★ひでさんの折々の記★

2013/1 さあ、拡大の一年!
●1月27日(日)今日は、昼に東三河長崎県人会に招待され、東三河岐阜県人会会長として、大野事務局長と参加した。岐阜の銘酒「三千盛」と「鬼ごろし」を持って。

 岐阜県人会はホテルで20人前後で行うのだが、長崎県人会は普通の料理屋で、参加者は64人。お膳がズラーと並ぶと壮観である。とにかく酒は強いし、カラオケはうまいし、おどりは出てくるし、もう、最高!

 長崎出身者が26人、鹿児島8人、熊本7人、宮崎5人、大分9人、福岡9人。ほとんどの方が、中学卒業後集団就職で愛知へ、高校卒業後、クルマ関係の就職で愛知へ、そして、この地に住み着いたという人が多い。

 10人ほど、落ち着いた和服で参加された方があったが、九州の人は「正月には着物を着るのだとか」。参加者の中にスナックのママさんたちがいて、3時まではここで飲み、歌い、踊り、そのまま2次会、3次会に繰り出すのだとか。今夜は朝まで、飲み明かすのだとか。
 「岐阜県人会の伊藤シャン、のみんしゃい!男らしく飲まんかいね!」と次から次へと飲まされて、仕事が一杯たまっているのに、いまだに、目が回る〜〜〜

●1月27日(日)「凍てつく朝倉川で河川清掃」

 1月27日(日)午前9時から「朝倉川を守る会」(会長=松村年康)は、御園橋周辺の清掃活動を行った。

 例年、春の「朝倉川530大会」には参加団体として名を連ね、秋には、単独で正月前の大掃除の意味も込めて、活動を行ってきたが、昨年末は、天候不順などで実施できず、1月27日の実施となった。

 朝倉川両側の木々にはうっすらと雪がかかっているような厳しい寒い朝だったが、会員30人が約一時間清掃活動に精を出した。
 特に仁連木橋の周辺にごみは多く、大きなごみ袋に15袋も集まった。「今回は、ごみが例年より多かったのは残念です」と毎回夫婦で参加する白井美恵さん(62)。

 「朝倉川を守る会」は90年8月に朝倉川周辺の住民有志16人が、御園橋付近にビンカンが散乱していたので、清掃活動を行ったのを機に結成された。今年は23年目を迎え、清掃活動も45回目となった。(1/29東日新聞掲載)

●1月27日(日)旭ベアーズ30周年 「自分に負けずに、野球に汗を」

 旭ベアーズスポーツ少年団(団長=鈴木)は結成30周年を迎えて、旭小学校で記念行事を行った。午前10時からは、旭小グランドで少年野球の強豪―松山ボーイズチームを迎えて練習試合を行い、汗を流した。

 昼に会場を体育館に移して、OB、父母の会のメンバーも参加して記念式典を行った。鈴木俊次(69)代表は「子どもたちが、野球に打ち込み、心身ともに成長する姿を見てこれたことは無上の喜びです」と30年を振り返った。

 3代目の監督である清水龍太(41)監督は「7年前に引き継いでからは、お蔭様で、市内大会で、優勝、準優勝など、豊橋市の多くのチームの中で、有数の力あるチームに成長できました」と、OB、選手、父兄に感謝のあいさつ。
 来賓として参加した柴田哲郎旭小学校校長は「少年野球にかかわってこられた皆さんのご労苦に感謝が絶えません。子どもたちの健全育成に流される汗に、旭小学校の未来が見えてきます」と激励した。

 この日を迎えたキャプテン朝倉 幸君(同小6年)は「意義ある年に野球ができて、卒団できてよかったです。後輩たちに頑張って欲しいです」と瞳が輝く。
 18人の団員の紅一点―若林美香さん(同小5年)は「男の子に混じって野球をやって4年目になります。毎日が楽しい」と明るく笑う。
 「父母の皆さんの団結と協力で歴史を積み重ねてきました」と父母の会代表の太田さゆみ(44)さん達は今日も裏方で式典を支える。

