★月間レポート★「ひであき」の動き 議会の動き

09年10月 臥薪嘗胆の冬に向かって
●10月31日(土)今月から始まった来夏の参院選に向けた、大街頭演説運動。自分で立てた50回を突破するために、街頭演説に徹した。金田住宅、柳原団地、牛川住宅、ニューライフフジなど8ヶ所で懸命になって民主党政権にほころびが出てきている事を訴えた。そして、家の近くの、いつもの交差点で51回目を行って、10月を終わった。
 夜は訪問活動に徹したが、これは目標に達しなかった。ピッチを上げるのが遅かった。

●10月30日(金)昨日のプロ野球ドラフト会議。注目の岩手・花巻東高校の菊池遊星投手。「まだまだプロで投げられるレベルではない。とにかく自分の技術をあげたい」という謙虚さと負けじ根性がいい。昨夜から今朝のスポーツニュースは菊池一辺倒。

 しかし、華やかさばかりが報じられるその裏で、プロ野球から指名されるどころか、学校を卒業して野球にも区切りをつけて、会社員や家業に」向かう若者たちがいる。甲子園のグランドさえ踏めなかった球児たちが沢山いる。
 あるいはあこがれのプロ野球の門は開いたが、一度も晴れ舞台に立つ事なく、戦力外通告や解雇で去っていく人たちは沢山いる。そのまま残っても、バッティング投手やブルペン捕手として下積みの毎日を送っている人もいる。そういう人たちにどうしても視線が移ってしまう。

 午後、映画「机の中のラブレター」をみる。ラブストーリでなく、言い出したくても、言い出せない人間の”思い”を縦軸に様々な人間たちの苦悩を横軸に、心温まるヒューマンドラマだった。

●10月29日(木)名古屋市議会の公明市議3人が子ども未来館−「ここにこ」へ視察に来られ、帯同し昼食も共にし、情報交換。特に河村名古屋市長が選挙公約でやろうとしている住民税10%減税についてレクチャーいただいた。
 減税対象者のうち毎年50万円以上の減税を受ける大金持ちが630人。毎年10万円以上の減税を受ける金持ちは約1万人。反対に年間1万円以下の減税の人は60万人、さらに一切減税されないひとは、なんと40万人。まさに金持ちのための減税案であることを知った。また、200万人政令都市の市長と議会の対立は、中日新聞を中心にマスコミがヒダネになっている事も。

●10月28日(水)午後から、総務委員会各派打合せ。東京事務所について2度目の審議になるが、市長に出席要求した正副委員長の英断を評価したい。ただ、市民協働推進計画、豊橋田原広域市町村計画の総括と3つの議題も用意されており、それを資料説明も含め午前10時からの2時間でこなそうとするのは、無理がないか。

●10月27日(火)昼、時事通信社の内外情勢調査会豊橋支部例会に出席。講師は東京新聞論説委員の長谷川幸洋氏。「激動する政局の行方」と題した講演はたっぷり90分。危うくなってきた”小鳩政権”の問題点を具体的に鋭く解く。
 「民主党は権力志向と政策志向の二派に分かれていくのではないか。また、JAや医師会の長年の支持団体が方向を変えた自民党は軸もなく流れ解散的に分裂していくのではないか。公明党は民主党に流れ込んでいくのではないか。そうすると、新たな政界再編が現実味を帯びてくる」と結んだ。

●10月26日(月)午前10時から団会議。来年度予算要望や、執行停止になった「子育て応援特別手当」について話し合った。

●10月24日(土)今日、明日と後援会幹部と妙高高原へ旅行。土日祭日1000円の恩恵にあやかって朝6時に豊橋を出て、小布施の町に着いたのが午前10時半。おりから町をあげて町民文化祭や物産展が行われていた。キノコ汁と栗ご飯がおいしくて昼食が安上がりで済んだのもよかった。

 小布施からは国道で妙高へ。妙高山がどっしりと構え、紅葉真っ盛りのいもり池周辺は観光客でにぎわっていた。広々とした妙高の自然を堪能した。

●10月23日(金)川越市視察。「つばさ」の舞台になった「時の金」や主人公の家業の「甘玉堂」のモデルとなった和菓子店界隈は、ウィークディだというのに観光客がぞろぞろ。また、鏡山酒造跡地はきちんと整備されていて、明治・大正・昭和と三代続いた酒蔵が格好のイベント会場となり、「つばさ展」が開催されていた。

 東京に戻って、帰途、品川駅で帯広公明議員団の皆様と合流。豊橋の「子ども未来館」視察に来られたが、上京していたので羽田への途中にお会いすることになった。待合広場でコーヒー一杯で一時間半の懇談は楽しかった。

