★月間レポート★「ひであき」の動き 議会の動き

07年11月 今年の総仕上げへ
●11月30日(金)午後、12月議会の補正予算の勉強会。また「救急医療実態調査」で二次救急病院を訪問。救急医療に取り組む公明党の政策を説明しながら、実態調査の協力を求めると、「大いに協力しますよ」と積極的にアンケートに答えてくださった。夜は支援団体との連絡会議。

●11月29日(木)午前、市民相談で市営団地へ。団地内の様々な生活課題について、一生懸命に話す高齢者の思いに応えなければと思う。また、つつましい生活の中で懸命に支援して公明党の党勢拡大に頑張ってくださる姿に、きちんと応えられる議員でありたいと肝に銘じた。

●11月28日(水)夜、ライフポートで党総支部大会。11月10日の党本部での代表者会、17日の県本部代表者会を受けての会合。
 席上、「豊橋田原の農業は日本で有数の農業地帯。しかし、後継者不足や遊休農地の拡大など多くの課題があります。公明党の農業政策の考え方について」の党員の質問に答えて、「豊橋渥美の農業は日本一の生産高を誇る地域であり。施設園芸、畜産が中心で、米作中心でなく国の施策とは流れが違う、だからこそNO1地域であることが特徴的。そうした中で4ha以上の大規模認定農家中心の農業政策が、中小規模農家切捨てられていくことに、不満が蓄積し、参院選では地方の反乱とつながった。効率的安定的な経営と担い手の育成に向けて、IT農業、食農クラスター、ファーマーズマーケットなどの取組みで自立できる強い農業に向け取り組んでいる」という主旨で答えたつもりだが、十分伝わったかどうか。

 ついに防衛汚職にメスが入った。東京地検特捜部は守屋前次官を逮捕、妻を共犯として逮捕。政官業の癒着構造による巨額の防衛利権にどこまで切り込めるか。
 また、香川の祖母と幼い姉妹の3人不明事件は遂に最悪の終末を迎えた。坂出港付近の資材置き場の土の中から遺体で発見された。

 東で高学歴・高収入の官僚夫婦の収賄事件、西で生きるのが精一杯の人達の金がからんだ身内の怨恨によるむごい殺人事件。嫌な辛い一日だった。

●11月27日(火)午前10時から市議団で市長に来年度予算編成に向けて予算要望。約1時間、市政の諸課題と重点要望項目について懇談した。

 昨夜、深夜に香川県坂出市の祖母と姉妹の不明事件にからんで、参考人に事情聴取のニュースが流れていたが、遂に夕方、不明の祖母の義理の弟が犯行を認めて供述を始めた。

●11月26日(月)午後から、市議団打ち合わせ。

●11月25日(日)昭和33年度に養老町立広幡小学校を卒業した39人の内、18人が紅葉真っ盛りの岐阜県養老公園のホテルに集まって実に40年ぶりの同窓会。
 共に還暦を迎えた記念に開催することができた。開催に尽力してくれた故郷のメンバーに感謝しながら、思い出深い時間を過ごすことができた。
 一学年一クラスの仲間の中で、ほとんどが地元で跡を継ぎ、田畑を守りながら元気に働いている姿は、当たり前かもしれないが尊い輝きがあった。「秀ちゃん、頑張ってや」別れ際に差し出してくれた手の温もりが嬉しかった。

●11月24日(土)午前中、いつになく冷え込んだがスーパーや団地など6ヶ所で街頭演説。午後からは市民相談など。

●11月23日(金)勤労感謝の日の祭日。三八朝市で、朝市用の「ひでレポ」を用意して、買い物に来た地域の人達と対話。
 「インド洋の燃料補給よりも、一缶1800円もする灯油の値段を下げることに力を入れてや」
「何か、消費税、消費税と消費税をあげることばっかり考えとるのん政治家は」
「来年の市長選挙はどうなるのかいな。いまのままじゃあ、代わり映えしん豊橋が続くのか」など、厳しい意見が続く。

●11月22日(木)午後から「広域連携調査特別委員会」を傍聴。三遠南信道や豊橋三ケ日道路、東三河環状線、三河港周辺地域産業幹線道路などの早期実現に向けた論議があったが、国の道路特定財源とのからみで、市当局のまた議員各自の考え方がもっと議論の場に出てきてもよいのではないかと思った。

●11月21日(水)午前中は総務委員会、午後は建設消防委員会を傍聴。

●11月20日(火)午前10時からは環境経済委員会。IT農業の取り組みや食農クラスター、三河港港湾計画など質疑。他の委員はほとんど発言なく残念。

 午後からは、「都市機能調査特別委員会」の全委員で、中心市街地の活性化への取り組みを、豊橋駅前にでかけて現地調査。「ときわ逸品館」や「中部サーラビル」、「子ども未来館」の建設現場で、その進捗状況や活性化への取り組みについて意見交換。行政のリーダーシップで、中心市街地活性化への様々な取組みがやっと目に見える段階までこぎつけているさまに嬉しく思った。あとは、商工会議所が中心となって、まちづくり新法に基づいて、次の段階に向かうべきではないか。