 旭小学校は、生徒数160人、8クラスと小規模校。それだけにチーム編成の苦労がつきまとう。今春、7人の6年生が卒業すると、現在5年生団員は1人、4年生は5人という実態。
 それでも旭ベアーズは6年前の「新春豊橋市中日杯少年野球大会では見事に優勝している。その時のメンバーの一人北河英人(17)さんは、今でも豊橋西高校の野球部員で頑張っている。「あの優勝が一番の思い出です」と懐かしむ。
 岐阜県の大垣日大高校のエースとして春の甲子園に出場し、準優勝に輝いた森田貴之氏(現東海レックス)もOBの一員。

 団長・監督・コーチ、「父母の会」の皆さんをはじめ多くの善意の人たちの気持ちが一つになって、旭ベアーズの練習は熱がこもる。頑張れ!ベアーズ!(1/29東日新聞掲載記事)

●1月22日(火)「ゴルフを通じて見えたこと」産学官交流サロンで米山みどりさん

 1月22日(火)、第339回東三河産学官交流サロンがホテルアークリッシュ豊橋でおこなわれた。 本年最初のサロンということでプロゴルファー米山みどりさんが鈴木伊能勢氏(豊橋三菱ふそう自動車販売且謦役社長)のインタビューに答える形で「ゴルフを通じて見えたこと」を大いに語った。

 「3歳の時に兄がやっていた剣道を見に行って、そのまま剣道をやることになった」、87年、88年と連続で全日本小中学生女子個人選抜剣道錬成大会小学生の部で優勝した。
 そして13歳でゴルフを始めた。そのきっかけは「剣道を続けるなら、剣道強豪校の多い九州へ母と共に行け、このまま豊橋にいるならゴルフをやれと父から言われて、家族を離れ離れにしてはいけないとゴルフを始めた」。

 そして95年に日本女子アマチュアゴルフ選手権で「まさか、まさかの予想外大逆転の優勝」をし、98年プロ入り、翌年フジサンケイクラシックで優勝。「何もかも初めての中で、疲れ果てていて、優勝した実感はなかった」。

 「剣道で日本一、そしてゴルフで日本一。共通点は何か」と鈴木氏。
 「両方とも個人スポーツ。剣道は外側の筋肉、ゴルフは内側の筋肉のスポーツ。剣道は相手がいるが勝率は二分の一、ゴルフの勝率は120分の一、精密な道具を使って、ミスのスポーツ」、などと軽妙なゴルフ談義が進む。

 「年間35試合のツアーに参加する交通費、宿泊費、キャディ、トレーナー・・・、大変な先行投資が必要です。シード権が得られる50位くらいでは、収支トントン」。
 「アメリカのツアーは企業のチャリティとして行われる。日本は企業の広告宣伝費として行われる。だから税金のかかり方が違う」。
 「韓国選手が強いのは、選手一人に家族全ての経済がかかっていて、その重荷、ハングリーさは半端じゃない」。

 「最後にゴルフとはどういうスポーツか」と鈴木氏がマイクを向ければ「ゴルフは確率と距離感、上がってナンボの世界」と結んだ。

 昭和51年5月生まれの米山さん。「ゴルフは35歳までと決めていたので」、11年(平成23年)にツアープロは引退したが、ゴルフボールの方向は定まっていない。

●1月20日(日)東三河岐阜県人会、新春懇親会を和やかに 新たに長崎県人会とも交流。

 東三河在住の岐阜県出身者で構成されている東三河岐阜県人会(伊藤秀昭会長)は、1月20日(日)午後六時から、豊橋市白河町の「ウェステージ豊橋」で定例の「新春懇親会」を開催し、お互いの近況を語り合いながら、同郷の絆を深めた。

 今回は三河長崎県会から会長の平元秀氏、同副会長の冨永正男氏が招待され、今後、夏の野外イベントなどで交流していくことを決めた。 

50年の歴史を持つ東三河岐阜県人会、15年の歴史の三河長崎県人会、故郷が隣県の岐阜県、故郷が遠く離れた長崎県、それぞれが時代の変化の中で、会の運営、今後の方向性など課題は共通しており、交流を通じて、更なる活性化の道を探っていこうとするもの。 

