★月間レポート★「ひであき」の動き 議会の動き

08年8月 酷暑!猛暑!
●8月31日(日)台風一過のような晴れ渡った8月最後の日曜日。街頭演説に徹した。
 「「今、わが国にとって何が大切か。原油高、物価高で苦しむ庶民の『生活支援』『生活防衛』が一番大事なことではないか。そして、倒産の危機に瀕している中小企業を融資の面を含めて守ることが一番大事なことではないのか。」と訴えた。この2.3日、公明党が推し進めた「定額減税」について「財源を無視した選挙目当てのバラマキ批判」に抗するために。

 夜、豊橋JCの皆さんが取り組んだ「日本一のキャンドルナイト」を見に行った。涼を求める多くの市民がこども未来館や松葉公園での幻想的な夜に、夏休み最後の日曜の夜を楽しんでいた。

 今朝の一般紙は「遠山清彦参院議員が衆院くら替え 草川昭三氏当選」の記事を掲げている。それによると、公明党は現参議院議員(比例区)の遠山清彦参院議員を辞職させ、次期衆院選の比例代表九州ブロックから擁立する方針を固めたと言うそれに伴い、昨年7月の参院選の公明党比例代表で次点だった愛知県在住の草川昭三前参院議員が繰り上げ当選することになる。
 矢野問題を初め、政界再編含みの流動的な政治状況の中で、わかりやすい明快な論陣、そして敵は幾万ありとても踏み込む侍―草川昭三副代表の待望久しい現役復帰を心から喜ぶ。

●8月30日(土)一日中、雨や雷。予定されていた中日と横浜のプロ野球二軍戦が中止になり、新聞情報など整理。

 夜、24時間テレビ〜「愛は地球を救う」〜のオープニングを飾ったのは「9歳で天国へ逝った友達へ 友情を誓った50通の手紙」。我が故郷−岐阜県養老町が舞台。亡くなった諭香ちゃんのご両親と共に励まし続けた中学生4人が出演していたが、その4人の中に姪―安田純華(すみか)が出演していて、テレビに見入った。
 聞けば「”嵐”に会える」と喜んでお母さんと共に上京し、今夜はテレビ局の計らいでホテルが用意されているとか。「諭香ちゃんがくれたプレゼント」で東京の夜を満喫しているのだろう。それにしても涙あふれる感動秘話だった。

●8月29日(金)午前10時からの議会運営員会、議運理事会、各派代表者会議など。

●8月28日(木)9月議会の議案説明や財政健全化法に基づく豊橋市財政についての報告など。

 午後から、夕方にかけてゲリラ豪雨で市内各所で浸水被害など。

●8月27日(水)再び上京。千代田区食糧会館の地下のような狭い会議室で行われた「地域科学研究会」主催の「議会改革:活性化と運営の改善方策」セミナーに出席した。
 北海道から沖縄まで全国各地から18人の議員が出席していたが上田市議会公明議員団や多摩市議会の公明の安藤邦彦副議長も参加しておられ、嬉しかった。
 短時間であったが「地方議会、地方議員とは何か」を改めて考える機会となった。

 夜、定例の党員会。市消防本部から来ていただいて「AEDの取り扱いについて」講習を受けた。参加した党員は楽しそうに、AEDの実機に一生懸命だった。

●8月26日(火)午後、JA豊橋で「豊橋の農業について」勉強会。白井組合長を中心に現状と課題について学ばせていただいた。

 夜、地元の旭校区で「市長を囲む地域懇談会」。校区内の一方通行の問題、公営児童クラブの問題、豊橋市の財政についてなどが、あらかじめ問題提起されていて、それぞれ担当部長が答え、市長が補足説明する形で会は進んだ。
 「市民病院跡地にオープンして1ヶ月の子ども未来館は中心市街地の活性化につながるのか」、「豊橋市の発展のためには企業誘致をもっと積極的になすべきでないのか」などの質問も番外でなされた。