 夜、産学官交流サロン。「東三河の風土と古典文学」を話した和田明美女史の造形の深さと、鈴木克幸田原市長の「東三河の地域力と今後の展望」の話の中で、高速道路ネットワークから外れていく渥美半島の現状と、伊勢湾架橋への思いは説得力があった。

●11月19日(月)午後、市長への来年度予算要望のまとめを市議団全員で協議。

●11月18日(日)東京マラソンで勝負どころの長い上り坂で一気に駆け抜け、圧倒的勝利で北京五輪を自力でたぐりよせた野口みづき。「私は負けず嫌いだから」そういってのける戦うものの強さに感動。

 夜、NHKで映画「母べえ」に挑む女優吉永小百合の苦悩と半生をえぐった「知られざる母への思い」を観た。女優として、理想の女性像を演じ続けなければならない宿命と、一番身近な母との交錯、断絶。女優として、1人の人間として“母親”と格闘した貴重なドキュメント。

 それにしても、香川県坂出市で行方不明になっている祖母と孫二人の事件は、ミステリィーそのもの。ただ、三人の安否を気遣う。

●11月17日(土)午前中は町内の資源回収の手伝い。午後からは名古屋で党愛知県本部代表者会議。先週の党本部での全国代表者会議を受けて、愛知県本部の議員や総支部顧問が一同に会し、来たるべく衆院選に向け、荒木県本部代表(参議院議員)のもとで「どんなことがあっても、勝ち抜く」事を誓った。公明党の結党記念日でもある今日、再びの出発である。

●11月16日(金)市役所周辺の木々がすっかり、色づいてきた。銀杏並木が黄色に染まるのも、もうすぐか。風格ある豊橋公園の静かなたたずまい。もっとも心落ち着く、好きなビューポイントである。

●11月15日(木)参院での前防衛庁事務次官守屋氏の証人喚問で、元専務との宴席に同席した政治家として、久間章生元防衛相と額賀福志郎財務相(元防衛庁長官)の名を明かした。
 政局一気に緊迫、これほど汚れた役人を国防の中心に長く置いていたものは何か。彼らの背後で防衛利権に群がった輩は昼寝しているのか。常識外れの裏金づくりや、ケタ外れの接待・・・。日本の政治の実態そのものではないのか。

●11月14日(水)50周年を迎えた地元新聞が来秋の市長選をにらんで「豊橋市長選を考える」と題して企画記事を大々的に掲載した。
 その記事の中で曰く「早川氏の歴史的使命は終わった」と、「市長交代論」へ。そして「待たれる新たなリーダー」とタイトルは華々しいが、凡そ中味のない、こじつけのような記事にはアングリ。
 早川派でもなんでもないが、地元紙のあるべき言論の姿勢を追求する気概に欠けていないか。「待たれる新たなオピニオン紙」といったところか。

●11月13日(火)国と地方の債務残高が700兆円を超え、少子高齢社会の中で、地方財政はどうあるべきか。そんなテーマである町の財政を勉強する機会を得た。
 人口約2万人余のコンパクトな町が、特に様々な福祉施策で手厚く住民サービスを行ってきたが、国の三位一体改革などで依存してきた地方交付税が縮減される。当然、財政力指数も落ち込み、公債比率もあがって、ぬきさしならない財政状況に追い込まれる。よって「財政健全化計画」で、それらの住民サービスを見直し、受益と負担を適正化しようとすると、住民は「福祉に冷たい」と反発し、行政不信が募っているというような実態を学んだ。

●11月12日(月)朝9時半から環境経済委員会の各派、次週の委員会資料の調整。10時からは市議団打ち合わせ。

●11月11日(日)静岡交流ということで、清水まででかけた。会場で、20年まえの私の最初の選挙のときに遊説で頑張ってくれて、今は清水に住んでいるという壮年リーダーにお会いした。嬉しかったし、多くの人に支えられて自分があることを改めて痛感した。

 親戚や、コマツ時代の先輩を訪ねて、帰ってきたのが夜8時、さすがにグッタリ。

●11月10日(土)団地や、スーパーの前で街頭演説6ヶ所。午後からは訪問活動に徹した。安倍首相の辞任、福田内閣発足、政権協議で政策変更、小沢民主党代表のプッツン辞任騒動など、自分が属する政治という世界に、何か空しさを覚えるのは、自分だけだろうか。

