★ひでさんの折々の記★

'11/07 実りの秋へ 第3の人生を軌道に
●7月31日(日)夕方から、市内のホテルで豊橋岐阜県人会。新年の懇親会から半年。「岐阜県で生まれ育ったという縁を大事にして、会員相互のを絆を深めていきましょう」と会長としてあいさつした。近況を語り合い、同ホテルでの「トロピカルサマーバイキング」に参加する定番。折から奈良海津子の歌謡ショウが行われていて、会場は盛り上がっていた。良く知らなかった奈良海津子という歌手。彼女の伸びやかな歌声が会場を包み、名古屋から来たという後援会のメンバーが盛り上げる。その一生懸命さが伝わってきて歌謡ショウーはほのぼのとした雰囲気を醸し出し、さわやかな夏の夜のひと時だった。

●7月24日(日)ふる里−大垣で中学3年時代のクラス会。昨年に続いて、大垣駅構内の同じ会場での開催となったが、出席者は9人。「みんな元気なうちにしばらく続けよう」と30年ぶりに集った昨年のクラス会で誓い合った。我ら団塊の世代の青春の友も、いよいよ高齢者に仲間入りしていく。50年の歳月は青春時代を遠ざけていくが、共に生き、共に悩み、共に進んだ黄金の思い出は鮮やかに光を増していく。来年の再会を誓い合いながら乾杯の声が元気に響いた。

●7月18日(月)3日間の旅の疲れでぐっすり寝てしまい、気にはなっていたが、「なでしこジャパン」のWカップ決勝の結果。それが、なんとPK戦の末に優勝である。アメリカの猛攻に耐えて、耐えて、追いつき、追いつきの果てに、PK戦で見事なる栄冠を手にした。最高の舞台で最高の結果。おめでとう日本、ありがとう!なでしこ。

●7月17日(日)いわき、広野の震災現場へ

 水戸からいわきまで鈍行列車で1時間40分。面積1,231?、海岸線60qという広大ないわき市。レンタカーで小名浜漁港へ。6年前の秋に視察で訪れたのが小名浜港。ニュースで流れてきた震災直後の無残な姿に唖然としたが、かなり復旧していて瓦礫もほとんど片づけられていた。それでも、あの時、サンマを買ったり、海鮮丼がおいしかった「いわき・ら・ら・ミュウ」は閉鎖されたままで、再オープンは今秋とか。ガラス張りの水族館「アクアマリンふくしま」はちょうど再オープン二日目で家族連れでにぎわっていた。

 車で、国道6号を北へ。いわき市を過ぎて、広野町に入って、Jビレッジあたりですぐに通行止め。福島原発から30`圏内のため通行不可とのこと。そこでUターンし、常磐線ひろの駅近くの商店街を通ったが、人気はまったくなく、時々家の片づけをしておられた。途中、警察官からの職務質問が2回。「強制的避難区域」のために「空き家をねらった泥棒の被害が絶えない」とか。
 覚悟はしていたが、眼前に広がる被災現場の状況は息をのむ。当然ながら、家の中で力なく家財道具を片づけたり、海を見つめて茫然と立ちすくむ人に向かって、カメラを向けることはできなかった。
 いわき市の北東部の四倉漁港のあたりのすさまじい光景にも、立ちくらみがするほどの衝撃的な光景だった。

 6年前の視察で「和を以って貴しとなす」(以和貴)を音読みすれば「いわき」となり、市の名前には一体的発展の意味も込められていると学ばせていただいた。史上最大の被害の中で、一日も早く復興される事を祈って、早めにいわき駅を後にした。

●7月16日(土)取手市で議会基本条例を考える

 議会基本条例の制定を目指している取手市議会は16日、「自治体議会改革フォーラム」代表の廣瀬克哉法政大学教授を招いて、市役所敷地内の福祉センターで「議会基本条例講演会」を開催、これに参加した。
 「議会基本条例」とは議会の目指す方向性や議会運営の基本原則などを定める条例で、取手市議会では9月中に原案をまとめパブリックコメントを実施した上で、今年12月の制定を目指している。

