★月間レポート★「ひであき」の動き 議会の動き

07年8月 捲土重来の夏。
●8月31日(金)8月が終わる。暑かった夏、視察の夏、研鑽の夏、捲土重来の夏。

●8月30日(木)9月議会での議論もあり、市議団で完成まじかの「余熱利用施設−リスパ豊橋」を視察。PFIで運営する潟Gコール豊橋のみなさんが「民間のノウハウを生かして市民のみなさんに喜んでもらえるような施設運営を目指したい」と歯切れ良く、説明してくださった。
 入浴施設の露天風呂は、壁面で囲まれ、もう少し開放感が確保できなかったのかと残念。各種プール広場は様々な趣向と健康づくり機能があって楽しみ。特に障害者も仕えるユニバーサルプールは、当初予定されていた他のプールと遮断する壁もなくなって、広々としていて良かった。

●8月29日(水)9月議会一般質問通告。一期生議員の6人の初質問をはじめ合計24人という大盛況。こともあろうに最終日3日目、最終の24番くじをひいてしまった。平生の心がけか、掉尾を飾る使命なのか。

 夜、定例の党員会。参院選総括のデスカッションの中で公明党が連立政権に参加して8年が経つのに、党員の中には政権に参画していることに疑心暗鬼になっているひとが約1/3おられる事が以外だった。参院選の結果で自民党の巻き添え感が強いのか、私たちの説明不足なのか。

●8月28日(火)ぎりぎりまで、一般質問を質問通告して、やるかどうか最後まで迷ったが、「迷ったらやろう」と腹をくくって、通告をまとめ終わったのは、午前2時。
 なぜ迷うのだろうか。かっこよく、さすがという質問ができる見通しで考えていないか。なぜ、一般質問に登壇するのか。一般質問とは何なのか。20年もやらせていただいて、かっこつけていないか。自問自答の深夜だった。

●8月27日(月)午後2時から環境経済委員会。条例制定への取り組みや、今後の委員会活動について。

●8月26日(日)午前中は市民相談など。午後はHPの視察報告のまとめと9月議会の準備。夜は、岩田の豊橋市民球場で「中日×巨人」の二軍の交流戦を観戦した。
 一軍にはい上がるために懸命になって、積み重ねる努力、そして苦闘の日々、不安な人生、明日は来るのか、来ないのか。それらを含めて彼らは、今日も白球を追う。
ふと、視察中に金沢駅前でユニフォーム姿でチラシを配っていた野球選手たちを思い出す。彼らは今春設立された、プロ野球独立リーグ北信越ベースボール・チャレンジの選手たち。石川ミリオンスターズに属する選手が金沢市内開催スケジュールのチラシを配っていた。今日の豊橋市民球場がプロ野球二軍の選手たちなら、彼らはそのまた予備軍。「頑張って」としかいいようがなかった。

●8月25日(土)終日、名古屋で夏季議員研修会。

 参加した太田代表。「国の予算80兆円、自由に使えるのが50兆円、そして毎年1兆円ずつ社会保障費が増えていく中で、国と地方合わせて775兆円もの長期債務をかかえての財政再建もやらなければならない。恵まれた高齢者には負担をお願いし、弱者の生活はきちっと守る。こうした状況の中で、公明党は未来に責任を持つために、頑張っているんです。言うべきことは、必要以上に言い切っているんです。
 しかし、参院選ではそのことが充分に有権者に見える形で伝わらなかった。このことはきちんと反省しなければならない」ときっぱり。

 午後からの懇談会で「何か質問があれば」との太田代表の呼びかけに呼応して聞いた。
 「55年体制が崩壊し、9・11同時テロもあり、日本の政治風景が大きく変わってきた。自民党の支持基盤とされた特定郵便局も、農業地帯も、公共工事中心の建設業界も、医療業界もその基盤が崩れている。
 一方、地方は公共工事でなく自動車関連産業の誘致に躍起になっている。そのことが地方に民主系の労働組合の拠点を作っていくことにもなる。

