★ひであきの動き、議会の動き★

'10/11 意義ある80周年創立の秋
●11月26日(金)午前11時からは来年度予算編成にかかわる「市長への要望」。常任委員会ごとにまとめた92項目にわたる「要望書」をもとに公明党市議団と市長とで約一時間の懇談。私は総務委員会関係を担当したが、特に「ITツールを駆使した専門性のある職員の育成の必要性やITコストのコントロール機能によってコスト削減などについて強調した。

 午後からは、浜松市の西部清掃工場へ。遠州灘に面した浜松バイパス沿いに昨年2月から稼働している最新鋭の清掃工場。豊橋の資源化センターと同じ三井造船が設計施工したキルン式のガス化溶融システムを採用し、「ダイオキシン類の発生を抑制した環境保全対策の徹底と最終処分量を低減する」がアピールポイント。
 ごみから回収した熱分解ガスエネルギーの再利用とスラグなどの溶融物を再資源化するなど環境への配慮をしたうえで、隣接する、古橋廣之進記念浜松市総合水泳場に蒸気と電気を送っている。

 用地取得費は清掃工場が約9.9億円、施設整備費は約136億円。総合水泳場「ToBiO」は用地が約4.4億円、総合水泳場「ToBiO」のそれは約70億円。
 運営・維持管理は三井造船などが出資した「浜松グリーンウェーブ株式会社」が毎年9億円で15年間受託するPFI方式。

 ただ、この一年半の運転実績からは、4000klの灯油がたかれてきたおり、熱分解ドラムに金属類がまきつくなど分別制度が課題であったり、スラグは全数が処理されているというが、それは三井造船側が買い取っているという事で、再利用もこれからという感じ。また、「豊橋は200t炉2基だが、浜松は150t3基であり、回転キルン式のスケールについて危惧されて、150tで設計されたのか」とお聞きしたが、「運転上の効率を考え3基で考えた」と答えられた。
 豊橋の炉は8年目、浜松のそれは2年目に入る。それだけに技術的な面も含めた情報交換が極めて重要でないかと考えた。

●11月25日(木)午前10時から総務委員会。新たな行財政改革プラン、公金債権、市税の広域徴収体制についてが議題。

 「新たな行財政改革プラン」の質疑の中では、政策推進を担う人づくりと組織改革、経常収支比率を5年後の目標年次に86.0%と設定した財政判断、自治体の仕事が増えている中で、5年間で普通会計部門の定員を210人減としていることなどについて質疑した。今朝方、3時半ごろまで悪戦苦闘した割には、冴えない議論になってしまった。

 また、新しい施策である「市税の広域徴収体制」については結局、昼になってしまい、昼休憩をはさんで午後からの再会させるほどの執念もなく、質疑せずに終わってしまった。これでよかったのか、いずれにしても、睡眠不足のまま切れ味がなかった一日だった。

●11月24日(水)午前10時からと、午後1時から福祉教育委員会が続いた。特に、午前中の委員会では6月の浜名湖での章南中カッターボート転覆事故を教訓に作成した「校外学習の安全管理体制の整備に向けて」と、事故経過および再発防止の「事故応マニュアル」が示され、議論された。

 確かに、暴風雨の中での転覆事故というパニックの中で、関係者がどこまで対応できるかには疑問も残るが、それでも真摯な原因の究明と具体的な対策には不充分ではないのか。三ケ日青年の家の所長や、職員、学校側の対応などは書かれているが、肝心の訓練に参加した生徒の声や、生徒の視点からの反省や、対策には欠けている。亡くなった生徒の父親も傍聴に訪れていたが不満が残った2時間になったのではないだろうか。

 夜は、定例の党員会。伊藤グループとしての最後の党員会になるかもしれず、感無量。尖閣列島や北方領土問題、そして北朝鮮による韓国の軍事基地への爆撃などについて、端的にわかり易く、切れ味のある説明をするつもりだったが、平生にきちんと語ったことがない外交問題について、滔々と語れるはずがなく、途中で止めた。
 いずれにしても、24年間支えていただいた党員の皆さんに感謝の言葉はどう表現しても語りつくせない。ただただ「ありがとうございました」というのが精一杯。

