★ひであきの動き、議会の動き★

'10/01初春の陽光をあびて
●1月31日(日)近くに住む娘夫婦を呼んで、正月にできなかった家族夕食会。我が家にとって初めてという”ぶり鍋”を囲んで、久々の賑やかな夕食。

 午後9時から「母べえ」を観る。戦中戦後を生き抜いた一人の女性の生きざまを淡々と演じる吉永小百合の演技力、それを表現する山田洋次監督。絶妙のコンビが醸し出す人間愛に感動。あっという間の2時間40分であった。信念に生きるということ、己が思想に命を賭けるということの重みと、素晴らしさ。今夜は眠れそうにない。

●1月30日(土)入院中から気になっていた公明新聞のスクラップをなんとかやり終えた。次の課題は「ひであきレポート」第81号新春号の作成と朝市や、地域での配布。少しづつ遅れを取り戻したいが、焦りは禁物。

●1月29日(金)午前中、市民病院で退院後初の診察。検査結果からはまだ完全に菌がなくなったとはいえず、がっかり。一週間、薬を服用し、一週間服用せずに、二週間後に再診となった。折から、青森から豊橋市民病院の視察に来られた赤木議員と合流。再会を喜び合った。

 午後から、鳩山首相の施政方針演説をテレビで観た。「いのち」を全体を貫くテーマとし、10年度予算案を「いのちを守る予算」と命名。「メリハリのついた予算編成ができたのは政権交代の成果」と滔々と語るが白々しい。

●1月27日(水)午後、背広をきて久しぶりの市役所。ユニフォームを着て凛とするのが楽しい。約2時間の予定であいさつやら、夜の党員会用の資料作成を終えた頃、来庁者からの呼び出しで、市民相談。
 介護施設に入所したご主人の費用負担が、奥さんが働いて一定の所得があることから食費も居住費も最高額の負担。保険対象外の項目もあり、計約10万円。手取りにすれば12万円余の所得から納得できないとの相談を通じて、改めて制度の問題点を学ぶ事が出来た。

 夜、この会合までにはと決めていた定例の党員会に参加でき嬉しかった。また、心配した集まりも、会場一杯で嬉しい限り。「政治とカネ」の問題についてパワーポイントを使って話しした。お世話になっている党員さんにいつまでも心配かけていてはいけないと痛感。この峠を乗り切らなければとしみじみ思う。

●1月26日(火)昨年暮れ、太田議長が帰豊するにあたって、地元で語る会を行うためにお願いした会場主にお世話になったお礼に出向いた。「元気になられてよかったね」と喜んでくれた。また、太田議長の人柄や振る舞いに感激し、記念写真も嬉しそうにみせてくれた。

●1月25日(月)久しぶりの我が家。しかし、市民病院でみた患者の中には、一年も二年も闘病生活を続けておられる方が一杯おられて、降り注ぐ陽光どころか、窓の景色も見る事が出来ない方もおられたわけで、ただ、ただこのような境遇に感謝。

●1月24日(日)35日ぶりの我が家である。近所にごあいさつし、お見舞いいただいた多くの方に電話でお礼と現状を報告申し上げ、散髪に行きさっぱり。夜、好物のすき焼きで退院を祝ってくれた。血圧計も買いそろえた。次の段階への第一歩でもある。

●1月23日(土)明日には退院という感慨深い1日。主治医はもちろん、現場の看護士の皆さんの献身的なサポートがあってのことである。
 さわやかな、笑顔の対応にどれだけいやされたことであろうか。「思いやりの医療」と一口に言うが、医療現場にも効率や収益が厳しく問われる時代には、対極にあるような言葉。その「思いやり」を実践する看護士のご苦労にただただ感謝。

 夜遅く、事情聴取を終えた小沢幹事長の記者会見。「何ら不正なお金をいただいたり、不正な行為にかかわったものではありません」と言い切るその言葉を国民が信じるだろうか。国民をなめてはいけない!

