★月間レポート★「ひであき」の動き 議会の動き

09年11月 焦らずに、黙々と
●11月30日(月)朝10時から、臨時豊橋市議会。

●11月29日(日)午前中は、いつものスーパーと金田住宅、牛川団地で街頭演説。午後からは12月定例会のための資料収集。介護保険総点検運動のためのアンケート活動。

●11月28日(土)岐阜から先輩夫婦が豊橋へ。久しぶりの再会に話がはずんだが、どうしてもこれからの公明党、来夏の参院選の事に集中し、話は尽きなかった。

 夕方から、台風18号の強風で市のビンカンボックスが転がってきて、車がへこみ、約一ヶ月後に「市としては何の対応はできません」と言ってきたという市民にお会いした。真面目そうなこの方の怒りはごもっともで、こうした対応が市政の信頼をなくすのだと痛感した。

●11月27日(金)急きょ、栃木県小山市へ。小山市の子育て支援事業、特に赤ちゃんの駅の視察に出かけた。このまちに来たのは視察としては初めてだが、確か4回目である。23年前、昭和61年に退職したコマツ(当時は小松製作所)の営業マン時代にコマツの建設機械のエンジンを作っていた小山工場へ研修などで来たことがあった。当時のイメージとは大きく変わっていたのは言うまでもないが、特に市役所へ向かう西口は研修中に飲み歩いた繁華街で、活気があったが・・。

 駅から市役所まで歩く途中に「子育て支援センター」があり、その中に「赤ちゃんの駅」が開設されており、スタッフの皆さんから丁寧な説明を受けた。
 市役所は4階建てで、小山市のスローガンが一杯掲げてあり、その秩序なきアピールの一生懸命な姿勢が感じられて面白かった。

●11月26日(木)午前10時から念願の映画「沈まぬ太陽」をみた。日本航空の経営再建問題が連日報道されている中で話題の映画であり、やっと時間ができた(作った?)のを幸いに、ましてやこの時間に入場すれば1000円であるのもありがたい。

 映画は自らの信念を貫かんがために、外国への左遷にも甘んじ、やっと日本へ戻った時に520人の死者を出した大事故が起きる。その犠牲者の補償の仕事に従事しながらも、社内の派閥争い、政界との癒着、同期の人間との確執、そこへかぶさる迫力ある犠牲者家族の様々な人間模様・・・。考えさせられる迫真の映画だった。

午後3時から、環境経済委員会を傍聴。

●11月25日(水)夜、定例の党員会。新入党員もおられ、公明党の歴史や綱領、党員としての規約をパワーポイントで学んだ。

●11月24日(火)午後2時から「平成22年度予算要望」を市長に提出し、約1時間近く市長や三役と懇談。

●11月23日(月)三八朝市で「介護アンケート」をする予定が、やれ画板だ、机だ、と準備しだすと一人でこれを外でやるには無理だとわかって止めた。5ヶ所で街頭演説をして、午後からは「勤労感謝の日だから」と勝手に休息日にしようと決め込んで、本宮山麓の民家を改造した喫茶店でゆったりとした時間を過ごした。

 夜、89歳で亡くなった支持者の通夜式に出席。信仰一筋に生きた学会の母だった。「母は、元気になったら花ガツオを一杯かけたうどんを食べたいと闘病生活していました。一時退院した時には三日間花ガツオ一杯のうどんを用意しました。”おいしい、おいしい”といって"ありがとうね、ありがとうね"といって食べてくれました。そして、多くの人に会って、再び入院して、眠るように逝きました」。感動的な喪主の挨拶だった。

●11月22日(日)午前中は街頭演説。午後1時から、荒木、魚住参院議員などを囲んで「議員懇談会」。懇談会というには懇談の時間設定が少なく、中途半端に終わった。もっともその原因は、あれこれと質疑した私の責任でもあるが・・。

