★月間レポート★「ひであき」の動き 議会の動き

08年6月 市民に身近な市議会を
●6月30日(月)議長と共に東栄町、豊根村を訪問。東栄町では尾林議長が、豊根村では鈴木議長や熊谷村長が丁寧に対応して下さった。「過疎が進む中山間地で生き残っていくのは厳しい。豊橋市のリーダーシップに本当に期待している」と豊橋への期待は熱い。帰りに豊橋市神田ふれあいセンター(旧神田小校舎)にも立ち寄った。

●6月29日(日)一日中雨の日曜日。午後からは市役所講堂で校区社会教育委員大会に出席。市長についで、あいさつさせていただいた。「50年続いている豊橋まつりの造形パラダイス、100回の定期演奏会を重ねた豊橋交響楽団、青陵中生徒会と地域が育り守った青陵街道の夏みかんみかん並木・・。豊橋らしい、豊橋が誇りうる人文資源を更に発展させるために社会教育委員の皆様がご尽力いただきますようにお願いいたします」と。

 終わって、豊橋駅東口での「宮城・岩手地震の被災者救援募金活動」に参加。雨模様の中を行き来する市民から真心の浄財が寄せられた。

●6月28日(土)午前中は三八朝市で「ひでレポ」配布。今にも降り出しそうな空模様の中で11時過ぎまで頑張った。午後は情報や書類整理。

●6月27日(金)議員各派協議会、政策課題について市当局から説明あり。
 午後、父親の在宅医療のために、東京在住の娘さんが戻ってきたので病院で善後策協議。地域包括支援センターへいきケアマネも親身に相談に乗っていただいた。その上で「在宅医療」の厳しさと、介護保険制度の利用の仕方について様々に検討した。

 夜、ふと見たテレビで陸上・日本選手権での女子1万メートルの「女の戦い」には魅入った。日本記録保持者の渋井陽子が、ママさん選手の赤羽、マラソンから戻った福士との激戦を制した。特にラスト1周の駆け引き、最後の直線の残り50メートルで渋井が赤羽を逆転。見事な三人の戦いに堪能した。

●6月26日(木)午後から市役所OB会−千切会総会と懇親会に出席。退職されてからもお元気な元市職員の皆さんの元気な笑顔にお会いすることができた。

 夜は田原市の党員会へ。田原市民文化会館の会議室で、パワーポイントを使い、「混迷する政治−公明党の戦い」について話をさせていただいた。

●6月25日(水)夜、定例の福祉学習会。市消防本部から来ていただいて、「いざという時の救命救急講習会」。三角巾や雑誌を使っての止血法などに、参加者も喜んで取り組んでいた。やはり座学よりも、実際に体を動かすこうした学習会のほうがみんな生き生きしている。

●6月24日(火)ふるさと養老が連日の報道で脚光を浴びている。「飛騨牛偽装」による暗澹たる事件によってである。
 それ以上に慄然とせざるを得ないのは問題の食肉卸業者の社長が「従業員が勝手にやったこと」と主張し、従業員は「社長の指示があったからやったことで、従業員のせいにして逃げるな」と詰め寄っている光景である。

 ミートホープしかり、高級料亭「船場吉兆」しかり、「責任の偽装」に走る人間の愚かさに愕然とする。偽装などの不正それ自体より問題の根は深い気がする。

●6月23日(月)毎週月曜日の夜9時から放映される「CHANGE」。キムタクこと木村拓哉が演じる総理大臣が、初当選してすぐ一国のリーダーになってというストーリーははなはだ短絡過ぎるが、庶民の目線に立った政治を目指す、その信念と行動が妙に新鮮に響く。
 党利党略に明け暮れ、混迷する日本の政治に欠けているものは何なのか。キムタク首相の叫びはフィクションではない。