●1月22日(金)衆議院予算委員会二日目。午後からは我が公明党の井上幹事長が質疑に立ち「政治とカネ」問題を追及した。幹事長独特の間合いを取りながらの展開であったが、物腰は柔らかくても中身は鋭かった。
 「秘書を犯した罪は政治家がうけるべきだとのかっての発言に照らして、どのような責任をとるのか」の追及に関して、「秘書と政治家が同罪であるといったつもりはない」と強弁した。
 毎日50万円、月に1500万円、年1億8000万円、15年間で15億円の母親からの資金提供についても「知らなかった」の1点張り。空気が読めないのか、この方は宇宙人なのか。

 午後、8年ぶりに訪ねてくれた友。筋ジストロフィーという難病と闘っているという。仕事ができるのも長くてあと2年。隔世遺伝の病気であり、成人を迎えた子どもたちの将来への熱い思い。それでも「ひであきさん!頑張ってよ!重鎮なんだから」の言葉に感涙、返す言葉がなかった。

 夜遅く、商工会議所で太田議長を迎えて行われた「公明党豊橋セミナー」が溢れるばかりの参加者で盛況であったとの報告が嬉しかった。

●1月21日(木)夕方、主治医から話があって週末の退院が決まった。この日曜に退院し、それから2週間は抗生物質の薬を服用し、2週間は薬は飲まず、週1回通院し検査結果データ推移を見守り、問題なければ菌の治療は終わり。それ以降のことについては、この一カ月で充分に検討し決めていくことになった。やっと次の段階に向かう。

 NHKテレビは終日、国会の衆議院予算委員会を中継。与党民主党、野党民主党の長い時間をかけての質疑応答。残念ながら将来展望が開けないまま、生活と人生を守るために汲々とし、覚めた気持ちでこの中継に目をやる国民の思いにはほど遠い論議が続いた。
 また、自民党の谷垣総裁自らが先頭に立っての鳩山首相、小沢幹事長の「政治とカネ」の問題を追求していたが、攻めてはいるのだろうが攻めあぐれ、答弁に立つ鳩山首相らも守りに徹して辛抱辛抱の時間を過ごしているように思えてならない。

●1月20日(水)日本航空が昨日、会社更生法の適用を申請し経営破たんした。併せて企業再生支援機構は直ちに支援を決定。日本政策投資銀行とともに9千億円規模の公的支金を投入する。そして日航は国の管理下で運航を続けながら3年以内の再建をめざす。
 一気に進んだかのような日航再建問題。しかし、国の責任も日航自体の病巣もあいまいなまま。この国に本当に二つの航空会社が必要なのかも含め、問題はこれからである。

●1月19日(火)今日から抗生物質の点滴もなくなった。この状態でをしばらく続けて、検査結果を見ることになった。

 午後、衆議院本会議。公明党を代表して登壇した斉藤政調会長。時には鋭く、時には冷静に政権の理念なき財政運営と脆弱性に切り込んだ。また、もっとも説得力があったのはチーム3000で取り組んだ介護総点検運動の介護の重い実態が述べられた下り。やはり現場ほど真実を語るものはない。
 それだけに鳩山首相の巨額な資金の使途に関して、さらには小沢幹事長の巨額資金の流れについても、新聞情報を抜け出していないのは残念だった。

●1月18日(月)入院して4週間を経て、今日は区切りになるような判断がなされると期待していたが、血液検査結果でも菌がなくなったと判断できず、午後からのCTやレントゲンの結果でも、炎症はかなり治まってきているとしか認められず、がっかり。
 その上、一昨日から抗生物質の点滴後は寒気がし、熱が上がり、今日は特にひどく七転罵倒の時間が約30分続き、抗生物質に体が拒否するばかりか、アレルギー反応を起こすようになってきた。そんなわけで、当分、膠着状態。

●1月17日(日)午前中は「報道2001」から「サンディプロジェクト」まで政治報道番組を連続でみた。様々な角度から小沢民主党幹事長の政治献金問題、そして民主党大会における幹事長続投と検察との戦い宣言について報じている。
 しかし、問題は明白である。小沢幹事長自身が、検察へ出向き土地購入の原資について説明し、同じことを国民に説明すればいいことである。難しいことでも、何でもない。それだけのことである。

 夜、見舞いに来てくださった友人から、昨日、ここへ見舞いに来てくれた友人が脳内出血で同じ市民病院に緊急入院したとのこと。びっくりである。

●1月16日(土)未明に小沢一郎公設第一秘書の大久保秘書も逮捕され、昨夜の石川議員、池田秘書に続いて3人目。夕方のニュースでは民主党大会で「毅然と検察と戦う」と宣言している小沢幹事長の姿が映し出され、鳩山総理が「小沢幹事長を信頼し、負けずに戦うという幹事長を支持する」と表明。何かを忘れていないか!どっちを向いて政治をしているのや!