 一通りの質問時間が終わって、地元の議員として発言の機会を得たので特に、今秋の市長選の大きなポイントとなるであろう東三河の合併問題について話した。「平成の大合併は何であったのか。新浜松市はどうなのか。新豊田市はどうだったのか。そして我が東三河は広域連携から、どのような形で収れんすべきなのか」持論を展開した。

●8月25日(月)午前10時の議会運営委員会をはさんで、前後に併せて5つの会合。昼に子ども未来館「ここにこ」へ視察に来られた広島市議会公明党の渡辺議員を表敬訪問。
 午後は海上保安庁第四管区海上保安本部一藁本部長初め、豊橋東部の産廃問題についての陳情や業務報告など4つの日程をこなし、さすがにぐったり。

●8月24日(日)「市民福祉の日」記念「豊橋市社会福祉大会」に来賓として出席。式典後、会場内外で障害者や福祉施設の皆さんによる元気一杯のバザーが行われていて、次から次へと呼び止められ、買い物することに。まあいいっか!頑張れ!障害者の皆さん!

●8月23日(土)夜、市内のホテルで「大沢初男議長就任祝賀会」。
 200人を越える参加者の盛会にビックリ。「議長・副議長になるのが目的でなく、議長・副議長として市民にどのように貢献したのかが問われる時代であり、就任祝賀会などは行わない」という我が党には確認事項があるが、これだけ幅広い支持者が集まった会合には感心させられた。

 出席した7人の議長支持会派を代表して副議長としてあいさつさせていただいた。
「酪農業を営む議長には、独特の農業の匂い、牛の匂いがありました。しかし、最近しなくなりました。経営を息子さんに任せられたということだと知りました。
 しかし、先日、議長の自宅にお邪魔した時に、牛小屋の中から汗びっしょりで働いておられた奥さんが挨拶に出てこられ、恐縮すると同時に大変に嬉しく思いました。豊橋市議会に土の匂い、牛の匂いが消えてはいけない。そんな思いも込めて、大沢議長を支えるという責任を果たせるように精進することをお誓いし、お祝いの言葉といたします」と。

●8月22日(金)前夜、最終のひかりで帰豊したが、さすがに今日一日は疲れてしまった。

 夕方から、豊橋小中学校校長会と「親善野球大会」。同点の緊張感の中で、最後は守備がほころび、接戦の末に6対4で惜敗。終わってからの懇親会で「教育」について、「議会」について大いに語り合うことができた。ビールがうまかった。

●8月21日(木)朝早くから上京。午前10時半から日野市で「環境基本計画とゴミ減量について」、午後から国分寺市で「議会改革について」視察させていただいた。さすが東京の地方政治は市民の政治力が強いのか、議員の資質が高いのか、地方政治は刺激的である。

 夕方、国会議員会館で太田代表と面談。出身地の議員を笑顔で迎えていただいたが、代表の「来年の都議選まで前のめりで戦うぞ」という気迫に圧倒された。

●8月20日(水)碧南市での「三河部議会議長会」。広域連携や議会改革について意見交換。豊橋への帰りに一色町役場に立ち寄った。かって新進党時代に共に戦った都築町長を表敬訪問。しかし、町長は職員採用面接中でお会いできなかったが、名刺を渡して帰路に。対応していただいた秘書課職員の明るい笑顔と一色ウナギのPRのための赤いTシャツが印象的。

●8月19日(火)22日の校長会戦にそなえ野球部の早朝練習。午後、議案説明など。

●8月18日(月)午前9時50分の大韓航空で息子が赴任地のタイ・バンコックへ旅立った。新天地でどのような青春を送るのか。無事であれ、健康であれ、そして、大いに成長し、羽ばたけと見送る。

●8月17日(日)いよいよ、08年のお盆が終わる。後半戦の決意を込めて炎天下での街頭演説に思いを込めた。

 「この秋、豊橋市にとって、いや東三河の将来にとって極めて重大な市長選挙が行われます。東三河市合併への道筋をつけるべくリーダーがどのような形で選出されるのかは大きな意味があります。それだけに予定される三人の候補者には正々堂々と東三河の将来についての政策論争が行われるように期待するものであります。

