★ひでさんの折々の記★

2013/10 地域行事に食われるな!
●10月31日(木)一か月遅れの「弔 辞」

10月最後の日、私は知多まで行った。どうしても区切りをつけたかった。先輩の仏前で、奥様の前で一か月遅れの「弔辞」を読んだ。


 「〇〇先輩、先輩がお亡くなりになって一ヶ月が経ちます。この一ヶ月、私は悩みぬきました。先輩の旅立ちになぜ行かなかったのかと。長い間、先輩を介護された奥様が、亡くなられた直後に、わざわざお電話いただきましたのに、先輩の通夜、告別式が中部コマツ社友会総会と重なり、予定通りに四日市まで出向いてしまいました。そのことを悔やみ続けた一ヶ月でした。どうしても納得できなくて、一か月遅れの「弔辞」を先輩の霊前に捧げます。

 昭和46年、私が建設機械のトップメーカー「コマツ」ニ採用され、岐阜支店大垣営業所へ配属されたとき、営業のなんたるかも知らなかった私を、先輩はブルドーザ営業の基本を徹底的に教えて、鍛えていただきました。

(中略)
 私が昭和62年春、豊橋で、使命あって市議会議員となった時は、「おお、よう頑張ったなあ」と喜んでくださいました。以来、選挙のたびに達筆な文章で、激励し、当選を祝っていただきました。

 知多に住む息子さんを頼って、移住されてからも、「所長!」「先輩!」と訪ねて来てお会いするのが生きがいでした。その度ごとに先輩は「俺を訪ねてきてくれるのは、伊藤君だけだ」と再会を喜んでくださいました。

 先輩は、3年前からは寝たきりでした。先輩の身体がだんだん細くなっていく、縮こまっていく姿を見るのはつらかったです。

 今年の5月26日にお会いしたときは「所長!伊藤です。また頑張りましょう」と言うと、かすかに目が動くだけでした。「これが、最後かも」と思うと帰るのが辛く、先輩の家の陰で泣きました。

 先輩!先輩は私に営業の基本を叩き込みながら、人間の一番大事なことを教えていただきました。それは、どんな時でも人間を裏切るな、どんな時でも目標に向かって努力せよ!という事でした。

 私が24年間、転勤先の豊橋の地で市議会議員として過たずに貫き通せたことは、先輩の教えの賜物です。病に伏せても待っていて下さる先輩にお会いすることが私を律しました。

 私にとって、先輩はどこまでも誇れる先輩でした。企業戦士として生き切った先輩でした。文字通り輝かしく生きた丈夫。先輩、ありがとうございました。大好きなビールを存分に飲んでゆっくり休んでください。

 奥様、長い長い介護の毎日、本当にご苦労様でした。

 〇〇〇夫先輩へ         平成25年10月31日     伊藤 秀昭


 奥様も泣いておられた。そして、「ここまで良くしていただいて、主人も喜んでいると思います」と・・。 あとは言葉にならなかった。秋の陽が小さなプレハブの家に降り注いでいた。

●10月30日(水)  愛知大学地域研究センター研究員の私にとって、毎週水曜日は若い諸君と机を並べて、勉強できる貴重な90分。夏休み明けの9月18日からは西堀教授の「地方財政論」を学んでいる。第6回の今日は「地域経済と地方財政」
1.資本主義経済における地域経済の不均衡
2.地域経済格差に伴う地方税収力格差、財政力格差
3.財政力の弱い地域は、政府部門、財政システムによって支えられる
4.地域経済の格差是正、地域経済の発展戦略

