★月間レポート★「ひであき」の動き 議会の動き

07年12月 拡大に向けて、走る!
●12月31日(月)風は冷たいが、もっと悪天候になると覚悟していたが、陽射しもあって、昼間は「ひでレポ」配布に徹して、精力的に回った。日頃、ご無沙汰している地域の人達に、顔を合わせることができ、嬉しい時間帯であった。
 途中、自治会長が通りかかって、「伊藤さん、コーヒーでも飲んで一服しようよ」と車から呼びかけてくれた。しばし、政治談議のコーヒータイム。そして、また夕方、5時まで、足が冷えて棒のようになってきたが、頑張った。

 そして、今、午後9時を過ぎた。これから、恒例の「年越し配布」にでかける。「やめときんよ、そんなにしてまで配らんでも」と妻や、息子はいう。「配るために配るんではなくて、己が原点を見詰めるために配るんや」と答えるんだが、解っているのかどうか。とまれ、凍てつく豊橋の街へ配りに出ることにします。除夜の鐘が鳴り終わったら、戻ってきます。

 この一年間、このホームページに約4万人の方にアクセスしていただいたことになります。多くの皆様に励まされ、支えられ、この一年、ありがとうございました。

 みなさん、良いお年を!!

●12月30日(日)年末を寒波が日本列島を覆ってきた。
 今日は未明から「三河一色さかな村」へ、正月用食料の買出しに。現地に着いたのが朝6時半なのに、対向車線は、買い物帰りの車で大渋滞。刺身や魚を求めて、魚市場は活気に満ちていた。

 もどってから、一休みして、夕方、6時まで黙々と地元地域を「ひでレポ」配りに徹した。多くの人達と交わした対話は「来年が良い年になるように、議員さん、頑張ってや」という思いが一杯、込められていた。みんな、政治のリーダーシップを渇望している。頑張らねば、せめて地方議会で。

 夜、東京から息子が帰ってきた。来春は、海外赴任になるとか。

●12月29日(土)午前中は、雨模様。午後から、予定していた私用で名古屋へ行く予定が取りやめとなり、「ひでレポ」を小脇に、地元を一軒一軒挨拶しながら回った。今年は選挙の連続で、地元の人達に一方ならぬお世話になった感謝の思いを込めて。

 ふるさと養老から、モチとフナ味噌が送られてきた。これさえあれば、最高の正月。

●12月28日(金)今年最後の三八朝市。今年一番の買い物客で賑わった。議員にさせていただいた20年前からこの朝市で「ひでレポ」を配り続けてきた。
 それは、「政治とは情熱と判断力の二つを酷使しながら、堅い板に力を込めてじわっじわっと、穴をくり抜いていく作業である」(マックスウェーバー「職業としての政治」より )の具体的実践活動の何ものでもなかった。私の政治活動の現場そのものであった。

 年末の、たわいもないバラエティ番組の中で、野球にアイスフギャーに賭けたアスリートたちの言葉は、説得力がある重みで迫ってくる。たった一球に、たった一振りに、たかだか4分間の演技に体を張った真実の響きである。

●12月27日(木)年末年始用の「ひでレポ」印刷。

●12月26日(水)午前中、東三河免許センターで、免許証更新。毎年のように道路交通法が改正されていて、改めて勉強する機会を得たが、こうした再教育はもっともっと時間をかけて行うべきではないか。
 交通事故の死者数で全国ワースト1を走る愛知県。亡くなられた方の4割は65歳以上の高齢者という実態。その対策といっても、結局は運転手の安全運転にかかっているのだから。

 それにしても、今度こそ免許更新に視力検査でひっかかるぞと覚悟していたが、何とかパス。夕方は、歯医者で入れ歯の調整。目も歯も・・・。

●12月25日(火)24日に東京でおきたサッカーチームのマイクロバスから小5の男児が転落し、後ろから来たトラックにはねられ死亡した事故。チームのコーチをしていたバスの運転手が逮捕されたが、監督にしてもコーチにしてもボランティアなのであろうが、後始末をどのようにするのだろうか。

●12月24日(月)東京に出掛けていた娘夫婦が、我が家に預けていった猫を引きとりに来て、ペット談義。犬も猫も飼ったことがなかっただけに預かってからの5日間は、ちょっと勝手が違った。パソコンの上やら、FAXの上を器用に動き回る姿は、次第にほほえましくなってきた。
 少子化時代の中で、癒しの役割をペットが果たしている意味は大きいのではないか。

