★ひであきの動き、議会の動き★

'10/07 袋小路の日本政治
●7月30日(金)多摩市で「議会基本条例」について視察。午後からはPHP研修所で「地方議員のための政策力アップ講座」第二回を受講。夜は、地方議員有志と懇親会。午後10時発の「ひかり」での帰豊は午後11時半を過ぎていた。さすがにぐったり。

 PHP講座では埼玉県志木市の市長だった穂坂邦夫氏が、「プロフェッショナル議員の仕事術」と題して講義。議会を動かし政策を実現していくには、論破ではなく共感を拡げるいき方が大切であることを強調されたが、市議会議員、県議会議員という経歴もあり、説得力があった。
 続いて、南学横浜市立大学エクステンションセンター長が「自治体財政の隠れた時限爆弾とその対応」について講義。
 多くの地方自治体では、高度成長期に建設した施設やインフラの老朽化が進み、今後10年ほどで「寿命」を迎えるが、その補修・建て替え、長寿命化にどれほどの費用が必要かも把握できていない。これは、単年度会計がもたらした「いつ爆発するか、どの程度の規模かもわからない時限爆弾」と指摘。この対応策を検討するには、地方公会計を基準方式に改め、固定資産台帳を整備することが不可欠と強調。
 豊橋市のように、中長期財政計画に従って、小中学校の大規模改修計画、保育園の建て替え計画等きめ細かく取り組んでいるのに、何かセンセーショナルな取り上げ方に違和感を感じた。

 地方議員有志の懇談会では、参院選の結果を踏まえて、次の政策や活動課題について忌憚なく話し合った。途中、激励に立ち寄って下さった太田昭宏議長は「党勢拡大はぶれずに、腹をくくって戦い切るプロの自覚が大切だ」と自身の経験則から激励いただいた。

●7月29日(木)上京。東京国際展示場でのROBOTECH-次世代ロボット製造技術展に参加。めっき・塗装・熱処理などの表面処理技術を中心に据えた「SURTECH2010」や「マイクロナノ2010」と同時開催され、場内は理系の展示会といった雰囲気。一つ一つのテーマは難しかったが、「モノづくり」に挑む日本の精密産業、その延長線上のロボットへの挑戦の意欲に満ちていた。

 中央特設会場での4台のロボットによるリーグ戦はプロレスのリングアナウンサーが仕切っていて、おもしろかったし、その技術がよく理解できた。

●7月28日(水)夜、生活家庭館で総支部議員会。参院選比例区で当選した荒木清寛議員も出席して、参院選の総括を様々な角度から討議。「みんなの党」や「たちあがれ日本」などの新党乱立の中で公明党らしさをどのように発揮していくのかそのPR力について意見が集中した。

●7月27日(火)午後からの福祉教育委員会。議題は「豊橋市立章南中学校の自然体験活動中の事故について」。
 NHKテレビなどのマスコミ取材や傍聴の市民も多く駆けつけ、亡くなった西野花菜さんの死を無駄にしないためにも様々な角度から質疑が4時半まで続いた。
 傍聴していてしみじみ思うのは、あまりにも杜撰な暴風雨のなかでのカッター訓練であり、危機管理意識の欠如、そして、西野花菜さんの死は防げたのであるという厳粛な事実である。これは人災である。

●7月26日(月)夕方、立ち寄った喫茶店で読んだ朝日新聞のスポーツ欄。「近藤、遅咲きの初G」の文字が躍る。
 「やっちゃいましたね。吸い込まれました。毎日一生懸命やっできたから、あれが入った」と神戸の近藤。26歳でプロ入りし、4年目の29歳でようやく初ゴール。しみじみと菩びをかみしめているかと思いきや、本人は、にやにやし始めた。「いやー、本当は全然狙ってないです。けった瞬間、ミスったって思ったくらいだから」。チーム一のひょうきん者の言葉に、周囲の笑いがはじけた。 右サイドバックで今季初先発。前半20分、石サイドをドリブルし、右足で上げたクロスボールが、GKの指先をかすめてゴールネットを揺らした。大宮を突き放す、貴重な追加点となった。

 プロ入りまで回り道をした。愛産大三河高(愛知)から入学した大体大を1ヶ月で中退し、サーフショップに勤務。しかし、サッカーヘの思いを捨てきれず、2003年に新設されたばかりのびわ湖成蹊大に再入学。関西学生リ−グ1部昇格の原動力となり、Jへの道を切り開いた。DFに転向して活路を開いた遅咲きの元FWは、笑いだけでなく、「得点も取れるサイドバック」を目指す。(記事そのまま転写)

 「愛産大三河高校父母の会」会長だった時のインターハイ、全国高校サッカー出場当時のエースストライカーのプロ初ゴール。あれから12年の歳月が流れての初ゴール。たかが1点、されど1点。ちょうど夜、一緒にピッチに立っていた息子がタイから電話してきたので、「近藤の初ゴール」を伝え、共に喜び合った。

●7月25日(日)猛暑、酷暑、世界に目をやると地球の各地で異常気象が襲っている。ロシアは記録的な暑さに見舞われ、中国は大雨続き、逆に南米では寒波が猛威をふるっているという。世界の気象が変だ。

