★ひでさんの折々の記★

2012/5 新緑の風まぶしく
●5月30日(水)「今回は今年度66歳、75歳、84歳、93歳になられた方にお送りします」として、豊橋市長寿介護課から送られてきた「平成24年度基本チェックリスト」。「バスや電車で外出していますか」、「預貯金の出し入れをしていますか」「お茶や汁物などでむせることがありますか」「周りの人から『いつも同じことを聞く』などの物忘れがあると言われますか」など・・・・・。この質問を笑いながら答えている間は大丈夫なのだろう。

●5月27日(日)新城市と市商工会が、市中心部の中央通り商店街で毎月第4日曜日に開催する「しんしろ軽トラ市〜のんほいルレット〜」が盛大に開催された。

 先月の開催が雨にたたられただけに、初夏の日差しに包まれた今日は、約3000人の買い物客や家族連れでにぎわった。物を運んで移動するとき、大いに活躍する軽トラ。そんな軽トラの荷台をお店にして、地場産の新鮮野菜や花、衣類は雑貨など、多種多彩な店が、約500bに並び、今回の出店は75台。

 今回の出店車の目玉は「段戸山三河炭焼き塾」(代表=斎藤隆典(40))の「焼きトマトリ」。豊橋の三河地鶏、渥美産ミニトマト、奥三河の炭を一つにした新メニューに予約も殺到し行列ができた。用意した700食が開店二時間半で完売。

 また、愛知県立新城高校情報会計科の生徒5人が、授業の一環として出展したコーナーにはラムネが売られ、人気の店となった。ショップ商業科鰍フ代表取締役伊藤未彩さん(同校三年)にとっては、この日が社長デビューとなった。「手応えがあって、楽しいです」と声を張り上げ、手作りクッキーの売込みに汗をかいていた。

 加藤久明実行委員長は「歩いてみて回っていただくことが軽トラ市のいいところ。回を重ねることが中心市街地のにぎわいを再生する起爆剤になれば」と力が入る。

●5月24日(木)新大阪東口の朝。議員1期、2期の頃、この東口近くのビルに大阪営業所を開き、議会の合間をぬって、ここを拠点に走り回った思い出の地。あれから20年。たたずまいは変わらない。
 あの頃、とにかく子供たちの教育費を捻出するために必死だった。朝9時には大坂営業所で朝礼を行い、西日本を駆け巡った。「生きる」手ごたえを五体で噛みしめながら・・・。

●5月23日(水)仕事で草津市から、大阪へ。草津市役所に初めて立ち寄ったが、落ち着いたいい雰囲気の市役所だった。大阪駅近くで商談の待ち合わせ時間にかなり余裕があり、新聞をじっくり読む。国会議員に提供されている私鉄の無料パスについて、「役割は終わった。返還すべきだ」と公明の山口代表。それなら、話題になる前に、先行して返上して取り組んだらどうか!

●5月21日(月)922年ぶりの金環日食の朝。豊橋の空は肝心の時間帯を前に雲が立ち込めていたが、いよいよの時間帯には雲間から太陽が顔をだし、近所の子どもたちと”神秘”の天体ショーを見た。専用グラスから見える宇宙の所業に感無量。想像以上の神々しさだった。

 そして、この日、午前11時から故小田鍵三前議員の葬儀、告別式があった。無念の別れだった。合掌

●5月20日(日)同僚議員だった小田君の通夜の日であったが、迷ったが「石川交流勤行会」に参加。

 午前5時半に家を出て、東名、名神、北陸自動車道を走り抜け、小松ICで出て、能美市のコマツ時代の同僚のご家庭に、そして石川平和会館へ。北陸の友の歓迎を受け、元気な会合だった。近江市場を散策して、海鮮丼に舌鼓。東山茶屋街の近くの親戚を訪ねた後、茶屋街を散策。
 帰りは東海北陸自動車道から、高山で降り、高山の親戚を訪ね対話を重ねた。長年の友とも再会し、コーヒーを奢ってもらい、高山ラーメンで夕食をとり、再び、東海北陸自動車道から、東海環状線、東名高速。都合665`の日帰り周遊を無事故で終えた。

 東日新聞のキャンペーン「豊橋の朝市は生き残るか」は今日が最終会
 最終回の〆をどうするか。随分に悩んだ。観光コンベンション協会にも足を運び議論した。市役所の商工業振興課にも。愛知大学の印南教授にも会いに行った。
 結局、「朝市を生み出し、発展させてきたのは、市民である。行政の責任でもない。百歳まで生きられるかどうかは市民の双肩にかかっている」。

 今朝も、豊橋で朝市が開かれている。

●5月19日(土)夕方から、地域の前畑町の新年度役員会。その席上で、自治会副会長、自主防災会防災リーダーの承認をいただいた。早速、「防災手帳」を全員に配り、「自助」「近助」の重要性を訴えた。また民生委員の妻が「100金で揃う防災グッズ」を披露した。終わりがけに、「防災手帳を家族の分まで欲しい」といって多くの人がとりに来られたので、効果はあったと確信した。

