★ひでさんの折々の記★

'11/05 新緑の風の中を
●5月31日(火)喫茶店で読んだ朝日新聞の「声」欄に「豊橋市の方々に感謝しながら」と題して原発の地−福島県富岡町から着の身着のまま車で逃げだし、今は豊橋市の県営住宅に住んでいるというOさんの発言が載っている。
 「ここへ来てからは、後期高齢者医療費一部負担の免除、息子たちと同じ県営住宅に住めるようにしてくださった豊橋市、物心両面に支援をして下さった地域の方々に感激しています」と綴られている。「ふる里への復帰がかなうかどうか不明ですが、皆様の暖かいご支援に感謝しながら、一日も早い帰宅を願っています。」と結んでおられる。

 市議選が迫る中で、後継の新人候補と避難してこられたばかりの皆さんにお会いしたのは4月4日だったはずだが、その時の生の声をまとめて市長に要望を出したのが4月7日。あれから2ヶ月。こんな情報にであったのはうれしい限り。

●5月29日(日)台風の影響か、終日、風雨強し。前日、購入したスマートホンなるものを手にして悪戦苦闘中。auのISシリーズREGZAなんだが、さすがにぎこちない動きに、年齢を自覚しながら、挑戦中。そこへメールやら、電話やらでドタバタ・・・。全くスマートでない、トホホの一日。

●5月26日(木)知人からいただいたチケットでナゴヤドームの中日vs.日本ハム戦を観戦。中日が森野、和田、ブランコの主軸の活躍で快勝。先発のチェンが8回を3安打無失点に抑える好投で2勝目。9回に岩瀬がマウンドに上がった時の場内を包んだ悲鳴にも似たザワメキ。案の定2安打を浴びるも、何とか抑えて得点を許さず、試合終了。久しぶりにプロ野球を堪能した。

●5月25日(水)勤労福祉会館小ホールで公明党豊橋支部大会。
 後輩たちが引退の舞台を作ってくれた。花束をいただき、あいさつの機会を与えてくれた。「今なお、被災地では9000人からの人が行方不明であり、10万人もの人が避難生活をしておられます。政治に携わった人間の一人として、平和を願う一信仰者として、自分に何ができるのかを見極めながら、一市民として地域に貢献していきたい。公明党の行方は厳しいものがあるけれど、楽観主義で楽しく頑張って道を拓いていただきたい」と結んだ。

 それにしても、今日は昼間に奈良から100本のヘグリローズが届けられ、今夜また素敵な花束をいただき、再び我が家の玄関は花で埋まった。ありがたいことである。

●5月22日(日)23回忌に母を想う

 母の23回忌法要が岐阜県養老町の実家で行われた。平成元年5月20日、71歳で亡くなった母−伊藤とみの。

 杉本眞人の「吾亦紅」風に書けば、小さな村で 働いて、働いて、ここしか知らない 人だった・・・。それでも母を 生ききった。
 あなたが48歳の時、連れ合いを交通事故で亡くした。朝方、自転車に大工道具を積んで出かけたオヤジは、オートバイにはねられ、夕方、息を引き取った。その日から始まった苦難の日々。残された6人の兄弟のうち、結婚していたのは長姉だけだった。借金だけが残った工務店を継いだ長兄、あなたは農作業を一手に引き受けて、田んぼや畑にリヤカーを引き、黙々と、黙々と働いた。その後ろ姿を見て私は育った。「後で恥じない 自分を生きろ」、あなたの あなたの両肩がそう語っていた。

 そんな自分が、逆らって創価学会に入り、自分を生きた。「違った道を行き始めた」とあなたは嘆いたけど、私はそれがあなたへの孝行の道だと信じた。弟が白血病で死んだとき、「順番が違う」とあなたは肩を震わせて泣いた。

 そして、私が養老から遠く離れた豊橋の地で、市議会議員になったとき、あなたが泣いて喜んでくれた。次の春、あなたはニコニコとした笑顔を残して、安祥としてこの世を去った。合掌


 村のはずれの料理屋で昼食のために一族が集まった。

 「皆さん、豊橋で市会議員を始めてから、24年もの長い間、選挙のたびごとに物心ともに本当にお世話になりました。何とか使命と責任を果たさせていただいて、任期満了で終えさせていただきました。
 自分を育ててくれたのは、この養老の大地です。働くことに一生懸命に汗を流す伊藤家の伝統です。遠く離れた豊橋で、それも公明党の議員という状況にも長兄夫婦を初め、皆さんの暖かい気持ちを支えに頑張ることができました・・・」。あとは言葉にならなかった。
 すると、次兄が「秀昭、泣かんでもいい。みんな、ようわかっとるで。伊藤一族のみんなはお前が豊橋で市会議員やってることを誇りにしてきたんやで・・・」

 オヤジとおふくろが眠る養老の山々が大きく、大きく包んでくれた。忘れ得ぬ涙で濡れた一日だった。

●5月8日(日)夕方、静岡駅近くのホテルのラウンジで、ある大学教授と面談。地方議員を経験したノウハウを後輩議員のためにどのように役立たせていくべきか。大震災後の社会変化を公明党はどう捉え、どのような戦略を展開すべきなのか・・・。さすがに的確に、明快に懇談させていただき、久しぶりの充実した一時間半だった。

