★月間レポート★「ひであき」の動き 議会の動き

08年2月 春は必ずやってくる!
●2月29日(金)東京へ。東京ビッグサイトで行われている「PV EXPO 2008」(第一回世界国際太陽電池展)と「健康博覧会2008」に参加。
 最新鋭の太陽電池業界、水素、燃料電池業界の最新テクノロジーに圧倒された。同時に出展社による製品・技術セミナーやフォーラムも行われており、とても一日では回りきれないボリュウムであり、来展者も多数でごった返していた。環境・省エネ・新エネの時代のトレンドがこの中に凝縮されていた。

●2月28日(木)午前中、財務部、環境部。午後は建設部、消防本部、教育部・・終日、勉強会。
 夕方から名古屋へ。所用が済んでから名古屋駅近くで昨春引退した同僚議員と一献傾けた。引退といっても、さまざまな事情が交錯し、引退させられた側面もあり、言い分を全部黙って聞いて上げた、それだけ。それだけで良かったはず。

●2月27日(水)午後から、「上下水道局・産業部・都市計画部」の予算案学習。夜は定例の福祉学習会。
 今回は「最近の食品事件を振り返って」と題して、豊橋市保健所生活衛生課食品安全グループの薬剤師−伊藤香江(よしえ)さん、同生活衛生課長の墨岡 成治さんに来ていただいて、歯切れ良く中身のある会ができた。出席者も寒い中47名に集まっていただいた。感謝。

 来て頂いた墨岡課長さん曰く、「伊藤さん、去年の夏はあの坂上の交差点で毎日のように公明党の旗を立てて、街頭演説しておられましたのに、毎朝、お目にかかれなくなり残念です」と、同じようなことを昼間に市役所で言われた。「伊藤議員さん、最近、朝市へ行っても名物の「ひでレポ」の旗が立っていませんね」と・・・・・。
 ショックである。「腹くくって3月から毎日やるか」という思いと、「週末中心にスーパーや団地でやってるんやから無理せんでも・・」という気持ちが交錯する。

●2月26日(火)地元紙「東愛知新聞社創刊50周年記念式典」に参加。500人を超える参加者でごった返していた。祝い事につきものの「鏡割り」のときに、各界の代表者が勢ぞろいしたが、東三河市町村議会を代表して豊橋市議会議長が登壇してもよかったのではないか。その程度にしか扱われないのか、存在感がないのか。

●2月25日(月)午後から新年度予算勉強会。夜は連絡協議会と3.27「環境展」の来賓打ち合わせ会。

●2月24日(日)朝から、故郷、養老へ。4年ぶりの中学校の同窓会。350人の同窓生のうち約70人が「養老温泉ゆせんの里」に集った。驚いたのは亡くなられた方が1割以上という現実。全員で黙祷をささげ、ご冥福を祈った。
 同窓会はカラオケやビンゴゲーム、最後は「高校三年生」の替え歌で「還暦二年生」の大合唱でおひらき。

 養老の山々はうっすらと雪をかぶり、真っ白い伊吹山がくっきり。冷たい風が吹き抜ける中で、旬のヨモギ餅がおいしかった。

●2月23日(土)「『道路』こそが自民党政治の象徴であり、統合の源泉である。『道路』こそが健全な政治をゆがめ、利権の温床となってきた。道路利権を守るためならば、政府にとって、国民との約束をほごにすることなど朝飯前だ。そして、今国会でも、同じことが繰り返されようとしている−」で始まる朝日新聞の土曜特集の中の「読み解く」ボックス記事。

 「02年、当時の小泉首相は、道路公団民営化推進委員会を設置し、新規の高速道路建設の『凍結』を目指した。だが、民営化委員会が出した結論は9342`に限って建設を認めるものだった。確かに後退ではあったが、『4全総』当時の1万4千`からすれば歯止めだった。ところが、昨年末の国幹会議ではいつの間にか『1万4千`の亡霊』が復活。道路族は勝手に歯止めを外し、委員会の答申をほごにしたのだ・・・・・」

 わが公明党は、小泉政権でも、さらに踏み込んだ道路改革を目指した安部政権でも、これらを事実上撤回した福田政権でも政権与党として、政権に参画している。
 こうした、あいまいさを国民に印象付けている感はぬぐえない。公明党の政党支持率は最近、3%から2.5%とジリ貧である。