●6月22日(日)午後から豊橋交響楽団第100回記念定期演奏会に参加させていただいた。
 第一回が昭和40年6月というから実に43年かかって成し遂げられた偉業である。昭和37年、森下元康先生率いる羽田中学校リードオーケストラ部が、NHK全国学校音楽コンクールに初出場し、何と全国第一位の栄誉に輝いた。そのメンバーの卒業にあわせ市民オーケストラを設立。翌、昭和40年6月に第一回定期演奏会が行われたのが始まりであることも知った。
 同楽団の音楽監督であり、指揮者である森下先生の音楽にかける情熱や指導力、それに応えた楽団員、そして物心両面で楽団を支えてきた多くの市民の真心・・・。古希を過ぎてなおかくしゃくとして指揮をとる森下先生・・・。

 人間の営みは素晴らしい。

●6月21日(土)今朝の朝日新聞に故郷−養老のそれも隣の地区にある食肉卸小売業「丸明」の店頭で長年、肉質の要件を満たさない格下の牛肉がブランド「飛騨牛」として販売されてきたと大きく報じている。吉田社長は、中学を出てから一代で財を成したふるさと養老の立身出世の伝説の人というイメージがあったが・・。

●6月20日(金)前日から人事課が議長室へ業務報告に来ていたことであるが市は20日、酒気帯び運転で追突事故を起こした職員、及び国民健康保険税の滞納者を対象に発送した「催告書」の記載ミスをチェックできず、過少催告を行った職員の処分を行い、発令した。
 前者は最も重い懲戒免職処分。退職金もふいにした高い酒となった。後者は、催告業務をPRG開発SEとの委託連携のあり方に問題はないのか検証する必要があるのではないか。
 併せて両者の上司も管理監督の責任を問い処分した。

●6月19日(木)午後から6月市議会定例会最終日。ふるさと納税に対応した「市ふるさと基金」創設に向けた市条例の一部改正など34議案を原案通り可決。地球温暖化対策の推進などの意見書7件を採択し、閉会した。

 終了後、議長室で市長、副市長など市幹部と懇談。設楽ダム問題などの動向について意見交換した。

●6月18日(水)昨日、主要国の通信社代表と会見した福田首相は、消費税率の引き上げについて「5%でやってきたことで財政赤字を背負っているとも言える。決断しなければならない大事な時期だ」と述べ、引き上げは避けられないとの認識を示したことが、ニュースや新聞情報で流れているが、今や、政治に携わる人はこの問題から目をそむけてはいけないのでないかと思う。

●6月17日(火)夜、産学官交流サロン。豊橋技科大教授の三浦均也氏から「波浪による海底地盤の不安定化現象」、鹿島建設技術研究所内藤幸雄氏の「建物の振動を測り地震時の挙動・健全性を推定」の二つがスピーチされたが、難しくて、理解しがたい時間が延々と続いた。
 学者センセイ方が普通の市民に語るときは、小学生にいかに飽きさせずに話ができるかくらいの思いで、努力してくれなければと思う。学術発表の場ではないのだから。

●6月16日(月)午後から、議会に陳情があった牟呂中学校−校舎増築、前芝小・中学校−運動場拡張、津田小学校−校舎増築、通学路拡幅などの課題に議長と共に現場視察した。学校環境が恵まれない環境のなかでも、明日を担う子どもたちへの熱い思いを教育活動に向けている校長を初め多くの教育関係者の熱意が感じられ、清々しく思った。

●6月15日(日)岩手・宮城内陸地震で土石流に流され、土砂にまみれの温泉旅館「駒の湯温泉」では7人が行方不明になっていたが、夕方までに3人の方が遺体で発見された。
 その中に、金沢市在住の観光アドバイザー麦屋弥生さん、さいたま市の鉄道博物館の学芸員である岸由一郎さんがおられる。現地で廃線になった鉄道の保存や活用を検討する仕事で滞在していたという。麦屋さんの地域起こしへの熱い情熱を対談記事などで読ませていただいたことがあったので印象深い。また、岸さんには鉄道博物館でお会いしたことがあって、名刺を交換している。合掌。
 お二人を初め、多くの不明の皆さんのご冥福と、現場で身を粉にして奔走されている皆さんの無事を祈る。