 夜、理容院をやっている友が携帯バリカンを持って病室に来てくれた。一か月ぶりの散髪である。うれしかった。

 9時から「神戸新聞の7日間」に圧倒される思いで見た。新聞を作るために、というか神戸の惨状を神戸市民に伝えるために人間がもがき、人間が戦っていた。

●1月15日(金)昼すぎ、岐阜から兄弟が心配して来てくれた。身うちはありがたい。

 夕方になって、小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件で衆議院議員の石川知博議員が逮捕されたと臨時ニュースが流れる。厳冬の中で、国民が不況と戦っている。その時に政治は金まみれの実態をさらけ出す。

●1月14日(木)毎日30分の抗生物質の点滴以外さしたる治療があるわけでなく、病院の窓から晩冬の豊橋のまちをながめる。
 その景色は大きく変わることがないありきたりの豊橋のまちだが、愛するまち、優しいまち、そして元気なまちにみえるのは、自分が人生で初めての3週間を越える病院生活を経てきたからなのだろうか。

●1月12日(火)朝から、採血、レントゲン。菌との戦いも少しづついい方向に動いて、るとのことだが、膠着状態のような入院生活にストレスも高まる。

●1月11日(月)久しぶりに、否、入院以来初めてシャワーを浴びた。足の裏の角質がどんどん剥けてきて気持ちが悪いくらいだった。お風呂に入れること、トイレに行けること、食事ができること・・・、当り前のような日常生活が、当り前でなく不自由な限りを尽くしている人たちの、その辛さと思いを改めて考える。

 午後、高校サッカー決勝で攻め続けた山梨学園が初優勝!若さは素晴らしい、そのひたむきさが素晴らしい!。

●1月10日(日)穏やかな日差しが病院を包む。市内では消防出初式、校区別成人式、そして同僚議員による成人の日街頭演説が行われているはず。一つ一つが無事故で有意義に行われていくことを願うのみ。

 政治番組が今年一年の多角度からの様々なビジョンやプランを論議するのが恒例なのに何億円という小沢・鳩山両首脳の金の話が大きな話題で出てくることに、この国の危うさを表している。
 高校時代からの友が年賀状に書いてきた。「この国はもっと質が高かったはずなのに、長く続く稚拙な政治によって、国力が損なわれていくことを嘆きます。もっと基本的なところを大切にして欲しい」と。

●1月9日(土)午前から、午後にかけて見舞客が相次いだ。岐阜から、名古屋から、近所から・・。ありがたいことであり、一日も早く復帰しなければという思いと、ゆっくり養生しやあという思い。この二つが同じことだと腹を決めた。

●1月8日(金)体調も変化なく、血圧も順調に安定し、それでも限定された行動範囲でしか動きは許されず、菌との戦いは辛抱強く続けなければならない。

 地域主権の先駆者として大阪池田市の倉田市長が書かれた「首長の戦略」を一気に読む。悪戦苦闘の地方分権への挑戦である。勇気と元気をいただいた。

●1月7日(木)午前中にレントゲン撮影、CTと続き、その結果では退院が見えてくるのかと期待したが、午後からの主治医の説明では「菌との戦いには、慎重を期しています。簡単なものではないのです」と諭されガックリ。

●1月6日(水)市民病院の病室から見る景色は穏やかな冬の日差しに包まれているように見えるが、寒波が日本列島を襲い北国では大変な風害、雪害とか。

 ドクターは「いかがですか」と回診に来る。「どうなんですか?とこちらから聞きたいくらいです」とつい嫌味を言ってしまうのが、私の悪い癖。

 午後から、同僚の小田議員が党の責任者と、また入れ替わるように議長、副議長、議会事務局長が見舞いに来ていただいた。多忙な中で心配かけて申し訳ない限り。

 夜になって、藤井財務相が辞意、代わって菅(副総理・国家戦略担当大臣)が登用されるとか。また東京地検は任意で小沢幹事長に事情聴取を要請。とめどもなく政治の流転が始まる。