 そこで、この夏、オープンカレッジに島根県から来た高校生との会話が紹介された。
 志望校は鳥取大学地域学部を目指すのだが、第二志望は愛知大学地域政策学部だという。将来は公務員となって少子高齢化時代の地域戦略を立案したいという殊勝な目標を持った高校生だったという。その彼に「島根県にスターバックスのお店が来ることを君はどう思うか」と尋ねたら「島根県にもおいしいコーヒーを出す喫茶店チェーンもありますから、別にスタバーのコーヒー店がなくてもいいです。そのほうが島根県らしい」です。
 何よりもスターバックスの本社は税金のかからないベイコン諸島にあるような会社は来なくていいと思います」と答えたという。

 授業が終わってから、「ひでレポ」を持って近くの東雲商店街を回った。商店街で話をしながら200セットを配るのに1時間半ほどかかったが、充実感があった。

 引退して2年半、商店主の高齢化も進み、シャッターガしまって閉店した店が新たに8軒。商店主だけでなく、商店街そのものが高齢化してきているのだ。大学で授業の感想として書いたが「資本主義経済は格差を生んでいくものであり、地域資源に格差がある以上、富める都市と貧しき都市の差はこれからも広がるだろう。その格差を埋めるための地方交付税制度にも限界がある。東京はオリンピック、地方はシャッター商店街は現実である」と書いたがその通りの現実を回った。

途中で、書道塾を営む85歳のおばあさん先生から「だんだん歩けなくなって、あなたの家までいけなくなったから、これを持って行ってと来年の干支の馬の色紙を下さった。

 学び、動き、心地よい秋の一日だった。

●10月28日(月)いよいよ結党50周年へ あと一年

 昭和39年11月17日に公明党は結成された。来年は結党、50周年。

 私は現在、地方のローカル新聞の一人の記者として「政務調査費はどう使われているのか」をまとめるために、相当の労力と時間を費やしている。

 いうまでもなく、愛知県議会と名古屋市議会の政務調査費の使い方がこの地方の大きな政治問題になってきていて、愛知県議会議員の政務調査費は月50万円、名古屋市議のそれは55万円、「これだけの調査費がどのように使われているのだろうか」というのは、市民にとって素朴な疑問です。

 ありがたいことに、今は豊橋から名古屋の愛知県庁にまで行かなくても、ネットですべての愛知県議の領収書がPDFファイルでダウンロードできる時代。膨大な領収書の類だが、それをまず分析することから始めています。

 そこでつくづく思うのは、あまりにも公費、公務意識が欠如しているのではないかということ。

 地方分権が叫ばれて久しい。自治体の生き残りをかけて、自治体が独自の施策を競う時代ともいわれる。それだけに議員のレベルが問われています。ましてや、地方議会のリーダー的存在であるべき都道府県議会議員の地方政治への取り組み姿勢が問われています。 それこそ議員のレベルは向上したのだろうか。議員の資質は向上しているのだろうか。議員は自らの人間を磨く努力を果たしているのだろうか。

 それなくして地方政治の改革はないし、地方の発展はない。「政治の改革とは、政治家自身の人間革命を離れてはありえないからである」(新人間革命第9巻「衆望」)

●10月23日(水)
 台風27号、28号が近づき雨模様。午後からは愛知大学豊橋校舎で「地方財政論」を受講しています。今日は「地方自治体の役割と経費」。

講義の冒頭に紹介されたのは宮城県宮古市の予算書。震災前と震災後の比較で、国からの復興予算がいかに大きいかを、示しています。
 また、配布された資料は長野県高森町の決算カード。西堀教授は扶助費や補助費などか増大して経常収支比率がたかまり、財政の硬直化を招いている現状をレクチャーしています。 相変わらず、半分の学生はおやすみ中です。

●10月22日(火)「有終会」が「有衆会」に名称変更、臨時総会と研修会開催

 豊橋市議会議員を12年以上務めた有志で構成されていて、市政の発展及び会員相互の親睦を図ることを目的として、会員の会費で自主運営されている「有終会」(会長、夏目忠男氏)は10月22日、臨時総会と第一回研究会を豊橋市役所で開催した。