●2月22日(金)発表になった来年度予算案から公共工事関係を抜書きした概要版を作成し、出入りさせていただいている企業に届けた。「来年度の経営計画立案に大いに参加にしていただく」と喜んでいただいた。

 午後、サイエンスコアの「産業活性化フォーラム」に出席。シンポジュウム会場は閑散としていて盛り上がりに欠けたが、会場前の企業PR展は熱気に満ちていた。各企業が盛んに自己主張し、売り込みのきっかけを見出そうと真剣そのもの。

●2月21日(木)午後、ホテル日航豊橋で「2008都市エリアフォーラムin豊橋」に参加。
 H14に産学官連携の実績が評価され文部科学省所管の「都市エリア産学官連携促進事業」に取り組んで、豊橋技術科学大学などの情報通信技術を活用し、地域企業などと共同で製品開発や事業化をめざしてきた6年間の総括のイベント。国から足かけ6年間に投資された金額は1億円ずつ3年間と、2億円ずつ3年間の計9億円、莫大なものがある。
 特にスマートセンシングシステムの開発と応用を産業支援と、ITと農業の融合を目指す具体例が次々と紹介された。

 夜は5年前の市議選で事務長をしていただいた先輩の通夜。黙々と走りぬかれた35年間の活動に敬意を表し、多くの後輩が集まり、ご冥福を祈った。合掌。

●2月20日(水)新年度予算案が発表になった。一般会計1,131億7千万円、特別会計、企業会計、併せて2,327億円余の過去最高の予算規模となった。
 税源委譲で個人市民税は2.2%増、ところが法人市民税は3.8%減、これらのやりくりを財政調整基金を繰り入れを40%増やし、市債も17.6%増やしやりくりしている。地域療育センターのための土地購入や、西部地域福祉センターの整備などのハード事業のために、やりくりが迫られた結果、予算が大きくなってきた。

 その一方で、「将来を担う子どもたちへの施策」として医療費助成の拡大や妊婦検診助成回数の拡大、保育料の保護者負担の軽減の拡大、放課後子ども教室の開設など我々市議団が予算要望してきた取組みが具体化されていた。
 また、「地球温暖化対策地域推進計画」や「中心市街地活性化基本計画」の策定などいよいよ具体的な取組みも始まる。

 市長は、「未来に安心・いきいき協働型予算」とした。審議はこれからである。

●2月19日(火)3月27日から行われる「環境展」の来賓ご案内のため、終日、訪問活動。23件を回りきると夕方になっていた。多くの皆様に「21世紀環境展」の意義を話し、対談できた。それだけに疲れがどっと。

夜、産学官交流サロン。「地方の時代における国立大学−技科大の6年を振り返って-」としてこの3月で退任予定の西永豊橋技術科学大学学長の記念講演。

●2月18日(月)午後から議員団会議。いよいよ20日には新年度予算概要が発表になり、各款別の勉強会が始まり、3月議会に入っていく。

●2月17日(日)行きつけのガソリンスタンドで給油に幾たびにいただいてくる日経新聞。朝夕刊で月4383円の節約である。
 一気に読み、必要記事を切り抜き、それを項目別に袋に入れる作業。この作業をしておかないといざというとき使えない。

 昼過ぎから、小雪舞うなか街頭演説。さすがに聞く人もなく、3ヶ所でやめた。「無理しなくても」という気持ちと「甘えるな」という気持ちが交錯する。

●2月16日(土)石原元豊橋市教育長の奥様が亡くなられ、葬儀に出席。教育関係者や教え子、近隣の方々が多数出席し、しめやかに行われた。「ひであきレポート」を配りに行くと、「さあ上がりなさい。第一線を退くと刺激ある話を求めないと」と、様々に逆にご指導いただいた。いつも奥様がおいしいお茶を入れてくださった。

 喪主あいさつのなかで石原先生がこのように話された。「妻は、3年前に自転車で転び、その時、強打した胸の痛みが止まらないので、精密検査の結果、「乳ガン」であることがわかりました。妻は学生時代はバスケットボールの選手で、健康そのものでございましたが、まさか、そこまでガンに侵されているとは思ってもいませんでした。
 それでも市民病院の皆様の献身的な治療で、乳房はとりましたが、手術にも成功し、抗癌剤治療に入りました。一時、回復したかに思いましたが、再び再発し、食べれなくなり、やせてしまって、旅立ちました。
 30代、40代の女性の皆様、どうぞ、早期予防のための健診に出向かれまして、健康で長生きしてください。国のほうでもガン対策が大いに進んでいるということでございます。妻のように75歳を過ぎてからでも乳がんに侵されるという事実を知っていただいて、早期発見・早期治療に努められますように・・」と。教育者ならではの淡々とした挨拶だった。

