★ひであきの動き、議会の動き★

'10/03 春へ、長丁場の3月議会
●3月31日(水)7階が騒がしい。自民党豊橋市議団で退会者が続出、併せて自民党清志会でも退会者がでて、4月初めに新たな会派編成が行われるという。「議員定数削減」をめぐって自民系各派がかかえていた何かが内一気に噴き出した形。「定数削減」という議員自身が身を削る事には、これだけのエネルギーが要るという事か。いずれにしてもこの時点では公明党豊橋市議団が6人で最大会派。

●3月30日(火)昨日、東京で 豊橋市の「首都圏活動センター」の開所式が、千代田区の日本都市センター会館で行われ、このセンターを拠点として豊橋市はシティプロモーション活動という新たな課題に挑戦する。
 大胆に、そして焦らずに、着実に頑張ってほしい。一朝一夕に成果を求めてはいけないと思う。

●3月29日(月)3月の末だというのに寒い一日。昨日、友好拡大で関西を走り抜けたこともあり、一日、静養に充て、読書などで充電。

●3月28日(日)大阪へ。高槻市の高校時代の友人と久しぶりに旧交を温め、西区で親戚を訪問。その間に豊中市で同僚議員らと懇談。平野区、東大阪市、藤井寺市、松原市と回って帰途へ。
 覚悟はしていたが西名阪から東名阪に入るや大渋滞。四日市ICを抜けるとやっとスムーズに動き出したが、豊田JCで再び渋滞に。結局、家へ着いたのが午前0時を回っていた。470`の強行日程だったが、実りは多かった。

●3月27日(土)3月議会が終わって一段落。

 昨夜、3月議会閉会後の定例の参事会との懇親会。退職する議会事務局長が「3月議会のサプライズは伊藤秀昭議員が復活し、毎日のように質疑に立たれた事。伊藤家の食卓の話がまた聞けることがうれしい」との挨拶があったが、意外だった。自分としては、とにかく議会に穴を開けたくない一心で必死だっただけ。

●3月26日(金)3月定例議会最終日。注目の議員定数問題。
 議案提出した「まちフォーラム」、「春風会」が提案者側に座った。市民会議の渡辺議員、共産党の伊達議員が「財政が厳しいというのであれば、議員報酬を下げて多様な意見を議会に反映するために定数はそのまま維持することだって考えられるがどうか」、「一人の目よりも百の目と言うが間接民主主義にかかるコストをどう考えるか」などの質疑がなされ、採決の結果、賛成は33人が起立。提案した会派以外には自民豊橋市議団9人と公明市議団6人は全員起立、自民党清志会では2人が反対で立たなかった。かくして、豊橋市議会定数は▼4人の36人となった。

 議員定数をめぐるこの半年間の動き、議運メンバーでプロジェクトを編成し、話し合いが続けられ、途中、「40人の現定数は適正である」という結論をまとめたかのように思われたが、「定数36」の提案が正式になされると堰を切ったように定数減実現の流れができていった。はっきりしていることは、公明議員団は残念ながらこの流れの中にはなかったということ。

●3月25日(木)名古屋医科大学へ。外科の石橋Drと初めて面談。ステントの挿入に向けて腹部などのCT画像を示されると、自分の大動脈の至る所で動脈硬化が進んでいることなどが手に取るようにわかる。さすがにガックリである。石橋Dr曰く「年をとるということはそういうことです」と。それ以上に「老い」という現実と向き合うことは、とてつもなく辛いことである。

●3月24日(水)総務委員会は「永住外国人への地方参政権付与法案に反対」の意見書の提出を求める請願について審議。
 紹介議員の藤原議員に、(1)議論しているのは選挙権の付与のみであり、永住外国人が地方議会で大きな影響を及ぼすとは到底考えられないが、どう考えておられるか。
(2)地方参政権は居住に基づいており、国政参政権は国籍によるというのが法律に基づく判断であり、どう考るか。
(3)その根拠として平成7年2月28日の最高裁判所の「住民とは日本国民」を意味するとしていることをあげられているが、同判決の傍論では、「禁止」していないことを明言し、外国人の選挙権は立法府による選挙法によって改正が可能であることを指摘しているが、どう考えるか。
(4)地方選挙権付与問題には、戦後に残された未解決の問題という重要な側面がある。二十一世紀の人権国家を目指すうえで、地方選挙権付与問題は、重要なポイントであると考えるが、どうか。
 の4点から質疑した。議員同士が黒白をつけるような場ではないので「真摯に議論できたことは意義あることでした」と質疑を終えた。
 討論の後、採決の結果、不採択は公明の自分と共産の2人、趣旨採択は民主系の「まちフォーラム」の1人、採択は自民系と無所属の5人。

