★月間レポート★「ひであき」の動き 議会の動き

09年9月 汗だくの衆院選、そして再起
●9月23日(木)巨人が中日に3連勝し、遂にセリーグ3連覇達成!小笠原、ラミネス、クルーンや谷などFAで獲得した戦力と、坂本、松本など生え抜きの育成選手の成長戦力とが見事に合体した”強い巨人”の一年ではなかったか。それにしても、政変の年の中日は強いと言われたが、後半戦になってからのブランコの不振、そして巨人戦6連敗は目を覆いたくなる惨状。

●9月17日(木)今日から決算委員会。今までの決算審査と違って一般会計、特別会計、企業会計の決算審査が都合4日間行われることになり、5連休のシルバーウィークを挟んで25日まで。また決算委員も正副議長と議会選出監査委員を除く36人構成で行われる。

●9月15日(火)午前10時から、建設消防委員会。市営住宅の家賃滞納者の訴えなど。午後は福祉教育委員会。いよいよ来春には完成する保健所、保健センター、子ども発達センターの設置条例などが審議された。陳情審査では吉田城の復元も。

 夜は、299回「産学官交流サロン」。演題は浜松学院大学佐藤教授の「環境問題と地域経済」、国交省名古屋港湾事務所長−渡邊和重氏の「名古屋港湾事務所の業務概要について」。先月のサロンは衆院選のため参加できなかったので、久しぶりの交流サロンの雰囲気が楽しかった。

●9月14日(月)午前10時から環境経済委員会、午後は総務委員会。工事請負契約審査の中で、入札参加の12社のうち6社が公表されている最低制限価格で応札し、コンピュータくじ引きの結果、落札者が決まっ事案。これが公正・公平な入札といえるのだろうか。

●9月12日(土)衆院選で自民党は大敗、公明党は惨敗。茫然自失のなかから、党再建に向けて、山口新代表を先頭に来夏の参院選に向けて全党一丸となって戦いは始まっている。
 しかしまた、その道は決して容易な道ではない。なぜかならそこに小選挙区比例並立制という選挙制度が厳然と存在するからである。公明党は単独で小選挙区比例並立制の選挙で戦ったことは一度もない。自公連立10年を総括しようとする動きが始まっているが、この選挙制度との関係で論じなければ画竜点睛を欠くことにならないだろうか。

 そして、「平和の党」「福祉の党」、「公明らしさをより鮮明に」・・・・、最近の公明新聞はこの言葉が再建の突破口かのように書きたてる。しかし、そのことにより300小選挙区では立候補もできず、比例区では今回の21議席前後を維持するのが精一杯の政党のままでいくのか、それでいいのか?。その上で、来夏の参院選勝利の戦略が描けるのかどうか。時間はあまりにも少なく、課題はあまりにも多い。

●9月7日(月)9月定例会が始まった。一般質問第一日。そのトップバッターとして登壇し、「政権交代時代の市政運営について」、市長並びに市当局に質した。
 出だしのイントロをやはり、「伊藤家の食卓」から始めた。

 議長のお許しを得まして、9月定例会一般質問のトップバッターで「政権交代時代の市政運営について」質問を始めさせていただきます。
 8月31日、衆院選の開票が終わった朝、2階から降りてきたばあさんが聞きます。
「太田さんどうやったね」
「おった」
「山本さんは」
「おった」
「海部さんは」
「おった」
「聖子さんは」
「おったけど、助かった」
「えらいこっちゃねえ。ひであきさん、暑い中頑張って残念やったねえ」
「どっと疲れが出て、当分元気ないわ」
。 そんな、会話を最後に、伊藤家の食卓はひきこもり状態で一週間が過ぎました。
 これまでの日本政治は自民党一党優位体制が続き・・・・・。

●9月6日(日)残暑厳しい中、地元旭校区の校区体育祭。子どもから高齢者まで玉送りや、玉入れ、リレーなどにみんなで汗をかいた。また暑い中、裏方の皆さんが終日、黙々と役目をこなしている姿が嬉しかった。
 会場には校区に住む民主党参議院議員や、落選した山本前代議士、民主の県会議員柏熊女史や山本選対責任者の鈴木孝昌県議などが顔を出した。それぞれの思惑が見え隠れして面白かった。

●9月3日(木)夕方から、ナゴヤドームへ。思いがけずチケットが手に入って中日×広島戦を観戦した。しかし、肝心の中日はチーム状態が最悪で、広島の大竹投手の前にわずか2安打。エラーも続出して、まったくいいところなし。試合終了を前に帰途についた。気分転換で行ったのに、ますますストレスが積もった。