 こうした中で、自民党との連立、自公政権の行方は厳しいものがあると思う。次の展開についてどう考えられるか」と。
 太田代表は「よく聞かれることですが、自公連立を貫きます。閣外協力などは考えていません。公明党が連立政権に参画しているからこそ、政策実現力が発揮できるわけで、土俵に上って、相撲をとることができるのです。土俵から降りたら、社民党や共産党のように、何ら注目されない党になってしまって、有権者に自民と民主の二大政党制がもっと印象づけられてしまう。
 民主党のように財源も示さずに、ばらまき政治、未来に無責任な政治と組めますか。不安を煽るだけの政党が信用できますか。今や、意識ある保守層の人達は公明党のチェック&バランスを高く評価しているんです。
 その上に立って大衆の心をつかむ日常活動に徹底し、新しい公明党を作っていこう」と答えて下さった。

●8月24日(金)金沢の朝、爽やかな冷気を浴びて加賀百万石のまちを歩いた。4日間の視察の最終日。金沢モデルの教育について学んだ、21世紀美術館も案内していただいた。帰りの列車までの時間、近江町市場を歩いた。ちょうど子どもたちの絵の展覧会が市場の中で行われていて、金沢の子どもたちと地域との関係を垣間見る思いで、楽しかった。
 東京から、新潟、富山、金沢と県都を回った今回の視察、猛暑の中ではあったが、多くのことを学び、じっくりと読書にも集中できた4日間。

●8月23日(木)新潟平野の緑の田園地帯を左側に、そして右側に穏やかな日本海を車窓にみながら、富山に移動。前日の雨模様からうって変わって、日差しが暑い。

 県都−富山市も平成17年4月に富山地域7市町村が合併して124Ku42万人の新たな富山市が誕生している。立山連峰を望む市役所の窓から、中山間地の八尾町や山田村、細入村などの高齢化や地域の将来とコンパクトシティに取り組む中心市街地の施策のバランスはどうなっていくのか、どうしていくのか。公共交通を串に、活性化施策を団子に国認定第一号の戦略が中山間地ではどのような目でみられているのであろうか。興味のあるところである。

●8月22日(水)東京から新潟へ。新潟に着くころには予想された雨も大したことなく、新潟市役所で「食育」と「新潟港」を学んだ。政令市として、今春から新たな段階を迎えた食と花の田園交響都市−新潟。新潟に着く前に通過した長岡の手前では仮設住宅が並び、新潟の向こうの柏崎では、今回の信越沖地震の被害者たちが、いまなお避難所生活を余儀なくされていることに思いをはせ、一日も早い復興を願わずにはおれなかった。頑張れ!新潟。

●8月21日(火)今日から公明党議員団、6名で東京、新潟、富山、金沢と視察旅。
 午前中は豊洲のららぽーとに昨秋オープンして話題を呼んでいる子ども王国「キッザニア」、午後からは小金井市で「都市農業」についてレクチャーを受けた。JR東小金井駅から市役所まで、猛暑の中を歩いて移動したのには閉口したが、農業委員会の担当者の「黄金井農業」にかける熱意が伝わってくる真剣な視察となった。
 夜、久しぶりに息子と再会。夕食をともにしながら一献傾けたが、競争と格差の縮図のような東京で、ストレスもしばしばなのだろうが、それらを飲み込んで大人になりつつある息子の成長が嬉しかった。

●8月20日(月)午後から豊橋グランドホテルで、公開シンポジュウム−「中山間地域の維持と活性」に参加した。主催は豊橋技科大の「県境をつなぐエコ地域づくり戦略プラン研究会」。

 島根県中山間地域研究センターからの藤山 浩氏の基調講演だけでも拝聴しようと参加したが、パネルデスカッションに牧野光朗飯田市長や穂積亮次新城市長、前佐久間町長の小原侃之輔氏などが勢ぞろいされており、夕方までじっくりと勉強させていただいた。
 中山間地域では、急激な人口・世帯減少と高齢化そして世代交代の波が訪れていて、生活各分野において持続困難となりつつある現状に、中山間地域の将来に「光」があるのか、そのために何が必要なのかを様々な角度から論議された。