 協議事項の中で、会の名称を「まだまだ現役、どこまでも社会の一員」の思いを込めて「有衆会」と変更することが決められた。

 また、第一回研修会では堀内一孝副市長が担当し「東三河広域連合について」を学んだ。堀内副市長は東三河広域連合の必要性、取り組みや期待される効果について丁寧に説明した。
 会員からは「介護保険事業などが広域連合で取り組むことにより、事業の安定基盤を確保するとしているが、介護保険には地域性があり、高齢者の顔がみえるところで運営していく事の方が大事でないか」、「合併による東三河政令市構想がとん挫した歴史から、広域連合で東三河は一つに収れんしようとすることは無理があるのではないのか」など活発な意見が交換された。
 堀内副市長は「経験を活かし、大所、高所から広域連合への応援をお願いしたい」とした。

●10月21日(月)夕方、午後7時前に「地方政治研究」10月号をクロネコヤマトに運び込み、発送した。

 今回は編集中にパソコンのハード環境をあれこれいじくった分だけ、仕事をする時間よりも、環境を整えるのにばかり時間と労力がかかり、その上に地元の祭りに、豊橋まつり、台風・・。もうくたくたの10月号だった。

 また、今回、10月号から一般質問議会テーマ毎に「議会質問シート」を付けた。「地方政治研究実践講座」を通じて「一般質問の構成」と「PDCA手法」とのコラボレイトに取り組んできたが、やっと形にできた。

●10月19日(土)雨模様の中で豊橋まつりの総踊りが始まった。校区の民生委員協議会の皆さんを送って踊り会場へ来たついでに、写真撮影に精を出しました。この分だと、明日のミッキーの行進やパレードはどうなるだろうか!?

●10月17日(木)今夏はゲリラ豪雨、経験のない大雨、予測できない竜巻、そして大型台風とまさに災害列島そのものの。

 それにしても、伊豆大島での甚大な被害には心が痛む、被害にあわれました皆様には心からのお見舞いと一日も早い復興を願うものだ。
 そうしたなかで、看過できないのは大島町では「地域防災計画」ありながら、計画通りには機能しなかったばかりか、避難勧告も発令されなかったことは、大きな問題です。
 計画やハザードマップがあっても住民の生命や財産を守ることができなければ、ただの紙切れです。台風25号で大きな被害を受けた京都府や滋賀県でも住民への周知措置がなされていなかったり、通知メールも大幅に遅れた地域もあるという。

 また今回も、災害で犠牲になるのはいつも災害弱者と言われる高齢者であり、亡くなられたり行方不明の半数は高齢者であり、要支援者への対応が問われている。要支援者名簿が目的になっていないだろうか。

●10月16日(水)愛知大学での3時限目の授業「地方財政論」の受講のために大学へ来たら、どうも様子が変なのです?。いつもなら教室へ移動する学生で混雑しているのに、今日は閑散としているのです。
「午前10時の時点で暴風雨警報が解除されていませんので、午後からの授業もおこなわれません」との貼り紙。 そういうことです。学生はスマホやパソコンで確認するのだろうが、おじさんは、そこまで学生になり切れていないのです。

●10月13日(日)自治会の最大のイベントである「前畑まつり」が10月12日、13日の二日間、役員や住民の皆さんの協力によって滞りなく、終了した。

 市民館前での模擬店では「焼きそば・だんご・フランクフルト・お汁粉」を振る舞い、市民館和室では、今年は「太神楽 小呂比家念挫」の独楽回しや皿回しなどで楽しんでいただいた。

 13年間、勤められた前会長は「こども神輿」を町内に繰り出し、各家庭で寄付を集めていただいてくるようなことを、子どもをだしに行わない。また寄付を集めない代わりに、模擬店では酒類は出さないという決まりがあって、これはありがたいことなので継続した。
 また、自治会予算と祭礼予算の区別、自治会役員と祭礼委員会の区別などの課題は、今後のなかで、徐々に変えていく必要あり。