●2月15日(金)午前10時からは環境経済委員会、午後からは「都市機能整備調査特別委員会」。
 特に「三河湾浄化について」は「かって、県環境部のコンピュータを使ったシュミレーションで湾口部の中山水道から、豊川の河口に向けて、みお筋を作った場合、豊川の河口付近では流水量が約50%、中山水道付近では30%増加し、CODが最大1.0mg改善されるというみお筋工法が有力視されたことがあった。
 一方で、最近、三河湾港湾計画検討委員会はアサリへの影響はほとんどないとして、神野西埠頭の西側を埋める神野沖島案に合意した。
 こうした動きはみお筋による海水流動促進による三河湾浄化という課題との整合性はどうなのか伺いたい」と質疑した。
 抽象的な答弁しか返ってこなかったが、設楽ダム問題も含めて「環境も、開発も」という公明の視点できちんと論議しなければと思う。

 結局、一日で二つの委員会の質疑の準備に、今朝方3時半までかかった。「質問されずに、ドーンと座っておられれば、大物になられたと思っていますのに・・」と市幹部はいう。いつまでも青臭いことをやってる自分、本当に青臭いことなのか。

●2月14日(木)連日、3月議会を前にして打ち合わせや委員会が続き、課題の「ひでレポ」配布が中断したまま。何よりも寒波の襲来を理由にして、あいまいになっていることを猛省。今朝は6時から配布に歩いたが、さすがにガンガンに冷えて、悪戦苦闘。

 午前中は日進市で「ごみ行政のあり方」について情報収集。市民活動が盛んな地域だけに、市民の要求も多様で多角度から学べた。午後は清洲市で合併問題について情報交換。

●2月13日(木)午前10時から福祉教育委員会。「豊橋市放課後子どもプラン」、「豊橋市南地域図書館整備に関する基本的な考え方」について。午後からは住民監査請求問題調査特別委員会。

 夕方、救急医療でアンケート調査に協力いただいた第二次救急病院に総括的アンケート結果を持参し、様々な意見交換。

 夜、急に身内がなくなって相続問題に悩む支援者を弁護士事務所に案内。一緒に聞きながら具体的な事例で法律的な知識が深まった。

●2月12日(水)午前10時から市議団会議。午後からは総務委員会。「人材育成基本方針」や「安全で安心なまちづくり行動計画」が審議された。

 今日から行きつけの茶房「まぁー」で主婦たちが「つるし雛」を展示し、ひな祭り。趣味を生かして、古布を生き返させた主婦たちの熱心さ、そしてかもしだされる日本文化のよさを改めて感心した。

●2月11日(月)さすがに2日間、遠路を動いたからか、歳のせいか体が重い。

 昼に食事をともにしながら、議員仲間と政策論議。これからの産業振興、これからの豊橋、そしてこれからの東三河。話は尽きなかった。

 帰り際に、電車通りを通ったら大変な人だかり、青鬼が走っていた。三河路に春の訪れを告げる奇祭「鬼まつり」である。青鬼がタンキリあめをまくと、白い粉が巻き上がり、青鬼はかま姿の若衆を従えて町内を駆け回っていた。

●2月10日(日)かねてから、写真を趣味とする仲間と連れ立って「冬の木曽路」の撮影に行こうと約束していたが、雪で車では危険ということで、「青空フリー切符」で長野県奈良井宿まで向かった。
 途中、中津川あたりから前夜来の雪が朝の光の中で生えていた。奈良井に着いたのは昼、少し前。結局、両側に並ぶ町並みを撮影しながら、約1時間。あとは手打ちそばに舌鼓。午後2時18分の木曾福島行きに乗って帰路に着いた。なにせ名古屋に向かう列車は昼間は2時間に一本。

 帰路の車中で、向かいに座った80歳のおじさん。朝早くから松本城の撮影にデジカメもって行って来たというかくしゃくとしたこの方。こちらが地方議員であることは最後まで名乗らなかったが「今の政治は、もっと知恵を出し、もっと行動して、この国をなんとかしないかん」と訥々と政治の貧困を話された。納得である。帰り際に握手して別れた。
 豊橋から2500円の青空切符で、実り多い一日だった。

