★ひでさんの折々の記★

2012/1 新春、新たな太陽を浴びて
●1月29日(日) 今日は、いとこ会で折角集まったのだからと、我が兄弟で京都へ日帰り旅行した。底冷えのする京都ではあったが、嵐山にも、平安神宮にも、清水寺にも観光客が溢れていたのには驚いた。久しぶりの兄弟の旅行であれこれ話し合えたのが良かった。この歳になると身内というか、絆というか、そんな思いが強くなるのは、大震災の影響か、人間の帰趨本能なのか。

●1月28日(土)昨日は岐阜県養老の養老公園の一角の料理店で「いとこ会」が行われた。オヤジの兄弟8人のそれぞれの子ども―いわゆるいとこは26人。そのうち15人が出席。残念ながら、弟を初め2人が故人。いとこ会はその配偶者も参加して、合計23人のにぎやかな集いとなった。東京から、静岡から、大阪から78歳の私の長姉から、38歳の従妹まで幅広い地域から、幅広い年代がそれぞれの道を歩き、それぞれの人生を送っている。人生は素晴らしい!。

●1月27日(金)商工会議所で「公明党新春セミナー」。私が総支部長の時に始めたこの催しも12回目を迎えた事を我ながら嬉しく思った。毎年、正月に名古屋で行われる「賀詞交換会」に豊橋から参加するには限りがあり、それに代わるものを開催できないかと始めたのが、この「新春セミナー」であった。

 話の中で、来賓の永田副知事の東三河県庁についての話はわかりやすかった。また伊藤渉元衆議院議員の現行の年金制度についての話はメリハリがあり説得力があった。「百年安心」の前提である合計特殊出生率が2050年の目標である1.39を2010年に満たしている点や、年金積立金が計画に対してプラス4.3兆円となっている点などを強調しての「年金制度は崩壊していない」とキッパリ。

●1月25日(水)夜、定例の党員会。後輩議員たちが12月議会の報告という形で支部会を開催している。一人一人が持ち味を発揮して取り組んでいる姿は頼もしい限りである。

●1月24日(火)昨日から東京へ出張。夜のうちに茨城県取手市まで移動しておいてよかった。取手駅に着いたのが午後11時過ぎ、ホテルまでは近いのに大変な吹雪で一苦労。今朝、ホテルの窓から見る駅周辺は雪景色で一変していた。取手市は市議選3日目で、勇退する長年の友と再会し、この寒波の中で頑張っている候補者にお会いして、頑張れ!と拙いメッセージを渡すなどして激励した。みんな頑張っていた。

 午後からは、PHP総研主催の「夕張市で何が起きたか〜危機のシグナル、破綻の現実」を受講した。このような講義を受講したのは実に2年ぶりではないだろうか。それだけに新鮮な気持ちで参加できたし、自費で参加しているだけに、一言も聞き逃さないと必死だった。

 それにしても、財政セクションの組織的な会計操作、特に異なる金融機関からの一時借入金の連続的借り換えが」あったとはいえ、18人の夕張市議会議員はこの夕張市の予算も、決算も一度も否決することなく、破綻した現実には愕然とする。

●1月22日(日)第25回男女共生フェスティバルの分科会。「女性と子どもの視点から我が家の防災を総点検」と題しての危機管理研究所代表の国崎信江さんの講演を聞いた。

 未曾有の被害をもたらした3・11東日本大震災。震災後、各家庭や各地域で防災に対する意識が高まっています。しかし、懸命になって築いてきた家庭で、その財産で、家族の命を落とすことにならないかと、矛盾だらけの我が家の防災対策について再点検していただきたいと迫る。

・「防災」とは生命、身体、及び財産を災害から保護すること。そのためには安全な場所に家を建てる、災害に強い建物で働く・住むこと。この2点がきちんとされないと「防災」にはならない。

・阪神大震災では10数秒の揺れで10万5千頭あまりの建物が一瞬で全壊した。5502人が建物や家族の下敷きで亡くなった。全ての被害は自分の家がなくなったところから始まる。当面の生活が確保できるまでにかかった経費は「200万円以上」。住宅再建費用は「2000万円以上」が必要。これに対して被災者生活再建支援制度では全壊100万円、大規模半壊50万円、住宅の再建方法に応じて支給する支援金は建設・購入200万円、補修100万円・・。備えは大丈夫ですか?!

