伊藤ひであきの視察報告

内子町の確かな地域づくり 97・07・17

 中村市から宇和島市を経由し愛媛県内子町へ。町並保存対策課長の新本さんの 物腰柔らかい、歯切れのいいレクチャーで内子町の町並保存についてしっかり教 えてもらった。121平方km、12、000人の小さな町のまちづくりへの静 かなそして確かな執念を・・・・

 内子町は、江戸後期から明治時代にかけて、和紙と木蝋(もくろう)で栄えた 町で、その当時の面影を残す商家群が八日市・護国地区に約600mに渡って残 っている。現在の町の一般会計予算が70億円、当時の木蝋の生産高を現在に換 算すると200億円を超えるというからいかに隆盛を誇っていたか知ることがで きる。その製品は広く海外にまで輸出された。

 昭和57年に文化庁の「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けている。 町並を歩けばゆっくりと時間が流れ、浅黄色と白漆喰で重厚なそして独自に様々 に工夫され、変化に富んだ景観となっている。当時の商家をそのまま利用した 「商いと暮らし博物館」や木蝋生産で財を成した「上芳我邸」など古い家並みが 町の歴史を語る。

 その中でも代表的なのは「内子座」。内子座は大正天皇即位を祝って大正5年 (1916年)に建設された歌舞伎劇場。ある時は歌舞伎、人形芝居、あるとき は落語、映画等変遷をたどったが、昔ながらの風情を残し、ひっそりと風雨に耐 えてきた。建物も老朽化し、町役場は住民アンケートを取った。当然、内子町の 財産として残してほしいという声が圧倒的であろうと予想して行ったが、あに反 して7割が「壊して駐車場に」という結果だったという。

 町議会も「あんなもの残す意味がない」という意見が多かったという。それで 職員が町会議員の一人一人をくどくなどして、修理の気運が盛り上がり、昭和6 0年、大正期そのままによみがえり、今では日本で三つ目のオリジナル劇場とし て「玉三郎公演」も毎年行われるという。

 「文化庁はなかなか金を出さないんですよ。毎年、250万円の国の文化振興 基金からの補助があったのが、今年は30万円だ」という。財政構造改革が急務 なのはわかる、基金の果実が少ない低金利の時代かもしれない、しかし、この内 子座までもその対象にしていいのか、文化振興の意味がはきちがえていないだろ うか。

 「私たちのような小さな町は、都市と競争してマスコミに取り上げられるよう な町並開発などとてもできない」と新本さん。だから「住んでいる人に満足して いただく」を最優先に、そして「全国の人に見てもらう」をまちづくりの目標に した町並保存運動が取り組まれている。けっして町並を凍結保存したり、安易な 意味での観光目的にするのではなく、「まちづくり」型の現代的再生と位置づけ ているという。コンセプトと目標が明確である。

 最近は「町並保存」から「村並保存」へシフトを移しつつあるという。 これは農村が単に農産物の生産基地になるのでなく、生産活動を通じて、豊かな 自然を継承し、「むら」としての誇りを取り戻し、地域が生き残るための息の長 いまちづくり運動そのものである。

 高速道路もなく、ましてや新幹線の計画もないこの地域ー内子町のまちづくり は、スクラップ・アンド・ビルドでなく、保存と再生の地域づくりである。

 雨の「エコロジータウン 内子」の確かな試みに頭が下がる思いである。


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