★ひであきの動き、議会の動き★

'10/10 秋風の中を総仕上げへ
●10月29日(金)上野駅から30分かかって京成青砥駅まで、そしてタクシーで葛飾区役所へ。葛飾区の「24時間訪問介護支援サービス」について視察するため。

 最初は、一人暮らしの高齢者宅で利用状況を、そして介護事業者のコールセンターで仕組みを、そして区役所で概要について説明を受けた。
 視察を終えて、案内してくれた推進者の一人である公明区議会議員の上原議員は「在宅介護のためには24時間対応できるシステムは絶対必要」と言い切り、一緒に視察した足立区の明石議員は在宅介護支援センターのセンター長を経験しているだけに「施設で亡くなられる方よりも、家庭で看取られて亡くなられる方は安祥として旅立たれる。高齢者が望んでいるのはまちがいなく施設介護でなく、在宅介護。それに施設を作れば4億円もかかるんだから」との言葉には説得力があった。

●10月28日(木)「中核市サミット」で郡山へ。郡山に降り立ったのは何年ぶりだろう。コマツの情報戦略コースの研修を受けたのはもう30年も前だったろうか。一週間の陸軍中野学校で教鞭をとっていたという情報担当の老教師に教えていただいた”戦略”の意味は、その後の自分の人生に決定的な変化を与えていることに気が付く。

 特別講演の松本零子氏の話は強烈なインパクトだった。「子供時代の夢を次の世代が取り組み、そのまた次の世代が完成させてゆくのだ」。「若者を侮(あなどっ)てはならない。そのしっぺ返しは必ず受ける。自らの体験と夢と時間を子供たちにリレーしていくのだ」、さわやかな時間だった。

●10月27日(水)夏から一気に冬に入ったように冷え込んだ朝。「ひでレポ」配布は続く。

 夜、党東三河第15総支部大会。渥美支部からも党員が参加し、来春の統一地方選に向けた会合。1月の田原市議選、4月の県議選、市議選に向け候補者の紹介がなされなかったのは残念だったが、新人候補公表にはまだ少し、時間がかかっている。

●10月26日(火)午前10時から議員団打ち合わせ。予算要望や12月議会に向け協議。

 夜、議員野球部と農業委員会と親睦のソフトボール大会。北風が吹きぬけるような寒い夜となったが、試合は熱かった。そして、ついにいつも敗けていた農業委員会が15対12のスコアで勝った。監督としても会心の勝利。そして、この試合でもって、議員野球部員として、また監督としての最後の試合となり、感無量。懇親会でのビールがうまかった。

●10月24日(日)名古屋で議員総会。来春の統一選に向け県下の公明議員が一堂に会して完全勝利を誓った。「補正予算に賛成するのか、反対するのか。公明党の動向に非常に注目が集まっていますが、年末を迎え、今以上に失業者を出していいのか、今以上に経済が落ち込んでいいのか。また、補正予算が成立しないと来年度予算も組めない。党としては非常に難しい判断を迫られている」と草川副代表。

 本日付東愛知新聞に「名古屋市議会で起きていること」の(上)が掲載された。(下)は10/28の掲載になるという。

●10月23日(土)朝早くから「ひでレポ」配って、8時過ぎからは、三八朝市に立った。選挙に立たない自分が、あえてこだわって、あえて持続する。それが自分の生き様。

 午後から、浜松市天竜の秋野不矩美術館へ。秋野不矩・梶原緋佐子・北澤映月の「三人展」。日本画に意欲的に挑戦し続けた女性画家の息遣いが聞こえてくるほどの迫力があった。エネルギーが吸い取られるような絵画展だった。

 夜、ドラゴンズは4番和田の思いっきりのいい一振りでセリーグのクライマックスシリーズを制する。

●10月22日(金)昼、時事通信社の内外情勢調査会。講師は東大大学院薬学系研究科准教授。「脳はだまして使え〜やる気と記憶の秘密〜」。面白い話だったが、3日間の九州出張で、疲れがどっと。ほとんど集中できず。

●10月21日(木)「全国市議会議長会研究フォーラム」2日目。課題討議として、「政治倫理条例について」と「議会の調査権について」が取り上げられた。かほく市議会と佐賀市議会の政治倫理条例、稲城市議会と飯田市議会の「特定所管事務調査の進め方」や「基本構想基本計画の進行管理」についての事例発表や討議が行われた。

