★月間レポート★「ひであき」の動き 議会の動き

08年9月 政局混迷!秋風の中を
●9月30日(火)今日は昼間は公務はなく、雨模様の中を10日後の「中小企業セミナー」の案内を持って、精力的に動いた。

 夕方5時からは市内のホテルで「三河港豊橋コンテナターミナル開設10周年記念行事」が行われ、参加した。世界4大自動車港の一つでありながら、物流の主流であるコンテナ化が遅れていた三河港に、先人たちの懸命なご努力で10年前にガントリークレーンが設置され、定期航路の開設をはじめ、2基目のクレーンの供用開始もなり、扱うコンテナはいよいよ5万TEUも視野に入ってきている。関係者の熱意に心から敬意を表したい。

 また、その席に参加しておられた豊橋を代表する企業経営者がしみじみと「これからの政治は、理念と哲学を持った公明党がしっかりとこの国を引っ張っていかないと、日本は大変な事になります」とお声をかけていただいた。爽やかな嬉しい一時だった。

 時は今、いよいよ10月。

●9月29日(月)午後の議長への業務報告で財務部から「来年度予算編成について」報告を受けた。「法人市民税の落ち込みは避けられず、前年度マイナス5%のシーリングで予算編成に取り組んでいかねばならない」と厳しさをにじませてレクチャーがあった。

●9月28日(日)岡崎市を中心に友人を訪ねた。今日から岡崎市議選も始まり、至る所で紅白の幕の選挙事務所や、遊説カーに出会った。4人の岡崎の同志の奮闘と大勝利をに期待し、いよいよの選挙モードである。

 途中、彼岸花が田んぼのあぜ道や、堤防に咲いていて、秋の風情に一服。

●9月27日(土)夕方、市内の交差点に「生活減税」をPRする公明党のラッピングカーがやってきて合流し、街頭演説。

 「私たち公明党は、所得が減っているのに、物価が上がり、消費が落ち込んでおり、今こそ国民の生活支援、生活防衛を最優先に政治は取りくまなければならない。特に家計と中小企業に対し、深い危機感をもって対応しなければならないと、公明党がリードする形で『総合経済対策』をがまとめあげました。その対策の一丁目一番地が『定額減税』であります。これは税制ではなく、社会政策なのです。
 この定額減税を『バラマキ』と批判する声がありますが、国民生活を守るために税金を使うのがバラマキでしょうか!こうした『生活危機』の意識薄いバラマキ批判にたじろぐことなく、公明党はその実現に向け、断じて勝利目指して頑張ってまいります」と。

●9月26日(金)夜、市長の後援会の会合に議長と共に出席。乾杯の音頭で「世界のトヨタを背景にした豊田市の合併や、遠州の「やらまいか」の気概で一気に合併した浜松市の合併と違って、この地域の合併は豊川流域の一体感で戦略的に進めなければならない。その意味で一ヵ月後の市長選は東三河市実現への大きな分岐点です」とあいさつした。
 衆院選の嵐に紛れることなく、豊橋市と東三河の将来に向けて、予定される候補者の皆さんの大いなる政策論議に期待したい。

●9月25日(木)午前10時、幼稚園協会の皆さんが沢山の署名簿を添えて、保護者の負担軽減などの要望を受ける。

 昼は、ホテルアークリッシュで「内外情勢調査会豊橋支部懇談会」。講師は徳川当主18代目の徳川恒孝氏(財団法人徳川記念財団理事長)の「江戸の仕組みと心」。戦国時代から江戸時代へ、そして徳川300年の平和は何をもたらしたかについて、淡々と歯切れよく話された。楽しい2時間。

 午後3時からは「FM豊橋番組審議会」。

●9月24日(水)午後から9月定例本会議最終日。午後4時過ぎ無事に閉会。夜は支援団体の活動者会。衆院選投票日は11月2日の設定で、スタートダッシュの重要性が確認された。

●9月23日(火)爽やかな秋分の日。名古屋、岩倉、知立、岡崎と友人知人を訪問。動き回った一日。

 名古屋市北区の住宅街で親戚の老夫婦がしみじみと話してくれた。「持病の心臓が悪くなって4日間入院していました。カテーテルを使って、詰まっている部分にステントという網状の器具を送り込むステント治療を受けたが、想像以上に治療費が安く済んだ。本当にありがたいことです。高齢者医療のことがあれこれ問題になっていますが、公明党が一番、真剣に考えていて下さることが、よく解ります」と。

