★ひであきの動き、議会の動き★

'10/04 清々しい青葉の季節へ
●4月30日(金)午前中の回診で、5月3日以降の退院、OKとなった。

 病院のベッドで様々なことを考える。一つ一つの人生の転機にどのように生きてこればよかったのか。三叉路でどう進めばよかったのか。思いは様々に、駆け巡る。ただ、後ろ向いていては何事も進まない。今回の病気との戦いの4ヶ月は「己の人生にとって意味あることだった」のだと考えることにした。

●4月29日(木)「昭和の日」、ゴールデンウィークの始まりである。至る所で渋滞も始り、「国民大移動」も恒例の年中行事となった感がある。

 無作為に選ばれた11人の有権者、全員が同意したという検察審査会が小沢幹事長の一連の政治資金問題について、「起訴相当」と議決した。「善良な市民感覚」が反映されたことは喜ばしい。それに対して鳩山首相の問題は「不起訴相当」となっている。こんなことがまかり通ることが悲しい。

●4月28日(水)雨続きの毎日にやっと初夏の陽が。病院から見える名古屋のまちは新緑に覆われてきた。ドクターヘリが羽根をやすめている。

●4月27日(火)残っていた半分の抜糸が終わる。「今週中には退院になりますから」と石橋Dr。

●4月26日(月)尿、そして手術口から出ていたドレーンがとられた。手術痕の半分の抜糸も。夜になって食事を補給するために行われていた点滴も終わった。

 午後、養老から長兄や長姉、次姉が見舞いに来てくれた。親身になって心配してくれる身内の純朴な思いが嬉しい。

●4月25日(日)午後、藤沢から義姉が見舞いに来てくれた。稲沢のおばさんが亡くなり、明日、明後日と通夜、告別式とか。選挙のたびに心配をかけ、必死に祈っていただいた。合掌。

●4月24日(土)今朝の食事。ご飯スープといったほうがいいくらいの主食と、これまたおすましスープに、やわらかい野菜炒めが少々。それでも食事がでるようになったことが嬉しい。

●4月23日(金)今夜から食事がでるという、やっとである。病室に戻ってから何が辛いかと言えば、8時、12時、18時ごとに部屋で一斉に食事が始まることである。また、昼間の動きがほとんどないせいか、夜が眠れない。そういうときに時間がなかなか進まないこと。いやになるほど夜が長い。

●4月22日(木)朝、玄関口まで新聞を買いに行けるようになった。そこで読む一般紙からは「公明」の「こ」の字もみえてこないのが残念。

●4月20日(火)ICUから回復室へ、そして自分のベッドへ。

●4月19日(月)8時半に中央手術室の入口で家族と別れ、体に麻酔液が入ってきたことまでは覚えているが・・・・。

 「伊藤さん、起きてください」という声で麻酔から覚め、「何時ですか」と聞くと「5時です」とのこと。これには、さすがにガックリ。3、4時間、午後1時をめどにと聞いていたので、2倍の時間がかかったことになる。長時間、待機してくれた妻や長女、兄夫婦などに感謝。

 「ステント挿入までの段取りに時間がかかりましたが、あとは順調に上手くいきました」と石橋Dr。

●4月16日(金)午前中、愛知医科大学病院へ入院。個室を予定していたが、建物も部屋もそれほど新しくなく、何より暗い。それで変更して大部屋に決めた。同室の患者から、「そんなに元気そうなのに、どこか悪いのか」と聞かれ返答に窮す。

 思えば、特に自覚症状があるわけでもないのに、大きな手術をしなければならない、そのストレスで憂鬱な毎日を送ってきたこの数ヶ月。いよいよ19日には手術である。

 夕方、主治医の石橋Drから手術について丁寧な説明あり。

●4月11日(日)朝早くに豊橋を出て、海老名、町田、世田谷区、杉並区、中野区そして埼玉県へ入り、所沢市、坂戸市と友人、知人を訪ね、最後にさいたま市の従兄を訪ねた。初めて訪問したさいたま市では夜も8時半になり、雨も降っていたが心よく迎えてくださった。15日までに大阪、東京、埼玉の参院選のカギを握る選挙区をひと通り友好活動に回りたいという思いで、走り抜けた。
 9時過ぎにさいたま市を出て、途中、夕食休憩をとったりして豊橋に帰ってきたのは、午前2時半。

●4月7日(水)地元の市立青陵中学校の入学式。小学生から中学生へ青春の舞台が大きく変わる緊張感からだろうか、心なしか硬い表情が伝わってくる。始業式ではクラス担任が発表されるたびに、生徒からは歓声が上がったり、悲鳴が上がったり。それに先生たちが微妙な表情を見せる。ある人はガッツポーズで、ある人は無頓着で、ある人は意外な表情で生徒の反応に応える。毎年のことながら、一番に盛り上がるプログラムである。

 夜は、定例の地区委員会。参院選までの党勢拡大について話し合った。

●4月6日(火)地元、旭小学校の入学式。28人の新入学生。校長先生も竹本陽子女性校長から柴田哲郎先生に変わり新たな出発。柴田校長が新入生にあいさつをされるときに、壇上から降りてきて子どもたちの目線に近づいて挨拶された事は好感が持てた。6年生が元気に鯉のぼり集会や、遠足などの学校生活を元気に歌と演技で紹介して、歓迎のエールを送った。

●4月4日(日)岡崎から知多へ。友人を訪ねて西三河をぐるっと回った。トヨタグループを退職されて、大学で教壇に立つ先輩のご家庭ではトヨタの品質管理問題などを丁寧に話してくださった。また「名古屋市の市長が問題提起している議会のあり方については、議員さんたちはどう見ているのか」との問いかけなどで話は盛り上がった。
 また、コマツ時代の先輩は不自由になった体ながらも「よくぞ訪ねてきてくれた」と喜んでくれた。「こんな身体になってしまって、なんの希望もない人生はみじめだ」と自嘲気味。「支えてくださっている奥さんのためにも、不自由な現実を受け入れて、元気でいてください」と手を握って再会を約した。

 帰りに、岡崎で夕食。久しぶりの八丁味噌の味噌煮込みうどんが相変わらず、おいしかった。

●4月3日(土)自民党が政権からずり落ちて7ヶ月。与謝野馨元財務相が離党届を提出し、無所属の平沼赳夫元経産相らと新党を旗揚げをするという。園田博之前幹事長代理や藤井孝男参院議員も同調する予定で、7〜8人の国会議員が参加の意思を示しているとされる。
 新党は夏の参院選で民主党の過半数獲得を阻止し、参院で自民党でも民主党でもない「第三極」としてキャスチングボートを握ることを当面の目標とするとしているが、どこまで広がるのか。豊橋市議会の自民系の議員諸氏の集合離散と比べてはいけないが、政権離脱に辛抱しきれずに漂流を繰り返す。

●4月2日(金)自民党清志会の退会者が中心になって「豊橋みらい」が8人で、自民党豊橋市議団の退会者で6人の「豊橋クラブ」が相次いで会派届を提出した。また、2人になった自民党豊橋市議団は会派を解散。事あるごとに集合離散を繰り返す自民系の各会派。何のための会派、何のための集合離散なのか。そして、最も大事な市民、有権者の眼差しを忘れていないか!。

●4月1日(木)午後から、愛知科大学病院へ。石橋Drと今後の治療方針を協議。


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