●11月23日(火)勤労感謝の日。名古屋で議員総会。来春の統一選に向け全候補者が発表された。愛知県会、名古屋市会に続いて豊橋市などの一般市、町会候補者まで発表になり、現職も新人も決戦に臨む決意に満ちた返事とともに凛として時間が続いた。会場には自分をはじめ、多くの来春での勇退議員もいるのであろうが、その時間の流れの中で自分の「引退」という大きな節目を自分に言い聞かせる時間となった。言い尽くせぬ複雑な気持ちの中で・・・。

 夜、電化店で大型テレビを見に行って、結局、居間の分と、2階の義母の分の2台を購入。それにしても現在のエコポイント制度が11月末で終わるために、テレビコーナーは長蛇の列。これほどまでに盛り上がっているとは想像できなかった。

●11月22日(月)終日、26日の市長への予算要望のための要望項目の整理作業。市民・住民の声を幅広く収集し反映する作業や、今夏の「参院選マニフェスト」や、党の9月の党大会で発表になった「統一選重点政策」との整合性をとる丁寧な作業をするように、後輩議員たちに勧めた。

●11月21日(日)何か調子に乗らず、終日、家でゴロゴロ。こんな時間もいいけど、それでも180近くの血圧が気になる。高血圧が体をけだるくしているのか・・。視察とか、研修とかで外食が多く、食生活が乱れていることを反省。

●11月19日(金)「皆さんも、『何で柳田さんが法相』と理解に苦しんでいるんじゃないかと思うが、一番理解できなかったのは私です。私は、この20年近い間、実は法務関係は1回も触れたことはない」。そして、「法相とはいいですね。二つ覚えておけばいいんですから。個別の事案についてはお答えを差し控えます。法と証拠に基づいて、適切にやっております。この二つなんですよ。まあ、何回使ったことか」と仰せになった柳田法務大臣に、国会軽視の発言をしたとして、問責決議案が週明けにも提出され、可決される見通し。菅首相は可決されても続投させる構えだ。
 それにしても、この体たらく、このお粗末さ、そしてこの程度なのかとしみじみ思う。

●11月18日(木)午前11時からは、25日の総務委員会のための委員会各派が行われ、資料検討。午後からは建設消防委員会。

 夕方からは議員野球部と市政記者クラブとの野球の試合。市政記者クラブの体制ができないまま推移して、何年ぶりかの試合となった。結果は議会チームの圧勝で終わったが、終始和やかななかで今期最後の試合となり、感無量。試合後の納会をもって、議員野球部の活動に終止符。

●11月17日(水)神戸市役所で「公共施設のファシリティマネージメント」について視察。公共施設にかかわる多大な将来負担をいかにして軽減するかをパワーポイントで説明を受けた。

 神戸市にお邪魔して気が付いたが、「神戸市では神戸市会といい神戸市議会とは言わない」ということで、政令市の中でも規模が違う、歴史が違う、格が違うから「市会」というのだとお聞きし、何となく違和感を感じた。それでも庁舎23階から見下ろす神戸の街並みや六甲の山並みはさすが「神戸」であった。

●11月16日(火)雨も上がって、富山市役所で富山市のシティプロモーションについて視察。「越中富山の薬売り」の歴史に食の富山、自然の富山を重ねて戦略的な情報発信と、そのための推進体制について説明を受けた。豊橋のシティプロモーションが”何のため”が明確でないのと比べると富山のそれは戦略が明確。

 夕方、神戸について、神戸市内で赤羽一嘉前衆議院議員と県議のパーティ会場でお会いし、約一時間コーヒー懇談。浪人中の熱血漢の一日も早い復帰を願う。

●11月15日(月)今日から3日間、総務委員会の管外視察。福井、富山、神戸と動く。福井市では午前中に福井市交流プラザを視察。いわゆる駅裏の市街地再開発事業によって建設された地上10階、地下2階(駐車場)の複合ビル。図書館、子ども家庭センター、子育て支援室、公民館、地域交流プラザ、更に7階、8階には県施設として県施設と県民ホールが入っている。
 豊橋市は、子ども未来館、芸術ホール、そして将来の生涯学習センターと3施設に分割して事業化しているものを、一つにまとめたという感じ。いづれにしても中心市街地活性化のポイントになるかどうか。