●10月20日(水)九州・大分のiichiko総合文化センターに全国から市議会議員2400名が参加して「全国市議会議長会研究フォーラム」が開催された。

 地方主権改革の進展に伴い、今後とも都市に多くの権限委譲等がなされる流れの中で、議会は自治体の意思決定機関として、その役割がますます重要になっている。また同時に真の地方自治の担い手として市民の付託と期待に応えうるために、これまで以上に議員力を磨き、意思決定機関としての議会のあり方が問われている。そうした背景の中で、特に今回は、「議員定数及び議員報酬はいかにあるべきか」を中心に「議会のあり方」について議論が行われた。

●10月19日(火)朝6時45分の「こだま」に乗って、名古屋で「のぞみ」に乗り換え一路、西へ。小倉で日豊本線の特急で延岡まで。到着は午後2時過ぎ。迎えてくれたのは、かって豊橋にいて何かと交流のあった元新聞記者とそのお父さん。彼は故郷に戻って難病と闘う。生き抜く事の大切さを精一杯話した。夕方、延岡駅で見送ってくれたが、つらい時間だった。後ろ髪をひかれる思いで延岡を後にした。

 それにしても、小倉から南にくると地方の落ち込みはありあり。

●10月16日(土)第56回「豊橋まつり」が秋晴れの下で開幕。豊橋市最大のイベントは、映画監督の菅原浩志さんを総合プロデューサーに迎え、「ええじゃないか豊橋」をメッセージテーマとして更に進化して開催。

 午前9時半からの開会式では51人の校区クイーンも勢揃い。それぞれの校区の地域自慢で自己紹介した企画はよかった。午前10時半からは市議会の議場見学ツアー。もう5年目になる市議会の議場や委員会室を議員が案内させていただく企画。午前の部の2時間の間に約250人の皆さんに参加していただいた。

 夜は、恒例の市民総踊り。「豊橋音頭」や「豊橋とんとん唄」そして「マツケンのええじゃないかU」の曲に合わせて、各チーム、各グループが趣向を凝らした衣装で1万人参加の総踊り。

●10月15日(金)夕方から商工会議所で「豊橋まつり」前夜祭。愛知大学応援団が気合の入ったエールで開幕を告げる。総合プロデューサーの菅原監督は「豊橋には磨けば光るようないいもの、原石が一杯あります。それをどのように磨き、どのように輝かせるかです」とあいさつされたが、短い言葉の中に一杯の含蓄に感嘆。

 年金記録照合でなれ合い談合、元同僚に入札情報、相変わらずの日本年金機構にあきれる。

●10月14日(木)新城で介護福祉士の大学講師と懇談。福祉現場の課題について、「人」の面から話し合った。

●10月13日(水)朝5時半からの「ひでレポ」配布が続く。来春の選挙戦には立候補しないことが明らかなのに、それでも配り続けることに、ただ、こだわる。これが、私の生きざま。

 チリ北部での鉱山落盤事故で地下に残る作業員らの救出作業が、いよいよ始まった。33人の作業員を東京タワーの高さの倍近い624メートルの深さから救い出す過去に例のない作戦の成功を祈るのみ。

●10月12日(火)夕方から岐阜市まで出かけて岐阜駅前の十六プラザでの岐阜聖徳学園大学エクステンションセンター主催、白鴎大学教授でもある政治評論家−福岡政行氏の「混迷する日本経済と政治情勢」を聞いた。

 経済が大変、今やらねばならぬことは中国のこと、そして景気回復。禿鷹(はげたか)ファンドの時代は終わった。自由主義経済の時代は終わった。こんなことをしていてはしょうがない。財政出動し、仕事を作れと福岡氏。

 講演会が終わってから、エレベーターの中で福岡先生と一緒だった。「今日は豊橋から来ました。先生の話を何回も聞きました。先生は自民党も、民主党も、国民新党も、みんなの党も×か△。公明党についてはいつも語られませんが」と聞いた。「私は葛飾の生まれだから、山口代表や、葛飾区の都議や区議さんと親しいんですよ。公明党には親友が多い」と仰せになる。「先生、だったらちゃんと話して下さいよ」といったら「それを言葉にしないのが私なの」とニコッとされた。

 初秋の風を受けながら、改装なった青春のふるさと岐阜駅のペレストリアンデッキを歩いた。爽やかな夜だった。

●10月11日(月)朝早くから「ひでレポ」を約300軒に配り、しばしの時間、坂本冬実の音楽を聴きながら、塩野七生の「ローマから日本が見える」を読む。こんな時が至福のひと時。午後からは市民相談や、多米地域を中心に党員さんや支持者宅を一軒一軒回る。充実した体育の日だった。