・「避難所へ行けば大丈夫!」と思い込んでいませんか!。見知らぬ住民同士が雑魚寝する恐怖、トイレが、それも夜間のトイレで男女共同の恐怖、着替える場所がない・下着を干す場所がない、貴重品を取りに行った我が家で強姦に合う恐怖・・・。私は絶対に避難所にはいかないために我が家の防災に取り組んできた。自宅が被害に遭わなければ危険を回避できたかもしれないと後悔してはならない。

・自宅が安全か、今から、もう一度確認してみよう。とにかく物を少なく!家にあるもの全てが凶器になることを知ってほしい

 歯切れ良い、そして重い言葉が続く。実に目からウロコの講演会だった。あっという間の1時間半だった。

●1月21日(土)夜8時からのレイトショーで映画「三丁目の夕日64」を見た。6年前に初めて上映されて、大ヒットした「三丁目の夕日」。そのまた2年後に「続三丁目の夕日」がつくられた。あれから5年、鈴木オートの長男一平は高校生となり、六子が恋を貫いて結婚したり、芥川家の奥さんヒロミの出産、竜之介君が東大をめざしていたり・・・この5年間の成長の跡を感じさせながら、笑いあり、涙ありの物語を展開する。

 64は1964年の事であり昭和39年の東京オリンピックの年の三丁目の住民のストーリーに少し無理がある部分もあるが「幸せとは何か」を問いかける社会はドラマである。久しぶりの映画に冬の夜を堪能した。

●1月19日(木)介護スクールの実習2日目。施設研修に励む豊田の生徒の激励と施設のあいさつに回った。ある施設でケアーマネージャーと対話。
 「確かに介護施設で働く介護士の報酬は低いかもしれない。それでも私はゴルフが好きだから、年に2回だけゴルフをします。そのための練習は料金が安い早朝練習に行きます。お金持ちのようなゴルフはできないけれど、それでも楽しくやってます。家族で月に1回はファミレスで食事します。お金持ちのようにステーキなんぞは食べれないけれど、それでも家族でファミレスでの外食を楽しんでいます」と淡々と話す彼に、あまりにも多くの事を教えてもらった。

●1月17日(火)16、17日と福岡県の糸島市、北九州市、大野城市と動いた。行く先々で公明議員の皆さんの熱気と真剣さを感ずる2日間だった。

●1月15日(日)夜、定例の岐阜県人会。市内のホテルで懇親を深めた。今回は地元、中日新聞豊橋総局次長の原一文氏を迎えて、「取材よもやま話」を聞かせていただいた。朝駆け、夜討ちの番記者模様や、官邸記者の日常など興味ある内容だったが、高齢の女性の皆さんにはどうであったのか。また、東西三河で中日新聞の発行部数は85000部、朝日12000部、読売4000部、毎日3000部、日経6000部など興味深いデータも紹介された。

 会の途中に佐原市長にも立ち寄っていただき、みんなで写真が撮れたのはよかった。

●1月13日(金)「お米と、野菜だけでも消費税あげないでくれ。商売はもう諦めた。せめて、三度の食事だけでも食べさせてくれ」と工作部品の会社社長、「この上、消費税が上がったら、お客がまだまだ減る。いい加減にしてよ!。国会議員さんの数と給料減らしてから、消費税値上げをいってよ」と美容院の経営者。

 新年のあいさつで回れば回るほど、消費税増税反対の声は大きい。今日、野田政権は岡田副総理を加えて、「増税最強路線」の改造内閣が発足した。奢るなかれ!この国の為政者たちよ!

●1月9日(月)穏やかな成人の日。豊橋市はこの3連休の真ん中の日曜日に校区別に成人式を行うのだが、今年は24年ぶりに成人式に参加しない一日だった。近所の人たちと連れ立って、豊根村の「湯〜らんどパルとよね」へ。途中、国道151号線が昨秋の集中豪雨でトンネル崩壊のため通行止め。津具村のほうへ大きく迂回。そのせいか、温泉は入館者も少なく、開館15周年とかで、料金は300円。ゆっくりと風呂へ入り、読書、食事とのんびりとした時間を過ごした。