 夜は定例の党員会。「公明党が目指す第二のセーフィティネットについてもっと具体的にきちんと話すべきだった。

●3月23日(火)予算委員会最終日。国民健康保険特別会計で特定健康診査について、介護保険特別会計から「地域包括ケアシステム」について質疑。病院会計では診療報酬改定が市民病院に与える影響についてなどを質疑し、審議終了は午後7時前。採決の結果、全議案を可決。

●3月22日(月)澄み渡った春風の中を朝早くから動き、岐阜の墓参へ。そして「創価後継同窓の集い」で名古屋へ。帰りに、久しぶりに訪れた名古屋市内の親戚で政治懇談。「今の時代の政治は政治ではありませんね。日本の政治はもっと骨のある政治だったはずです」と87歳の矍鑠(かくしゃく)としたおじさんの言葉には重みがあった。

●3月21日(日)終日、黄砂が空を覆い、風が吹きすさぶいやな一日。体調管理もあり「ひでレポ」配布をやめて、公明新聞などの資料整理。

●3月20日(土)曇り空の一日。「ひでレポ」配りを中断して、気分転換で浜名湖沿いまでランチに行った。多米や三ケ日の山々が春を迎える準備完了を告げるかのように芽吹きだしていた。

●3月19日(金)予算委員会も大詰め。午後4時前にやっと順番が回ってきた。というより、いつも最後の質問者になる。それだけに、しめっくくりの質疑などと考えない事にしている。そんな器でもないし、そんな立場でもない。

 教育費では「学校5日制と新学習指導要領」、「必修になる小学校の英語と英語特区の展開」、「犯罪の低年齢化」について取り上げたが、やはり30分の制限内では中途半端な論議になったが、主張すべきは主張した。

●3月18日(木)土木費と消防費。「橋梁耐震化の進捗」、「路面電車の活性化」そして「高齢社会の防災、消火活動」について質疑。特に、シティプロモーション活動の中での路面電車やLRVの位置づけが弱い事を指摘した。市長が答弁に立って、長々と答えたが将来ビジョンをきちんと示してほしかった。

●3月17日(水)8日間続く予算委員会の中間日で、委員会休会。

●3月16日(火)予算委員会5日目。農林水産費の中で、戸別所得補償制度、ウズラの消費回復問題そして産業振興プランについて質疑。
 特にウズラ問題は、疫学調査チームの最終報告では結局、感染原因は特定できなかっただけに、不安を持ったままの豊橋ブランドについて市の総力を上げないと、消費回復どころか産業としても成り立たなくなる事を促した。

●3月15日(月)予算委員会4日目、民生費と衛生費。「高齢者住宅改善事業費」については、自分自身が貸付預託制度についてしっかり理解していない事を質疑中に気がついた。猛省。

 また、「介護保険施設のスプリンクラー設備整備」、「児童虐待防止事業」、さらには衛生費で「資源化センターについて」5問を用意し、結局、一問の答弁でタイムアップとなる。欲張ってはいけないと反省。

●3月14日(日)久しぶりに晴れ渡った青空、穏やかな春風の中を「ひであきレポート」を丁寧に配った。「元気やったかねえ」「ひさしぶりやねえ、やっと春らしくなったねえ」と明るく気さくに声をかけてくれる地域の人たち。そんな言葉が何よりうれしい。

 牟呂用水沿いを通りかかった時に、桜の花を見つけた。毎年、豊橋市内でも一番最初に咲く桜はこの桜であろう。いよいよ春がすぐそこまで。

●3月13日(土)どんよりとした曇り空の一日。来週の予算委員会の勉強に充てたが、能率、この上なく悪く。切り替えて「ひでレポ」配布に出かけ、身体を動かした。

●3月12日(金)予算委員会は総務費の二日目。やっと質疑順が回ってきた。@「豊橋のシティプロモーション元年」の採用、研修などの人事戦略についてA三遠南信地域連携の今後の展開についてB行政情報化推進事業について与えられた30分をめどに質疑を展開した。何年たっても力不足を痛感し、反省するばかり。

●3月11日(木)朝10時からの本会議で補正予算を議決し、今日から新年度予算委員会の審議に入る。

 衆議院予算委員会で公明党が「子ども手当法案」と「高校授業料無償化法案」に修正を加えて賛成に回ったことについて、マスコミが一斉に「公明、民主に擦り寄り」と報じているが、「政党は政策実現に向けて努力するのが使命であり、野党だから何も政策実現に関与できないのだろうか。ただ政策を主張するのみではなく、その内容に自信があれば、現政権にもぶつけ、提案し、政権がそれを受け入れれば、ともに協力して実現することはあってしかるべきだ」という山口代表の記者会見での発言がなかなか通じない、伝わらない。

