★ひでさんの折々の記★

2014/3 春は駆け足でやってくる!
●3月30日(日)雨の年度末の日曜日。青空フリー切符で西へ向かった。議員の頃からの定例行事で缶ビールと単行本をもっての自由な一日。

我が青春の大垣は雨にうたれて、ただでさえさびれた駅前が余計にさみしくなっています。それでも桜は精一杯咲いていました。駅のなかに消費税前の定期を買う行列ができていました。これから、「ひであきレポート」を送った高校時代の友達と原発議論。青空フリー切符の旅は大垣で一時停車。

●3月27日(木)「責任野党」などとおだてられていたみんなの党と維新。結局、理念なき集団のお決まりのコースをたどって、失速。「未来への責任政党」はどこにあるのかは時代が証明していく。長引く不況、少子高齢化、負担増の時代は本物と偽物を明らかにしていく。

●3月25日(火)今日は久しぶりの雨。3月議会もほぼ終わり、「3月議会の論戦に期待する」を3回、豊川市議会代表質問、豊橋市議会代表質問を2回、蒲郡市議会、田原市議会、新城市議会の代表質問と計7回に渡って書かせていただき、よくぞまあ書いたものだと、一段落。「極楽の湯」でささやかながらリフレッシュです?。

●3月23日(日)風が冷たい中で、日曜日の三八朝市。
「いつまでも寒いねえ、風邪ひかんようにねえ」
「息子さん、どうした?そっか志望校に合格したんか、よかったねえ」
「お父さんお具合はどうだのん、大事にしてやりんよ」

 現役の時と同じように「ひであきレポート」を黙々と配った。2枚一組、用意した100組のレポートを配るのに2時間かかった。でも喜んで受けとって下さる方がほとんどで、それがまた嬉しい。
 引退して3年、自分の戦場はバッジを外しても変わらない。ここが我が仏国土。ここが我が使命の庭。

●3月22日(土)桜の咲かない春もある

 春が駆け足でやってくる。桜花爛漫の春がもうすぐ。
しかし、なかには挫折し、ぽつんと一人、孤独感にさいなまされている若者もいる。大学入試に不合格の若者たちだ。

 そんな甥っ子の一人にはがきを送った。
「失敗せよ!大胆に失敗せよ!人生はそこからだ」

 初出場の豊川(愛知)は日本文理(新潟)に延長13回4―3でサヨナラ勝ち!頑張ってくれた豊川ナイン!感動のサヨナラ勝ち。
 長い間、愛知県の高校野球は中京、名電、東邦、享栄の私学4強がすべてであった。その中で東三河からが甲子園ははるか遠いかなたにあった。

 「豊橋から甲子園へ!三重では四日市から、長野では松本から3〜4年に一度は、二番目の都市から甲子園へ出場するのに、豊橋から、東三河からなぜ甲子園出場のニュースはないのか」と毎年の3月予算委員会の教育費/体育振興費の項で問題提起してきたが、5年前には小川投手(現ヤクルト)を擁する成章高校(田原市)が春の選抜に出場し初戦突破、そして今日は豊川高校が初戦を突破!。できうれば次は豊橋の高校が甲子園出場を果たしてほしい。

 いずれにしても、おめでとう!豊川高校!

●3月21日(金)消費増税前にかけこみで「ひであきレポート」を発送します。引退以後、それでも大切な支援者−全国に100通送っている。戦いは続く、どこまでも。

 いつか、孫が遊びに来る日を楽しみに、開設に尽力した「こども未来館ここにこ」。 ここで、孫の京(けい)くんが遊ぶ。お母さんは明日の夜にシカゴから戻ります。一週間の孫との交流もいよいよ大詰めです。

●3月20日(木)「地方政治研究」3月号を夕方、メール便にて発送。皆様のお陰で「地方政治研究」は300冊を超えている。チーム3000の1割、市議団や総支部で共有しておられるところもあるので、影響力の重さを実感している。引退直後に購入した印刷機のカウンターは126万カウントを超えている。コピー機械、さばき機とあわせ設備メンテナンス費や更新費もかかります。なかなか大変です。

●3月16日(日)久しぶりに党員会に参加して

 豊橋市公会堂で、久しぶりに支部党員会に参加した。「久しぶりに」というのは愛知県は月末の水曜日に行われるのだが、自治会会長会と重なることが多くなったから。

 忙しい中で来てくれた国会議員が消費税増税にあわせて、軽減税率が検討されているが、昨年暮れの自公合意で決まったことは「軽減税率は10%になった時に検討する」となっており「これは、来年10月に10%になった時に同時に軽減税率を導入するということでなく、10%になってから導入を検討するということです」と話したが、それほど、国民の意識と永田町の意識は違うのだと思い知らされた。

●3月11日(火)地方議員よ、立ち上がれ!

 あの日から3年。「一国の王とならむよりも、1人の人を救済するは大なる事業なり」とは東北が生んだ青年詩人・石川啄木の叫びである。わが身をなげうって救援・支援に尽力くださった皆様のご労苦にただただ心から敬意を表するものです。

 それにしても死者、震災関連死、行方不明者20883人という途方もない大災害でした。そして今なお東北の厳寒の海や川で2700人の行方不明者を探し続けていただいているすべての皆様方のご労苦に言葉もありません。

 大地震から3年も経つというのに、いまだ被害の全容がわかってきません。特にフクシマで何が起き、どうなっているのかは不明のままです。
 しかし、その被災地で子どもたちから、お年寄りまでがたくましく立ち上がろうとしています。災害に遭っても、「心の財」だけは絶対に崩せないという証左です。
 失われた命は戻らないけれど、その死にも、国を復興させる意味と力があるに違いないと私は思います。もっともっと人間輝く日本の復興のために、2万人を越える尊い犠牲者の無念の思いを、災害に強い国、災害に負けない暮らしづくりに、公明の地方議員よ!立ち上がろうではないか。

 それぞれの使命の本国土の現場で。政治に携わる私たちの戦いは、まさにこの一点にあるのだと、改めて命に刻んで。

 3年目の3・11にあえて書く。地方議員よ、立ち上がれ!