 帰りに、四谷の千枚田に立ち寄ったが、モノトーンの風景が広がっていた。山里の梅が、少しづつほころび、春を待っていた。

●1月7日(土)「消費税率引き上げまでに、衆議院議員定数を80削減」という「税と社会保障改革の大綱」素案。自ら身を削る範を示さねばならぬ国会が、定数削減となれば、比例ブロック中心の減員になることから、政党の存亡に直結することになる。それでも、やりきる覚悟があるのだろうか。

●1月6日(金)新春恒例の「東三河5市長・1郡町村会長を囲む新春懇談会」。
 東三河5市の首長と、北設楽郡町村会長を務める横山光明設楽町長が出席。今年のテーマ「東三河の自立」をめぐって、議論がなされたと書きたいのだが、各市長、町長の発言は職員が作った原稿をそのまま読みあうような発言ばかりで、面白味に欠ける2時間だった。
 むしろ、主催者である東三河懇話会会長の神野信郎氏の冒頭あいさつでの「社会・経済の自立、エネルギーの自立、そして地域経営の自立」の話のほうが説得力があった。また、参加していた隣の三上湖西市長が「野田政権は脱原発の腹が決まっていない。こんな時は地方から声を上げなければならない。脱原発を叫び続けていることから、静岡県の西の果ての湖西市が全国区になりました」との話のほうがインパクトがあった。

 また、順次各首長が発言したが、最初に佐原豊橋市長が「何でも豊橋が最初の発言ですが、たまには一番最後にしてもらいたい」旨の発言から始めたが、ここらあたりが、38万市長として、東三河将来の重い責任を背負っている自覚に欠けるところ。今秋には市長選というのに・・・。

●1月4日(水)穏やかな三ケ日が過ぎ、新たな年が動き出した。寒風の中で街頭演説に励む同僚議員の頑張りに敬服するとともに、新たな年の新たな展開を期待せずにはおれない。
 地方議員として24年、四半世紀を地方議会で生きてきた自分にとって「地方分権」という言葉ほど瑞々しく、また重々しく感じた言葉はなかった。そして「日暮れて道遠し」の代名詞のように遅々として進まなかった。

 その最大の理由は何か!地方がいくら声を大にしても最終的には中央に認めてもらわなければ権限も、ましてや財源も進まないということ。もっと言えば、国会で「地方自治法」や、「地方財政法」が改定されなければ、犬の遠吠えに等しいという矛盾の中に地方議員は生きているということ。
 しかし、だからと言って、「地方には法的には権限がない」と言っておれない時代に突入しているということを自覚してほしい。大震災の死者1万5844人、行方不明者3451人−この身震いするような現実は我らに何を突き付けているのだろうか。

 地方議員よ!立ち上がって、声を上げよ!住民の生命と財産を守るのは住民の代表である地方議員の責任であることを命に刻んで・・・。

●1月2日(月)穏やかに晴れたのを確かめて、東名高速をひた走って、のはずが高速道は、そこら中が渋滞なので「相良牧ノ原インター」までは国道を走り、御殿場高原「時之栖」へ。ついたのが4時。「気楽坊」という日帰り湯から、雄大な富士を眺めて、イルミネーションのトンネル歩いて、いい気分。ところが、食事処はどこも満員で、90分待ち。あきらめて、国道を沼津方面へ。開いているのは「松屋」「吉野家」「五味八珍」・・・。腹はへるし、高速道は渋滞で、帰宅がいつになるかわからんし・・、だんだんイライラしてきて、やっと、ロイヤルホストで「あつあつ鉄板 タンシチュウ&ハンバーグステーキ」にありついた。ささやかながら誕生日ディナーである。

 豊橋に帰ったのは10時半、散々の65歳、前期高齢者の仲間入りの日でした。

●1月1日(日)24年間、大晦日のこの時間帯は、黙々と「ひでレポ」の年越配布を行っていた。凍てつく街中を一軒、一軒回って配り続けた。風雨激しかったので2回、入院中で1回はできなかったが・・。そして今年は、黙々と祈る年越しの時間にあてた。
 東北の被災地で、身元不明のまま、年を越した遺体は640体だという。名も知れぬご遺体に恥ぬ人生を送りたい。そして、名も知れぬご遺体に、安穏の日々を迎えていただくのが、政治に携わる人たちの責務ではないか。


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