000円を割った。最悪の経済状況。台風11号は去ったが、日本は嵐の中へ進む。その前途は・・・

 「かなりの線で民間の構造改革が進んでいる生みの苦しみだね」失業率が初めて5%台に乗った8月28日、小泉首相が記者団に語った感想である。これに対して、マスコミ各社は首相の危機意識が希薄であり、他人事のようなコメントであると批判している。
 私には「コイズミは覚悟している」と思えた。この改革をやり遂げるためには、一喜一憂していてはいけないのだ。

 ふと思い出すのは97年1月、豊橋市議会北米視察団の一員として渡米した時、ダラス空港周辺一帯に広がるハイテク産業エリア−ラスコイナスをバックに通訳の木俣女史の歯切れのよい日本語と流通が専門という見識で日米経済比較が語られた。
**参考1** 海外視察報告 北米視察(4)ダラス 米国経済 97.01.22
**参考2** 派遣団総括 アメリカの12日間 99.11.11

 アメリカは86年に石油産業の不況から経済がおちこんで、大混乱したがコンピュータで経済が復権しつつある。日本経済も約10年遅れて落ち込んでいる。しかし日本経済が持ち直すのは難しいとアメリカでは見られている。
 その理由は
 1)アメリカやヨーロッパは21世紀に向かってシステムがコンピュータ化され、インターネットが経済の仕組みの中に組み込まれ、経営が簡素になっている。こうしたことは日本では人間関係が強くできないのではないか。

 2)日本は大会社が人を雇いすぎている。例えばアメリカでは「IBMが4000人の首を切った」となるとその会社の株が上がる。こういうことは日本では考えられない。終身雇用が根深いし、平均収入が高すぎるし、公共料金も高い。日本の生産性はアメリカの3割低い。

 あれから、4年。「患者を手術する前に、体力を回復しなければならない」と減税と公共事業中心の緊急経済対策のジャブを打ち続けてきた。それでも景気は回復せず、この3年間だけで国債残高は100兆円余も増大し、財政出動で国・地方の長期債務残高は今年度末に666兆円に達する見込みだ。

 そして、ついに政権は「構造改革」の小泉政権に、7月の参議院選挙で圧倒的支持を得て、その具体化に踏み出すことになった。あの時、木俣女史が指摘した日本経済が持ち直すのは難しいとして挙げた「生産性の低下と非効率性の旧来のシステムを改め、労働力や資本、技術をより効率的で生産性の高い部門にパワーシフトする」ために。

 当然、その過程において企業倒産や失業が増加し、経済成長が下方に引っ張られるなど"痛み"が伴うことは避けられない。雇用と福祉のセーフィティネットの整備を進め、不要な痛みを和らげる手立てを講じるのは当然のことではあるが、それにも限界がある。
 しかし、もはや後戻りはできない。千載一遇の改革のチャンスであり、この時を逃したら日本の未来には沈没しかないと腹を決めるべきである。

 結局、国民はどんな痛みにもリスクにも耐え、「欲しがりません。日本再生までは」と"我"を捨てて、”自立”して踏ん張り続けることができるかどうか。
 また国も地方も政治は「この痛みの向こうにどのような社会が待っているのか」を発信しつづけなければならないし、国民に「痛み」を求めるなら自らの「痛み」も甘受し、議員特権を廃し、既得権益にもメスをいれなければならない。

 問われているのは「経済の構造改革」以上に、「靖国」や「教科書」問題で問われ続けている歴史認識をあいまいにして、平和主義も国際貢献も建前だけで自らを利するだけに進んできたこの国の政治と国民の「精神の構造改革」がなされるかどうかではないだろうか。

いよいよ正念場の秋。


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