 すでに、取手市議会は市民からの陳情を受けて、「議会基本条例策定調査特別委員会」を設置し条例策定作業に入っている。廣瀬教授の話の中で、「議会基本条例は5年前に北海道栗山町が全国で始めて制定したのを最初に、今年3月までに全国200以上の地方議会が制定、現在150以上の議会が制定に向け検討中。昨年12月までの制定率は都道府県が32%、市議会が12%」という。
 また廣瀬教授は、地方議会の現状について、河村たかし名古屋市長や鹿児島県の竹原信一阿久根前市長、橋下徹大阪府知事らと議会との対立を例に「議会は危機の中で、どうあるべきかという議論をするのではなく、定数や報酬削減をしたり、形だけの議会基本条例を制定したりと、頭を下げて危機が通り過ぎるのを待っている」と指摘。
 地方自治体は今や、従来の「あれもこれも」から「あれかこれか」を選択しなければならない自己決定・自己責任の時代に入っている中、議会の使命は「議員同士の議論を通して、わがまちは何が問題になっているかを市民に知らせることだ」とし、「議会は議案を議決する以上に、討論過程を通して論点、争点を発見する役割があり、公開することを重視しなければならない。さらに政策立案する議会へと役割を拡大していく必要性」を強調した。

 パネルデスカッションや参加した住民との意見交換もあったが、「取手市議会が『議会基本条例』がなくて、議会運営上で困っていることは何なのか」「反問権を与えるとか、討論を何回もするとか、議員同意で議論するとかなどは議会運用規則を変えればいいことでないのか。何故、議会基本条例を必要とするのか」が明確でなかったのが残念。くれぐれも「額縁にいれておく『議会基本条例』にならないように」(廣瀬教授)後ろ髪をひかれる思いで取手を後にした。

●7月15日(金)東京麹町で太田明宏議長を囲んで地方議員の懇親会に参加。

「原発について反原発か、脱原発か、縮原発か、しっかり勉強する必要があるが、少なくとも来年一杯は日本のエネルギーは大丈夫だと言い続けなければ、持続可能な社会保障どころか、日本経済は沈没する」。
「公明地方議員のネットワークは大事だが、いつまでもパス回しをしているのでなく、自分でシュートを打て。シュートを打つために国会議員が必要ならば、大いに利用して、シュートで終わるのだ。そうでなければ実績とはならないし、政治は変わらない」。
「味方を作る。勉強する。この二つが議員としては最も大事だ。政治家はどこかでけんかしなければならない。けんかもできない政治家ではダメだ。その時に必要なのは味方をどれだけ作っているかだ」。
「立派な人たちが、立派な復興計画を作らないでください。この体育館に寝泊まりして、この被災現場で、ひざ詰めで復興計画を作るくらいでないと、復興はおぼつかない・・・・被災地の首長は真剣にそう訴えている。こういう気持ちに誰ひとり答えていない」
「気仙沼が元気になるにはカツオが来ることだ。カツオを水揚げすることだ。そのためには港と、氷と、電気が復旧することが不可欠。それらを懸命に手を打ってきた。6月27日にやっとカツオが水揚げされ、活気が、笑顔が戻った。カツオ2匹が気仙沼漁協から贈られてきた。うれしかった。人間の復興とはこういうことだ」

 太田節がさく裂した。

●7月10日(日)白血病と戦う友を激励に長野へ。市内のホテルで昼食を共にし約2時間。元気そうな友と、その奥さん。豊橋から連れて行った奥さんのお母さんを交えての話し合いが和やかに、明るく、前向きな会話ができたのは信仰を持つ人たちの強さなのだろう。

 NHK「おひさま」のロケ現場などは観光客で列をなしていた。安曇野市で頑張る小松議員に案内していただいた。

●7月9日(土)名古屋・金山で「高齢者の見守り支援について」勉強会。厚生労働省老健局振興課長の川又竹男氏や愛知県健康福祉部高齢福祉課入山主幹や北名古屋市、地域NPOなどから活発な意見、提言がなされた。
 猛暑の中を約70人が参加し、身近な政策課題だけに関心は高かった。

●7月6日(水)介護スクールの授業も大詰め。午前中、担当していただいたN先生。元看護学校で教鞭をとっておられただけに、授業に臨む姿勢はいつもしゃきっとしておられた。最後の授業で黒板に書かれたこと。「私は教えるは学びの途上だと思っています。皆さんもケアするのは学びの途上だと思って下さい。私は、キラキラ輝くダイヤモンドよりも、いぶし銀の鈍い光が好きです。謙虚に自分を向上させてください」。


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