★ひであきの動き、議会の動き★

'11/03 東北・関東大地震
●3月31日(木)年度末。大きな花束が我が家に届けられた。「これからはゆったり、のんびりお体をご自愛ください」とのメッセージをつけて。会社ぐるみで支持していただいている社長さんからの贈り物である。
 ひょっとして議員任期が3月末までと誤解されての花束かもしれないが、その気持ちが嬉しい。早速、玄関に飾った。いや、玄関しか飾るところがなかった。玄関が花で埋まったような年度末である。

●3月29日(火)午前10時から朝倉川530大会の実行委員会。午後3時から、第2回通学区域審議会。

●3月28日(月)朝5時過ぎから「ひでレポ」を配り、朝食後、「三八朝市」で「ひでレポ」を配って、臨んだのは3月定例議会最終日。私にとって最後の議会でもある。そして、私は公明議員団の好意もあって最後の登壇の機会を与えていただいて議案への討論を行った。

 「討論に先立ち、何よりもこのたびの東日本大震災で亡くなられました皆様を初め、被害にあわれました皆様に心から、お見舞い申し上げます。と共に一日も早く復興されますよう、ご祈念いたします。
 また「一国の王とならむよりも、1人の人を救済するは大なる事業なり」とは東北が生んだ青年詩人・石川啄木の叫びでありました。わが身をなげうって救援・支援に尽力くださっているすべての皆様方のご労苦に心から敬意を表するものであります。

 大地震から半月も経つというのに、いまだ被害の全容がわかってきません。それほど未曾有の事態が日本列島の半分を覆っています。しかし、その被災地で子どもたちから、お年寄りまでがたくましく立ち上がろうとしています。災害に遭っても、「心の財」だけは絶対に崩せません。

 我ら日本人には幾たびとなく焦土の中から蘇り、誇るべき国土と国民を育んできた驚嘆の歴史。日本人には、世界に誇る高いモラルと、勤勉と、忍耐がある。もちろん、技術も経済力もある。失われた命は戻らないけれど、その死にも、国を復興させる意味と力があるに違いないと私は思います。もっともっと美しい日本と、強い経済と、そして災害に負けない暮らしを作りあげる事こそが、政治に携わる人間の最大の役目だと改めて命に刻むのです。その意味で3・11大震災は「戦後」社会に区切りをつけ、新たな文明の歴史を刻む転換点「大震災後」になるのかもしれません。

 さて、「議案第一号 平成23年度豊橋市一般会計予算」を初めとする全議案は、「輝き支えあう水と緑のまち・豊橋」を目指すまちの姿とする「第五次総合計画」の第一歩を踏み出すための重要な予算であり、関連条例であります・・・・・・・。

 最後の、そして記念すべき我が渾身の討論が場内に響いた。

●3月24日(木)近所の喫茶「まぁー」で22日から31日までの期間で「つるし雛展」が行われている。近所の主婦たちが趣味を生かして、毎年一つづつの「つるし雛」を作り、飾り付けての展示。今年で4回目。一針一針に心を込めたつるし雛が並ぶ姿は圧巻である。

●3月23日(水)8日間の予算委員会での予算案、条例案審議が終わった。あとは28日の最終日、本会議を残すのみとなった。

●3月20日(日)午後1時半から豊橋駅前で街頭募金活動。青年党員の皆さんのお力添えもあり、3時まで。さすがに、市民の関心も高くたくさんの方に協力していただいた。

●3月13日(日)東北・関東大地震、これは国難である。未曾有の災害に国を挙げて救助に取り組もう。私たち総出で助け合おう。無事を祈ることは誰にでもできる。頑張れ!日本中で助け合う時だ。国も自治体も民間団体も、我を捨てて協力しあおう。

●3月12日(土)近くの学校法人桜丘学園で「卒業証書授与式」。大人でもない、子どもでもない15歳の少年少女たちが、巣立っていく。卒業証書を受け取った後に、一人一人が卒業コメントを述べる恒例のシーンが楽しみ。

 「お父さん、お母さん、桜で学ばせてくれてありがとう。16期生のみんな、大好きだよ。ありがとう」。「先生には一杯心配かけたけど、先生のムチで今日の自分があります。かけがえのない思いで一杯できました。みんなありがとう」・・・。一人ひとりの青春の叫びは73人、それぞれに輝いていた。若さは素晴らしい。

 東北・関東大震災の被害は、時間の経過とともに、少しづつ掌握され、拡大する一方、死者・行方不明は1万人を超える。

●3月11日(金)市議会予算委員会で2時45分に3時までの休憩に入った直後、突然の大地震。7階の委員会室は数分間の横揺れ。東館と西館を結ぶジョイント部分がギーコ、ギーコ。震源地は宮城・三陸沖との情報。市役所でも直ちに災害本部を立ち上げた。

●3月8日(火)豊橋市議会議場で行われた3月定例議会一般質問二日目、6期24年間を総括し、48回目の、そして最後の一般質問を行いました。この日も三八朝市で「ひでレポ」配ってから臨んだ。60分の時間が経過し、こう結んだ。

 「私は4月末の任期満了でもって市議会を引退しますが、我が豊橋市議会が永久に不滅であるために、なさねばならぬ議会改革は山積みです。市議会議員選挙を経て、新しいメンバーで、議会の在り方を大いに試行錯誤して、開かれた議会、市民とともに歩む議会はどうあるべきかに挑戦していただきたいと思っています。以上で、私の48回目の、そして最後の一般質問を終わります。ありがとうございました。

 豊橋市議会議場の傍聴席(88席)一杯に集まっていただいた、党員支持者の皆様の熱いまなざしの中で終える事ができた。


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