★ひでさんの折々の記★

2012/6 梅雨空の下を悠々と
●6月30日(土)ふと見渡せば、我が書斎にはIPhone、タブレットも含めれば、5台のコンピュータが動いていることに気が付く。そこに地デジテレビからの情報が重なる。えらいことです。25年前にPC286で「市民相談管理」を始め、1996年に公明地方議員としては先駆的にホームページを開設して・・、今やこれだけの情報基地となりました。

 今朝方の仕事で疲れて居間で寝てしまい、そのお蔭で午前3時頃から「朝まで生テレビ」を見た。当然ですがテーマは「激論―消費税政局と日本政治」。公明党からは西田参議院議員が出演していた。
 しかし、「公明党は民自の協議に乗っかって行っただけじゃないのか」との質問に、きっぱりと「冗談じゃない!むしろ公明党が民自を引っ張ってまとめあげたのだ!」くらいのことを言い切ってもらいたい!。おどおどと5項目を並べ立ていても、視聴者には言い訳にしか聞こえない。あとは、終了まで発言なし!

 「決められない政治を、動かして決めたのは消費増税だけ。それに手を貸したのが公明党」というような構図を打破するチャンスだったのに残念でならない。

●6月28日(木) 思い込みと、勘違い二つ

@最近、PCが重くなって、インターネットの動きも、メールの送受信までがおかしくなった。あれやこれやとやってみたが、それでも解決せず。それで気が付いた、この前「エクスプローラーVer9」をインストールしたことを思い出した。それで、それを削除して、以前のVer8に戻したら、全てが解決した。机の前のデスクトップはWindowsVistaで動いているのに、それを忘れて、Windows7用のVer9をインストールした愚かさに気がついた。

AWordなどの文章をPDFファイルに変換する時は、「いきなりPDF」(ソースネクストを使っていた。それで何かの文書をPDFファイルに変換する時は、その文書をEPSONのスキャナで読み取って、JPGファイルにして、それをWordにはりつけ、それをPDFファイルに変換していた。ところが、スキャナのファイル保存の設定でPDFファイルとしておけば、ちゃんとPDFファイルに変換して、MyDocumentに格納されているではないか。

 年を取ると、こうした思い込みがしみついている。何せ、地方議員が長かったので「痴呆症」の職業病に悩まされている、この頃。

●6月26日(火)週末から、玄関を飾るのは、アレンジフラワー教室へ通う妻が、今秋の市民文化祭に出展する試作品−プレザードのバラで飾る「ホワイトシューズ」。メンバー10人分を上品に並べるのだとか、女性の細かい感性に歓声!

●6月25日(月)「社会保障が待ったなしの状況の中で、先送りしたらこの国は持たない。一致結束してご支援、ご賛同を賜りますよう、心から、心から、心からお願い申し上げる」と野田首相。

 公明党の地方議員の末席を24年間、務めさせていただいた立場で、己の不明を恥じながら、心から、心から、心からお願いしたい。「公明党が修正協議に参加したのは社会保障を置き去りにしたまま増税先行の議論が進んでしまうから」、という言葉を信じてみよう、否、信頼しよう!、支持しよう!

 だからこそ、必ずや、必ずや、必ずや公明党の主張の反映などと抽象的でなく、具体的に実現していただきたい!!それができなかった時は、庶民の怒りに抗することなく、言い訳することなく、山口代表以下、明日、賛成する全公明国会議員は責任を取って、腹を切っていただきたい!!!