 来週、1月27日(日)に豊橋市東脇の「やまに会館」で、午後12時から開かれる三河長崎県人会の「新年会」に東三河岐阜県人会の代表が招待されることになった。

●1月16日(水)昨日の冷たい雨が、今日の冷たい風が、北国や東京で何が起きているかを示している。

 昼食を共にした友が言う。「歯医者の定期検診にいって、約1200円かかった。定期的に行っている関係で、歯はほとんど健康そのもの。しかし、歯が悪い人は、抜歯したり、入れ歯にしたり、インプラントにしたり。外国ではそういうことに保険は適用されない。
 日本ではそういうことにも保険が適用される−すなわち税金が使われる。検診も受けずに悪くなる人は自己負担でやればいい。悪くなってから使うお金のほうが多くかかる。手遅れになってからお金をかける。何かおかしくないか。

 公共工事も同じこと。予防保全にきちんと税金を使うべきだ。悪くなってから、応急手当てをして、本格的復旧して・・税金がどれだけあっても足らない。笹子トンネルの経過をみて、この国の政治家は、この歴史から学ぶことができるか、どう考えるのか。

 う〜ん、納得!!

●1月13日(日)新春の陽が穏やかな1月13日、「平成25年旭校区成人式」は旭校区社会教育委員会(委員長川根 直)の主催で豊橋市前畑町の市総合福祉センター(あいトピア)で開かれた。

 この式典のオープニングを飾ったのは旭小学校「和太鼓クラブ」の11名による和太鼓での「龍神太鼓」「風の子太鼓」の演奏。

 校区自治会から和太鼓が寄贈されたのを機会に旭小学校に「和太鼓クラブ」ができ、地域の皆様に感謝の意を表したいと、オープンしてまもない「あいトピア」で成人式が行われることになったことから、和太鼓演奏を申し入れた。

 その実現に尽力した当時の校長先生が吉留弘子さん。吉留さんはこの年の3月末に38年間の教員生活を終えた。それだけにその時の6年生が最後の卒業生。

 その卒業生が今年の成人者。参加した31人の成人者の中に、その時、和太鼓メンバーとして演奏に参加し、合同演奏が行われた。演奏に加わったのは田中 瑠(20)さん、加納幸治(20)さん、鈴木進平(19)さん、星川将慶(20)さんの4人。

 田中さんは式を締めくくる「新成人お礼の言葉」の中で「今日は、嬉しいことが三つありました。一つは、後輩の和太鼓クラブのみなさんと一緒に演奏ができたこと。二つ目は当時の吉留校長先生や担任の井本智代先生にお会いできたこと。三つ目は同窓の仲間と笑顔で再会できたことと」言葉を結んだ。加納さんは「太鼓演奏は久しぶりだったが、楽しかった」。 鈴木さんは「太鼓をたたけて最高の成人式でした」。星川さんは「8年ぶりで、緊張しましたが、ぶっつけ本番でなんとかできました」と満足気。

 終了後、吉留先生と思い出のカメラに収まっていた。(1/14東日新聞掲載記事)






●1月12日(土)遠く浜名湖を見下ろすような細江の高台にあるレストラン「ボンベイ」でカレーとナン、タンドリーチキンのランチ。至福の時、リフレッシュの時。

 それにしても、本当にこんな所にあるのだろうかと思うくらいの急坂を登って、インターネットでプリントした地図に従ってたどりついた普通の民家風のレストラン。
 看板に午前11時からということで、まだ15分もあると思っていたら、オジさんが声をかけてきて、「私どものパンフだけでも渡しますから」と。「えっ」と思っていたらどうやら店のマスター兼コックさんらしい。その上「寒い時ですから、どうぞ中へお入りください」と。

 聞けば、昔、浜松市に、東海4県で初のインド料理店として人気を博した「ボンベイ」というお店があったそうな。その伝説のボンベイのオーナーが、10年以上の時を経て、ここに「ボンベイ庵」として復活したという。

 ボンベイ自慢のタンドリーチキンはやわらかくジューシー。出来立てホカホカのナンはマルパンみたいに大きい。そしてメインのキーマカリー。挽き肉とナスのインド風カリーは病み付きになるくらいのおいしさに満足、満足。