 午後からは、福井県庁で福井県地方税滞納整理機構についてレクチャーを受けた。県と17市町が共同して滞納整理し、税の公平性を実現しようとするもの。「それぞれの市町村で徴収技術を高めて、歳入を確保すればいいわけですよね」と質したが、「その通りです。そのために任意組織の機構を作ってやっています」とのこと。

 夕方、富山に着いたが、冷たいみぞれ交じりの悪天候に閉口。

●11月14日(日)穏やかな秋の日差しが指してきた、念願の大掃除をやることになって、結局、夕方までかかってしまった。昨年は、その機会を逸し、年末からの入院となり、結局できなかった。それだけに窓枠などは汚れがひどく、慣れぬ仕事に精を出したからか、すっかり疲れてしまい、夜になっても肩も腰も重く・・・、こういうことが、63歳の自分には当たり前なのか、自分の体力が落ちているのか・・。

●11月13日(土)さすがに東京、飯田と動いてどっと疲れが。それで、やらねばならぬことは多いが、後援会の責任者の一人と、昼食、日帰り温泉を共にしながら、懇談、リフレッシュにあてた。

 夜、32年ぶりのメダルをかけた日本女子バレーの対ロシア戦をテレビ観戦。すさまじいばかりの攻防の末に惜敗。いつの頃だったか岐阜の時代に、愛知県体育館まで見に行った日ソバレーがあっという間に終わったイメージは記憶に焼きついているが、今回の日ロの試合を見ながら、「32年ぶりのメダル獲得」という言葉が、あの時の記憶と共に感慨深いものがある。

●11月12日(金)長野県飯田市で開催の「三遠南信サミットin南信州」に参加のため、朝5時半に家の近くの前畑電停まで行き、6時に飯田線豊橋発の天竜峡行きの電車に乗って、念願の飯田線各駅停車の旅。

 途中、車窓から天竜川が見えてくると、眼下は天竜川の激流、背後は断崖絶壁の田本駅。小和田駅−この駅は皇太子ご成婚時にフィーバーし、別名「恋成就駅」の看板もあったが、ひっそりとした山間の無人駅など秘境の駅が続く。

 「三遠南信サミット」は18回目、いつもこの時に「三遠南信議会議長会」も行われ、三遠南信道整備促進のための会合が行われるが、それには参加せずに「住民セッション」に参加した。
 セッションの全体会では「南信州交流の輪」が結成され、その宣言も行われた。分科会は「祭り・伝統文化」、「食文化」、「中山間に生きる」、「交流・往来をつなぐ」の4グループに別れコーディネーターを中心に活発に議論が行われた。お互いに学びあった地域資源とそれらをつなぐ物語を、自らのものとして誇りを持ち付加価値をつけて全国に発信しようという思いを強く感じた。

 「三遠南信サミットは回を重ねているが、三遠南信のそれぞれの住民にとってのサミットという観点からみて、もっと普段着の住民が交流・デスカッションできる仕組みが大事でないか」と9月の決算委員会で主張したが、その時に「伊藤議員、ご案内の通り、同時並行で開催されている住民セッションがその役割を果たしています」と答弁があった。この答弁は「伊藤議員は、同じように回を重ねている住民セッションにでられた事がありますか?その存在をご存知ですか!」との指摘だと痛感し、今日の行動となった。

 午後からはサミットの本番、今年は「地域主権時代における県境地域連携モデルの推進〜融合に向けた自発的な地域づくりの実践」がテーマに掲げ、豊橋・浜松・飯田3市長と各商議所会頭計6人による「トップ会談」に続き、定住促進に向けた体制構築など話し合う4つの分科会を繰り広げ、最後に「三遠南信自動車道の早期開通、リニア中央新幹線飯田駅の早期開業を目指し、地域一丸となって提言活動を進める」などを主眼とするサミット宣言を採択し、閉会した。