 それにしても、大地の営みは美しい景観や温泉の恵みをもたらすが、時に牙を剥いて山ごと崩し、人の営みが瞬時にして押し流してしまう。人間は自然の猛威の前には無力なのか。

●6月14日(土)午前8時半過ぎ、東北地方を中心に広い範囲で、地域によっては震度6強の揺れを観測する大地震がおきた。ミャンマーの大型サイクロン、四川大地震と地球規模で大災害が続いていたが、今度は日本で、それも可能性が低いと思われてきた東北の、それも中山間地を震源とする内陸地震である。それだけに予想を超える被害が起きているのではないか。

●6月13日(金)午前10時からは環境経済委員会を傍聴、午後からは総務委員会を議長席で見守る。工事請負契約の質疑も行われたが、建設資材の高騰のバックデータをきちんと収集して議論の中身を濃くしてもらいたかったなあと感じた。

 夕方、行きつけの喫茶店へ。アトリエで写真展も行われていた。そこでいき合わせた方が「市会議員の伊藤さんだったねえ。時々、夕方の東田坂上の交差点で、一生懸命に街頭演説している姿をみて感心していますよ。選挙があろうとなかろうと、市民に熱く政治を語る、その姿勢が政治の原点だと思いますよ。暗い社会だから、政治に携わる人たちは市民に希望を持たせなければ・・・」と語りかけてくださった。
 嬉しかったし、副議長にさせていただいて一ヶ月、何かよそ行きの自分になって、ちぢこまっている自分を猛省。

●6月12日(木)午後からの福祉教育委員会。議長に替わって副議長席で委員会の進捗を見守った。市民病院における医療事故の賠償問題、公共施設の使用料を指定管理者の利用料に変える制度変更、中国残留邦人などの永住帰国後の自立支援に関する条例などについて、午後5時過ぎまで熱心な議論が続いた。

 事前に議案を真摯に精査し、学習し、議会に臨んでいる議員諸氏の姿勢が伺え嬉しかった。

●6月11日(水)一般質問三日目。音響設備は相変わらずで、自分が議長席に座ってしばらくすると、不具合がおこる。予備の設備で事なきを得ているが、私の不徳のいたす所か。いずれにしても三日間の一般質問本会議が無事に終わった。

 夜、座談会で後期高齢者医療制度について、説明する機会をいただいたので、一生懸命に、丁寧に取り組んだ。

 大詰めの国会、参議院では野党が3党が提出した首相問責決議が、戦後初めて可決された。このタイミングで福田首相の問責決議を提出し、可決した愚行には怒りを越えて、あきれるばかり。

●6月10日(火)予定どうり午後から議長席に座ったが、途中から音響設備に不具合を生じ、「暫時休憩」を取ったりして、思わぬハプニングがあったが、自分がバタバタしてはならじと、淡々と対応した。それよりも民放のテレビカメラが備えられ市長の今秋の市長選への態度表明を、じーっと待っていることの意味することのほうが大事だった。

 芳賀議員の質問に答えて、早川市長は「市民協働、広域連携を進めてきた政策の方向性、行政を取り巻く全体の流れ、国と地方の関係、市民党という自分のたち位置などから熟慮を重ねてきたが、基礎自治体としての豊橋はもっと力をつける必要がある。また二大政党の流れの中で市長選が行われるのは好ましくない。もっと多様な選択肢があっていい。
 この二つの課題に挑戦して、市民の支持が得られれば総仕上げの、最後の4年に取り組んでいきたい」と立候補宣言となった。
 「熟慮中である」と態度を曖昧にするのではないかという予測が大半の中で、真正面からの力強い、よどみない言葉が響き、場内は騒然となった。その議事の真ん中に自分がいたことは仕事冥利に尽きるというべきか。