●10月9日(土)朝5時に家を出て、東海北陸自動車道の川島PAで女性議員4人とご主人の計5人と合流し、一路、渋川伊香保ICへ。途中雨が降ったりやんだり。国道を走って東吾妻町に入って、地元の町会議員や安中市からこられた市会議員さんともどもに昼食・懇談。そして八ツ場ダムの現場へ。地域再生整備が行われつつある地域や、さびれた川原湯温泉などを案内して、八ツ場館へ。ヤンバ館では急なお願いだったが、受付の女性が丁寧に説明していただいた。

 草津の湯畑を見てから、志賀高原で小布施に向かったが、残念ながら絶好のロケーションは雨と霧のため見えず!!。小布施の念願の食事処「蔵部」で夕食をとり、一気に岐阜県川島PAまで戻ってきた。午後0時を回っていた。1050`の大急ぎの八ツ場ダム視察会だった。

 8月のお盆に初めて行ってから3度目の八ツ場ダム。さすがにどっと疲れが。

●10月6日(水)党員登録の作業を地区委員さんたちと行った。党員の在り方や、党勢拡大についても話し合った。

●10月4日(月)午後から総務委員会。「新たなる行財政改革プランについて」と「ええじゃないか豊橋推進計画」について審議。

 最初の「行革プラン」の審議の中で、「行政力といっても人材育成がすべてである。例えば、電子自治体をめぐるビジネスは大手メーカーの独壇場です。ところが、沖縄・浦添市では市職員の手でシステム運営を目指している。昨年春に稼働した、地方税や国民健康保険、年金などの基幹系と呼ばれるシステムの発注価格は約8億円で、実質的に従来の半分で済んだという。
 豊橋市議会では来年度からの議会のインターネット中継、オンデマンド放映のために予算化を進めているが、同じことを茨城県取手市は、議会事務局職員の努力で、年間約6万円で実現させている。生中継も部品代プラス約1万5千円だけの費用で、あとはゼロ。なぜか、職員の能力であり、そのことを可能とさせる職員がいるからです。
 ITゼネコンに頼るのではなく自治体側に無駄のない真のIT改革が必要であり、効率的な行財政運営には特にITに長けた人材の育成は急務であるとおもうがどうか」と質したが、議論はかみ合わなかった。

 どうも行政は誤解しているようだ。公務員はシステムエンジニアではないんだ。もしも、そんなことを職員が担当してトラブルが発生したらどうなるんだ。高くついてもITゼネコンに任せておけばいいのだ。責任を取ってもらえるから・・。

 また、シティプロモーション推進計画でも、「豊橋の身近な手の付けやすい資源を羅列したに過ぎない。そこには万人をひきつけるようなストーリーがない。推進計画としては薄っぺらすぎないか。これで本当に都市間競争に勝てると思うのか!」と質したが、通じない。
 「そうも、ガタガタ言わんでもええじゃないか」と声が聞こえてきそう。昨年、12月議会であれだけスッタモンダの末に可決された「豊橋シティプロモーション」プロジェクトを成功させてみせるという真剣さが足りなさすぎないか!

●10月3日(日)午前4時半に起きて、向かったのは「一色魚センター」。案の定、たくさんの人が集まり、新鮮な魚やタコ、アサリなどの買い物を楽しんでいた。名物の高橋カンパニーの「はいはいおじさん」も元気に頑張っていた。ワタリガニを値打ちに手に入れて、次に半田の新実南吉記念館の前の100万本の彼岸花が咲き競う矢勝川の彼岸花へ。
 昨年の大混雑に懲りて朝7時に来たのが良かった。88才のばあさんが喜んでくれて、歩いて楽しむことができた。帰りがけに碧南市の「碧いパーク」にも寄ったが新鮮市場前にも、モーニングサービスのレストラン前にも行列ができ開店を待っていた。

●10月2日(土)第8回公明党全国大会が東京で行われた。代議員として参加された皆様の息吹が大きく波動し、党員・議員が一体となって、来春の統一選に向け新たな前進が開始されたものと確信している。
 参加された皆様にお聞きしても「短時間でしたが、内容のある充実した党大会でした」、「場内は公明党らしい緊張感とやる気で一杯でした」など異口同音に語っておられた。

●10月1日(金)夜、阪神が広島に負けて、今季の中日のドラゴンズの優勝が決まった。「今年の夏は異常に暑かったので、他のチームは必ずばてるだろうと思っていた。中日はこの7年間、どこのチームよりも一番きつい練習を重ねてきた。その成果が優勝に結び付いた」とインタビューに答えていたが、すべてに通ずる名言である。


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