●9月2日(水)9月議会一般質問通告日。18人が通告し、抽選の結果、9日の第一日の一番くじを引いた。政権交代という大きな変化の中で、佐原市長はどのような市政運営をなされようとしているのか。しっかりと議論したい。

●9月1日(火)防災の日。残暑の日差しが強かったが、吹く風が爽やかだった豊橋市明海町の船渡ふ頭で、東海地震を想定した総合防災訓練。
 消防本部や陸上自衛隊、自主防災組織、短大看護課のボランティアなど約50機関計1000人が参加し、相互の協力体制を確認した。
 会場では、自主防災組織の人たちが、倒壊家屋の屋根を工具でこじ開け、中にいた負傷者を助け出す訓練などを行った。

 たまたま、防災服の中に去年の防災訓練のプログラムがあり、比較してみてみると、全くというか、ほとんどというか時間帯も含めて同じだった。同じことを繰り返すから訓練なのか、いざという時のために様々に想定して”いざ”という時のために備えるのが防災訓練なのか。

●8月31日(月)「今回の衆議院選挙で、豊橋市民の皆様から寄せていただきました公明党への熱きご声援、また厳しいご意見、これらを糧(かて)にして、今日からはまた、ひるまず、たゆまず、生活現場主義の旗高く公明党は頑張ってまいります」。

 開票から一夜あけて、31日朝7時過ぎからいつもの交差点で、残暑厳しい朝の陽を受けながら街頭演説を行った。ふと、2年前の参院選の開票日の翌日も、愛知選挙区山本完敗の悔しい思いを懸命に街頭演説に向けたことを思い出す。
 「どんな風にも、どんな状況でも勝てる強靭な党を!」、あの時から次の衆院選での屈辱を晴らすために懸命になって頑張ってきたはずだったが、10議席も減らして歴史的惨敗。比例東海ブロックでは懸命に戦っていた伊藤渉青年局長を落してしまった。そして何よりも8小選挙区全敗という結果で太田代表も北側幹事長もいなくなった
 自民党が積年の不満や不安、失望感をまともに受けて、公示前の300議席から119議席まで議席を減らして大敗したのに、連立のパートナーの公明党が軽症でおれるはずはない。自公連立政権10年はかくして幕を降ろした。

 投票日一週間前、「代表危うし!」報道にいてもたってもおれずに東京12区へ走ったときに、街角、街角でみかけた支援者の懸命の戦う姿が忘れられない。投票日直前のニュースで流れた「必勝」の鉢巻きにタスキ掛けで、「負けるわけにはいかないんです」と絶叫する太田代表の姿が忘れられない。
 しかし、その支持者と候補者のすさまじいばかりの姿と、あの華奢(きゃしゃ)な肢体で走り回り一カ月余で、この象徴区で勝ってしまった民主の女性候補との差異・・・・・・・。これはなんだろう!公明党再生への大きな問題点を提起しているかのように思えてならない。公明党が支援組織と一体となって繰り広げる組織選挙が通用しなくなっているのではないかとさえ思われます。

●8月8日(土)梅雨も明け、高校野球も始まり、真夏の太陽がぎらぎら照りつける一日。「三八朝市」での「ひでレポ」配布や街頭演説、企業訪問など、動きに動いた一日。

 夜は、小学校の校庭で地域の盆踊り大会。音響設備の調子が悪く、一時はどうなるかと思われたが、小学校の協力で学校設備を使わせていただき、事なきを得た。

●8月5日(水)午後3時半から、市内のホテルで東三河5市議員研修会。講師は佐原光一豊橋市長、演題は「東三河はいつも一緒」。東三河が誇る農産物や観光資源のブランド化や連携を語られたが、特に田原、蒲郡、豊川、新城の市会議員は「もしも合併が進んだらその時の市長は?」とまなじりをもって佐原市長を見つめているのだから、そうした思いに応えるような政策的リーダーシップを示していただきたかった。
 また議員の資質向上、議会の一層の活性化をめざした研修会であるならば、何故に講師が佐原豊橋市長であり、何故このような内容だったのか最後までわからない研修会だった。

 終了後、衆院選の準備のため名古屋へ。

●8月3日(月)久しぶりの夏の太陽と青空が戻ってきた。熱い一日。長い梅雨で三八朝市も雨模様で、なかなか「ひでレポ」を配れなかったが、これも久しぶりに「三八朝市」で「ひでレポ」を配布。出店する店も少なく、買い物客も少なかった。しかし、それでも日頃ご無沙汰している一人一人と挨拶を交わし、政治談議をするその時間が楽しいし、貴重なひと時。自分の政治の原点はここにあり、ここから伊藤ひであきの政治は始まっていることを今更ながら確認した。


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