 夕方からは、豊橋岐阜県人会。昨年夏の県人会は身内の不幸で、そして今年の正月は入院中で、妻が代理出席したが欠席したことに変わりはない。そんな訳で1年半ぶりの県人会に出席した。会長としては申し訳ない限り。
 会では、参加者が次々と近況を報告。中には中日新聞の小さな予告記事を見つけて、安城から出席された方が記事を見つけた喜びを語ったり、生物多様性国際会議で巨木桜の紹介をする方もあり大いに盛り上った。
 その後、会場を移してホテル内で恒例の「トロピカルサマーバイキング」に合流。ステージではハワイアンの演奏などのイベントが行われていて、夏の夜を会員と共に満喫した。

●7月23日(金)内外情勢調査会豊橋支部の支部懇談会に出席。講師は歴史・文芸評論家の高橋千劔破(ちはや)氏の「戦国のニューリーダーと参謀」について。

●7月20日(火)上京、地下鉄半蔵門駅を出たすぐそばの東急第一ビルにあるPHP研究所での「地方議員のための政策力アップ講座」第一回を受講。

●7月18日(日)お世話になっている後援会の婦人部を連れだって、甲斐の国―山梨へ。深緑の甲斐の山々が夏の陽に映えて、自然いっぱいのドライブを堪能した。2年前に道端で店を出していた桃農家の桃がおいしかったので、その店の方にお会いできるかどうかも心配されたが、ちゃんと出会えて、覚えていただいていて、旅の目的の一つが実った。

 以前に、視察に来た事もあったので甲州市の勝沼ぶどう郷駅周辺に残るレンガ積みの鉄道遺産や、大日影トンネル遊歩道を案内したが、結構喜んでいただいた。

 ほうとうの昼食後、婦人たちは「ほったらかし温泉」へ。自分は術後の傷も生々しいので麓の冨士屋パークホテルで山梨市の議員さんたちと懇親。そのホテルから甲府盆地を眺めるとさすがに絶景。遠くに富士山も顔を出し、雄大なロケーションにひたった。

●7月13日(水)午後から団会議。決算審査の在り方の議会改革、豊橋祭りイベント議場見学会などについて団の意見集約。参院選の結果については、自公選挙協力の分だけ減票し、豊橋市内で2万票というのが公明党の実力ということを確認した。

●7月12日(月)朝7時、泣きながら聖教配達してきた妻が、NHKニュースの中で公明党比例区―荒木清寛の当確を知って仏壇の前で崩れた。今回の比例区公明党票は763万9,437票。この10年間の最低である。

 選挙区で埼玉の逆転勝利、東京、大阪のさすがの勝利と完勝したが、比例区では関西中心の浮島さんが、東京では鰐淵さんが涙をのんで2議席を失った。激戦だった大阪選挙区を抱えた関西の皆さんが「比例区は浮島」の戦いがもうひと押しなされていたら、その差が1万2632票であっただけに、涙をのんだのは中部の荒木かも知れないと考えると寒気が走り、複雑な気持ちである。

 昨年8月30日衆院選の開票の夜、それは忘れもしない歴史的惨敗の夜。唇を噛んで正面を向いて毅然としていた太田前代表が「2007年末からの経済危機の中で切れ目のない対策を打ち出し、何とか景気回復の入り口が見えるにいたった。しかしこうした実績が『政権交代』の大波の前に有権者に十分に届かなかった」との言葉が忘れられない。
 そして「『平和』や『福祉』といった公明党の看板をもう一度鮮明にしよう」と山口新代表を中心に、自公連立10年を総括し、結党の原点に立ち返り、再建の道を歩むことになった。

 あれから10ヶ月。公明党が目指す「新しい福祉」とは何か!マニフェストでは「新しい生活保障」、「新しい雇用保障」、「新しいヒューマンケア」との3つのコンセプトのもとで具体策が並ぶ。しかし、これだけの耳触りのいい言葉がどれだけ有権者のもとに届いただろうか。むしろ、みんなの党の「衆院は300人、参院は100人に」「国家公務員を10万人削減」の公約の方が具体的で説得力があったのではないだろうか。

●7月8日(木)投票日まであと3日。朝早く家を出てJR蒲郡駅に向かった。
 蒲郡駅では青年党員と同僚議員がマニフェストを配布していた。7時半を過ぎ、そのための選管の標旗を受け取って豊橋にとんぼ返り。8時半ごろから三八朝市で公明党のマニフェストを配った。多くの人が「頼まれてるよ」、「遠くから従兄が連れだって頼みに来たよ」、「もう期日前投票で入れてきたよ」などの言葉が嬉しかった。午前11時まで頑張って、250部のマニフェストを配り終えた。

 新聞各紙の終盤選挙情勢は公明にとっては厳しい。新党が乱立している分だけ関心が散らばるし、「民主党には公約違反で裏切らてはいるが、それでもせっかくの政権交代という歴史的変化を元には戻したくない」という意識が働いているのだろう。いよいよ夏の陣は大詰めである。

●7月1日(木)3週間、国内の主要都市を営業に回っていた息子が中部国際空港からタイ・バンコクに帰った。「デフレの日本では商売は難しい!やはり成長まっただ中の中国やインドの可能性は大きい」と言って、機上の人となった。


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