 今日、仕事で行った富士市でタクシーの運転手が、偶然にも学会員さんで、こうつぶやいた。「せめて公明党だけには給料にも10%の消費税を付ける法案を一緒にだしてもらえないか」と。そして言う「ここにきて増税3兄弟の仲間いりか・・、これで1000万はまた夢で終わる」と。

●6月24日(日)朝早くから、車を飛ばして南信州へ。新野の道の駅「千石平」はひんやりとした空気に包まれていた。そのあと訪れた長野県下條村のそば畑。遠くの中央アルプスをバックに白い花が初夏の陽に輝いていました。このあと、「かじかの湯」で一風呂浴びて、生ビールを一杯!帰りは妻の運転でグーグー。我が休日は全てOFF!。

 夜は、岐阜県人会の役員会。衰退気味の「県人会」を、今後如何に継続していくか。フリートーキング。

●6月23日(土)朝のうちは「三八朝市」で「ひでレポ―豊橋市議会傍聴記」を配った。上中下の3回で東日新聞に書いた傍聴記を冊子にまとめて100部用意した。

 午前10時からは「とよはし防災リーダー養成講座」。95人が参加していたが、7/7、7/21、8/4と講習を受けて、「防災士資格試験」を受験することができる。午後からの授業で例の「HUG」を行った。避難所の体育館に次から次へ集まってくる避難住民をとっさの判断でどこの場所に案内するかを考えるゲームで、おもしろかった。あと3回の講義をしっかり受けて、何としても防災士の資格を取りたい。

●6月21日(木)仕事で寝屋川市、門真市へ。特に門真市はパナソニック、サンヨーなど電機関連会社が相次いで経営苦境に陥っており、財政状況は厳しく、かっての企業城下町の力強さはなかった。大阪から、奈良・王寺町の町会議員宅へ。長姉のご主人のお兄さんの子どもさんという関係で親戚にあたる。共に近況を語りながら、友好を深めた。

●6月20日(水)あれだけ騒がれた、愛知県の震災がれき問題。大村知事が新たに焼却炉を新設し、がれきを受け入れるとした問題は、結局、撤回の方向。被災地のがれき量が大幅に減ってきたなど、環境は大きく変わってきたが、地元自治体に説明することなく、頭越しに勧められたこの問題。大村知事の勇み足という大きな失政となった。

●6月17日(日)今朝の「遠くへ行きたい」は我が豊橋市というか、我が家の周囲が舞台。24年間、「ひであきレポート」を配り続けた「三八朝市」がでてきたときは、びっくり。先週は朝早くから交流に出かけ、予告編を見なかったので、番組が始まってびっくり、あわててビデオをとった。多くの方から電話やメールもいただいた。

 「豊橋の朝市は生き残れるか」で書いた「公務員だった息子と頑張る伊藤秀子さん」もでてきた。そして、その後ろに、東海ブロックが取り組む「防災・減災プロジェクト」の公明党ポスターが何度も、何度もでてきた。
 この朝市が88年の歴史の中で、存続の危機に見舞われている。「豊橋の朝市は生き残れるか」は我が「ひであきレポート」に5回に分けてアップ中!

 昼、父の日という事で市内の中華料理店で娘夫婦とともに食事。今秋に出産予定の娘がぎりぎりまで勤めるという。少々心配。14回の検診、45万円の出産祝い金―改めて公明党の成果を確認。

●6月14日(木)新城市へ仕事で出向いた途中に、新城市議会へ。初めて傍聴させていただいた。豊橋市議会や田原市議会と違って、議場と傍聴席が同じフロアーにあり、親近感が増した。

●6月13日(木)豊橋市議会の3日間の一般質問が終わった。低調な一般質問だった。日本経済は長引くデフレ状態から抜けだせず、「税と社会保障改革」も波乱含みで、視界ゼロのぎりぎりの攻防が続いている。豊橋においても課題は山積である。秋には市長選も控えている。なのに一般質問登壇者は全部で十五人。毎年恒例の「五月の乱」でお疲れなのか。
 いっその事、議長・副議長は毎年抽選にして、そこで費やすエネルギーを豊橋の活性化に向けたらどうか。38万人市民の代表が議員であり、そのまた代表で見識豊な方が「議長」などと誰も思っていないのだから。シャキッとせよ!豊橋市議会!