 今夜から始まった新番組「学べるニュースショー」の冒頭を飾ったのは「ドクターヘリ、心肺停止の3歳児を救う」。迫真のドキュメントとなり全国に放映された。「大変な反響です!」番組担当者から連絡を頂いた。
 「ホームページの検索から伊藤さんの情報に行き着きました。現場へ行かれて検証されている事に敬服しました。ぜひとも番組作りに協力してください」とテレビ朝日から連絡いただいたのは8月2日。早速に手持ちの写真や資料を送ったりしたが見事に仕上がっていた。この番組を岡崎から帰る車の中で、カーナビのテレビの音声だけで聞いていたので、余計に迫力があった。

 東京では公明党大会。太田代表が再任され、08決戦にいよいよ出陣。

●9月22日(月)早朝の「ひでレポ」配布、午前7時過ぎには東田坂上交差点で朝の街頭演説。

 午前10時の議会運営委員会を前に事前打ち合わせ、議運後は議運理事会、各派代表者会議。

 午前11時半、岐阜県関市から「せき親善大使」が刃物まつりのPRに議長室へ。岐阜の時代に住んでいた所から関市は近かったので、親しみがもてた。午後1時には、スペイン大使館代理大使が議長室へ。25日からのスペイン視察に出かける議員と共に表敬訪問を受ける。

 自民党総裁に麻生太郎氏が就任。「景気への不安、生活への不満、政治への不信の危機にあること」を厳しく受け止め、「日本を明るく、強い国にする」と抱負を述べた。

●9月21日(日)一日遅れの地元、中学校体育大会。曇天の空の下では、あったが若さははじけていた。

 選挙間じかのため、しばらくして退席後、知多方面の友人・知人を訪ねた。元気に第三の人生を送っておられる方、体調おもわしくなく、無気力に余生を送っておられる方。それぞれの人生、それぞれの生き様。

●9月20日(土)予定されていた地元中学校の体育大会はグランドコンデション不良で順延。9時半からは「530のまち 環境フェスタ」、10時30分からは「とよはしバスの日2008」と豊橋公園で多くの市民が参加してイベントが続いた。午後からは、浜松方面の友人知人を訪問。

 有害物質メラミンが検出された中国産の牛乳を原料に使っていたとして、菓子など3商品の自主回収を打ち出していたとして丸大食品は、計5商品のメラミン混入の有無については専門検査機関に検査を依頼するなどてんやわんや。厚生労働省、農林水産省もパンや菓子業界などに緊急点検を指示した。

●9月19日(金)午後、議会運営委員会の打ち合わせなど、午後6時半からは市内のホテルで「谷本歩実選手・加藤ゆか選手北京五輪祝賀会」。
 約300人が出席し万雷の拍手のなか、日本チームのユニホームで入場してきた北京五輪の柔道女子63キロ級で金メダルを獲得した谷本歩実選手。「北京五輪で金メダルを取れたのは皆さんの力強い声援のおかげです」と謝辞を述べたあと、「先ほど満田理事長から、きれいになったねと言われました。これから柔道家として女性として、ますます成長してまいります」と27歳のアスリートの言葉には爽やかさと重みがあった。

 コメの不正転売問題で、農水省の大臣と次官が辞任した。また、米リーマン・ブラザースの破綻による国内金融市場の混乱、そして、社会保険庁職員がらみの年金記録の改ざん問題・・・。「政治的空白をつくってはならない」と辞任表明した福田首相。空白どころか、次々と大きな陥没である。

●9月18日(木)企業会計決算委員会二日目。公立病院のあり方が問われ、医師不足など医療を取り巻く課題が山積している中で、大いに議論すべきでないかと思っていたが、結局、午後2時前に終了。夕方は街頭演説、夜は支持者訪問。

 米国発の金融危機が、世界的な広がりと深まりを急速に増してきた。

●9月17日(水)早朝の「ひでレポ」配布。午前10時からは上下水道事業会計の決算審査。

 障害者スポーツの祭典、北京パラリンピックが大詰めを迎えている。車いすの選手がいる。義足や腕のない選手もいる。さまざまなハンディを乗り越える意志と競技で見せる力強さには驚き、心を揺さぶられ、勇気が沸いてくる。

●9月16日(火)連休明けの予算委員会。議長は議長席に、結局、副議長は副議長室で放送で傍聴しながら待機。これが辛い、引きこもり修行である。

 米国4位の大手証券リーマン・ブラザーズが破綻した。同時に3位のメリルリンチが、大手銀行バンク・オブ・アメリカに救済合併されることにもなった。さらに、経営不振の保険最大手AIGが「次の破綻先」と見られて株が売り込まれており、米国市場は疑心暗鬼に覆われている。