●6月9日(月)今日から、6月市議会定例会が始まる。第一日は一般質問。午後から3時の休憩まで議長席に座って、議事を進行した。「万が一、居眠りして、あの壇上から転げ落ちたらどうしよう」などと考えたこともあったが、それどころか緊張感もあって、質問者や答弁者の言葉やそこに込められた意図がうかがい知れて充実した時間だった。

 秋葉原で7人もの尊い命を葬りさった男は25歳。小中学校時代は優秀で周囲からも期待されたという。青森県でも屈指の進学校に行ってから挫折を繰り返し、鬱積された社会への不満、そして敗北感、孤独感・・・。
 自分の青春の軌跡と重なって辛く、重い、残忍すぎる事件である。彼と自分が違うとすれば、その挫折のなかで創価という一条の光が、我が青春に希望という橋を架けてくれたことである。

 「誰かが掲示板の書き込みを見て、自分を止めてほしかった」。警察の取り調べに彼はそう語ったという。甘ったれるんじゃない。人は誰もが喜怒哀楽の中で、我が身を慰め、我が身を奮い立たせ、暗い道の向こうに希望を見い出し走っている。

●6月8日(日)梅雨の晴れ間の蒸し暑い一日。午前中は「三八朝市」で「ひでレポ」配布。午後、市民相談やご無沙汰している支援者などの訪問活動に徹した。

 東京・秋葉原でおこった通り魔事件。亡くなられた方は結局、7人。暗澹たる世相である。

●6月7日(土)夜、男子バレーボールチームが16年ぶりのオリンピック出場を決めた。一進一退のアルゼンチンとの試合、最後は日本チームのオリンピックへの執念の強さが押し切った感じ。久しぶりにアスリート達の涙の雄たけびに酔った。

●6月6日(金)午前中、議運やその前後の打ち合わせなど。

●6月5日(木)午前10時から議員勤続15年表彰と、全国市議会議長会評議員への感謝状の贈呈式。

 500人を超える官僚の「接待タクシー」問題が大きく報道されている。特にその甘い汁を吸った半数以上が、官僚の中でもエリート集団と目される財務省の職員であることは象徴的であり、暗澹たる思いである。
 しかし、何の見返りもなく、単なる長距離のお得意様だけで、日常的な接待がなされるであろうか。料金を水増しし、その一部をキックバックする形で接待がなされていたと考えるのが普通であろう。各省庁は徹底的に調査すべきだ。

●6月4日(水)午前10時から、9日からの6月議会一般質問の質問通告。今回は18人が登壇する。その後、総務部からの業務報告など。

 夜、党地区委員会。長寿医療制度の与党見直し案などを説明。

●6月3日(火)教育部などから事業報告や請願、陳情など。

●6月2日(月)朝10時からの議会運営委員会など、6月議会を前に打ち合わせが様々に。

●6月1日(日)市南部の万場調整池特設コースでは豊橋エコテクノレースが快晴の下、全国から集まったエコカーが日頃の研究の成果を披露し、タイムと周回を競った。二輪部門では、地元の豊橋JCチームが圧倒的な速さで2連覇して大会を盛り上げた。

 午後からは、夜に行われる「政治学習会」のために予習に徹した。その甲斐あってか、パワーポイントを使った説明に壮年の皆さんに喜んでいただいた。

●5月31日(土)富士市で行われた「市議会議員親睦野球大会」に早朝から参加。雨模様で開催が危ぶまれたが、主催した富士市議会が前日から「決行」の判断をした一念で、大会は無事に終えることができた。
 しかし、遠路参加した豊橋市議会チームは日頃の練習不足がたたって、一回戦では富士市に、三位決定戦では浜松市に完敗。キャッチボールに毛の生えた程度の練習ではとても通用しない親善大会であることを思い知らされた。それでも、富士の裾野の富士ハイツでの交流会は、和気あいあいで親交を深めることができた。


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