●1月5日(火)血液検査(CRP)の結果などで、動脈瘤に巣くっていると思われる菌が次第に少なくなってきている由、もう少しの辛抱。夜に宮沢佐知子団長がレターケースの書類などもって来てくれた。今年の豊橋の政治課題について意見交換。

●1月4日(月)今朝の回診で主治医から、休憩室まで動いていいとの許可。午後からは久しぶりの洗髪でスッキリ。心臓機能検査など次の段階に向けて、検査があいつぐ。

●1月2日(土)63歳の誕生日を家族がケーキで祝ってくれた。「誕生祝いを病室でやるのは今回限りにしてくださいね」と妻。タイの息子から国際電話、「冗談言っとれる間は大丈夫だで」と。

 午後、高校サッカー中京高校×神村学園、10対2と大敗。頑張った豊橋在住の牧野選手の健闘を讃えながらも、愛知のサッカーに何が欠けているのか、課題は明白である、次の一手を!。

 入院して2週間、血圧も体温も常態で推移している。今後、どうするのか。どうなっていくのか。今まで兆候は何度も、色んな形であったのに健康管理を甘く見た己の不覚。それがまたストレスにつながっていく。

●1月1日(金)輝かしき2010年の幕開けを不覚にも市民病院の病室で迎えることになった。後がない決選の年の戦いも近づいている。早く復帰を、というより開き直って治療に専念という気持ちが交錯する辛い幕開け。

●12月31日(木)2009年が終わる。あの、真夏の敗北の夜も、そしてドラマチックに始まった政権交代、事業仕訳、新予算編成・・・・。しかし、結局、形が変わっても、冠が変わっても、中身は何も変わらずに、国民は明日への確かなる展望を見いだせないまま年を越えている。
 昨日、急きょ発表された新たな成長戦略「輝きのある日本へ」も高い目標を掲げてはいるが、実現するための具体的手法に欠けている。相変わらずのやっつけ仕事の感をぬぐえない。悪世末法の闇は深い。

●12月29日(火)午後3時過ぎ、太田昭宏議長が病室まで、「ゆっくり休めばいいんだ」と励ましていただいた。「この一年の総括ニュースなどをみると、政権交代といううねりの大きさを感じます。この流れは抗じきれなかったのでしょうか?」。そんな質問にも、「その流れは津波のように大きかった」と。

 夜、太田議長を中心に行われた食事会や「語る会」が無事終わった由、報告あり。

●12月28日(月)点滴が一つ少なくなった。おばあさんが娘夫婦とともに、見舞いに来てくれた。市役所から副市長も連れだって。仕事納めの日。

 夜、全日本フィギヤアスケート大会で、豊橋の鈴木明子選手が見事2位に。バンクーバーオリンピック出場権をもぎとった。見事な執念!。

●12月27日(日)入院して一週間。抗生物質などの点滴治療のおかげで血圧も、体温も平常を保っている。

●12月21日(月)集中治療室。多くの人が自分の体を守るために24時間体制で見守っていてくれる。担当医が、看護婦が、スタッフが・・・、一人の患者のためにどれだけの人が動いているのだろうか。今更ながら、豊橋市民病院の救急医療体制について誇りに思う。

 細かいことが分かってきた。心臓近くに心臓大動脈瘤ができていること、それも危険域とされる6aの大きさで。そこへ何らかの菌がこびりついて高血圧、高体温となった。よくぞ、心臓大動脈瘤が破裂しなかったとのこと。
 今はとにかくその菌を駆逐するために抗生物質などの点滴と、血圧を下げるための点滴で治療をしていることになる。

●12月20日(日)前日から、いや、ずーっと調子が悪かったのだろう自分の体がいよいよ悲鳴をあげた。年末の打ち合わせでお邪魔していた訪問先でぶっ倒れた。それでも訪問先で迷惑をかけてはいけないと何とか、家に戻り、妻の車で市民病院の救急外来に入った。

 血圧220、体温38度。


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