1月18日(日)臨時全国大会で公明は25人の参院議員と3000人余の地方議員を
擁する政党に再生した。「あくまでも庶民の側に立つという公明の原点をしっか
りと受け継いで、皆様と共に新しい日本と世界の夜明けを作りたい」と浜四津敏
子新代表。「今、日本の政治に欠けている最も大きなものは何でしょうか。それ
は一言で申し上げれば『ヒューマニズム』ではないでしょうか。つまり人間性で
す。私は『政治にヒューマニズムを』ということを公明として強く打ち出してい
きたい」とも。
公明の新出発に際し、「公明が新進党分裂の引き金を引いた」とする論評もあ
り、あえて新進党解党から公明の新出発のこの2ヶ月間の政治変動の背景につい
てまとめました。
自民党に代わる政権担当可能な政治勢力の結集ーー新進党結成は国民に大いに
期待された。そして95年夏の参院選は比例区の得票で自民党を凌駕し、夢は大き
く膨らんだ。しかし、この後の自民党の反撃はすさまじく、96年10月の衆院選で
自民党は復調、新進党の計画は挫折した。この後、離党が離党を呼ぶ形で、縮小
過程に入ってしまった。支持率も低迷し、公明の党員支持者からは「このままで
は98参院選は大変なことになる」との声が寄せられるようになっていたことは事
実でもある。昨年、11月に「参院選比例区は公明独自で戦いたい」と申し出たの
はこうした背景からであった。
公明党が新進党に合流した大きな理由の一つは、福祉や平和を推進してきた実
績を、より大きい立場で生かすためであった。もし参院選で新進党が惨敗し、公
明系の勢力が激減すれば、こうした政治勢力の後退に直結する。
一方、公明抜きで新進党が参院選に挑むことは、新進党に打撃になることも否
定できない。こうした状況を総合的に判断し、
(1)新進党に大きな打撃を与えず
(2)公明の党員・支持者が安心して支援活動を展開できる
(3)新進党に活力を与える
---ことを可能にするために、参院選の比例区を公明で戦おうと決断した。
「考えに考えた末の苦渋の決断」(藤井前代表)であった。最終的に小沢党首に
も理解していただいた。
その後、昨年12月25日、新進党党首選で再選された小沢党首が「比例区だけで
なく、選挙区も公明で戦ったらどうか。ねじれた状況でやるのはお互いにやりに
くい」「新進党を分党して、旧公明党の参議院議員は新たな党を作り、その後に
公明と合併してはどうか」との提案があり、「小沢党首が新党首として新進党の
行き方を考えた上で、そこまでおっしゃるのなら」(藤井前代表)ということで、
小沢提案を受け入れることになった。その後、小沢党首主導で新進党解党・分党
と急展開していった。
新進党が解党・分党していったのは、新進党の中に分党せざるを得ない矛盾が
充満していたからだ(藤井前代表)。それは「小沢党首でいいかどうか」という
次元の問題ではなく、政権戦略をめぐる考え方--「保保か反保保か」という違い
が底流にあったと見るべきと考えます。「小沢さんは、橋本政権の行き詰まりに
政局を転換しないといけない、という考え方を持っている。それには新進党の中
をすっきりした形でやりたいという強い意志が働いた」(藤井前代表)。
とまれ「平和、福祉、環境、人権」の旗を掲げて第二期の、そして新たなる公
明の確かな一歩は開始された。与党の失政で閉塞状況にある国民生活に春を呼び、
ヒューマニズムの世紀に希望をつなぐために・・・・・・。