●6月11日(月)6月定例議会の取材のため、豊橋市役所の地下駐車場からエレベータに乗ろうとすると掲げてある看板にふと気が付いた。

 「昨年の夏に続きまして、今年の冬も節電にご協力いただきありがとうございました。『とよはし節電冬の陣2011』は3月31日をもちまして終了いたしました。
 ご協力いただきました市民の皆様に対しまして、心より感謝申し上げます。豊橋市長 佐原光一」とある。

 もう6月11日ですよ〜。「節電のお願い」でしょう!!。「昼あんどん」みたいなこんな掲示に、誰一人、「おかしい」という人はいないのだろうか。市長さんも、副市長さんも公用車で出入りしておられて、気が付かないのだろうか!36人の議員さん!見て見ぬふりをしているのですか!呑気なもんですね!!!

●6月10日(日)豊田市の親戚を訪ねて出かけたが、高速道路では面白くないので新城市作手を通って、野菜売り場や「道の駅―つくで手づくり村」などを通って「松平家」発祥の地の「松平郷」などを通って、2時間半ほどかかって到着した。久しぶりに初夏の自然を堪能した家族ドライブだった。

 途中、第二東名の工事現場を通ったが、本宮の山並みを縫うように作られている構造物には、不気味ささえ感じた。

●6月4日(月)「円高対策にもっと取り組め!」

 知多半島で2人の友人宅を訪ねた。一軒は高校時代以来の友人夫婦のご家庭。ご主人は長く企業の特に品質管理の第一人者としての見識深く、現在はある大学の非常勤講師。
 曰く、「政治に携わる人たちはもっと円高対策に取り組むべきだ。円高に余りにも無策すぎないか。雇用も、社会保障も、もっといえば少子化も、年金も、諸悪の根源は円高にある。1ドル100円ぐらいの範囲でコントロールできるくらいの制度を早く作るべきだ」と淡々と話す。
 また景気に左右されるような、税体系でなく、安定財源としての消費税アップには賛成するが、「40兆円しか収入がないのに90兆円もの予算を組んでやってきた政治の有り様には怒りを覚える」とも。納得の友好対話だった。

 もう一軒はコマツ時代の先輩。入社以来、随分に面倒を見ていただいた。その先輩が、もう20年も前になるのだろうか、脳溢血で倒れ、手足に後遺症が残り、不自由な生活を余儀なくされ、以来、闘病生活が続いていた。今年になって、年賀状が来なかったので気になっていた。訪ねてみると、昨年6月に歯磨き中に倒れ、そのまま意識不明となり、ほぼ一年間、寝たきり状態。「所長さん、所長さん」と呼んでも、目をじーっと動かすだけで、何の反応もなかった。愕然とした思いで再会した時間は短かったが、これが最後になるだろうと思うと辛い時間だった。

●6月3日(日)引退して一年余、再び「ひでレポ」配る
 朝早くから、印刷機を回して6月3日(日)の三八朝市で「豊橋の朝市は生き残れるか」を手配りした。みんなが「久しぶりジャン、元気でしとったか!?」と近寄ってきてくれた。「あんたが立ってないと、朝市がさみしいで」、「ちょっと腹が出過ぎているよ。もっと運動して」とも。

 東日新聞のサテライト記者として5回連続で書いた「豊橋の朝市」シリーズを冊子にして、100セット用意したが約1時間で終えた。心地よい朝のひと仕事だった。「豊橋の朝市は生き残れるか」のために私ができることは、出店している人たちの「人間」を紹介し、親しみを持って買い物に来たいただけるお客様を増やすことであると意識しての「ひでレポ」配布だった。

 午後から、網戸の張り替えに挑戦。材料を買いに行ったホームセンターで店頭講習会が行われており、案外簡単そうだったのでやってみることにした。網が破れてテープで張ってあった網戸の網を外し、新調の網をあてがい、ハサミで切り、ゴムロープをサンにあてがい、押し込んで留めていく。そして最後は、専用カッターではみ出している網をカットすれば出来上がりである。結局、3本の網戸を約2時間で作業完了。業者に頼むと一本2000円だという。購入した材料と用具は3080円。結局半分で済んだ。夜は、そのお金でタイムサービスの寿司をおいしく食べた。


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