★ひであきの動き、議会の動き★

'11/01 新しき出発!信念と真剣さで船出
●1月31日(月)昼、市役所で今朝までに養鶏場の1万4000羽の殺処分が終了し、現場から約4キロ離れた東三河農業試験場内の県有地に埋却する作業に移っていることを知った。また、現場へ動員された職員の皆さんが、殺処分という大変な業務に、懸命に作業に当たられていたことも・・。

 夜、テレビドラマ「私は屈しない〜特捜検察と戦った女性官僚と家族の465日」を見た。郵便制度悪用事件に関連して大阪地検特捜部に逮捕された村木厚子さんの無罪までの戦いを綴ったドラマ。「私は30年間、国民の信頼に答えたいと働いてきました。それが公務員としての私の誇りです」と法廷で言いきる毅然とした姿勢が印象的。

●1月30日(日)深夜に放映されていたアジアカップ決勝戦で日本チームが延長戦後半の李選手の見事なボレーーシュートでゴールをこじ開け優勝。監督、コーチそして選手がチーム一丸となっての会心の勝利。

 昼間は、超重点区となった浜松市西区へ。夜、遅く田原市議選の開票結果で公明新人の辻史子候補が2244票で2位当選。

●1月28日(金)群馬県伊勢崎市議会から公明議員4人が豊橋のこども未来館−「ここにこ」へ視察に来られた。昼食を共にし懇談する機会が持つことができ、情報交換の有意義な時間を過ごした。

●1月27日(木)午後、公明党市議員団控室に県代表の荒木清寛参議院議員や渡会県議会議員も集まり、佐原豊橋市長に「高病原性鳥インフルエンザ対策について」の申し入れを行った。
 @養鶏農家に対して感染防止対策の徹底、監視体制の強化。A安全性に対する正確な情報提供と風評被害対策。B殺処分を行う養鶏農家などに充分な経済的支援。C感染経路の徹底究明。D家禽や愛玩鳥などと野鳥との接触を避けるよう徹底することを申し入れた。

 その後、鳥インフルが発生した現場へ。寒風の中で殺処分が始まっていて、白装束の職員が鶏舎と現場事務所を行き来しておられた。
 昨夜のうちに詳細な遺伝子検査の結果が判明するとされていたが、どうやら「簡易検査」の陽性反応だけで押し切られたようだ。

●1月26日(水)雪交じりの冷たい北風が吹き抜けた昼過ぎ、国会質問が始まり、「鳥インフルエンザが、九州宮崎、鹿児島から愛知にも広がり、政府は総力を上げて・・・」と衝撃的な言葉が流れてきた。直ちに、パソコンでネットニュースをチェック。「豊橋市内の採卵養鶏場で死んだ鶏5羽のうち4羽で鳥インフルエンザの簡易検査で陽性反応が出た・・」。

 その頃から、豊橋の上空を轟音を響かせてヘリコプターが旋回している。国道をテレビ局のロケバスが南に向かって走っている。養鶏場を特定する情報はニュースでは流れていないが、その方向に向かえばその養鶏場にたどり着くことは明確。途中、豊橋出身の太田議長より「何かあったら、すぐ飛んで行くから」と電話あり。

 現場の農場近くはもうテレビ局の大型バスや、マスコミ取材のためのタクシーが次々と到着し渋滞状態。養鶏場で何が行われているのかほとんど知ることもできないし、養鶏場に通ずる道路は市職員によって「立ち入り禁止」柵が設置され近づくこともできない。
 寒風の中で集まっていた新聞記者の話によれば「より詳しい遺伝子検査の結果、高病原性と確認されれば、この養鶏場で飼育されている約15万羽の鶏の殺処分を始めることになる」という。

●1月24日(月)午後から総務委員会。「暴力団排除条例」の問題については、本市における暴力団の実態、動向が的確に情報公開される必要があるが、それらがなされないまま、市民や事業者はどのように暴力団排除に取り組めるだろうか。また「交通安全条例」一部改正についても高齢者の事故防止、飲酒運転の根絶、自転車の事故防止について重点的に取り組むことを条例に明記することも大事だが、これらの対策・施策の展開が予算も含めてきちんとなされるのかについて質疑したが、問題提起だけで終わった。

●1月23日(日)この地域の統一地方選の先陣を切って、田原市議選が告示になった。辻史子候補が元気に出陣。渥美半島で保母として30年、働いてこられた経験を活かして新たな扉を開いてくれるであろうことに期待したい。それにしても寒風の中、高齢の支持者たちが元気に駆けつけていてくださるこの人たちのまごころに公明議員は答えなければならない。

 また、名古屋市の出直し市長選が告示され、すでに始まっている愛知県知事選挙と名古屋市議会解散の是非を問う住民投票の三つ巴の選挙戦も投票日である2月6日に向けて、戦いは”あと10日”の佳境に入る。

●1月19日(水)午後から、公明つくば市議団の馬場治見議員4人と下妻市議会の山中祐子議員の5人が豊橋へ。市内北部の嵩山小学校の「放課後子ども教室」の視察。嵩山小学校で合流し、姫街道や青陵街道夏みかん並木などを案内。夕食も共にし情報交換の時間を持った。

●1月18日(火)今年初の産学官交流サロン。スピーチは豊橋創造大学三好哲也学科長の「仮想世界と現実世界をつなぐ技術」、豊橋商工会議所会頭の「会頭就任2ヶ月・雑感」の2題。激動の時代の年初のサロンでもあり、もう少し具体的な歯切れいいスピーチを期待したが・・・。