●11月21日(土)夜、朝倉川沿いのレストランで先の衆議院選挙で落選した、前衆議院議員「杉田元司さんを励ます会」。
 杉田前議員を支えてきた豊橋や渥美の有志が集った。杉田前代議士は「雌伏の期間を自らを磨くチャンスと捉え頑張っていきます」と相変わらず、謙虚で歯切れがいい。「私たちは県会議員だった杉田さん、国会議員になった杉田さんを支えてきたのではない。人間―杉田さんが好きだから支えてきたんだ」との言葉が今日の会合の全てだった。

●11月20日(金)総務委員会視察第三日。重工長大のイメージが強いこの呉市がソフト事業の新たな社会実験に挑戦している。それが「ゆめづくり地域協働プログラム」。地域力をアップし、協働型自治体をめざすための仕組みである。ここでも市長の強いリーダーシップが伺えた。
 熊本で大阪・池田市の倉田市長の「池田発地方分権から地域主権へ」の話を聞いたが、ここでもまた、新たな地域主権へのコミュニュティづくりの挑戦を垣間見た。

●11月19日(木)総務委員会視察第二日。岡山市役所で「岡山の東京事務所について」説明を受けた。岡山市の前東京事務所長だった田中勝彦現観光課長は家族とともに6年間東京事務所に勤めていた人だけに、一つ一つの質問にも経験から説得力あるお答えをいただいた。
 東京事務所開設の大きなポイントは派遣される職員の持つ可能性であり、それらを含めてどのようにマネージメントするかにかかっていることを再確認した。またシティプロモーションという戦略は勝てば発展し、負ければ都市を衰退させる。その決め手はトップのリーダーシップ以外にないことも。

 午後から、呉市へ移動。呉市議会事務局の配慮で、呉市海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム)を視察。4年前に開館以来、毎年100万人の来館者を記録している。10分の1戦艦大和の威容は空間を圧倒し、技術・戦争・平和・・・重い内容を訴えている。
 来館者は2時間も、3時間も在館するというが、自分はこういう場所にはどうしても違和感がある。戦争というすさまじい修羅場はもっともっと重く、そして何よりも正視できない地獄図ではなかったかと思うといたたまれない人間の愚かさを感じてならないからだ。

●11月18日(水)総務委員会の視察。第一日は兵庫県西宮市の兵庫県立芸術文化センター。さすが関西というか、兵庫県というか大中小の三つのホールを配し、それぞれの特徴ある舞台芸術を広く県民・市民に提供する意気込みが伝わる。
 「関西圏がバックグランドにあるこれだけの芸術文化センターの今日までの準備期間、そして開館後4年間の経験から、38万都市が地方で作ろうとする場合のポイントは何か」とお尋ねしたが、「地域のニーズ―市民はどのような芸術文化を求めているのかという徹底した市民目線で芸術ホールを位置づけることが大事。芸術は文化は誰のためか。市民のためであって芸術監督のためでも、市長のものではない」と答えていただいた。
 身の丈に合った「芸術ホール」にどこまで挑戦できるか。GO!サインを出した議会の責任も重い。

 夕方、岡山まで移動。夜はフリーだったので岡山駅地下ので「讃岐うどんとかつ丼セット」を食べたが、結構おいしかった。

●11月17日(火)夜、産学官交流サロン。「高度情報システム(ITS)研究所の概要および今後の展開」について愛知工科大学工学部情報メディア学科の小塚一宏教授、「100周年を迎えて〜長寿社会の要件〜」については中部ガス椛纒\取締役社長の中村捷二氏。ともに実地での現場からの報告だけに説得力はあった。

●11月16日(月)午前10時からの総務委員会。市長が市長選の公約に掲げた東京事務所が議題に上っていただけに、市長も閉会中の常任委員会の開催にもかかわらず、出席。「政治も経済も不安定な時代だからこそ、東京に事務所を開くことの意味はある。長く開発のポテンシャルが高いといわれ続けてきたこの地域が、新たなる可能性の突破口を開くことができれば人件費も含めて年間約3,000万円の投資はむしろ安いと思う。
 指摘していたシティプロモーションビジョンも示されているので、全責任を持って大胆に挑戦すべきだ」と賛成の意を示した。