●2月9日(土)所要で滋賀県長浜市まで。帰る頃には長浜の町は真っ白。雪景色を見ながらビール飲んで、快速電車を乗り継いで帰ろうとしたのが、間違いの元。
 名古屋駅で東海道線は動かず、大混乱。いつまで止まっているのか、なぜ動かないのか。情報はほとんど伝わってこない。結局、新幹線に乗って豊橋に戻ったのは午後7時過ぎ。長浜を出てから5時間かかった。

 地震のときの主要駅での滞留者、帰宅困難者をどうするかという課題がある。防災訓練などで、これらの人たちを混乱なく誘導することが考えられているが、雪でマヒしただけで名古屋駅の大混乱を目の当たりにして、これは容易でないことと実感。

●2月8日(金)一日、冷たい風が吹きぬけ、再び、週末にかけて寒波襲来。「公明新聞」の整理などに時間を費やした。

 夕方、県医師会幹部の病院を訪問し、昨日の「救急医療」に関する国会質疑の模様を公明新聞から抜粋し、報告しながら、東三河の地域医療やドクターヘリの課題についてレクチャーをいただいた。中身のある30分だった。

●2月7日(木)国会の予算委員会での斉藤政調会長や赤羽議員の質問で、昨年12月に行った「過疎集落実態意識調査」や「救急医療体制整備に関する実態調査」の結果を紹介し説得力ある質問が続いた。

●2月6日(水)午後、商工会議所で第8回「朝倉川530大会」の実行委員会。夜は党地区委員会。

●2月5日(火)長野で起きた愛知大学生のスキー授業で雪崩にあい、女子学生二人が亡くなった事故。亡くなられた一人がこの近くに住んでおられた方で、昼間は新聞記者が同級生の声を求めて、走り回っていた。「立ち入り禁止地域」での事故だけに、大学側の責任は重大。二十歳の春を迎えたばかりで亡くなられたお二人のご冥福を祈る。合掌。

 午後、豊橋市へ視察に訪れた岡山県の公明議員と懇談。みんな頑張っている。

●2月4日(月)国会では道路特定財源、社会保障など緊迫した論戦。社会では中国からの輸入食品で大混乱。そこへ寒波襲来で雪が都市機能をマヒさせ、まさに二八の2月。

●2月3日(日)東京・関東は雪。公明議員が雪をバックに街頭演説している写真を携帯メールで送ってくれた。それを刺激に、小雨降る中で街頭演説。さすがに体ががんがんに冷えてしまった。

 午後、義父の13回忌のために集まる身内の宿泊先の下調べに館山寺温泉へ。インターネットで情報集め候補地を絞り込んで出掛けた。実際に折衝してみると、その営業窓口の対応は様々。結局、熱心に誠意ある対応をしていただいた旅館に決めた。

 夜、視察のまとめで明け方3時までかかった。

●2月2日(土)宮沢、沢田両豊橋市議と、新城市議会の鈴木議員と設楽町へ。過日の「ドクターヘリ3歳の男の子を救う」の現場調査が目的。
 新城消防本部設楽分署、津具分駐所と回り、消防隊員の当時の動きや救急対応についてお話を伺った。ドクターヘリは夜間は飛べないこと、過疎高齢が進む深刻な消防・救急活動の課題など改めて認識。
 また事務所の中では電話工事が行われていて、4月から緊急救急電話は広域連携で豊橋市消防本部が一括して受信し、東三河一体の情報を集約するための電話工事だという。豊橋の市会議員でありながら「そういえば、そういう事を予定していることを聞いたなあ」程度の認識であったことが恥ずかしかった。

 そして、津具分註所の近くの3才の子どもが用水に落ちた現場へ。高台の集落の奥の山際にその用水はあった。周りを見渡しても人気もなく、あの時、子どもを用水から救い出したお父さんの狼狽振りはどうだったのだろうと思うと凛とした緊張感に包まれた。

 一口で現場主義というが、やはり現場へ来てよかった。

●2月1日(金)東京での「地方分権フォーラム」、2ヶ所の視察などでさすがに疲れがどっと。たまっていた市民相談や、事務処理など多忙な一日。


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