 4時間会場にいて、「結局どうすればいいのか」という方途を見つけ出すことはなかったが、中山間地域の問題は、中山間地域だけの問題でなく、都市のあり方まで含めて都市問題であることが確認できた。
 将来の三河市構想と照らし合わせても、新城以北の中山間地域、いやそれ以上の山間過疎地域を都市部で担えるのかという長くもっていた疑問に一つの方向性を見出しえた感がする。広域的なソーシャルキャピタル(相互信頼、助け合い、繋がり)による、都市部との負担と富のシェアという回路作りと、戦後、営々として築かれてきた東西軸の国土作りを、南北軸なかんづく流域軸への発想の転換がなされればという条件付ではあるが。

 ちょうど8月18日の公明新聞社説「過疎化の悪循環に歯止めを」とこの問題を書いていただけに意義あるシンポジュウムであった。

●8月19日(日)猛暑が続く。前日の野球大会の疲れもあり、気分転換で出掛けた喫茶店で、尊敬すべき元市幹部が、脳梗塞から回復した奥様をいたわりながら、モーニングコーヒーを共に味わい、介添えしながら車に乗せて帰っていかれる姿に遭遇した。
 きちんとした身なり、物腰柔らかな毅然とした立ち振舞いには、圧倒されるような人間の輝きと重みを感じた。嬉しかった、そして自分が小さく見えた。

●8月18日(土)浜松市で市議会議員親睦野球浜松大会。はましん野球場で開会式及び浜松市Aチーム、富士市チームと対戦。浜松市には11対1で完敗。富士市チームには最終回に3点を挙げて8対7で逆転勝ち。
 結局、参加した6チームは2ブロックに別れリーグ戦を行い、6チームとも1勝1敗となり、懇親会場での監督によるジャンケンで決着となった。期待と責任を一身にになって、ジャンケンの結果。我が豊橋市はグループ優勝となった。暑い中、頑張ってくれた選手たちが事の他、喜んでくれた。
 また、各チームから選出された優秀選手には蒸し暑い中、マウンドに立って投げ続けた杉浦正和選手が選ばれ、表彰された。

 新チームの最初の試合であり、準備不足のまま大会に臨んだが選手たちのお陰で楽しく、監督冥利につきる一日であった。

●8月17日(金)公明新聞が連続で「参院選と今後」と題してボックス記事を連載している。
 17日付同新聞では「公明党は従来の公明党型選挙はできた。だが、新政治状況と公明党の力の及ばない問題に引っ張りまわされた感は否めない。公明党はこれまで『まず連立ありき』だったかもしれない。過去は成功だったとしても、今後もそうなのか。より長期的に生き残りを考えるのなら、公明党は原点に立ち返って、外交、安全保障、社会保障など政策的な体系を見直すべきだ。そうしたことによって公明党はどんな党なのかというイメージが鮮明になるのではないか」との指摘が慶応大学教授曽根泰教氏からなされている。

 納得であり、突きつけられた言葉は重い。

●8月16日(木)高校野球2回戦。創価高校は春のセンバツ準優勝校−大垣日大に最後まで食い下がったが3:5で惜敗。
 大垣日大のエース森田投手は我が旭校区に実家があり、我が故郷の大垣へ野球留学。複雑な気持ちをスッキリさせたのは猛暑の中で懸命に投げる森田投手と、チーム一丸となって懸命に食らいつく創価の「負けじ魂」がぶつかりあうさまに引き寄せられたからである。森田投手の熱投!そして創価の全員野球、感動をありがとう。