●9月15日(月)敬老の日。豊橋市内には100歳以上が87人おられるとか、国全体でも65歳以上の高齢者人口は2800万人、いわゆる高齢化率は22.1%となっているとか。
 午前中、2ヶ所の敬老会に出席。カラオケや手品や地域内ドクターによる医療講座などの時間を過ごしておられた。
 この2ヶ所の敬老会地域内の約750軒に昨日夕方から、今朝7時半までに「ひでレポ」を配り終えてから出席させていただいた。

 午後からは、友人・知人を訪ねて浜松から掛川、磐田へ動いた。合併などで地名表示が変わっているのと、頼りのカーナビが3年前の旧地図なので苦慮。やっと行き着いても留守だったりしたが、それでも暖かく迎えていただいたりすると、嬉しかった。

 衆院選の投票日は10月26日が濃厚になってきた。アメリカの名門保険会社−「リーマンブラザーズ」が経営破たんの衝撃が、アメリカの株価は500j以上の下落とか、いよいよ世界不況か。

●9月14日(日)早朝からの「ひでレポ」配布。それから5ヶ所で街頭演説。午後からは再び「ひでレポ」配布。頑張った一日。

●9月13日(土)「ひでレポ」、「三八朝市」と午前中。夜、第13回「炎の祭典」に参加。
 「三州豊橋の煙火」次々と夜空を焦がし、降り注ぐ火の粉を浴びて立つ勇姿に、会津や東京、大阪からの45台の観光バスの遠来の観光客も迎え盛り上がった。また太鼓集団「志多ら」の洗練された太鼓も鳴り響き、10年ぶりの「炎の祭典」を堪能した。

●9月12日(金)午前中は「環境経済委員会」、午後は「総務委員会」。夜は「政治学習会」。
 学習会では「定額減税に対するバラマキ批判」について「国民生活を守ることが、ナゼにバラマキなのか。的外れの批判は庶民の生活がわかっていない」と話した。

●9月11日(木)早朝の「ひでレポ」配布も二日目。日頃の運動不足を痛感しながらも、5時から7時半まで頑張った。

 午前中は建設消防委員会は委員として、午後からの福祉教育委員会は議長席で審議を見守った。

●9月10日(水)本会議三日目。一般質問。

 稼働6年目になる資源化センター次世代焼却炉では、年間3000Kgの灯油が使われており、市は「高温空気加熱器の加熱管の密閉するシール部分に不具合があり、熱交換が十分行えず、能力不足になっていることから、取り替える修補を行っている。これはメーカーの瑕疵(かし)であり、想定外だ」と説明し「初期の目的は達成している」と一定の評価をしていると答えた。
 また、路面電車の軌道敷内緑化についても取り上げられた。この事は私が予算委員会で取り上げており、頼もしく拝聴した。

 三日間、午後1時から3時まで、議長席について議事を進行したが、何とか責務を果たせた。

 いよいよ、衆院選が政治スケジュールに入ってきており、早朝の「ひでレポ」配布を再開。併せて、朝夕の街頭演説も。

●9月9日(火)本会議二日目。一般質問を続けた。その中で東三河合併を念頭に置いた産業、医療、消防分野などの連携問題が取り上げられた。市は市町村の財政の力を示す「財政力指数」は合併後、豊橋市の場合、1割程度下がり、現在の不交付団体から交付団体に転落するうえ、市町村間で財政力に大きな差があることなどを明らかにした。
 続いて、このダウンする財政力をカバーする対策として行財政改革ビジョン、産業政策ビジョン、新産業創出ビジョンを提案する突っ込んだ議論があったが、さすがの質問だった。そのほか、消防の広域化の課題、設楽ダム問題などが取り上げられた。

●9月8日、9月定例会を開会。一般質問第一日。7人の登壇者が市長に質した。この中で、豊橋駅南に2012年オープン目指す芸術文化交流施設について、根本的な見直しを求める質疑が行われた。

 見直しを提案した理由について「ここでなければならない施設ではない。69億円という事業費のうち5億円は、鉄道騒音対策費用に使われてしまう。4年後に県から市へ移管される『アイプラザ豊橋』を再生して活用することもあり得るのではないか」との理由。
 「中心市街地活性化という同じ目的で1ヶ月前にオープンした「こども未来館」には、多数の人でにぎわったが、周辺商店街に恩恵はなく、中心市街地活性化には結びついていない」ことも引き合いに出した。
 「こども未来館」は福祉教育施設、そして予定されるのは芸術文化交流施設、ここらと中心市街地活性化をきちんと整理する作業が必要ではないだろうか。また、今日までの議論を積み重ねて、賛成してきたこともきちんとしないと議会のあり方も問われるのでなかろうか。こういう議論は中途半端に終えてはいけない。むしろ、にぎあう「子ども未来館」に来る人達と中心市街地の活性化への仕組みづくりを議論すべきなのでないか。