●1月17日(月)阪神淡路大震災から16年目の今日、被災地である神戸市を中心に追悼の祈りが日本全国で。16年という歳月は地域の防災力をどれだけ高めた事だろうか。高齢者の孤独死などの「無縁社会」が広がり、地域の絆が断絶している中で、万一に対応できるだろうか。行政による「公助」と住民の「自助」、そして双方が支え合う「共助」が強調されて久しい、万が一の時に機能するだろうか。

●1月16日(日)鹿児島県阿久根市の出直し市長選の投開票が行われ、新人候補が当選し、何かと言動が注目された竹原前市長の三選が阻まれた。「混乱」を終結させて「対決」より「対話」を選んだ阿久根市民の新たな阿久根市づくりへのスタートを期待したい。それにしても二年半に三度もの市長選である。地方政治が制度的にも時代と大きなズレがあることを象徴している。名古屋市の議会解散の是非を問う住民投票もいよいよ明日が告示である。

●1月15日(土)京都府舞鶴市から公明議員4人が豊橋へ。子ども未来館の視察に来られた。十分な時間がなく挨拶だけでお別れしたのが残念だった。

●1月11日(火)例年になくもっとも冷え込んだ凍てつくような社会に暖かいニュースが流れている。全国でかっての人気漫画「タイガーマスク」の主人公「伊達直人」の名前でランドセルや文具、はてはコメや野菜までも恵まれない養護施設などに届ける「タイガーマスク運動」が広がっている。寒さも景気も厳しい冬に、タイガーマスクが灯そうとしている善意の火。日本人も捨てたものではないことをしみじみ思う。

 夕方、市役所で養鶉農家の皆さんと、一昨年のウズラ騒動以来のうずら復興の課題について産業部長を囲んで懇談。

●1月10日(月)豊田市や名古屋市の親戚や中学の同級生、コマツ時代の先輩などを訪ねた。それぞれの人生を送っておられて、きちんと対応していただけるのが嬉しい。

 名古屋市在住の先輩などは河村名古屋市長の市政運営にはかなり冷静に、かつ批判的に見ておられた。ただ、河村市長の問題提起があって、議員の報酬とか、議会の在り方の問題提起がなされ、市民に明らかになった功績は認めておられる。2月6日の名古屋市議会の解散の是非を問う住民投票の行方が注目される。

●1月9日(日)豊橋市内50会場で一斉に校区別成人式。42人の晴れがましい新成人が集った旭校区成人式。
 来賓あいさつの中で「坂本龍馬が大政奉還、明治維新と歴史を回転させたように、秋山兄弟や正岡子規が明治という激動の時代を走り抜けたように、坂の上の雲に向かって、すなわち自分で決めた夢に向かって、頑張ってください。この中には様々な問題で苦しんでおられる方もあるでしょう。でも決して負けないで、途中で放り投げたり、あきらめたりせずに歯を食いしばって頑張ってください」と激励した。

 午後からは、豊橋駅前で「成人の日記念―街頭演説会」。陽も落ち、ビル風が吹き抜ける寒風の中の街頭演説となった。

●1月8日(土)豊橋公園広場で消防出初式。元気な、そして日ごろの訓練に余念がない地域消防団の皆さんのきびきびとした行動が頼もしい。

●1月6日(水)いよいよ統一選に向けて戦いが始まっていく。支援団体もギャをチェンジし、統一選に向かう。田原市議選、知事選、名古屋市議選、県議選、市議選とつながっていく。「自分が感動すること。感動した分だけ成長していける。成長した分だけ周りに人が集まってくる」、そんな指導が心に響く。

●1月4日(火)仕事始め。いただいた年賀状の中に「貴兄が野に下ることが残念でなりません。私の中で政治家の概念を変えたのは貴兄にお目にかかった時からでした。その姿勢は、ひとり政治家としてだけでなく人としての在り方そのものでした・・・」。そんな一枚があった。嬉しかった。素直にうれしかった。どこかでこんな風に見つめていて下さった人がおられたことが嬉しかった。

●1月3日(月)豊橋駅東口で新年の街頭演説。議員団が集まって「公明党ここにあり!」をアピール。締めっくくりにマイクを握った。

 「年末、年始にかけて相変わらずの政権与党―民主党の内紛にはあきれるどころか、怒りにも覚えます。政治の軸がはっきりしないから、ほころびばかりが明らかになる。その場しのぎの“帳尻合わせ”がいつまで続くのでしょうか。
 少子高齢化に拍車がかかり、社会保障予算は毎年1兆円超のペースで増える。その財源の裏付けは全くない。社会保障の将来像が展望できずに、国民一人一人が安心な人生設計など描きようがないのです。
 我々はこんな暗い民主政治に別れを告げ、グローバルな世界に向かって、新たなる坂の上の雲に向かって行かなければならないのです。そのために切るべき患部はバッサリと切り成熟した国家をずしりと背負って揺るがない日本を築いていかなければならないのです。

 視界ゼロの日本政治を突破するものは何か。庶民の利益や生活を、どう守っていくのか。厳しい生活を送っている人たちの暮らしを、どうやわらげていくのか。庶民の生活現場に機軸を置いた公明党がだからこそ頑張っていかなければならないのです。公明党に対し皆様方の力強いご支援を心からお願いするものであります!」。

●1月2日(日)64歳の誕生日である。タイにいる息子が国際電話で祝ってくれた。

●1月1日(土)穏やかな新年の幕開け。気象予報では寒波が襲来して、もっと悪天候かと思われたが、凛とした2011年の開幕である。新年の集いに集まりくる人たちの笑顔が元初の日にまぶしい。「ともあれ、人生は勝つことです。勝って幸福になることです」とのメッセージが響く。

 この4月に議員を勇退して、次のステージへ。この一年をきちんと勝ち抜けるかどうか。大事な一年であることを年の初めに肝に命じたい。

 校区自治会長など、地域の自治会長に新年のあいさつに回る。


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