 また、衆議院の任期満了まであと一年を切りました。少子高齢化社会の中で、持続可能な医療、年金、介護制度を構築して、安全・安心な日本社会を構築できるのか。子どもたちの瞳輝く教育の再生、そして、日本の若者たちが将来に希望を見出せるような社会に再生できるのか。課題は山積です。

 公明党はどこまでも生活者の政治に徹し『生活与党』として、国民生活の基本となる『イ・ショク・ジュウ(医・職・住)』を守るため、全力で闘ってまいります」と。

 夜、市役所13階レストランで夏の夜景を見ながら地区委員会。

●8月16日(土)午後、議長とともに蒲郡市へ。東三河の正副議長が集まって盆休暇を利用しての懇談会。

●8月15日(金)故郷の養老へ。養老の山麓に眠る父や母の墓前に感謝の祈り。そして甥や姪たちが集まって賑やかな食事会が行われた。故郷の酒、故郷の漬物、そして故郷のご飯、それが最高のご馳走。

●8月14日(木)朝早くから初盆の家庭を訪問し、お参りさせていただいた。どこの家庭でも温かく迎えていただき、お世話になった方々に心からのご冥福を祈った。

 昼に終戦記念日を迎えての街頭演説をスーパーなど3ヶ所で。さすがに汗まみれの街頭演説だったが、流した汗以上に充実感があった。

●8月13日(水)盆前の「三八朝市」。仏花や盆用の果物などを買い求める人達に「ひでレポ」を配った。前夜、遅くまで作って、早朝に印刷したばかりの「ひでレポ」をほとんどの人が受け取ってくれた。「暑い中、頑張ってる姿に嬉しく思います」との言葉に励まされ、約2時間頑張った。

 午前10時からの葬儀・告別式に出席。ガンと闘い続けた故人にどれだけ支えていただいたろうか。今春に東京で働いていた長女の方が一時帰省されたときに、「職場を休職して、父の看護にあたります」という娘としての思いに感動して、訪問介護の手続きに地域包括支援センターなどを一緒に回ったが、そんな娘さんのけなげな姿に故人もさぞ嬉しかっただろう。喪主を務めた長女の毅然とした挨拶がまた感動的だった。「父は最期まで宿命と戦い、生き抜くことを私たち姉妹に教えてくれました」と。

●8月12日(火)前日、東京を往復した疲れがどっと。北京五輪で中学・高校時代を豊橋で過ごした女子柔道の谷本歩実選手が、見事な一本勝ちで2連覇を達成。現在はコマツ柔道部に所属しているだけに、コマツOBとしても我がことのように嬉しかった。

●8月11日(月)暗い内から東名高速を走り、東京中野区へ。海外赴任間近の息子のアパートの撤収のために。テレビなどの家電製品を処理業者に届けるのに、わずか10kmしか離れていないのに、環状8号線を往復一時間以上かけてトロトロ運んだ。何と東京は効率の悪いことか。
 結局、荷物がまとまったのは夕方。再び東名高速をひた走り豊橋に戻った。さすがにバテバテ。

●8月10日(日)蒸し暑い午前中、街頭演説に徹した。午前9時から昼過ぎまで12会場で訴えた。
 「公明党はどこまでも、国民の皆様とともに歩み続ける庶民の党であることを。公明党はどこまでも持続可能な社会保障制度の確立のために全力を尽くしていることを。そして、公明党はどこまでも、日本の改革を前進させ、新しい展望を開いていくことを。
 盆前の買出しでスーパーなどの出入りも多く、多くの人が車から手を振ってくれた。それでもさすがに、顔から腕まで真っ黒となり、喉がかれ、汗で全身ずぶ濡れ状態。