 その質疑の過程で、この豊橋の土着性について述べ、「正直言って、転勤を機に住みつき、市会議員として23年走ってきたが、この豊橋がいまだに好きになれません」といった事が、波紋を呼んだようだ。好きになれるようにように頑張っている」という言葉が必要だったかも。あるいは「いつになってもアウェイーの緊張感が抜けません」という表現に抑えておくべきだったかも。

 午後、東北から名取市の星居敬子議員を初め女性議員が4人、そして長浜市、野洲市から各1人。小金井市から4人の議員が「子ども未来館」へ。全て公明議員で交流が広がった。

●11月15日(日)午前中、街頭演説を8ヶ所で。午後からは、南信州の日帰り温泉「こまどりの湯」へ。秋空の下での露天風呂に満足。奥三河一帯は紅葉真っ盛りで、深まる秋を堪能した。

●11月14日(土)風邪気味だが、午後から雨も上がり、街頭演説を6ヶ所で

●11月13日(金)3県境域連携により、全国のモデルとなる圏域づくりを目指す「三遠南信サミット2009in東三河」がホテル日航豊橋で開かれた。

 基調講演で山崎氏(中央大学教授、国土審議会政策部会委員)は、『変動と変化への地域的対応』をテーマに話し、人口減少時代の地域づくりについて提言。「国土面積の30%に国民の90%が住むようになる(2030年予測)」とした上で、「地域内に都市機能がどれだけあるかが重要で、豊橋・浜松というツインシティを持つ三遠南信は、大きなポテンシャルがある」と述べた。さらに「1次、2次産業の雇用比率はさらに低下し、新しい産業の創出が必要になる」と指摘。「子どもを産み育てやすい地域づくりについて」と強調された。

 浜松や飯田市から公明党議員も参加していたので、様々に意見交換。話は尽きなかった。

 また、それに先立ち別会場で「三遠南信・浜松三ケ日・豊橋道路建設促進議員協議会」の総会も行われた。三遠南信道や引佐JKと三ケ日JK連絡道路の工事のさまは、10月の工事見学会で確認できているが、三ケ日ICから豊橋を結ぶ道路は計画そのものが正式決定されていないだけに、難しいのではないか。それだけに来賓で出席していた民主党国会議員の挨拶を聞きたかったが、紹介のみで終わったのは残念だった。

●11月12日(木)奈良県から親戚でもある王寺町議会伊藤隆明議員が平群町、上牧町の女性議員もつれて、「こども未来館」へ視察に。親戚の、それも公明議員を案内できる喜びは計り知れない。青陵街道夏みかん並木なども案内。市役所13階のレストランで夕食をともにし話は尽きなかった。

●11月11日(火)豊橋市は、国交省から03〜07年度に受けた補助事業にかかわる事務費約6億円のうち、約6290万円が補助対象外の経費に使われていたと発表した。加藤副市長は記者会見で「適正な事務手続きをしていれば問題が出ないはず。まことに申し訳なく、市民の皆様に深くおわびしたい」と陳謝。その細かい事は各会派を回って副市長や財務部長が説明するというが、「どこでもやってることで豊橋は運が悪かった」というような表現で公金意識が欠如している事が残念でならない。

●11月10日(火)2年前、千葉県市川市で英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさんの遺体が見つかった事件で、指名手配中だった市橋容疑者が大阪のフェリー乗り場で逮捕されたというニュース。彼の出身地は故郷に近い岐阜県羽島市。ともに医師であるという両親の胸中を考えると、暗澹たる思いでこのニュースを見る。