●10月11日(金)そろそろ痴呆かな〜

 この1週間で、スマホがiPhon4SからiPhon5Sに代わり、ノートパソコンのLet's noteのOSがWindowsXPから8になり、Windows7のディスプレイが大型になり、2画面並べれるようになった。ついでに長年、使ってきたEpsonのプロジェクターも買い換えた。

 そのおかげで、頭の中はいらなくなったコード類や充電器などでとおなじようにゴジャゴジャ。そこから得た教訓を恥ずかしながら披露する。

1.スマホiPhon4Sから5S

 問題は電話帳の保存と、復活。いつもICloudやiTunesと同期させて写真ファイルや録音データなどを取り込んでいるし、iCloudの中にはメールや連絡先、iPhoneを探すというデータがいつの間にやらできているので、いざとなったらこの連絡先データを復活すればいいのだと確信していた。

 ところが、電話帳には名前とメールアドレスは復活していたが、肝心の電話番号が入っていないのに気が付いたのは、iPhon4Sのデーターをリセットした直後。

 さんざんあれこれやったが、何ともならず1000軒近くの電話番号を手動入力しか方法がないかとおもっていたら、目覚まし代わりに使っているauのアイホンには去年の7月までのだが電話帳データがあった。結局、「auスマートホーンをご利用されていった方はこちら」というマニュアルに従ってアドレス帳をiPhon5Sに移行した。

 この間、3日間、auショップと自宅と行ったり来たり、au店員は「詳しいことはアップル社のこのサービス対応窓口に連絡してください」の一点張り。「冗談じゃありません。お金はauに払っとります」「大体、貴方方が復活してくれたのではないか」といえば「保存してあったデータを復活しただけで、保存してあったデータの内容はお客様の責任です」というばかり。

2.ノートパソコンのLet's noteのOSをWindowsXPからWindows8に
 これはLet's noteの無線WIHiのドライバーをきちんと調べておかなかったのでWindows8では内臓の無線WIHiが動かない。外付けの受信機を買わざるを得なかった。

3.Epsonのプロジェクター
 最近使うたびに30分もすると、熱を帯びてきて画面が走査線が走るようになった。購入した販売店に聞いたら「10年も使っておられれば、そろそろランプが寿命です」といわれ、そのランプが4万円もするというので、同じくらいの値段でEPSONの新品を購入した。

 それで、今までのプロジェクターをソフト会社をやっている親戚のところに持って行った。そして、映して、メニューボタンを押して、「情報」という欄に稼働時間がちゃんとでて、480時間しか使っていないことがわかった。そして、フィルターの蓋を取ったら、何とホコリがぎっしり。それを取り除いて映したら、2時間たっても、3時間たっても、何ということはない。4000時間当たりがランプ交換の目安で、まだまだ今までの10倍使えることが分かったが、後の祭り。「取扱説明書」にはそういうことがきちんと書いてあった。

●10月9日(水)愛知県東三河地方で発行部数8000部の「東日新聞」の10/8、9日に「最多勝利決定!小川投手を支えた家族愛」のタイトルで紹介した記事が掲載されました。10/8は一面トップで。@偉業支えた家族愛A活躍支える父母の深い思い

 小川投手の活躍、太田大臣の就任というこの地域のトップニュースを在宅記者の私が書かせていただけることは、最高です。

 昨晩は東京ドームの巨人戦の最終戦で小川投手が18勝を目指して投げており、午後8時が出稿締め切り時間で「幼いころのあこがれの球団、巨人を相手に、18勝で最終戦飾る」とするかどうか迷ったが、「17勝よりも、新人で16勝して最多勝利投手を確実にしたのだから、そのことは書くのは止めよう」とデスクと話し合い、その部分は削った。

 試合は、9回裏に巨人の村田の長打で逆転され、17勝はならなかった。「もっと練習し、力をつけなければエースにはなれない」という今日の一般紙のコメントが、彼の謙虚さと、彼の野球への姿勢が伺われる。

