伊藤ひであきの地方からの提言

小さな町の大きなノー

 中央高速の土岐インターから北へ、峠を越えれば人口2万人の小さな町ー岐阜 県御嵩町。この御嵩町で6月22日、産業廃棄物処分場をめぐり行われた住民投 票。その投票率は87,5%、その結果は反対79,65% 賛成18,75%となり、全有権者 の7割が「産廃ノー」の意思表示を示した。
 「御嵩の住民は経済よりも環境を、金よりも命を選択した。民意は重いもの。 町民の意志は尊重しなくてはならない」と柳川町長。
 住民が示した「産廃ノー」は同時にこの施設の計画段階からの町と町議会そし て県と県議会への間接民主主義への「ノー」でもある。
 地方行政のあり方が、地方議会の民意が、問われている。

 東洋一といわれるこの産廃施設の計画が業者から町側に伝えられたのは91年 8月。10月にはこの計画について議会に報告され協議されている。
 翌92年10月には町に対し国土法に基づく「土地売買等届出前協議書」を提出。 これに対して町は「下流域の水道水源である木曽川が汚染される恐れがある」な どとして「不適当な施設と考える」との意見書を添えて県に送った。

 町議会も93年6月議会で「建設反対の請願」を趣旨採択し、町当局も町議会も反 対の姿勢を打ち出していた。
 所が94年6月の町議会特別委員会は「迷惑施設で基本的には反対だが、町が 前向きならば」と報告し、事実上、賛成に方向転換。
 町は「福祉の里」や水道の整備を県に要望し、業者には、95年2月に処分場 受け入れの見返りとして毎年、2億円を15年間ー計35億円の受け取りを定め た協定書を業者と締結、「やむを得ないもの」として計画はいっきに動き出す。  当時の町執行部と町議会が何故、反対から容認に転じたのか、その経緯はいま だに明確になっていない。「前町長時代のことですから」と町職員。「町長がや るということに反対できるか」と元議員。

 95年4月、「このままでは御嵩が産廃の町になってしまう」危機感を持った 一部町民が、中学高校時代を同町で過ごしたNHK元解説委員の柳川町長を担ぎ 出す。就任後「木曽川に近く水質汚染の可能性があり、計画についての情報があ まりにも町民に知らされていない。町民に知っていただき論議する時間が必要で ある」とし、県に対し開発許可手続きの一時凍結を要望。
 95年7月の町議会議員選挙(定数18)で新人12名が当選し、議員提案に よる「産廃処理施設の一時凍結を求める決議」が提出され、採択される。
 96年10月町長襲撃事件発生。この事件を契機に住民投票条例制定の気運は 一気に盛り上がる。
 96年12月有権者の50分の1を超す1、151人の署名で町長に条例制定 を直接請求。議会も「産廃処理施設の反対を求める決議」が提出され、採択される。

 97年1月臨時議会で住民投票条例は賛成12、反対5で可決。
同条例第三条二項には「町長は、産廃施設予定地内の町有地の売却、その他産廃 施設の設置に関係する事務の執行に当たり、地方自治の本旨に基づき住民投票に おける有効投票のいずれか過半数の意思を尊重して行うものとする」とし、住民 投票は、この計画に対する町民の民意を知る手段で「法的拘束力はない」としな がらも、柳川町長は「道義的に町長に対する拘束力であり、一票でも多い方の民 意に従う」とした。

 御嵩の産廃施設問題の特徴は、計画予定地の中心に、2800平方メートルの 町有地が存在することであり、この町有地が町によって売却されなければ業者は 計画を進めることはできない。よって産廃施設の許可権者は岐阜県知事であるが 実質的には町長が事業の最終決定権を握っているという構図である。
 そして、町長自らの「町内行脚」が精力的に続けられる。

 これに対して当初は、住民投票の推移を見守る構えだった梶原岐阜県知事は 「積極的に調整の任に当たる」として息詰まった事態の打開をめざし「調整試案」 を町と業者に提示しながら動き出し、連日、試案の説明会を開催し巻き返しを図 る。