 夜は、校区の盆踊り大会の最終日。後片付けして帰ってきたら、テレビが北京オリンピックでのサッカーで、反町ジャパンの予選敗退を伝えていた。さすがに、がっくり。

●8月9日(土)世界の壁は厚い。いや、世界レベルの戦いを勝ち切るのは想像を絶するアスリートたちの人生の全てを賭けた究極の戦いがある。「ママでも金」をめざした谷亮子は銅、男女サッカーーも、バレーボールも初戦は黒星発進となりたちまち予選通過の崖っぷちに立たされている。その壁を打破しなければ、メダルは見えてこない。それでもアスリートたちは立ち向かう。何と輝かしきことか。

 夜、校区の納涼盆踊り大会。多くの人達が家族連れで涼を求め、つながりを求め、踊り、語る。校区の役員さんと話していたときに、オリンピックの話題になり「金と同じだから銅といい、金より良いから銀という」と素晴らしい言葉を教えていただいた。

●8月8日(金)三八朝市で「ひでレポ」配布。お盆前の買出しに買い物客は多かった。午前10時に豊橋岐阜県人会の皆様が、副議長室を表敬訪問してくださった。過日の岐阜県人会の反省や、今後の運営について和やかに懇談。楽しい時間を持った。

 夜、北京の空に五輪旗が翻った。開会式はフィールドに演舞で中国の歴史を再現し、京劇や武術など伝統文化を生かした演出で中国の復興を圧倒的に象徴する一糸乱れぬ演舞に驚嘆し、感動した。このエネルギーをどう束ねていくか。これこそが今後、中国が直面する最も重大な課題なのではないだろうか。

 忘れてならないのはこの国は自由のない国なのだということ。国内には極端な格差や人権問題など多くの難題を抱えている。ナショナリズムの独り歩きをどう防ぎ、建設的な方向に導いていくか。 13億人の隣国の多難さを思う。そのためにも、中国には金メダルの獲得数で覇を競う大会にだけはしてほしくないと切に思う。

●8月7日(木)昼に農業委員会の新役員の皆さんが挨拶に来訪。原油高や飼料高で苦境に陥っている豊橋農業の実態について意見交換。

●8月6日(水)原爆記念日。午前中は午後からの議会運営委員会のために協議が続く。午後、議運終了後、市内のホテルで「東三河5市市議会議員、事務局職員合同研修会」が開かれた。

 設楽町の加藤町長が「東三河地域の広域連携と設楽町の未来」と題し、建設同意間近となった設楽ダム問題について講演した。豊川流域連携の必要性を説き、早期解決に全力を尽くすことを強調し、下流地域の理解と協力を訴えた。
 講演の中で「設楽ダムの議論が始まった35年間で設楽町の人口は半減、高齢化率は倍増した・設楽ダムは設楽町にとっては必要のないダムであり、水不足がネックの下流域の皆様にとっては断じて必要な施設なのでしょう」との言葉は重みがあった。
 続いて「矢作川水系では豊田市、天竜川水系では浜松市が流域合併を成し遂げている。豊川水系はどうか」と投げかけ、東三河の広域連携、豊川流域合併の必要性を説いた。
 また、「設楽ダム対策基金でダム湖の機能を永続化させるよう、山林整備をしたり下水道整備を行う。設楽町の現在の財政力ではできず、協力してもらいたい」。その上で、「下流地域との信頼関係を保ちつつ、早期解決に全力を尽くすつもりだ」と結ばれた。淡々とした、かつ迫力ある講演だった。

●8月5日(火)昨夜は、視察メンバーとのホテル内での食事会の後、バタンキュウ。午前2時に起き、シャワーを浴びて福岡市議会の視察報告をまとめた。4時過ぎから、白々とあけてくる博多の町を歩いた。さすがというか、立ち並ぶビル群は九州の州都−博多である。

 午後。明石市へ。遠く明石大橋を臨む絶景の会議室で、明石市議会の活性化への取組みを学んだ。

●8月4日(月)議会運営委員会の視察で福岡市へ。議員提案条例など意欲的な福岡市議会の取組みを学んだ。

 ただ、福岡市の概要説明の中で、福岡市の公債費比率は24.1%という実態を知った。1980年代の地下鉄建設、アジア太平洋博覧会(89年)やユニバーシアード大会(95年)など大型イベントに伴う都市開発、バブル崩壊後は、景気対策のための公共事業に市債を発行してきた福岡市。三位一体改革に地方分権。自治体は自己責任が求められる時代に入っている。その緊張感が市議会に伝わって議会の活性化につながっているとするなら、学ぶべき点は多い。