●10月22日(木)上京。都内の市ヶ谷のホテルで「社団法人日本経営協会」主催のセミナー「議員提案政策条例の立案と実現の手法」について学んだ。参加者は少なかったが、中味は濃かった。

 夜、麹町で東京・関東界隈の地方議員が集まって情報交換。「これからの公明党」について忌憚なく、時には口角泡を飛ばして議論は盛り上がった。それでも最後は「自分の身近な足元から確かな支持者作りから始めよう」と誓い合って、再会を約した。

●10月21日(水)夜、定例の党員会。今回の衆院選について党員の皆様から貴重なご意見をいただいた。なかには「公明党は自民党にくっつきすぎた。これからは万年野党でもいいから”公明党らしさ”を貫いてほしい」とも。

●10月20日(火)午後は支援団体の集いで、パワーポイントを使って「大拡大運動で参院選勝利へ」を約30分、説明させていただき、今回の公明党再出発に向けて、率直なご意見を伺った。
 「公明党の展開している政策をもっとメディアを使ってPRして欲しい」、「党の代表とか、幹事長は重複立候補させるべきだ」など貴重なご意見を伺った。

 夜、第300回産学官交流サロン。昭和59年から毎月1回、地域に開き、地域の発展に貢献しようと積み重ねた産学官交流の歴史。意義深き交流サロンの講師は豊橋技術科学大学学長 榊 佳之氏。これまでの30年、これからの30年をパワーポイントを使って、淡々と歯切れ良い講演は約1時間。懇親会では豊橋技科大の学生諸君によるジャズ演奏もあり、愉しく、有意義な秋の夜を過ごした。この300回のうち200回は参加させていただいただろうか、議員人生22年のうち、あしかけ20年近くは参加させていただいたことになる。

●10月18日(日)豊橋祭り2日目。抜けるような秋空の下で多くの人出で賑わった。

 午前中は三八朝市で「ひでレポ」配布に徹した。朝市の買い物の市民に声をかけ、一人一人に丁寧に挨拶しながら手渡した。快く受け取ってくださる人がにこやかに「伊藤さんは、真面目やねえ。いつも選挙になると友達から頼まれて、いれてるのよ。頑張ってね」と声をかけられた。こんな言葉に疲れは吹っ飛び、こんな言葉が一番嬉しい。

 夕方は、祭りからの帰りの人出を考えて、電車通りで街頭演説。「不況の中で、公明党が推進した子育て応援特別手当が12月の支給目指して準備していましたが、凍結となりました。国の補正予算とは一体何でしょう。そして市議会の議決とは何でしょうか。報道によれば仙谷行政刷新大臣は『公明党がやろうとしたものだから止めればいい」と執行停止を求めたとのこと。こんな暴挙が許されていいのでしょうか!」と気合を入れて演説した。

 注目の設楽町長選で「ダム建設計画推進派」の前副町長の横山光明氏が当選。設楽町民は「ダムは推進」を選択したことになる。かといって設楽ダムの建設再開が決まったわけではない。

●10月17日(土)雨模様の中で「豊橋まつり」が開幕。午後からは「市議会見学ツアー」を担当。1日で約500人の見学者を議場などに案内し、少しでも市議会を身近に感じてもらえれば嬉しい。

 夕方6時半からの、恒例の市民総踊りの開催が心配されたが何とか、小雨もあがり、1万人の市民がそれぞれに「ええじゃないか音頭」などで盛り上がり最後まで行えた。

●10月16日(金)上京。東京国際ビッグサイトでの「食品開発展2009」へ。「食品開発のシーズ、安全・品質向上のためのソリューションがぎっしり」のコンセプトどうり、先進的な取組みが各ブーツで伺え大いに刺激的な展示に圧倒された。
 そうした中で、財団法人しずおか産業創造機構のブーツでは静岡県・静岡市の地域結集型研究開発プログラムによる都市エリア産学官地域連携事業の成果としての「新世代茶飲料」が展示してあったが、こうじた場で情報発信する静岡県や静岡市の取組みに敬服する。と同時に、同じ都市エリア事業に取り組んだ我が豊橋の取組み、情報発信力のなさを改めて、思い知らされた。02年から3年間は毎年1億円の補助金で取組み、それ以後も発展型として農工連携の事業展開がなされたはずであり、極めて残念な思いだった。