●1月11日(金)恒例の「東三河5市長1郡町村会長を囲む新春懇談会」が開かれ、出席した。

 「足腰の強い地域経済」の確立のために産学官民が連携して生き残り戦略を創ろうと意気込みは熱い。しかし、6人の首長さんたちの「減災・防災への取り組み」はともかく「東三河広域連合への取り組み」のテーマになると、温度差は明確。6人の放つ矢がどこに向かって飛んでいくのか、と危惧されるほどの意見の食い違い。そもそも広域連合とは何かがわかっていないのではないだろうか。

●1月10日(木)読み聞かせ12年、「ひなの会」、子どもたちと絵本を通じて心の交流  むかしむかし、あるむらに、びんぼうなおとこがいました。はたらいても はたらいても、ちっともくらしはらくになりません。・・・・・
 暖かく、澄んだ朗読の声が教室に響く。真剣に聞き入る子どもたち。

 読み聞かせグループ「ひなの会」が豊橋市仁連木町の東田小学校で毎月一回、朝の読み聞かせ活動を始めたのは平成13年春。
 以来12年。14人のメンバーの児童を愛する気持ち、絵本を愛する気持ちが、一つになって子どもたちに絵本を通じて、読書の大切さを伝えている。

 「ひなの会」の代表野田友里さんは「子どもたちの真剣なまなざしに、こちらがパワーを一杯もらっています。絵本を通じて、子どもたちと心の交流ができるのですから、本の力はすごいです」と語る。
 また、白井裕予さんも「子どもたちは純粋なので、すぐ反応があるのでやりがいがあります」とやりがいを話す。
 毎月、打ち合わせを行い、会報「ぴよぴよ通信」を発行し、児童や保護者に本の紹介や日程を伝えている。

 絵本を選ぶのも自分たちで行い、その絵本を揃えるために田原市の図書館まで出かけることもあるという。今月は正月ということもあって、冒頭に紹介した「びんぼうがみとふくのかみ」

 一年前からメンバーに加わった松村美代子さんは「子どもたちが行儀よく聞いてくれるので感心します」と笑顔がほころぶ。
 この「ひなの会」は昨年、二度の表彰の栄誉に輝いた。「愛市憲章実践表彰―愛情をもちあたたかい町をつくりましょう」と「青少年育成賞」。

「自分たちの地道な努力が評価されて、最高に嬉しかった」と小川晴子さん。 「これも校長先生はじめ学校側の応援があってこそ」と紙芝居にも取り組む金子久美子さん。

 大岩義彦校長は「『ひなの会』のみなさんが、子どもたちに楽しくて、ためになるかけがえのない時間を与えていただいています」と絶大な信頼を寄せる。(東日新聞1/11掲載記事)

●1月8日(火)夕方から、宮澤副議長とともに東田小学校と青陵中学校へ。太田国交大臣の誕生を心から、喜んでくださった。

 東田小学校では大岩校長が太田氏の卒業名簿を探していたが、どういうわけか、その昭和32年度卒業生の名簿だけがないと困惑しておられた。青陵中学校では市川校長が、1月21日に生徒会が「夏みかん」を収穫するので、大臣就任祝いに東京へ送っていただけることになった。

●1月4日(金)「ひであきレポート」新年号をもって、年始のあいさつに回る。自分は「ひであきレポート」は最終86号で終わったと思っていた。しかし、今回の衆院選で公明票は全国で7,116,474票、豊橋市内では18,548票というとんでもない結果に、自分はいてもたってもおれなかった。

 私は今回の衆院選で蓄積してきた名簿に基づいて総当たりした。そこは5人の後輩議員に引き継いでもらいたいと相当の時間をかけて連れまわったが、糸が切れてしまった凧のように、思いは切れてしまっていた。誰が悪いのではなくて、結局、ひであき人脈の票はひであきにしか守れないのだと思い知らされた。

 使命が終わったのではない。議員が終わったのだ。生涯、公明党で、生涯、党勢拡大に生きるのが我らの人生ではないか。そんな思いから再び、自分は「ひでレポ」もって回る、歩くことにする。

●1月3日(木)明けて3日目、愛知県と長野県境の「新野峠」は吹雪。南信濃村の「かぐらの湯」へ行く予定を変更し、阿南町の「かじかの湯」へ。風呂へ入り、缶ビール飲んで、箱根駅伝をみてゆっくりとした時間を過ごす。