●8月15日(水)終戦記念日。猛暑の中で午前中に3会場で、夕方5会場で終戦記念日の街頭演説。
 「悲惨な第2次世界大戦から62年が経った今日も、いまだに世界には私達が望むような平和は訪れておりません。むしろ、北朝鮮による核実験など、緊張は増すばかりです。しかし、私たちはこうした現実を直視しながらも、平和への希望は決して失わず、平和構築への前進を誓い合う日として、本日の終戦記念日を意義付け、新たに決意する日としたいと思うのであります。
 日本国憲法の前文と9条には、軍国主義と決別し、平和国家として出発した戦後の日本の初心がうたわれています。公明党はこの憲法の恒久平和主義をどこまでも堅持し、世界に向けて平和を発信していく日本の国づくりに全力を尽くすことを改めて誓うものです」

 吹き出る汗、誰も聞いていてくれるとは思わないが、それでも捲土重来を期す公明党の思いだけは訴えたかった。

●8月14日(火)午前中、初盆の家庭を回る。毎年のことながらお世話になった人達のご霊前に議員としての精進を誓う。そして、後半戦に向かう。夜、BS2で「あゝひめゆりの塔」を見る。

●8月13日(月)岐阜市と養老の先祖の墓参り。久しぶりの実家、元気な兄弟や甥っ子たち。義兄の家で大垣市との合併問題について話し合う。隣の上石津町は大垣市に編入合併し、養老町は住民投票に従って合併しなかった。その光と影を話し合った。夜、養老公園近くの食堂で一族で食べたうな丼が美味しかった。

●8月12日(日)長野・天龍村の日帰り温泉「お清めの湯」でリフレッシュ。露天風呂で汗を流し、ビールを飲んでグッスリ昼寝、読書三昧。至福のときである。

●8月11日(土)猛暑が続く。我が創価高校が接戦の末、愛知代表の愛工大名電に勝って、二回戦進出。次は岐阜県代表の大垣日大高校。今日も、そして次も複雑な思いの試合が続く。

 夜、「生活セミナー」。東京からの上原女史の歯切れ良い説得力ある年金の歴史は好評だった。地元の東田郵便局からも「郵便貯金の今後について」話していただいた。お盆前の週末、参加者が危ぶまれたが、何とか形になった。どういう形で継続するか、課題は多い。

●8月10日(金)議員野球部の練習でピッチング投手を務めて、クタクタ。少し涼しくなった夕方、集中的に「ひでレポ」配布。それでも30分も続ければ、汗でびっしょり。
 「あんた、大したもんやね。よくぞ続けてきた。よくぞ続けとる」とすし屋のオヤジが感心してくれた。
 流れる汗に様々な思いが交錯し、様々な思いが去来する。その中で、明らかなのは今回の参院選には負けたが、3年後には、必ずお返しさせていただく、完璧に。

●8月9日(木)早朝のひんやりとした朝もやの中を「ひでレポ」を配る爽快さ。そしてまた、市民相談で、懸命に働く人々の中へ入っていくことの楽しさ。議員冥利はこんな所にあるのだろう。「ひでレポ」1000枚増刷。

●8月8日(水)「ひでレポ」各戸配布、議員野球部の初練習、三八朝市での「ひでレポ」配布、夕方は夕食後8時頃まで「ひでレポ」を配った。汗だくの、充実した一日。

●8月7日(火)。「何があっても、負けない一段と強い公明党を築いていく」と選挙後の公明新聞は盛んに書いている。参院選後初の衆参議員総会でも太田代表はそのために「行動・真剣・誠実」を訴えている。
 「地方選1724人完全勝利」を「快挙だ!」と言う人と「恐怖だ!」と言う人に別れる。また「北海道から夫婦で愛知まで頼みに来た」を「すごい党だ!」と言う人と「怖い党だ!」と言う人もいる。日常の支持率は4%の政党。その前途は限りなく厳しいのではないか。