●8月3日(日)設楽町の名倉中学校跡地で開催された「奥三河食彩フェスタしたら2008」に出かけた。具体化する設楽ダムの関連で交流も進んでおり、会場には豊川市からの議員も多数参加しており、設楽町議会の副議長や副町長との交流の場ともなった。多くの参加者が、奥三河の特産物や、体験コーナーやイベントに楽しんで、高原の夏の日を楽しんでいた。

 夜は、市内のホテルで恒例の豊橋岐阜県人会。近況を語り合ったりした会合の後、バイキング会場でマジックショーなどを楽しんだ。

●8月2日(土)暑い、というより蒸し暑い一日。夕方、あるテレビ局から電話あり。今秋の新番組で「ドクターヘリの活躍」を取り上げる企画が進んでいて、インターネットの私のホームページから「08論点 ドクターヘリは空飛ぶ救命室、されど」という情報が目に留まり連絡してきたとか。嬉しいかった。

●8月1日(金)午前10時から「市制施行日記念式典」。市制102年目のこの日、市勢功労者表彰や教育・体育・文化表彰があった。
 今秋の市長選への4選への立候補を表明している早川市長は「地方分権をさらに一歩進め、地方主権への時代へと踏み出すことが必要であり、未来を拓く道です。主役は市民を基本に、地域主権にふさわしい豊橋を市民と共に築いてまいりたい」とあいさつ。自信満々の意欲を感じた。
 アトラクションで豊岡中学の生徒たちがブラジル籍の友も交え、ポルトガル語も交え、明るく、ひたむきな青春群像を歌い上げた。若さは素晴らしい。

 午後、大阪の岸和田市から公明党議員4人を含む8人が豊橋競輪の包括委託について豊橋競輪場へ視察。静岡県伊東市から公明の佐藤議員(議長)が友好活動で立ち寄ってくださり、合間見えた。

●7月31日(木)宇都宮からの帰途、新幹線の車内に流れる文字ニュースから、いよいよ福田内閣が内閣改造に踏み切るという。
 しかしまた、マスコミの論調は厳しく、内閣の顔ぶれが変わっても、原油高騰や、持続可能な社会保障制度への道筋など抱える課題はあまりにも大きいし、それに答え得うるだけの内閣改造をやりきるリーダーシップが福田首相に期待できるだろうか。麻生氏が自民党幹事長に就任予定とか。自民党の衆院選へのぎりぎりの挙党体制なのだろう。

●7月30日(水)午前10時からの都市機能整備調査特別委員会を見届けてから、議会事務局長と栃木県宇都宮市へ。宇都宮市は人口50万人を超える栃木県の県都、その宇都宮市内のホテルで「全国競輪主催地議会議長会役員会」が開催され、議会を代表して参加した。

 全国47の競輪場の車券売上額は、平成3年度の1兆9,553 億円をピークに14年連続して減少している。平成19年度は8,401億円、対前年度比では97.6%と減少幅が緩やかになったものの、平成3年のピーク時と比べれば、半分以下であり、赤字団体が4団体、各自治体の一般会計に繰り入れている団体は28と、半分強である。
 また平成3年のピーク時に全場で1516億円の収益があり、そのうち日本自転車振興会への交付金は672億円であったのが、平成19年度は212億円の利益なのに日自振への交付金は248億円という現実。当然に、競輪施行者からは「赤字であっても、交付金を出さなければならないのはおかしい」という意見も出された。

 競輪の厳しい実態から、納めた交付金の1/3を限度に、H18年度から5年間の期限立法で翌年に還付されているが、抜本的な解決策にはなっていない。それよりも還付総額が84億円、5年間では400億円からの還付が行われるという日本自転車振興会のあり方も問われている。


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