●5月6日(金)浜岡原発停止要請、その唐突さ
 6日夜の記者会見で菅首相は「30年以内にマグニチュード8程度の東海地震が発生する可能性が87%と極めて切迫している」として「浜岡原発で重大な事故が発生した場合、日本社会全体におよぶ膨大な影響も考慮して、浜岡原発の運転中の4、5号機を停止し、定期検査中の3号機の運転再開も見送るよう中部電に要請した。
 東京電力の福島第一原発が想定外の惨事を引き起こした以上、危険性がより具体的に指摘され、「最も危ない」とされている浜岡を停止するという要請は妥当だと考える。

 しかし、その事が与えるあらゆる分野への影響を充分に思慮したうえでの記者会見だったのかどうか。あまりにも唐突すぎないか。これでは、国民の不安を煽るだけであり、更には浜岡原発を緊急に止めなくてはならない理由が他にあり、政府が隠している印象を国民に与えかねない。菅首相は「浜岡は特別」としたが、他の原発とはより具体的にどこが違うのか議論になろう。首相の判断は重い。もっと丁寧な議論と、各方面への根回しが省略しすぎていないか。

 東海地方は日本のモノづくりの中核的な地域だ。社会や産業への影響を最小限にとどめられるのか。政府は電力需給の実情を踏まえた上で、国民にきちんと説明する責任がある。

●5月5日(木)小さな村の生き残りへ懸命
 朝早く家を出て、午前9時前に着いたのは信州・昼神の花桃の里。咲き始めた赤やピンクの花がひんやりとした空気に艶やかな風情。人口7千人の長野県阿智村の村をあげてのイベントは、村おこしの熱い思いが一杯。臨時駐車場で働く人がいう。「小さな村ですから、年に一度のこの季節の臨時収入が村の財政にとって大事なんです」と。テントが並ぶ物産展では手作りの漬物や、こうじ味噌、木工製品などが売られていて、売り上げの一部が村財政に入れられるという。

 阿智村から、下条村、そして南信濃町と信州を横断するようにして、花桃の里や、山菜取り、日帰り温泉とリフレッシュの一日。

●5月1日(日)「ひであきレポート展」にただ感無量

 4月26日(火)から開いた「ひであきレポート展」。自分が配り続けた我が主戦場である、路面電車沿いの小さなギャラリーでささやかに、それでも24年間の議員生活のすべての思いを込めて開いた「ひであきレポート展」。

 連日、多くの方に足を運んでいただいた。「長い間、楽しみに読ませていただきました」と知らないご高齢の方が、シルバーカーを押しながら足を運んでくださる。また、八百屋の大将が野菜を積んだトラックを停めて見にきていただいたり、「お客のいない間に」と床屋さんがハサミを持ったまま来て下さったり・・。そんな姿をおみかけするのが一番うれしい。

 また、公明のネットワークで、青森から、福岡から、呉から、和歌山から、東京から、静岡から・・・・駆けつけてくださいました皆様、本当にありがとうございました。展示会中に訪れていただきました議員の皆さんは50人を越えました。また、公明議員だけでなく、他党の国会議員さんや県会、地方議員の皆様にご来訪いただいたのも予想外でした

 29日(金)は帰省中の公明党太田議長に立ち寄っていただきました。また、この地域のあらゆる面でのリーダーである前中経連副会長の神野先生にも来場いただきました。

 「ひでレポ展をやってよかった」「24年間、発行し続けてきてよかった」とただ、ただ感無量の最終日でした。

●4月30日(土)立ち上がれ、地方議員よ!

 私は、本日の任期満了でもって豊橋市議会議員を引退します。同時に公明党議員であることも。

 昭和62年4月の初当選以来、四半世紀。公明党議員の末席を務めさせていただきました。途中、激動の時代に翻弄されながらも、公明党という底知れぬ大きな傘のもとで守られ、存分に動き、学ばせていただきました。
 調子に乗って有頂天になったり、国政選挙の敗北で眠れぬ夜を過ごしたり、徹夜で原稿書いて明け方懸命に祈って一般質問したり、夜通し走って激戦の都議選の応援に行ったり・・・・・

 そして今、地方議員を引退させていただくにあたって、ただただ後輩の皆様に「地方議員よ、立ち上がれ!」と申し上げさせていただきます。

 あの大震災から50日が経過しました。あの絶望の瓦礫の中から、子どもたちから高齢者までが、再び立ち上がろうとしています。人間は強い!何ものも「心の財」を壊す事はできないという証です。人間は素晴らしい!

 我ら日本人にはモラルと、勤勉と、忍耐がある。もちろん、技術も経済力もある。失われた命は戻らないけれど、その死にも、国を復興させる意味と力があるに違いないと私は思います。もっともっと美しい日本と、強い経済と、そして災害に負けない暮らしを作りあげる事こそが、政治に携わる人間の最大の役目だと命に刻むのです。

 地方議員よ、立ち上がれ!そして、この国を必ず復活させて、我らの目指す人間主義の時代を必ずや築くのだ!

 24年間、私ごとき支えていただいた皆様に、心からお礼申し下げます。ありがとうございました。


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