●1月2日(水)静かに明けた2013年、平成25年。そして今日は66歳の誕生日。それを記念して、「青春18切符」で長浜、近江八幡と足を延ばした。新春の陽を浴びて、近江路は静かに、新年の鼓動が聞こえていた。
 缶ビールと雑誌「潮」をもってローカル列車で行くたびは、スローライフそのもの。過ぎ行くときにいうことなし。
 最後に、青春の岐阜駅のレストラン街の「旬菜食健ひな野」のディナーバイキング。タイムサービスの「ずわいカニ」がでるまで、ねばろう!何事も諦めずに!の意気込みで待つこと1時間。遂にカニ様はあらわれず、遅くなるのであきらめた









●12月30日(日)今日は義父の17回忌だった。夕方、家族3人で勤行し、義父を忍んで、義父が好きだったうな丼を食べて法要とした。

 野球が好きだった義父は岐阜商業高校のグランドの近くで八百屋をやっていて、売り上げよりも、野球部への差し入れが多く、倒産してしまう。高山に優秀なキャッチーがいて養子縁組までして、岐阜商業高校へつれてきた。その息子−古田捕手が立教大学へ進み、杉浦投手とバッテリーをくむ。その時のキャップテンは長嶋さん。
 金もないのに立教大学野球部の合宿を岐阜へ誘致。長嶋氏を岐阜商業高校グランド連れて行き、合わせたのが、当時高校二年の高木守道。長嶋氏曰く「日本を代表する二塁手になる」と。この高木選手が中学3年のときに岐阜工業へだした入学願書を三日三晩通い、岐阜商業にだし直したのが義父。よって高木選手はシーズンが終わる度に挨拶に来ていた。

 義父は酒を飲むたびにこの話を何度も私にしてくれた。合掌


●12月28日(木)今年最後の「三八朝市」.「ひであきレポート」を配る。今朝、自分が書いた「東日新聞」が配達されてくるのを待って、その中の自分が書いた「太田大臣誕生」の記事を使って特集「ひでレボ」を作成、印刷。カイロを身体に、朝市で配り続けて3時間。350枚を配った。ただ一人の公明党の大臣、その出身地はここだけ。その喜びが寒さを吹き飛ばす。

 「24年間もここであんたからもらうレポートを楽しみにしてきたんやから、これからも続けてや〜」の言葉が嬉しい。

●12月26日(水)昨夜の奈良の友との語らいは尽きなかった。政治のこと、家庭のこと、そして人生を語る。我らが絆は戦いの中でつちかった同志の絆。友よ強く、雄々しく進もう、我らが大道を!素晴らしい、クリスマスの夜だった。

 凍てつく近江路を列車は米原に向かって走る。米原で乗り換え、大垣まで、そして、豊橋まで、3時間余かかるが気分は最高。実り多かった一泊二日の青春18切符で行く関西同志を訪ねる旅。
 滋賀で、奈良で、大阪で、京都でみんな、悩みながらも頑張っていた。

 そして今夜、安部内閣が発足し、太田昭宏氏が国交大臣に就任した。選挙の度に寿命を縮めるほど心配していた、お母さんが生きていたらどれだけ喜んだことだろう。明日は午前中に太田氏の同級生と太田家の墓に墓参し、報告してくる。

●12月24日(月)豊橋市内にある主なき家、ナンテンの花が赤い実をつけ、家の前にはこの家の主が生徒会長の時に提案した夏みかん並木には、黄色い凸凹みかんがたわわに実っていた。

 全国の同志の、いや全国民の熱い期待を担って、この家の主が、大きな舞台に上がろうとしている。「雌伏3年、国を思う士が決然と立つ!」。近くに住む中学時代の恩師が先の衆院選での6回目の当選直後に彼に送った詩である。

 「政治が好きだった親父はNHKの政治討論会をいつも聞いていた。私も幼稚園のころから親父の膝の上できいていました」「お袋は夜なべをして手袋を編んで大学まで進ませてくれた。選挙のたびに、心配し、案じてくれた。またテレビ討論に出るたびに忌憚のない感想を寄せてくれた」

 そんな両親は豊橋の向山の丘で静かに眠っている。そんな両親の思いを胸に、新たな舞台に駆け上がる!


12月 月間レポートへ