●9月7日(日)午前中、旭校区体育祭に出席。子どもからお年寄りまで老若男女が、玉入れや、綱引き、玉送りリレーなどにいい汗をかいた。昼休みには消防団が小型ポンプ操法も披露した。
 各種団体と町内対抗の「玉入れ競争」に出たが、背が高い割には体が動かず、なかなか入らず、勝利に貢献できず。日頃の運動不足を露呈する羽目になった。

●9月6日(土)午前9時半から、「ライフポートとよはし」での「子どもたちの明日を見つめる会」(主催:豊橋母と女性教師の会)に来賓として出席。

 故郷、岐阜県養老町の飛騨牛偽装事件の舞台になった地域に体当たりで、真正面から向き合って、この地域の子どもや若者たちに、差別に負けずに希望を持って生きぬくことの大切さと、学ぶことの大切さを教えられた二人の先生の生き様を紹介した。
 そして「子どもたちを取り巻く問題が複雑化する中、先生方やPTAの皆様のご苦労は大変なものがあろうかと思いますが、どうか、子どもたちを覆う心の闇から聞こえてくるSOSに耳を傾けながら、粘り強く手を差し伸べていただければと思います。
 私ども市議会といたしましても、『社会のための教育』から『教育のための社会』への転換に向けて、行政ともども、取り組んでいく所存でございます」と挨拶させていただいた。

 講演は”まあせんせい”の愛称で親しまれる菊地政隆先生の「親子のコミュニュケーション−子どもの心を育てるには」を楽しく拝聴させていただいた。

●9月5日(金)午前10時から、議会運営委員会など。

 今日の中日新聞は「愛知県議会による議員派遣制度では目的や場所を明らかにせず、毎年の5月の臨時議会で一年分の派遣費用を一括提案。この際、派遣場所は「国内」、期間は「5月から翌年5月まで」としており、議員名や派遣目的も示されないまま承認していることへの名古屋市民オンブズマンによる住民監査請求がなされた記事が掲載されている。
 今後の監査結果によらなければならないが、「そんな議会があったのか」と素朴に驚く。

●9月4日(木)市陸上競技協会から陸上競技場の整備について要望書の提出があり、来られた協会の理事長は、娘が短距離ランナーとして悪戦苦闘していたときの、高校時代の恩師であり、約15年ぶりの再会でもあった。東三河の中心都市としてのスポーツ施設のあり方には総合的な検討が必要である。

●9月3日(水)午前10時から一般質問通告。今回の通告者は20人となった。設楽ダム問題や集中豪雨や防災対策など、タイムリーな問題提起がなされている。また、11月の市長選に向け、その論点となる東三河地域の広域連携から合併問題についても取り上げられている。議論が楽しみである。

●9月2日(火)請願陳情の締切日。「旭小学校に公営の児童クラブを」という陳情に校区自治会長を初め、小学校PTA副会長、校区民生委員協議会会長とともに議長に提出。市長にも要望書を提出した。
 陳情後、副議長室で、児童クラブ開設に向けての様々な課題について意見交換した。

●9月1日(月)「防災の日」。市内明海町の会場での総合防災訓練に参加した。「東海地震が発生した」の想定で51機関から約1000人が参加した。倒れた家屋からの負傷者の救出や住民らによる初期消火訓練、集まってきたボランティアの受け入れなどがプログラムに従って行われた。

 夜、「福田首相、退陣表明」という突然のニュース。午後9時半から緊急記者会見し、「新しい布陣のもとで政策の実現を図らなければならないと考え、辞任することを決意した」と表明した。
 また、「日本経済や国民生活のことを考えた場合、今度の国会には、体制を整えて臨むべきだと考えた。国民の生活を第一に考えるのであれば、政治的な駆け引きや、空白があってはならず、新しい布陣のもとで政策の実現をはからなければならないと考え、辞任することを決意した」とも。

 野党は「自公政権が末期症状であることの証座だ」と一斉に攻撃する。これから、公明党への理不尽な批判はゲリラ豪雨のようになされるだろう。であるならば、再びの混迷政局の中で愚直に、真正面からこの混迷政局に立ち向かおうと強く強く決意する。


8月 月間レポートへ