●12月23日(日)「三八朝市」も買い物客も少なく、その頃から小雨模様、街頭演説をやめて、親戚への年賀状や年末年始用の「ひであきレポート」作りに励んだ。

 昼になって、「福田首相がC型肝炎患者の一律救済を決めた」というニュースが一斉に流れた。

●12月22日(土)お世話になった企業や団体の忘年会や昼食会など4会場を挨拶に回った。夜は連絡協議会。
 終わってから、忘年会会場へいき挨拶、すぐ帰る予定が、結局、つかまってしまった。

●12月21日(金)午前10時から「住民監査請求問題調査特別委員会」。豊橋市民オンブズマン代表でもある寺本市議らが行った選挙用ポスター作成費公費負担問題に関する住民監査請求の請求人偽装疑惑が焦点であり、緊張した質疑が続いた。委員会は、年明け1月10日に参考人として寺本氏を招致することを決めた。

●12月20日(木)静岡県沼津港で「親しみやすい港作り」について視察。展望施設を備えた大型水門「びゅうお」や約6kmの「潮の音プロムナード」はおもしろい。
 帰る途中、気になっていた薬害C型肝炎訴訟について、国側の和解修正案を原告団が拒否したことを知った。「東京地裁判決の線引きを前提としている高裁の骨子案と矛盾する内容での和解はできなかった」ということか。

●12月19日(水)夜、今年最後の党員会。統一選から参院選と政治決戦の年の党員の労苦に感謝した。先週末の「NHK子どもニュース」の食品表示の問題をビデオで上映する予定が、うまくいかなかった。録画の時に倍速録画し、放映の時に3倍速になってしまったのが原因。ちゃんと試写してチェックしなかったことを悔やんだ。またパワーポイントを使った「道路特定財源」とは何かは苦労した甲斐があった。

●12月18日(火)午前10時から「都市機能調査特別委員会」。前夜、3時頃までかかって用意した質疑は、正副委員長を除く全委員が質疑する活発な議論となり、委員会の進行が昼を超えたため、副委員長として質疑はとりやめた。
 しかし、「中心市街地活性化」という長年の課題は方途を見出せないまま、膨大な資金がつぎ込まれ、「子ども未来館」「芸術劇場」といういまだ「にぎわいの決定打」がみいだせないまま箱物が進んでいく感をぬぐえない。

●12月17日(月)本会議最終日。23議案を可決し、請願2件を主旨採択し、4件の意見書を可決して閉会。注目されたオンブズマンの決算不採択討論は、裁判まで起こしている議会費や監査委員費に触れることなく、「子ども未来館」に反対する内容で終わった。

●12月16日(日)年末の墓参りに岐阜へ。穏やかな山あいの市営墓地で一年間の感謝。久しぶりの木の実やいものでんがく、親戚との歓談。夕方、名古屋での支援団体の壮年部幹部会に出席し、豊橋に戻った。

●12月15日(土)午後、買い物客で混雑するスーパー3ヶ所で街頭演説。「公明党はどこまでも、大衆の側に立って、市民の目線で政治に取り組みます。この一年、政治決戦のこの一年、皆様方に大変にお世話になりました」。
 寒風の中で公明党に対する視線は何か冷たかった。それでも、「頑張れよ!」と手を挙げてくれる姿に励まされる。

●12月14日(金)お世話になった支持者を、また一人見送った。通夜の席で紹介される故人のエピソード。「朝5時からラジオから流れてくる『人間革命』の朗読を楽しみにし、一日をスタートされていました。そして学会の発展と公明党の勝利を祈り続け、戦い続けた人生でした」に感涙。
 初めてお会いした喪主の長男ご夫婦にあいさつした。その時に「母とは離れて暮らしていますが、議員さんと同じ校区なので、母からも言われて応援させていただいています。いつも配っていただいている『ひであきレポート』を楽しみにしています」と思わぬ言葉が返ってきた。

●12月13日(木)また悲惨な事件が長崎県佐世保市でおこった。スポーツクラブで散弾銃を乱射し、二人が死亡、多くの子ども達も重症を負った。そして、犯人の男が今朝、市内の教会の敷地内で自殺した。
 二人の間にどのようなトラブルがあったのかは分かっていないが、おびただしい数の散弾を浴びて殺されねばならない理由など、あろうはずもない。死出の旅を選ぶのならば、黙って、静かに、ひとりで去れ。犯人を憎む。その蛮行を憎む。はびこる銃を憎む。