 途中、飯田市議会公明党の林幸次、村松まり子議員と情報交換の場をもてた事も楽しかった。

●11月10日(水)「地方自治情報化 推進フェア2010」第二日。「自治体クラウドと総務省の取組み」について基調講演、午後からのトピックセミナーでは「浦添市における業務改善によるコスト削減」について浦添市情報政策化のレポートがあった。

 全国の自治体が統一可能な業務を洗い出し、そのシステムを統一したユニバーサルサービスを創出すること、すなわち自治体クラウドにより、コストの削減や細やかなサービスの実現に変革しようとする懸命な挑戦の姿が感じられた。

●11月9日(火)東京ビッグサイトでの「地方自治情報化 推進フェア2010」に参加した。2題の特別講演では「できる/できないという技術可能性より、制度設計が重要」、「最新ツール(ソーシャルメディア)はおまけと考え、地域の活動(コンテンツ)こそが問われる」ことが強調されたが、納得。

●11月7日(日)地元校区市民館で「旭校区市民館まつり」が開催された。開会式で「豊橋市内でもっとも高齢化率の高いこの地域が、老若男女の校区民のそれぞれの連携と支えあいでもっとも活き活きとした地域づくりに向かっていきましょう。老人の孤独死や幼児虐待の悲惨な結果を招かないためにも、開いた地域づくりにそれぞれのできることから取り組みましょう」と話した。

 その後、日ごろ鍛えた舞踊や詩吟、カラオケで盛り上がり、市民館の2階では絵手紙や写真、生け花などが展示され、市民館の外では焼きそばや団平だんごが焼かれにぎわった。

●11月6日(土)岐阜から中学時代の同級生が2人、岡崎から同じく1人、浜松から1人4人の熟女が豊橋にやってきた。市議会議場を案内し、農家レストランでのバイキングランチ、浜松市天竜の「秋野不功美術館」での「三人展」の鑑賞など、わざわざ訪れてくれた同郷の友に精一杯のホスト役をこなした。

●11月3日(水)文化の日。木枯らしを思わせるような冷たい風が吹き抜け、民家の影が長く伸びる三八朝市通り。近所の人たちが行きかい、井戸端会議があちこちで始まり、屈託のない笑い声と笑顔がはじける。自分の一番好きな光景だ。この朝市とともに24年、「ひでレポ」を配りながら、このまちの移り変わりと、朝市の変遷をこの目で見続けてきた。時が流れ、時代が移っても、変わってはいけないものがある。それを三八朝市は如実に物語っている。

 夕方、早慶戦で勝って優勝を決めた早稲田の斉藤祐樹投手。「斉藤は何かを持っているといわれ続けてきたが、私なりに考えてそれが何かがわかりました。私が持っているものは”仲間”です」。夜、約5時間に渡る熱闘を制した中日の落合監督「決勝打を打った大島は新人だけど、社会人では何度も修羅場を経験してきているのだから、だから使っているんだ。結果がすべて」。共に勝負の中で生きる”ホンモノ”を表現している。

●11月2日(火)昼、市役所食堂で市長と一緒になり、浜名湖でのボート転覆事故で犠牲になった中一少女の保護者の「市は原因究明に真剣でない」とい訴えについての前日の記者会見について話し合った。「いずれにしても尊い未来ある命が奪われているのだから、記者会見などで発する言葉には充分すぎるほどの誠意が必要ですよ」と指摘したつもりだが、市長に通じたかどうか。情報開示の時代、発信する情報にいかに心が込められるか、そこが勝負。

●11月1日(月)午後2時半ころ、旧東海道の曲尺手町交差点付近を走っていたら、何やら変わった集団がやってきた。「なんだ、なんだ」とみたら、東海道五十三次走破に挑戦中の噂の「エボルタ」ではないか。交差点付近では子供たちに囲まれて、記念撮影のサービス。
 わずか17cmの小さな体で日本橋から京都までの500kmを走り抜けようとする「エボルタ」君、頑張れ!


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