 これに対して柳川町長は「住民投票をしようという矢先に、建設を前提とした 試案とは理解に苦しむ」と、不快感を表明。
 また業者は計画の遅れによる損害を被ったとして5月12日には、町長と町を 相手取り、損害賠償などを求める訴えを岐阜地裁に起こす。
 町と県そして業者の対決の構図が鮮明になり、泥試合の様相を深め、住民投票 を前に、町と県そして業者が出席し、論議を尽くす場は最後まで用意されなかっ た。広報みたけは町長の疑問と懸念を特集で掲載。

 5月27日、岐阜県議会の厚生委員会委員が現地を訪れる。計画から実に6年 目の初の県議会議員の公式の現地立ち入りである。「長いものには巻かれろの岐 阜の土壌そのものですよ」ある県議は苦笑いしながら語る。
 そして6月22日の住民投票の結果である。

以上が住民投票に至るまでの経過である。

幾つかのポイントが指摘される。
(1)多額の協力金の受け取りを定めた町と業者との協定書の存在も含め、必要 な情報が町民に開示されることなく、計画が進められ、一度は反対だった町と町 議会が容認に回り計画が動き出したこと、またその経過も明確にされていない。
 「大事なことが密室で決められた」、という不信感がいかに大きかったかとい うことである。紛争をおそれて業者は極秘で計画を進め、自治体も公表を拒む。 それに住民が怒る。
 結果は町民との意志疎通を欠いた町政とそれをチェックできなかった町議会へ の「ノー」である。

(2)94年環境庁は国立・国定公園での廃棄物処理施設の建設を禁止した。同 計画の一部が国定公園に引っかかっていた。岐阜県は環境庁の発効の通知をつご う2年間意図的に遅らせ、その間に業者は許可申請するなど公正に判断しなけれ ばならない県は最初から建設ありき一辺倒で動き、業者と一緒になって地元紙に 広告を出し、「調整試案」も建設を前提として、劣性の町内容認派の後押しを図 ることになる。
 結果として県知事は住民投票後の県議会で計画が暗礁に乗り上げたことを認め ざるを得なくなる。御嵩町民が何とか町を変えようと動いたのとはあまりにも対 照的な民意への鈍さ、その場しのぎの感をぬぐえない。
 許可権限者である「県行政」への「ノー」であり、対応が鈍い「県議会」への 「ノー」でもある。

(3)産廃や原子力施設では総論は賛成でも、「わが町には困る」との結果がで やすい。「ゴミを出さないことが肝心だ。でるゴミは再利用する。どうしてもで きないものだけを、無害にして処分する」と柳川町長。住民投票の結果は、都会 のゴミを地方に押しつけ後手後手になってきた国や県の産廃行政への大きな抵抗 である。
 しかし、今、企業が出す産業廃棄物は年間約4億トン、家庭からの一般廃棄物 は5000万トン、国民一人当たり1日に約10キロ排出している計算になる。 処分場は厚生省の試算ではあと約2、3年の余裕しかないという。
 リサイクル社会の構築には国民の意識改革とともに長い年月を要すことは明白。 結果として処分場をどうするかという問題に絞られる。

(4)産廃処分場の数は全国に約2700。不法投棄は摘発されただけでも年間 約40万トン。処分場をめぐる紛争は、最近5年間で約200件。
 今国会で成立した改正廃棄物処理法では、これらの問題の解決を目指したはず だった。
 しかし、新たに地元の市町村長や住民の意見を知事が聞くことを定めても、許 可権者の知事がその地元の声をどうするかは定めていない。また水源地での立地 条件も明記されていない。
 これらが形式的なものに終われば、住民投票を求める声は更に広がることにな る。

(5)住民投票条例が提案された1月の臨時議会での議事録には「議会制民主主 義の否定につながる」(推進派)「議員である自分たちの否定につながらないか。 しかし、町の中でこの問題を自由に語れないなら、投票で民意を知るしかない」 (反対派)と住民の代議員としての議員の苦悩が浮き彫りになっている。
「住民投票は本来議会がきちんと機能していれば必要ない」という意見がある反 面、「間接民主主義にはなじまない」という意見もある。
 しかし、一般的に形式化し、機能不全に陥りがちな、否、陥っている地方議会 に突きつけた意義は決して小さくない。

 小さな町の「民主主義の実験場」が歩んだプロセスは今後の産廃行政だけでな なく、地方自治のあり方にも大きな一石を投じた。


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