●11月8日(木)映画「続、三丁目の夕陽」をみた。前作に続いて昭和30年代の元気な、どこにでもありそうな下町を舞台に、様々な人間群が織り成す人間ドラマ。途中にDVDで何度も見た前作よりも感動は薄いのではないかと思ったが、見終わったら、さすがに前作以上にウルウル。

●11月7日(水)午後、環境経済委員会各派。夜、党総支部幹部会。

 それにしても、夕方の、小沢代表の代表辞意撤回の記者会見。低姿勢で始まったが辞意の理由として
@次の衆院総選挙では何としても必ず勝利し、絶対に民主党政権を樹立しないといけないが、参院選勝利の余勢だけでは勝てるほど甘くはない。
A衆参ねじれ国会で、年金、子育てといった民主党の主要政策は実現困難だ。これで国民に許されるか。
 この二つを同時に解決するために、政権の一翼を担えば、私たちの主要政策が実現し、政権担当能力を国民に示すことができ、総選挙で勝つ可能性が高まると考えた。
 しかし、党役員会で「政策協議に応じず、政権交代を目指す」との声が多く、福田首相に拒否を伝え、そのけじめをつけないといけないと思い、辞意を表明した。しかしそれにもかかわらず党幹部が混乱を治めてくれた。よって、もう一度頑張るという。

 新進党時代からオザワという人を私なりに見てきたが、「壊しや」ここにきわまれり。けじめは国民がつけるのではないか。

●11月6日(火)民主党の小沢代表は夜になって、一転。「恥を忍んで、党代表を継続する」と表明。いつのまに政治家の言葉はこんなに軽くなったのだろうか。

●11月5日(月)午前10時から、来年度予算要望のまとめ。民主党は小沢代表の辞意撤回に右往左往。

●11月4日(日)今夏の参院選の関西の応援に応えようと、中部から関西への交流会に急遽、参加することになり奈良へ。東名阪を通って奈良の会場には開会の1時間半前に着いたので、初めて高松塚古墳公園を訪れた。晩秋の日を浴びて、明日香の里は穏やかな風情でしばし、古代ロマンに浸った。

 交流会後、テレビで紹介された橿原駅前の「だんご庄」や「そば処 竜馬」、古い街なみの今井町などを通ったが、さすが「奈良」の感。平群町の高校の同級生を尋ね、奈良公園に回ったが、大変な観光客で車で通過したのみ。帰りの東名阪道路がまた大渋滞でノロノロ。そのお陰で、民主党小沢辞意表明のニュースをじっくり聞けた。

●11月3日(土)昨日、午後の福田首相と民主党の小沢代表との党首会談で福田首相は民主党との連立協議を打診したが、民主党は役員会を開いて協議したが、結局、拒否。福田首相のねじれ打開は失敗に終わった。
 また首相は自衛隊海外派遣を随時可能にする恒久法を制定することも提案したという。視界ゼロの日本の政治の中で、何かがおころうとしている。公明党はどうする。公明党幹部は事前に充分な情報がもたらされていたのであろうか。

●11月2日(金)千葉市のJA千葉みらいが経営する農産物直売所「しょいかーご」を視察。やる気の事業部長や店長のレクチャーは興味津々。おもしろかった。
 昔、採れたての農作物はおばあちゃんの大きな背負い篭に収まって都会へと運ばれていた。そんな背負い篭が、農産物直売所「しょいかーご」になったという。朝9時から買い物客でにぎわい、活気があった。

●11月1日(木)仙台から大宮、熊谷を経由し埼玉県寄居町まで移動。「彩の国資源循環工場」を視察。この施設は民間リサイクル施設、PFIサーマルリサイクル施設、県営最終処分場、県と民間の研究施設で構成する、公共関与による全国初めての総合的「資源循環型モデル施設」である。
 東京ドームが20個分という広大な97.7haに整然と管理型埋立地や、9社の資源循環工場が並び、埋立済み地には緑地公園が整備されていて壮観である。

 夕方、千葉まで移動。午後7時からの会食会はプロ野球日本シリーズを観戦しながらの盛り上がった食事となり、53年ぶりに中日ドラゴンズが優勝した時は、皆でシャンパンで祝杯を挙げた。

●10月31日(水)今日から二泊三日で環境経済委員会の視察。第一日は東京を経由し岩手県花巻市へ着いたのは午後1時過ぎ。市役所で「産業振興支援について」レクチャーをいただいた。人口10万5千人。市域面積908.3kuのうち62%は山林原野であり、財政力指数は0.42、有効求人倍率0.6〜0.7という厳しい産業環境のなかで、35社の企業誘致をしながら内発型振興策を展開してきた。

 夕方、仙台市に戻り、仙台駅近くの「仙台市情報・産業プラザ」を視察。政令指定都市らしい地域の産業と情報化の支援・交流拠点であった。


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