★ひでさんの折々の記★

2012/12 決着の衆院選!
●12月30日(日)今日は義父の17回忌だった。夕方、家族3人で勤行し、義父を忍んで、義父が好きだったうな丼を食べて法要とした。

 野球が好きだった義父は岐阜商業高校のグランドの近くで八百屋をやっていて、売り上げよりも、野球部への差し入れが多く、倒産してしまう。高山に優秀なキャッチーがいて養子縁組までして、岐阜商業高校へつれてきた。その息子−古田捕手が立教大学へ進み、杉浦投手とバッテリーをくむ。その時のキャップテンは長嶋さん。
 金もないのに立教大学野球部の合宿を岐阜へ誘致。長嶋氏を岐阜商業高校グランド連れて行き、合わせたのが、当時高校二年の高木守道。長嶋氏曰く「日本を代表する二塁手になる」と。この高木選手が中学3年のときに岐阜工業へだした入学願書を三日三晩通い、岐阜商業にだし直したのが義父。よって高木選手はシーズンが終わる度に挨拶に来ていた。

 義父は酒を飲むたびにこの話を何度も私にしてくれた。合掌


●12月28日(木)今年最後の「三八朝市」.「ひであきレポート」を配る。今朝、自分が書いた「東日新聞」が配達されてくるのを待って、その中の自分が書いた「太田大臣誕生」の記事を使って特集「ひでレボ」を作成、印刷。カイロを身体に、朝市で配り続けて3時間。350枚を配った。ただ一人の公明党の大臣、その出身地はここだけ。その喜びが寒さを吹き飛ばす。

 「24年間もここであんたからもらうレポートを楽しみにしてきたんやから、これからも続けてや〜」の言葉が嬉しい。

●12月26日(水)昨夜の奈良の友との語らいは尽きなかった。政治のこと、家庭のこと、そして人生を語る。我らが絆は戦いの中でつちかった同志の絆。友よ強く、雄々しく進もう、我らが大道を!素晴らしい、クリスマスの夜だった。

 凍てつく近江路を列車は米原に向かって走る。米原で乗り換え、大垣まで、そして、豊橋まで、3時間余かかるが気分は最高。実り多かった一泊二日の青春18切符で行く関西同志を訪ねる旅。
 滋賀で、奈良で、大阪で、京都でみんな、悩みながらも頑張っていた。

 そして今夜、安部内閣が発足し、太田昭宏氏が国交大臣に就任した。選挙の度に寿命を縮めるほど心配していた、お母さんが生きていたらどれだけ喜んだことだろう。明日は午前中に太田氏の同級生と太田家の墓に墓参し、報告してくる。

●12月24日(月)豊橋市内にある主なき家、ナンテンの花が赤い実をつけ、家の前にはこの家の主が生徒会長の時に提案した夏みかん並木には、黄色い凸凹みかんがたわわに実っていた。

 全国の同志の、いや全国民の熱い期待を担って、この家の主が、大きな舞台に上がろうとしている。「雌伏3年、国を思う士が決然と立つ!」。近くに住む中学時代の恩師が先の衆院選での6回目の当選直後に彼に送った詩である。

 「政治が好きだった親父はNHKの政治討論会をいつも聞いていた。私も幼稚園のころから親父の膝の上できいていました」「お袋は夜なべをして手袋を編んで大学まで進ませてくれた。選挙のたびに、心配し、案じてくれた。またテレビ討論に出るたびに忌憚のない感想を寄せてくれた」

 そんな両親は豊橋の向山の丘で静かに眠っている。そんな両親の思いを胸に、新たな舞台に駆け上がる!

●12月23日(日)穏やかな冬のをあびて、金華山が自公第二期政権の展開を待っている。岐阜と養老の墓参りを兼ねて、青春の地-岐阜を回ってきた。

 岐阜へ帰ったら、必ず立ち寄るのが、県庁近くの、「さっぽろ亭」の味噌ラーメン。この味、このスープ、この麺、40年愛してきた。至福の時である。

●12月18日(火)今なぜ「まちなか」なのか、パネルディスカッション

 第338回東三河産学官交流サロンがホテルアークリッシュ豊橋でおこなわれた。
 本年最後のサロンということで「今なぜ『まちなか』なのか!〜新たな賑わいを求めて〜」をテーマにパネルディスカッションが行われた。
 パネリストは石川誠氏(とよはしまちなかスロータウン映画祭実行委員会事務局長)、高井龍雄氏(ラブポートタウン実行委員会会長)、高津由久氏(フライパン倶楽部代表)、そして堀内一孝氏(豊橋市副市長)の四人。コーディネーターは戸田敏行氏(愛知大学地域政策学部教授)。

 石川氏は10年間の「とよはしまちなかスロータウン映画祭」の歴史を紹介しながら、「商業中心から文化・交流中心へ、単発イベントから継続のそれへ展開し、ときめきのあるところに人は集まる」と持論を展開。
 高井氏は情報マガジン「はなまる」での情報発信、TOYOはしごナイトやクリスマスマーケットの取り組みで、「中心部へ行けば何かある」の仕掛けづくりを話した。
 高津氏は「街中の商店だが、売り上げはインターネットが7割とあかし、小売業自体が滅びていくなかで昭和30年代、40年代の繁盛を取り戻そうというのは幻想で、行政を頼らず、自立したまちづくりを強調した。
 堀内副市長は「豊橋駅には毎日4万人、年間1500万人が往来しているからこそ、一番魅力のある地域でなければならない特別な場所だ」と位置付けた。

 戸田氏は「市民が動かなければまちは変わらない。都市の文化を紡いでいこう」と結んだ。

●12月10日(月)豊橋駅前で山口代表迎え公明党街頭演説会。

 公明党山口奈津雄代表は12月10日、午前11時半から豊橋駅東口広場で行われた公明党街頭演説会に来豊し「日本の再生のために、断じて勝たせて下さい」と演説した。

 折からの吹雪にもかかわらず集まった沢山の支持者は大歓声で応えた。比例東海ブロックで立候補している大口善徳、伊藤渉、岡明彦候補と共にマイクを持った山口代表は「これからの日本の政治には思い付きやパフォーマンスの政治ではこれからの日本を担えません。これからの日本経済は、いかに仕事を作り出し、経済成長を果たしていくかが目標となります。

 我々は今、東日本大震災や笹子トンネル崩落事故の経験を教訓に、首都直下地震や南海トラフ巨大地震などの災害に備え、必要な公共事業、命を守る防災・減災対策を実行すべきです。老朽化した橋や道路やトンネルなど、全国を総点検して壊れる前に手を打って寿命を長くすればコストも安く上がります・こうした対策を全国で実行できるのは公明党だけです。

   また、消費税をあげなくてすむのなら、それに越したことはありません。しかし、年金、医療、介護などの社会保障改革をどうするのでしようか。安心して高齢社会を乗り切るために、皆様にご負担をお願いしています。
 しかし、消費税は所得の低いかたの生活を直撃するから、軽減税率をきちんと、させていただこうとしています,」と話し、比例東海ブロックでの3議席奪還のために全力で戦うと支持を呼びかけた。


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