 東京事務所云々の前に、こうした意欲的な取組みの積み重ねなくして、シティプロモーションなどは成り立つはずがないと痛感した。

●10月14日(木)朝7時、豊橋駅東口ココラフロントの前での街頭演説。ホテルアソシアに宿泊していた取手市議会のメンバーも合流して、合同の街頭演説となった。
 民主党政権のマニフェスト一辺倒の原理主義の様な政権運営を批判し、豊橋の設楽ダム問題や東京事務所問題を訴えた。取手のみなさんも、それぞれに個性豊かにテーマを絞って、演説した。

 午前9時からは豊橋商工会議所など主催の「静岡空港&高速道路建設現場視察会」に参加。開港して3ヶ月が過ぎ、いよいよ正念場に入った静岡空港。9月の全体搭乗率は遂に6割を切り、日本航空の撤退表明もあり、取り巻く環境は厳しい。

 新東名建設現場には予定されている金谷IC付近から本線に入り、トンネルやテストコースなど様々にレクチャーを受けた。また三遠南信自動車道路の引佐JC付近では第二東名、三遠南信道、そして三ケ日・引佐連絡道路の交差する様は壮大なスケールであり、完成が待ち遠しいプロジェクトである。

●10月13日(水)午後から、茨城県取手市議会の公明議員4人がこども未来館「ここにこ」に視察に来られた。終了後、「夏みかん並木」などを案内。夜は一献傾けながら大いに語り合った。公明党の事、政権交代の事、そして今後の反転攻勢について。

●10月12日(月)台風一過の青空。家の周りの落ち葉や、側溝の詰まりなど午前中は家事に専念。午後からは街頭演説で汗をかいてから、浜松市にできた3ヶ所目のイオンモールへ。壮大な敷地に広がるショッピングセンターに圧倒され、同時に商店街の衰退に複雑な思い。

●10月10日(土)午前10時から名古屋市内で「愛知県本部議員総会」。山口新代表を迎え、公明党の財産である全国3000人の議員ネットワークを存分に発揮して来夏の参院選には断じて勝利しようとする、公明党再出発の会合。終了後、名古屋駅前の国際文化センターで行われている「伊勢湾台風50周年記念 伊勢湾台風絵画展」へ。16年前に豊橋でも開催され、好評を博したが、その時の絵画がきちんと保存されていることにも感動した。

 夕方は街頭演説を5ヶ所で。「負けてたまるか」という思いと、「まあこういうことは若いものに任せて・・」という気持ちが交錯する。

●10月8日(木)大型で強い台風18号が三重県から愛知、そして岐阜、長野と日本列島を縦断し、豊橋の被害状況が心配されたが、大きな被害はない模様に安堵。

 熊本市民文化会館で「第71回全国都市問題会議」が予定どうり開催。全国から約2000人の参加者、そのなかには市長会会長の森 民夫長岡市長をはじめ、市長、副市長、行政関係、そして全国の市議会議員が集まった。ぎっしりのスケジュールで中味のある講演が続いた。

●10月7日(水)明日からの熊本市での「全国都市問題会議」に参加のため九州へ移動。博多駅から地下鉄、築肥線で筑前前原駅へ。そこで前原市の二人の公明議員の出迎えを受け、近くのファミレスでコーヒー飲みながら情報交換の充実した時間を過ごした。
 再び博多に戻るのに、折からの台風で筑肥線が遅れ、博多駅、そして熊本への到着が大幅に遅れた。

●10月5日(月)久しぶりの雨、宇連ダムの水位が20%をきっているだけに、恵みの雨であれば結構だが、秋の長雨はどうもそこまではいかにようだ。市議団の視察や研修日程など協議。

●10月4日(日)午前10時頃、衝撃的なニュースが流れる。中川元財務・金融相が東京の自宅で死亡しているのが確認された。死亡原因は不明で病理解剖して調べるとか、事件性もなく、遺書もなく自殺ではないという。
 自民党の要職を歴任した中川氏、自民党の再建、再出発に不可欠な人材であったはず。その道半ばでの突然の死に合掌。それにしても、あのローマでの”もうろう会見”の印象を挽回する事のないまま、衆院選での落選とその心中、察すると言葉なし。

●10月3日(土)夜、NHKでの約3時間に及ぶ「鳩山新政権に問う」を観る。ムダ削減、予算の使い方のチェンジ、脱官僚政治、天下り撲滅などへの取り組みについての民主党政権の論客−大塚、古川両副大臣のきちんと整理された考え方、話し方には、国民の多くが今までの自公政権にみられなかった「政治が変わった」という鮮烈な実感を持ったのではないだろうか。

 こういうイメージが自公政権からは一度も国民に与えられなかったとするなら、衆院選での敗北は必然だったかもしれない。

●10月1日(木)抜けるような青空のなかで市議団の4人で三重県伊賀市の「モクモク手づくりファーム」に視察。


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