所が高知市の中核市推進室のメンバーは四国初の中核市移行に対し実にそうし
た大きな見地からなみなみならぬ自信を持って取り組んでいることが言葉の端端
から伺えた。
何が目に見えてよくなるということよりも、財政負担がどうのこう
のというよりも、「中核市制度は出発点です。個性ある元気都市ー高知を目指す
方向にあっている。分権の流れは後戻りすることはない。早めに制度に乗るほう
がベターだ。ヒトもモノもカネも必要になる。しかし、政令指定都市が兄なら兄
に続いて弟が財産分与を受けて独立するわけだから、しんどさもあるが積極的に
乗り越えていきたい」と。
もしも、同じように準備を進めている豊橋と違う点があるとするなら、この
「分権の旗手になろう」とする気概ではないか。これは高知県の約80万人の4
割を占める県都としての誇り以上に、戦後の高知市政が歩んできた分権の原点と
いえる「住民自治」に全国に先駆けて取り組んできた歴史が生んだ風土ではない
のか。
いや、もっとさかのぼれば平安時代に国守ー紀貫之が「土佐日記」で中央に情
報発信し、中世には島流しの国として多くの思想犯を暖かく迎え、山内一豊が独
特の経営で城下町を発展させてきたように、そしてあの維新の志士達を生み出し
た気概・・・
中核市という新しい制度をきっと高知は移譲される事務をいかにこなすかとい
う事だけでなく、新たな「高知方式」を創出し、新しい都市像を具体的に描いて
いくのではないか、歴史がつちかった高智で・・そんな覇気が伝わってきた。
高知駅前のホテルにて
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