★月間レポート★「ひであき」の動き 議会の動き

08年5月 新緑の風のなかを
●5月31日(土)富士市で行われた「市議会議員親睦野球大会」に早朝から参加。雨模様で開催が危ぶまれたが、主催した富士市議会が前日から「決行」の判断をした一念で、大会は無事に終えることができた。
 しかし、遠路参加した豊橋市議会チームは日頃の練習不足がたたって、一回戦では富士市に、三位決定戦では浜松市に完敗。キャッチボールに毛の生えた程度の練習ではとても通用しない親善大会であることを思い知らされた。それでも、富士の裾野の富士ハイツでの交流会は、和気あいあいで親交を深めることができた。

●5月30日(金)午前9時30分から「平成20年度豊橋市水防訓練」が豊川畔で行われた。東京での全国市議会議長会へ出張のため、議長に替わって講評などを行った。
 天気が心配されたが、青空の下できびきびと且つ、最新鋭の機器を駆使しての人命救助、水防広報、排水活動など、訓練とはいえ滞りなく終えることができた。
 校区防災会など地域の皆さんも早朝から参加していただいたり、参加した議員もテントから出て、小学生と一緒になって土嚢作りに励むなど、共に汗をかくこともあって有意義であった。

 市役所に戻ってからは、6月議会の議案説明や来客応対など。

●5月29日(木)午前10時から「国道23号豊橋東バイパス等関連土地改良推進協議会」。午後から、八王子市から豊橋のPFIの取組みと、鹿児島市から子ども医療費などについて来豊された視察団が共に公明党議員で親しく、挨拶させていただいた。

 夜、支援者の会合で「長寿医療制度の改善について」説明。

●5月28日(水)議員野球部の早朝練習のはずが、用具が揃わず、練習が中途半端になった。監督として他人任せになっていなかったかと猛省。

 夜、消防団幹部懇親会と福祉学習会を掛け持ち。消防団の会合では来賓挨拶の中で「芦屋から三ノ宮まで歩いた経験から災害に向かう人間の強さ」を話すつもりだったが、通じたかどうか。福祉学習会では「急速度で進む少子高齢社会の中で高齢者の医療をどのように守るのか。その財源をどうするのか。このことが最も大切であり、そのために長寿医療制度がスタートした」ことを強調した。

●5月27日(火)昼に共同通信社内外調査会豊橋支部の会合に出席。ニッセイ基礎研究所経済調査部長の櫨(はじ)浩一氏。演題は「サブプライム問題と今後の日本経済」。午後は陳情や部局からの報告など。

●5月26日(月)6月定例議会に向かって議会運営委員会。

●5月25日(日)午後から豊橋駅東口で「四川大地震とミャンマー大型サイクロンの被災者救援緊急募金活動」を行った。さすがに身近なアジアでの大災害であっただけに市民の関心も高く、多くの真心の浄財が寄せられた。特に、中高生の若い人たちの率直な寄付活動が嬉しかった。青年党員が声を枯らして頑張ってくれた。

●5月24日(土)今でも降り出しそうな曇天を突き破るように、子どもたちの元気な声がこだまして、地元小学校の「こいのぼり運動会」。今年のテーマは「旭の子 MAXパワー」。大玉ころがしやスタンツ、騎馬戦や応援合戦に180名の児童は元気一杯。当初のプログラムを短縮したりして、昼過ぎまでに一切を終えた。陰で黙々と支えておられた先生や、PTA役員の皆さんのご苦労に感謝。

●5月23日(金)設楽町、浜松市、湖西市と議長とともにあいさつ回り。設楽ダムがいよいよ具体化に向かって動き出そうとしている中で、加藤設楽町長と短時間でも懇談できたのはよかった。特に豊橋市議会3月定例会での設楽ダム問題についての議論の内容について、一定の認識を持っていてくださって、話がスムーズだった。浜松市議会でも前日に議会人事が行われたばかりで、多忙な中で正副議長にお会いできた。

●5月22日(木)副議長に選出していただいて、あわただしく一週間が過ぎた。朝はなるべく9時頃までには市庁舎に出向き、議会に詰めるようにしている。生活リズムが一変し、慣れるのにもう少し、時間が必要。

●5月21日(水)後期高齢者医療制度の見直し論議が与野党ともに盛んに行われている。制度の課題や矛盾点を抱えながら現場を走る地方議員はもったところがない。
 今になって「制度がこんなことになっているとは知らなかった」などとの国会議員の発言には唖然とする。漂流するこの国の政治、その元凶は無責任な日和見の国会議員の理念と見識のなさに起因していないか!。

●5月20日(火)午後、小坂井町へあいさつ回りに伺い、蒲郡市へ。東三河五市議会議長会に出席。正副議長改選を終えた議会もあり、毎年、この時期に各市持ち回りで行われている。テーマは「インターネット利用の映像配信」や「市当局の質問者に対する反問権」など。