●3月10日(水)予算委員会委員長に欠席届を出して、愛知医科大学病院へ。
 8日に撮影した3D画像をもとに水口Drから説明を受けた。「随分と動脈硬化の症状が出ていますね」と自分の動脈を立体的に見せられるとがっくり。診察が早めに終わったので、急いで豊橋に戻ったが、予算委員会第一日の補正予算審査はすでに昼で終わっていた。

●3月9日(火)本会議一般質問三日目。中心市街地活性化、災害対策、公共交通、豊橋駅西地区整備、後期高齢者医療制度、臨時財政対策債などの論議があった。一つ一つのテーマに掘り下げた質問が少なかったのが残念。

●3月8日(月)本会議一般質問二日目。午後から、議長に早退届を出して愛知医科大学病院へ。帰りに万博跡地を通ったが、「愛知知の拠点」工事も行われていて、すっかり模様替えしていた。途中、桜の大木にもう桜の花が。この峠を乗り越え、桜花爛漫の春を迎えたい。倒れて入院した12月20日からもう、かれこれ3ヶ月近くが経過している。ともすれば、ストレスも溜まる。

●3月7日(日)前日に続いて、氷雨が終日。来週から始まる予算委員会のために情報整理。

●3月6日(土)一日中、冷たい雨が降り続け、何となくうっとおしい一日だった。夜、テレビドラマ「やまない雨はない」をみた。人気お天気キャスターだった倉嶋厚氏の半生を描いた実話。朴訥なしゃべりで人気を博したお天気おじさんに、このような土砂降りの人生が隠されていたとは、驚きであり感慨を持って見入った。

 自分が、今、ややっこしい病気と向き合っているからか、63歳という人生の節目にいるからか、こういうドラマを真剣に、かつ肩の力を抜いてみるようになった自分に驚く。

●3月5日(金)3月議会本会議再開。市長の施政方針に関する代表質問が5人でなされた。市民病院の7対1看護、三河港の港湾戦略、副市長人事、介護・高齢者対策などの重要課題を質した。
 公明市議団を代表した宮澤佐知子議員は、子宮頸がんワクチン、脳脊髄液減少症や介護総点検の結果などで、市当局に迫った。

 終了後、団会議で議員定数問題など話し合い。

●3月4日(木)終日、雨模様の一日。3月議会を前に情報整理。午後、参議院予算委員会の模様をテレビ中継で見た。公明党の白浜議員が介護総点検の結果から、地域福祉と、介護施設の両面から渡って政府に質していた。

 夕方、議会事務局から流れてきたファックスで自民党豊橋市議団の一期生議員3人が新たに「春風会」会派を結成された旨の情報を知る。

●3月3日(水)長久手の愛知医科大学病院へ。壮大な敷地に、大学と病院が機能を分けて整然と配置されていた。駐車場の整理から、受付ロビーでの対応など、スタッフの丁寧な対応が印象的だった。
 豊橋市民病院の中山Drの紹介で、初めてお会いした石口Drは礼儀正しく、誠実な対応をしていただいたのが、何より嬉しかった。ステント挿入については精密な検査が必要な事を丁寧に話してくださり、事前検査の日程などを打ち合わせた。まだ、時間がかかりそう。

 夜は党地区委員会。みんなでコーヒー飲みながら政策談議が楽しかった。

●3月2日(火)3月議会を前に公明新聞などの情報整理。

●3月1日(月)豊橋市議会3月定例会初日。佐原市長が、新年度に向けた所信と予算大綱を説明した。
 市長は「ふるさと豊橋の持つ力を存分に発揮したい」とまちづくりへの決意をこめて、「地球環境への対応、少子高齢化対策、地域産業の振興など諸課題に加え、東三河の中核として広域的な役割も十分に踏まえ、「希望と誇りに溢れたたくましいまち」を目指し全力で取り組むと所信を述べた。
 また、重点的に取り組む新年度施策を@子育て支援A環境都市BシティプロモーションC地域活性化と雇用確保―に分け、基本的な考え方を述べた。

 佐原市長が誕生して1年半。その意味では、市長にとっては平成22年度予算編成が本格的な、佐原市政のカラーが出てくるべき予算案であったはず。「チェンジ」を掲げた市長の思いが、政権交代と厳しい財政環境の中で、どのように具体化されたのか。


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