●8月6日(月)62年目の原爆の日が巡ってきた。
 平和記念式典で秋葉広島市長の凛とした声が響く。「運命の夏、8時15分。朝凪(あさなぎ)を破るB-29の爆音。青空に開く「落下傘」。そして閃光(せんこう)、轟音(ごうおん)――静寂――阿鼻(あび)叫喚(きょうかん)。
 落下傘を見た少女たちの眼(まなこ)は焼かれ顔は爛(ただ)れ、助けを求める人々の皮膚は爪から垂れ下がり、髪は天を衝(つ)き、衣服は原形を止めぬほどでした。爆風により潰(つぶ)れた家の下敷になり焼け死んだ人、目の玉や内臓まで飛び出し息絶えた人――辛うじて生き永らえた人々も、死者を羨(うらや)むほどの「地獄」でした。
 14万人もの方々が年内に亡くなり、死を免れた人々もその後、白血病、甲状腺癌(こうじょうせんがん)等、様々な疾病に襲われ、今なお苦しんでいます・・・・」

 この日の一般紙は社会保険庁長官村瀬氏がこの9月で退職する旨を報じている。ご苦労様でした、村瀬長官!しかるべき時に念願の「励ます会」を

●8月5日(日)午前中、名古屋で議員研修会。会場に山本保氏や草川氏が元気な姿を見せていたのが、嬉しかった。「今度の悔しさを、次の戦いにどう生かし、07夏の敗北があったから、党勢拡大は大きくなされた」といえるような活動を確認しあった。
 夜は、市内のホテルで「豊橋岐阜県人会」。歌謡ショウなどで盛り上がる、バイキング形式のパーティ会場で大いに語り、大いに飲んだ。

●8月4日(土)早朝の「ひでレポ」配布が続く。

 夕方から校区の「納涼盆踊り大会」。蒸し暑い中を多くのみなさんが集まり、「トントンとよはし」などを踊った。
 開会前の挨拶の中で「7月16日におきた中越沖地震の被災地では、今なお1000人を越える市民が避難生活を余儀なくされていて、暑さ対策をはじめ、様々な問題が表面化しています。”地域コミュニュティ”をいかに強い広がりをもって構築するか、そのためにこのような機会を大いに活用し、いざという時に備えましょう」とあいさつした。

●8月3日(金)終日、環境経済委員会の管内視察。廃棄物処理施設の中を通る赤道(市道)の現状、風力発電装置の状況、漁港整備状況、建設中の新余熱利用施設(リスパ)、IT農業モデル温室、そして港湾施設「カモメリア」などを精力的に回った。
 余熱利用施設「リスパ豊橋」もほぼ構造物は完成し、内装の段階であり、今秋のオープンが待たれるが、課題としている周辺農畜業からの臭いとハエについては対策が見つからないまま推移している。
 また、IT農業モデル温室は農業用資材会社が実践的事業として取り組んでいる熱意は充分。3600坪の温室から約1億円のトマトの出荷をめざす。坪当たり3万円の生産であるが、従来のトマト農家の約2倍の付加価値を目指す。

●8月2日(木)早朝5時半過ぎから「ひでレポ」を配り、午前7時過ぎからはいつもの交差点で街頭に立ち、朝食、休憩の後、再び「ひでレポ」を昼まで配る。汗だくの議員活動というより、これは議員修行である。

 午後3時からは「東三河5市議会議員・議会事務局職員合同研修会」。講師は全国市議会議長会事務局次長の石橋 茂氏。あらかじめ用意された資料に基づいてのご説明である。講師紹介にあったように自治省出身で、仙台市や大宮市勤務などの豊富な実績から、地方政治や地方議会をどう捉えているのかの生の声は何一つ伝わってこなかった。

●8月1日(水)市制施行日記念式典が午前10時から、市公会堂で。豊橋市表彰の中で自治功労者には、小山、石黒、清水議員など共に議論仲間であった全議員の皆様が、元気な姿で晴れの舞台に臨まれていた。市勢功労者の中には障害者団体の山本女子、民生安定に貢献したとして溝口旭校区自治会長が表彰の栄誉に。

 夜、党地区委員会。今回の参院選の反省を静かな喫茶店でコーヒー飲みながら。「逆風の中での健闘」を讃えても、やはり勝てなかった、届かなかった無念さがありあり。再起を期す以外にない。


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