●5月19日(月)半田、一宮、瀬戸、豊田、岡崎市と議長とともに就任あいさつ回り。それぞれの市には、それぞれの歴史と背景があり、行き先々で学ぶことが多かった。

●5月18日(日)「三八朝市」で「ひでレポ」をいつもどうり配った。いつもはあいさつする程度だった人たちが、そばによって来ては、「伊藤さん、よかったな。地道に頑張ってきたから」と話しかけてくれる。その訥々さが嬉しい。

●5月17日(土)お世話になった支援者に副議長就任の報告に回った。こんなにも喜んでいただけるとは、思っていなかったので感無量。
 夜は「道路特定財源と後期高齢者医療制度」の勉強会。

●5月16日(金)午前10時より「豊橋市戦没者追悼式」。午前11時半より正副議長就任記者会見。「住民・市民の負託にこたえる住民代表としての議会のあり方が、もっと身近な存在になるために、何をやらねばならないのか。何ができるのか。議長を中心に、取り組んでいきたい」という思いを中心に臨んだ。

 夜は桜丘学園主催の「北京オリンピック出場選手壮行会」に出席。沢山の人たちが北京に賭ける谷本歩美(柔道)、加藤ゆか(水泳)両選手のオリンピック出場と、健闘を祝った。特にアテネオリンピックで金メダルに輝き、連続出場の柔道の谷本歩美選手はコマツ社員でもあり、親しみが持てた。「コマツOBも含め、みんな期待しています」とツーショット。
 また、4年前、金メダルを胸に学園に凱旋した谷本選手の勇姿に感動した、当時中学3年生だった加藤ゆか選手は頑張りぬいて、オリンピック切符を手にしたという。また、授業前も、授業後も何時間と泳ぎ続けた加藤選手は、それでも授業中は居眠りしたことはなかったという。両アスリートたちのさわやかな笑顔がいつまでも会場を圧倒した。

●5月15日(木)5月度臨時議会の長い一日が終わった。そして、私がごとき人間を、我が公明党議員団を初め、多くの議員諸氏のお力で、副議長に選出していただいた。「地方の格差が様々に取りざたされていますが、問われているのは地域力であり、それはそのまま、その地域の議会力が、待ったなしで問われています。大沢新議長を補佐し、闊達な議会をめざし、頑張らせていただきます。本日は誠にありがとうございました」。議場で挨拶させていただいた。

●5月14日(水)臨時会を明日に備え、議案のレクチャーなど、あわただしい。

●5月13日(火)午後からは、市公会堂で「三遠南信トップ対談」。浜松市、飯田市、そして豊橋市の各市長、商工会議所会頭が勢ぞろいし、三遠南信地域連携ビジョンの内容について所感を述べ、実現への推進体制や課題についてパネルデスカッションが行われた。
 毎回、こうした企画に参加して思うのだが、事前に話し合うポイントもコーディネイトされていて、物足らない感が残る。もっと丁々発止と本音の討論はできないものか。

 夜は、産学官交流サロン。DVDで愛知大学の歴史が上映されたが、ほとんど知らなかった愛大の歴史は新鮮な感動だった。

●5月12日(月)議員団集まり、臨時議会に臨む対応を協議。

●5月11日(日)午前中は、しとしとと五月雨。その中で朝9時からは地域消防団の小型ポンプ操法大会、ぬかるむ広場で、日頃の練習の成果と分団の誇りにかけて懸命な競技が続いた。
 10時からは地域の三町内合同での防災訓練が小学校の体育館で。消防署からグラッド号もやってきて震度6を体験したり、三角巾での応急救護などみんな一生懸命。
 特に担当してくれた消防署員の参加者に飽きさせない工夫と努力は見事なもの。行政施策もこのように市民に説明する職員が増えたら、市政のハードルが低く、親しみやすくなって市民参画が図れるのではないかと思った。

 午後、美術博物館での市民ギャラリー鑑賞。書展や絵画展、陶芸展。どれも趣味の域を超えて見事な作品に感服。夕方は街頭演説3ヶ所で。

●5月10日(土)雨模様の一日。午前10時から名古屋で「議員総会」。特に後期高齢者医療制度についての学習会で、伊藤渉衆議院議員が「新しい保険料が、今までの国保保険料よりも高くなったのか、安くなったのか」実態を調査し、厚い官僚の壁を打ち破っていきたいと強調していたが、膨らむ高齢者医療費対策のための制度であることは、明白なのに、保険料に主眼を置いて制度を見直すことを考えているとするなら、それは本質論からはずれることを危惧する。

 帰りに、名古屋市内で、かって豊橋で働いておられて企業を退職された支援者と再会。同じ団地の方々とともに、リタイアされた方々が意欲的に地域の諸課題にボランティアで取り組まれようとされている心意気に、話が弾んだ。皆で食べたそばと生ビールがうまかった。

●5月9日(金)中国の最高指導者として10年ぶりに日本を訪問している胡錦濤主席が昨日、早稲田大で講演した内容が今日の中日新聞に掲載されている。その中で特に印象に残るのは「日本の対中円借款が中国の近代化に積極的な役割を果たした。日本各界は様々な形で中国を支援してくれた。このことを中国国民は永遠に銘記している」との部分である。