●3月10日(月)春を告げる「つるし飾り展」今年もきらびやかに

 豊橋市東新町の茶房「まぁー」(白井政子店主)で、第7回「つるし飾り展」が始まります。春を呼ぶ歳時記として、地域に定着して、きらびやかに始まった。

 8年前、近所の板垣誓子さんがつるし雛を同店に持ってきたことがきっかけで、板垣さんを講師に月2回、教室を開くようになり、つるし飾り作りの喜びに次第に仲間が増え、作品が増え、作品展が重ねられてきました。今年は15人が出品した作品が室内いっぱいに広がる。

 「つるし飾り」は、江戸時代後期から伝わり、長女の初節句に無病息災、良縁を祈願して、雛壇の両脇に細工を吊す伊豆稲取地方の風習から始まっている。「針を持つことが少なくなった時代に、一針一針に丹精込めて古布を再生する喜びがつるし飾りの生命線」と板垣さん。

 今年初めて出品した石原久代さん(80)は「長年、自宅で商売を手伝っていて、針を持つ機会がなかったのですが、区切りがついて、一年がかりで作品ができました。一人でも多くの人に見てもらいたい」と笑顔がほころぶ。

 「今年も、皆さんの頑張りで開催できました。10回までは開催したい。製糸のまちだった豊橋に、つるし雛が広まって、稲取のようになったらいいですね」と白井政子さん。

「第6回つるし飾り展」は11日から16日までの午前11時から午後5時まで。豊橋市東新町17 茶房「まぁー」(電話豊橋55‐8992)で開催中。

 朝9時半から始まったFM豊橋の豊橋市議会議会中継。始めのうちは議員定数を間違えたり、市議の被選挙権を26歳と言ったり、始めは上がってしまった。

 随分、傍聴記などを書いてきたからできるだろうとの甘い予想は通用しなかった。そして何よりもぶっつけ本番で、相手方の渡辺氏からどんな質問が飛び出てくるかわからない、どんな振られ方をするかわからない中で、なんとか乗り切った。

●3月4日(火)図書館づくりはまちづくりそのもの 豊橋で図書館トーク

 4日夜、豊橋駅前の開発ビル内の会議室で豊橋図書館トークが行われた。この企画は「豊橋図書館トークの会」(事務局=渡辺則子市議)が主催し、まちなかに図書館が計画されていることから、豊橋のまちにふさわしい図書館について語り合う場として、連続開催されている。

 第3回は「図書館とまちづくり」がテーマで講師は井上一夫氏(こどもまち研究所代表、武雄市図書館・歴史資料館を学習する市民の会代表世話人)。

 昨年4月 レンタルソフト大手TSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)を指定管理者に選定し、「新時代の図書館」を具現化したという佐賀県の武雄市図書館は前年比3・2倍の来館者数や、コーヒーチェーンのスターバックスを併設した都会的な空間づくりが評価されて脚光を浴びている。

 しかし、そのインパクトは公共図書館の使命や存在意義からみて、どうなのかと井上氏は問題提起する。

 公共施設として利用者安全等の問題、公共図書館としての機能の問題、歴史ある武雄蘭学館が蔦谷書店に変更された問題、CCCのノウハウを信用して進められた改修工事により蔦谷書店中心の商業施設に変えられた問題などを指摘し、「現在の武雄図書館は公設民営のブックカフェであり公共のすべき仕事か」と疑問を投げかける。

そして「まちづくりは市民を育てる、歴史を作るという時間軸と空間軸によってなされることであり、図書館づくりはまちづくりそのものである」と強調した。

●3月2日(日)昨日、新聞の整理をしていたら「競争はもう卒業 団塊世代よ、楽しもう」という新聞記事に出くわした。同世代の漫画家・弘兼憲史さんからのメッセージです。「人間交差点」を長い間、愛読しているだけに親近感があった。

 シニアライフを楽しむためには、「ま、いいか」「それがどうした」そして「人それぞれ」と自分の身の丈にあった生活を送ることが大前提だという。
 1947年生まれの団塊の世代。中学校の一クラスは50人を超えることがざら。体育館を4つに区切った教室でした。人が多い分、学校でも、社会に出ても、人間関係にもまれ、いつも競争だった。

 3年前に議員を引退した自分が「力ある地方議員を育てたい」と、性懲りもなく月刊「地方政治研究」を発刊し、地元紙に「議会傍聴記」を書き、そのうえ各地で「政治講座」を開いている・・。

 しかし「一番好きなこと、一番やりたかったことを続けているので幸せだ」と思うようになった。

 それにしても、三重県朝日町で昨年8月、中学3年の女子生徒が殺害された事件で、三重県警が2日、18歳の少年から事情聴取を始めた。死体遺棄などの容疑が固まれば逮捕する方針−女の子の節句を前に解決の方向に向かうのは一区切りかもしれない。しかし、少年の家族が今から始まる地獄の日々を思うとやりきれない


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