●11月9日(月)少々バテ気味にカゼ気味。朝市に街頭演説、募金活動など年甲斐もなく頑張り過ぎ。

●11月8日(日)穏やかな秋の一日。すっきりとした晴れ間。冷たい風が吹き抜け秋深しを思わせる。三八朝市も秋の陽だまりの中でゆったりとした時間が流れていた。その場所で今日は「ひであきレポート」ならぬ、「乳がん・子宮がん検診の無料クーポンを利用しましょう」というピンクのチラシを配ったが、さすがに今回は受け取る人は半分くらい。
 60歳を超えた買い物客には不評だった。それでも若いご婦人たちは「いいことですね」と笑顔で受け取ってくれた。

 午後からは豊橋駅前で9月30日に起こった「スマトラ沖地震救援募金」活動を青年党員とともに。

●11月7日(土)藤沢から義母が50日ぶりに帰ってきた。送ってきてくれた義兄と「日航再建問題」を話し合う。
 夜は党員登録を多米地区で。党員登録に集まった皆さんと種々懇談。「衆院選の時に愛知県では太田代表が街頭演説に応援に来ていただいたのは豊橋だけで、その肝心の出身地で票が伸びなかったのは大いに反省すべきだ」との言葉に、返す言葉なし。

●11月6日(金)松江から神戸へ。神戸市役所で教育委員会の皆さんのレクチャーを受けた後、「校庭芝生化」の実際を確かめに、ポートアイランド内の港島小学校へ。
 同小学校は開校以来26年が経過し、特に埋立地という条件もあり、震災後、運動場の排水が悪く、施設的課題になっていた。そこで環境問題とのかねあいをもって芝生化に取り組んだ。事業は昨年6月から本年3月末まで。昨年9月1日にはオープニングセレモニーを行って、10月からは冬用の種をまきオーバーシード。事業費は25,000千円。

 芝生化の効果は抜群で児童の野外活動・スポーツ参加意欲の向上による体力の増進は目を見張るものがあるという。しかし、また年間を通じて管理作業が必要であり、維持コストもばかにならないという問題もある。
 いずれにしても芝生化を通じて、子どもたちがのびのびと走り回る光景は清々しいものがあり、芝生の管理協力を通じて地域コミュニュティの輪も広がっているという。またこの小学校は港島幼稚園とも隣接しており、その幼稚園の運動場も同じく芝生化されており、その有効利用も図られている。

●11月5日(木)岡山から、秋の陽に映える瀬戸内海を渡って松山へ。「いで湯と城と文学のまち−松山市に全国41の中核市の市長、副市長、中核市市議会議員ら約800人の関係者が参加して「中核市サミット2009 in松山」が開催された。

 今年4月1日には前橋市、大津市、尼崎市が加わり、現在の中核市は41市。その新中核市市長が挨拶されたが、3人の登壇される市長の中でひときわざわめきと、拍手が大きかったのは尼崎市の白井 文市長が登壇した時。白井女史は1960年生まれ、全日空のスチュワーデスから尼崎市議を2期務め02年から市長、現在2期目。天は二物を与えずというが、その身のこなしから、話し方、溌剌とした声など、さすがであった。

 中核市サミットも今回で14回目、そして、今回は政権交代後初のサミットでもあった。新政権の地方行政に対する全体像があいまいなまま開催されたからではあろうが、明確な政策提案や意見表明がなかったのが残念だった。

●11月4日(水)朝早く豊中市へ、。38名中10議席で第一党の公明党豊中市議団の皆さんが街頭演説活動にがんばっているということで、その活動のさまを見届けに、市議団控室に着いたのが9時半。ほとんどの議員さんが3.4回の街頭演説を行ってから、控室に集まり打ち合わせや「人革」を音読しあってまた活動に出るという。「見事!さすが関西」とうなった。

●11月3日(火)午前中は三八朝市、街頭演説。午後からは明日からの視察などで出張が続くので、体力を調整。

●11月2日(月)夜、夕食会を兼ねて農業委員会の皆さんと懇談。楽しいひと時を過ごした。

●11月1日(日)校区市民館の「市民館祭り」が盛大に開催され、来賓として挨拶。「皆さんの一年間の成果を歌や踊りで大いに表現していただきたい」と挨拶。外では焼きそばや五平餅などがふるまわれた。


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