 日本は中国に対して1979年度から2006年度末迄で総額約3兆2700億円を限度とする円借款を融資してきて、中国はそれを国内のインフラ整備などに利用し、日本政府に対して元本並びに利子を毎年滞りなく返済してきて、今年の北京オリンピック前にこの円借款を円満に終了させる段階にまで来ている。
 中国の国家主席がここまで踏み込んで円借款の謝意を表した点で日中関係の新たな段階に入った感がするのは私だけであろうか。胡主席は、日中関係について、一方だけが勝者になる「ゼロ・サム」ではなく、双方に利益となる「ウィン・ウィン」の関係を構築すべきだとの言葉に象徴されている。

●5月8日(木)「ひでレポ」を1300枚増刷。新たに「ガソリン狂騒を生活者政治への転換点に」との文章を悪戦苦闘して推敲していたが、結局、納得いく論調に仕上げることができなかったので、今までの文章の加筆修正で2版として印刷した。

●5月7日(水)GW明けの爽やかな新緑と初夏の陽射し。自転車で市役所へ。通いなれた道でも、自転車の視点から見る我がまちは、また違った発見があって、おもしろい。
 議員団集まって、議会役員を検討するが、具体案が最大会派から示されておらず、保留。

●5月6日(火)晴れ渡ったGW最終日。朝早くから「ひでレポ」配布を昼過ぎまで。午後は息子が帰京するのを見送ってから、街頭演説を7ヶ所で、夜は市民相談に。

 4/29日から8日間のGW期間中に「ひでレポ」は1500軒に、街頭演説は13回、読んだ本は「永遠の球児たち(竹書房)、「限界自治-夕張検証(梧桐書院)」の2冊。友人から薦められた「熟年革命」は売り切れていて手に入らず。

●5月5日(月)雨模様の一日。予定を変更して、午前中は新聞情報整理などに費やし、午後は「中日×阪神」をテレビ観戦のつもりが、初回に中田がめった打ちにあい、テレビ観戦をやめて、ご無沙汰している支援者周りに切り替えた。
 一軒一軒訪問する中で、様々な事を教えていただいた。やはり自分には、議員活動と議会活動が一番の充実した時間であることを思い知らされた。立ち寄ったご家庭で、今まで届けていただいた「ひであきレポート」はこんなにあるのよと分厚いバインダーを見せられた。嬉しかった。こういう人たちのためにも、頑張り続けなければと思う

 夜は、昼間に家族が採ってきたアサリや、昨日の山菜で息子とビールを飲み交わし、親子対談。

●5月4日(日)休息日。久しぶりに揃った息子や娘も加わって、信州・阿南町の日帰り温泉「かじかの湯」でボヤーっと。途中、下條村の道路で「わらび」が沢山、「たらの芽」が少々採れた。

 それにしても、豊田市郊外で高1女子が下校途中に殺されたむごい事件。看護士のお母さんを尊敬し、サッカー部のマネージャーとしてけなげに頑張っていた15の春を踏みにじんだ事件に暗澹たる思いに駆られる。現場は水田が広がり、街灯はなく夜は暗いという。周辺では先月から不審者が出る騒ぎなどが続いていたという。情報共有とそれに対する対策がなぜなされなかったのだろうか。

●5月3日(土)憲法記念日。三八朝市で「ひであき三八レポート」を200枚、用意して、8時過ぎから10時半まで。
 当初、「ひでレポ」を配布する予定であったが、朝市に来る人の多くは高齢者であり、後期高齢者医療制度をわかりやすく説明した内容のほうが読んでもらえるだろうと、急きょ用意したが、決断が遅れた分、段取りに手間取った。GWということもあって、緊張感がにぶっている。猛省。
 それでもお年寄りたちが、手を差し伸べて「私にも下さい」と楽しみに受け取っていってくれた。「テレビのゆうことも分かりにくい。年寄りに解るように説明してくれないと」と、顔なじみのおばあさん。途中、朝市にやってきた市職員とばったり。チラシを見て、「私たちが市民に向かってやることかもしれませんね」。

 午前中に憲法記念日記念街頭演説を3ヶ所で、午後からは、「ひでレポ」配布を黙々と。

●5月2日(金)午前中はお世話になった方の葬儀告別式。大企業の役員として職責を全うしながら、一学会員として生涯を全うされた尊き生涯に合掌。いつも見守っていただき、励ましていただいた、穏やかなまなざしが忘れられない。

 午後、「ひでレポ」をもって訪問活動。

●5月1日(木)暫定税率が再可決され、ガソリンスタンドでは一斉に150円/g以上に値上げになった。再可決は憲法が認めている。暫定税率が復活しないと歳入欠陥となり、地方自治体が困る。民主党はいたずらに審議を引き延ばし・・・、言い分は一杯あるだろう。しかし、自公与党に安堵感はあっても、勝利感はないだろうことは、再議決した直後の冴えない表情からうかがい知れた。


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