●5月18日(金)共に青春を、共に議員活動を、共に議会活動を走り抜けた小田鍵三前議員がなくなった。久しぶりにお会いした時は、もう何も語らない、帰らぬ人となっていた。無念、残念。ご冥福を祈るばかり。合掌。

●5月17日(木)第三期のs/c介護スクールの入所式。「2025年がピークといわれる高齢化社会には看護職が30万人、介護職が70万人不足するといわれています。その意味で介護職員を目指そうとする皆さんの将来は大きな可能性があります。コメは苗を植えてから、収穫するまで八十八の日にちがかかるから米と書くといいます。今日から6ヶ月間をどうか人生の充電時間としてとらえて、苦楽をともにし、頑張っていきましょう」とあいさつ。

●5月16日(水)仕事で、松坂、明和町、伊勢、鳥羽と回る。ぎりぎりで伊勢湾フェリーの伊良湖行きに間に合って、久しぶりの船旅。この海が、20b以上の津波に襲われることなど、想像できないほどの静けさと夕日が、心地よい初夏を告げていた。

 今日から、地元紙「東日新聞」が「豊橋の朝市生き残れるか」が始まった。東日新聞サテライト記者として、まっさきにやりたかったキャンペーンである。5回連載の予定。

●5月15日(火)豊橋市議会臨時会の正副議長の改選劇。結局、議長は辞表をだし、満票で再選された。ところが副議長は辞表を出さずにそのまま。不信任動議が出され、可決されたが、拘束力はなく、そのまま居座ることになったという。「何でもアリ」なのか、「議会改革」とは何なのか。

●5月12日(土)午後から介護スクールの職員会議。久しぶりに顔を合わせて、さあ、3度目の介護職員基礎研修が始まる。

●5月7日(月)田原市議会の議会報告会を取材に出かけた。今回は特に、田原市に「震災がれき受け入れ問題」があり、田原市議会は全18小学校区での開催を計画しており、注目された。

 衣笠市民館には、会場ぎっしりに多くの市民が参加していた。出席した4人の議員からは、3月定例会で議決された新年度予算の主要事業について、説明があった。
 「市議会と市政についての意見交換会」では、「大村知事が提案している、田原市での震災がれきの受け入れについて、議会ではどのような議論が議会で行われているのか」。「被災地からのがれき搬送の費用を考えると、現地で焼却炉を用意し、処分することが大切でないのか」などの意見が寄せられた。
   これに対しては議員からは、「市長が明言しているように田原市の受け入れについて大村知事からは正式な要請は来ていない」。「東三河広域協議会で視察団を派遣し、議論がなされているので、その動向を見極めたい」などの意見表明がなされた。

 とにかく、一生懸命に取り組んでいる姿には好感が持てた。

●5月5日(土)泊原発が停止する。今年の夏は、原発が稼働しない初めての夏。「原子力発電に依存しないエネルギー政策」はどうあるべきなのか。日々の暮しには大量の電気を必要としています。供給力が示す範囲で需要を賢く組み立てることができるのか。「持続可能な未来」を子どもたちに約束できるのか!

●5月4日(金)静岡交流で、静岡から富士へ。新茶の緑が清々しい。富士で従兄弟と友好を温めたあと、立ち寄った蕎麦屋さんで、遅めの昼食。お座敷から見る竹林が、初夏の風情。

 そして、今年こそはと念願の「富士芝桜まつり会場」へ。大渋滞の末にやっとたどり着き3分咲きながら艶やかな芝桜には満足。ただし、富士の雄姿は最後まで現れず。帰りに山梨県南部町の「なんぶの湯」で一風呂あびて、帰途についた。清水JCTで再び渋滞に巻き込まれ、新東名から、東名へ回り、日本平サービスエリアでやっと、夕食にありつく。友好活動も大変だ。

●5月3日(木)今日の公明新聞3面の「都市防災・減災を!」で党首都直下地震対策本部長の上田勇氏と対談しているのは危機管理アドバイザーの国崎信江さん。

 今年1月、豊橋市で開かれた「第25回男女共生フェスティバル」の分科会で「女性と子どもの視点から我が家の防災を総点検」と題して、約1時間半に渡っての講演をお聞きした。さりげない表情から、次々と発せられる説得力ある災害に備える自助努力の必要性。
 「未曾有の被害をもたらした3・11東日本大震災。震災後、各家庭や各地域で防災に対する意識が高まっています。しかし、懸命になって築いてきた家庭で、その財産で、家族の命を...落とすことにならないかと、矛盾だらけの我が家の防災対策について再点検していただきたいと迫った。

 今でも、あの講和は胸に響く。それだけに親しみを持って記事を読んだ。

●5月1日(火)共同通信社が4/28,29日に実施した世論調査では野田内閣の支持率は発足後最低の26.4%に下落しています。問題なのは無党派層です。支持政党なしが、前回の45.5%から52.5%にさらにアップしています。過半数以上に拒否される日本の政党政治。日本の危機以外の何物でもない。


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