伊藤ひであきの視察報告

いごっそう土佐の中核市 97・07・15

 南国のまぶしい陽ざしを浴びて桂浜に立つ維新の立役者ー坂本竜馬の像。大正 の末、竜馬の偉業を称え、世に出そうと、若者たちで銅像建設が立案され、建設 費2万円を募金で集めたという。よって竜馬像の建設者名は「高知県青年」とだ け記してある。当時の青年達の熱い思いが伝わってくる。

 高知は「高智」が名称の起源であり、幕末の勤皇の志士を輩出し、明治維新の 基を開き、自由民権の発祥の地である。そうした土壌だからか、反権力の気風な のか、定数40の市議会に
社会民主党公明共産党自民党さきがけ新社会党無所属

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という構成である。

 さてこの高知市は来年、4月1日の中核市移行を目指している。中核市制度は 第2次行革審などの提言を受け、平成6年6月、地方自治法や関係法律の一部を 改正し、中核市制度を創設した。既に平成8年4月びは堺市など12市が、今年 4月には大分市はじめ5市が、そして来年4月に高知市など4市が移行される予 定であり、わが豊橋市は平成11年4月の移行を目指している。

 中核市は人口30万人以上、面積100平方キロメートル以上、昼夜間人口比 率が100を超えることが要件である。全国にこの要件を満たす市は29市ある。

 中核市になることにより高知市の場合、1139項目の事務が県から委譲され る。また従来、県知事の監督を受けていたものに対し、民生行政32項目にわた って直接監督したり、主務大臣の命令を受けるようになる。また中核市は保健所 を設置することも義務づけられている。

 中核市制度は「住民に身近な行政は、できる限り住民に身近な自治体が行うべ きである」というのが基本的な考え方で、地方分権推進法に先駆けて創設された ものであり、分権型社会を実現していくための第一歩であり、その先導的役割を になっていると同時に、その行方を占ういわば試金石である。それだけにその市 の力量が問われることにもなる。

 所が高知市の中核市推進室のメンバーは四国初の中核市移行に対し実にそうし た大きな見地からなみなみならぬ自信を持って取り組んでいることが言葉の端端 から伺えた。
何が目に見えてよくなるということよりも、財政負担がどうのこう のというよりも、「中核市制度は出発点です。個性ある元気都市ー高知を目指す 方向にあっている。分権の流れは後戻りすることはない。早めに制度に乗るほう がベターだ。ヒトもモノもカネも必要になる。しかし、政令指定都市が兄なら兄 に続いて弟が財産分与を受けて独立するわけだから、しんどさもあるが積極的に 乗り越えていきたい」と。

 もしも、同じように準備を進めている豊橋と違う点があるとするなら、この 「分権の旗手になろう」とする気概ではないか。これは高知県の約80万人の4 割を占める県都としての誇り以上に、戦後の高知市政が歩んできた分権の原点と いえる「住民自治」に全国に先駆けて取り組んできた歴史が生んだ風土ではない のか。

 いや、もっとさかのぼれば平安時代に国守ー紀貫之が「土佐日記」で中央に情 報発信し、中世には島流しの国として多くの思想犯を暖かく迎え、山内一豊が独 特の経営で城下町を発展させてきたように、そしてあの維新の志士達を生み出し た気概・・・

 中核市という新しい制度をきっと高知は移譲される事務をいかにこなすかとい う事だけでなく、新たな「高知方式」を創出し、新しい都市像を具体的に描いて いくのではないか、歴史がつちかった高智で・・そんな覇気が伝わってきた。

高知駅前のホテルにて


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