●10月5日(土)昨日、知多の先輩の弔いの帰りに高浜市の「かわら美術館」で行われていた「イタリアボローニャ国際絵本原画展」に寄った。この企画はイタリア中心部のボローニャ市で毎年行われている子どもの本専門の国際見本市、ボローニャ・ブックフェアーの併設された絵本原画コンクールの入選作品を展示するもので、同館では8回目で、すっかり定着した好評の企画展だという。世界の舞台で活躍する21名の日本人イラストレーターの意欲的な作品も並んでいて、実に見事な原画展でした。

 その原画を使った絵本も売られていて、その中の一点を初孫の初誕生祝に買い、これを機会に毎年、孫−京(けい)君に本を贈ることにした。 その本の表紙裏にメッセージを書いた。

けい君、誕生日おめでとう。
この日におじいさんは毎年、本を贈ることにしました。
けい君が小学生になった頃、東京オリンピックがあります。
けい君が中学生になった頃、リニア新幹線が走りだします。
 そのころけい君はどんな少年になって、
どんな夢を追っかけているかな。 楽しみ、楽しみ。

●10月4日(金)知多市まで出かけた。先輩の霊前に、お別れを言いに、知多の小さなプレハブの自宅にお邪魔した。

 昭和46年、私がコマツで働き出したとき、営業のなんたるかも知らなかった私を、車の中で営業の一つ一つの基本を教えて、連れて回っていただいた。私が揖斐の庭石屋さんで初めて注文を取った時はわがことのように喜んでくださった。先輩はその後、大垣営業所の所長となり、高度経済成長の真っただ中で、グングンとみんなを引っ張り、一躍、中部支社の中でもトップクラスの営業所になっていった。結婚式にも出ていただいた、豪快に「王将」を歌っていただいた。転勤になって、豊橋へ行くときも、「がんばれよ!」とネクタイを下さった。

 その後、先輩は脳溢血で倒れられ、手足が不自由になって、思うように話せなくなって、コマツを退職され、療養の日々でした。

 豊橋で、使命あって豊橋市議会議員となった時は、「おお、よう頑張ったなあ」と喜んでくださった。選挙のたびに達筆な文章で、激励し、当選を祝っていただきました。

 知多に住む息子さんを頼って、移住されてからも、「俺を訪ねてきてくれるのは、伊藤君だけだ」と再会のたびに喜んでくださった。

 3年前からは寝たきりだった。だんだん細くなっていく身体を見るのはつらかったです。今年の6月にお会いしたときは「所長!伊藤です。また頑張りましょう」と言うと、かすかに目が動くだけでした。「これが、最後かな」と思うと帰るのが辛く、先輩の家の陰で泣きました。

 「先輩!先輩は私に営業の基本を叩き込みながら、人間の一番大事なことを教えていただきました。それは、どんな時でも人間を裏切るな、どんな時でも目標に向かって努力せよ!という事でした。先輩、ありがとうございました。大好きなビールを存分に飲んでゆっくり休んでください。奥様、長い長い介護の毎日、本当にご苦労様でした」と打った弔電が、息子さんの務める会社関係ばかりの弔電の中で真っ先に読んでくださったと奥様は言ってくださった。

 先輩の通夜、告別式と三重県湯の山での「コマツ中部社友会総会」と重なった。最後まで迷ったが、弔電で失礼してしまったことが、悔やまれてならない。お亡くなりになってすぐになぜ奥様は私に電話をくださったのかをもっと真剣に考えるべきだった。企業戦士として生きた先輩に私はかけつけ、お参りし、焼香し、列席者が誰も知らない先輩の生き様を弔辞で讃えるべきではなかったのか。今でも悔やむ。

 湯の山で朝方みた朝日は、「お〜い、伊藤君」と先輩が読んでいたのではないかと、今でも思う。                            合掌


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