●12月12日(水)夕方、午後6時過ぎまで一般会計決算委員会。
 学校給食現場での、残食の資源化についてと「いじめ問題」について質疑した。

 それにしても、今春当選した一期生議員諸氏。障害者自立支援法や、三位一体改革、農業用廃プラの処理などについて、よどみない質疑を展開するのには、驚かされる。6期議員であることが恥ずかしい。

 月刊誌「潮」新年号が手元に届いた。12月号に続いて「池田大作の軌跡 公明党を創立」。
 学会は政治団体ではない。政党政治の中枢である衆院に進出すれば、非難中傷は、いやまして必死である。ならば公政連を独立させ、政党結成に踏み込むしかない。だが、その場合、議員が新年と根本の目的を忘れ堕落する危険性もはらんでいる。
 苦渋の決断だった。そして、また、公明党が発足していなければ、創価学会も60年代の激しい政治的攻勢の対象になっていただろうことは、想像に難くない。
 最後に結ぶ。「大衆とともに生きていけるのか。大衆とともに死んでいけるのか」と。

●12月11日(火)今日から二日間、平成18年度会計の決算委員会。
 電子市役所に向けての取組みの課題を決算から追求した。経営改革、行政改革による人減らし、経費減らしの中で、膨大なITコストが随意契約で浪費されていないか。よってITコストをコントロールする体制が急務であることを問題提起した?つもり。他にも、市政施行百周年記念事業費が市民に残したものを質した。

 たかが、これだけの質疑のために明け方まで準備に費やした。

●12月10日(月)予算特別委員会。地域公共交通活性化基金積立金について質疑した。
 豊橋の路面電車に初の、かつ新型オリジナルのLRT−低床車両導入に向けての「地域公共交通活性化基金」はもっと路面電車沿線を中心に市民の盛り上りが期待できないかを質した。また、路面電車を生かした特徴あるまちづくりをもっと戦略的に展開すべきことも主張した。

●12月9日(日)穏やかな日曜日。市民相談や訪問活動など。夜、明日からの予算委員会や決算委員会の事前学習。遅々として進まず、だんだん集中力が散漫になってきているのは歳のせいか。

●12月8日(土)午前中は三八朝市で「ひでレポ」配り、団地やスーパーなど6ヶ所で街頭演説。午後、訪問活動、夜は公明新聞中心に情報整理。

●12月7日(金)午前10時から環境経済委員会、農業委員会のありかたについて質疑。午後は福祉教育委員会を傍聴。終了後、都市機能整備調査特別委員会の各派代表者で次回委員会の議案資料検討。

●12月6日(木)常任委員会傍聴。

●12月5日(水)一般質問3日目。いじめ問題や市長退職金、早川市政5期目の評価など。設楽ダムの建設問題や、消防広域化問題などかなり密度の濃い議論が展開されたが、明らかに論点不明な質問もあった。「議会もこの程度の質問をしていていいのか」と傍聴席からつぶやきが聞こえてきた。

●12月4日(火)一般質問第二日。後期高齢者医療制度、放課後子供プラン、建築確認申請問題、介護予防などについて。みな一生懸命なのだが、もう少し分かり易く、メリハリをつけて論議を展開したらいいのにと思うのは老婆心だろうか。

 すっかり冷えた朝、冬の陽をあびて豊橋公園の銀杏並木が、今年もまた黄色の世界を見事に演出していた。

●12月3日(月)12月議会始まる。一般質問第一日は8人が登壇し、市政の課題について質した。妊婦健診の公費負担、地球温暖化対策、全国学力テストなど。特に5人の一年生議員が登壇したが、真剣な取組みの姿勢が感じられ、頼もしく思った。

●12月2日(日)朝9時から「朝倉川を守る会」の清掃活動。約30人が集まってくれて、正味約30分の清掃活動で両岸約3`がすっかり、きれいになった。2000年8月に有志により、朝倉川の御園橋付近のごみ拾いを行ってから17年続けてきた清掃活動、たかがごみ拾いだが、されどごみ拾いである。参加した人達の真面目な地道な継続的活動があってこその17年である。

●12月1日(土)午前中、地元小学校の学芸会。今年のテーマは「一人ひとりががんばればきっとつながる成功へ!」。一生懸命な演技や器楽演奏、真剣さが伝わってきて、清々しかった。
 演技前に子ども達に「しっかりね」と激励しながら子どもたちの晴れの舞台を悔いなく終えれるように気遣う担任の先生、自分の子どもや孫の演技を熱い眼差しで追い続ける父兄の思い・・。
 ふと香川県坂出市で大人のトラブルに巻き込まれて、薄幸の人生を閉じた薄幸の姉妹に思いを馳せてしまう。


11月 月間レポートへ