★月間レポート★「ひであき」の動き 議会の動き

07年7月 逆転へ!死闘。
●7月31日(火)朝夕の街頭演説は続く。吹き出る汗をぬぐうことなく。「我らは勇壮に嵐に向かっていく 楽観もなく 感傷もなく 到達の不二の一点までただ進む」(「青年の譜」より)

 公明党が今回の参院選の結果を踏まえ「結果を真摯に受け止め捲土重来期す 猛暑の中、献身的なご支援に感謝」という「党声明」を発表した。捲土重来(けんどじゅうらい)とは、一度衰えていたものが、再び勢いを盛り返してくること。訓読すると「土を捲きて重ねて来る」で、疾風が土を巻き上げるような勢いで重ねて立ち上がるの意味だということ。
 空白は許されない。次の戦いは始まっています。衆院選投票日まであと200日かもしれない。

 昼に選挙中に朝礼にお邪魔した会社で社長と懇談。「来年秋の豊橋市長選も視野に入れて、東三河の将来に確たるビジョンをもって、豊橋の市議会議員は切磋琢磨してもらいたい」。重い言葉だった。

●7月30日(月)逆風を突き破るような熱闘も空しく、愛知選挙区山本保は6年前の得票に87,281票もの上積みはすることができたが、3位の民主新人の谷岡女史に133,509の差をつけられ惨敗。民主現職の大塚氏とあわせ民主2候補は、彼らが目標とした150万票どころか、160万票を超えた。
 また比例区についても愛知選挙区の劣勢挽回に重点が置かれたため、魚住と草川の二人とも愛知が落とすのでないかと危惧されましたが、朝6時になって最後の121議席目を魚住氏が獲得したのがせめてもの救い。そして公明のサムライ−草川副代表は散った。

 「今回の参議院選挙で、豊橋市民の皆様から寄せていただきました、公明党への熱きご声援、また厳しいご意見、これらを糧(かて)にして、今日からはまた、ひるまず、たゆまず、生活現場主義の旗高く公明党は頑張ってまいります」。開票から一夜あけて、30日朝7時過ぎからいつもの交差点で、街頭演説を行った。30分ほど経つと、突然の雷雨でやむを得ず早めに引き上げたが、夕方も、いつもの交差点で約1時間、仕事帰りの皆さんに街頭演説。

●参議院選挙中は休載します。公職選挙法の関係もあり、ご了承ください。再開は7月30日。

●7月10日(火)今後の野球部のあり方について、朝9時から市役所13階レストランでコーヒー談義。午前10時からは市議団会議。

 夜、元自衛隊員の家庭で久間前防衛庁長官の「原爆投下はしょうがない」発言について真剣な話し合い。「公明党は自民党にくっついて何をしとる」と一杯飲んで怒り心頭の家庭で、遅くまで話し合い。

●7月9日(月)豊橋市議有志と「地方自治法」の勉強会。「地方自治の本旨」とは何か、地方公共団体と地方自治体の違い、住民自治と団体自治・・・、掘り下げながらフリートーク。
 「『地方自治の本旨』を具体化する国における『自治基本法」の必要性と、地方自治体の憲法である『豊橋市基本条例』の必要性とその具体化こそ東三河合併への一理塚である」と持論を展開。

 夜、マスコミから「選挙ポスター費の中に両面テープの裏打ち代金が含まれているのは、適正でないので市長は返還させるべきだ」という住民監査請求がなされるとのこと。市議選公示前の事前審査でも、作成明細書を添付しており、立候補届出とともに提出されており、違法性があれば選管から指摘があるはずではないのか。

●7月8日(日)すっきりと晴れ渡った「三八朝市」。参院選前の最後の朝市。多くの市民と対話できた。配っていた「公明党チラシ」をみて「あんた、公明党やったんか。こういうことは共産党がやることじゃなかったのか」と言われ、複雑な心境。

 石巻、和田辻交差点での街頭演説後、多くの市民と対話できた。
「もう、とにかく政治家はウソが多すぎる。うんざりする。一体、日本はどうなるのよ」
「また赤城大臣の事務所問題がおきてる。そしてまた安倍首相はかばい。公明党も追随する。『ちゃんと国民に説明しなさい。それができないのなら、辞めなさい』といえば、安倍さんも言うべきことは言うじゃんということになるのに・・・」

 暑い日中ももろともせず、走り回ったので、さすがに夕方にはぐったり。

●7月7日(土)一日中、曇り空で、時々雨が落ちてくる。「あかね会」会報第2号を発送。

●7月6日(金)岩倉市で、高校時代の同級生が社長を勤める会社を訪問。いかに喜んで働いてもらって、効率を上げ、企業利益を生み出していくかに全神経を集中している様子がうかがい知れ、嬉しかった。

●7月5日(水)いよいよ参院選の公示まで一週間。国会も閉幕し、選挙モード。ちょっとばて気味で、それでも朝の街頭演説にいつもの交差点にたって、公明党を訴えた。

 すると、通学途中の女子高校生が寄ってきてこういう。「毎朝”とことんやりぬく”の旗を見て、勉強やクラブ活動に”とことんやりぬこう”と決意しては、ここを通ります。
 そのことをお母さんに話したら、お母さんが『あの議員さんは、20年も手作り新聞を配り続けている人だ』と教えてくれた。議員さん!頑張ってください。私もとことん青春に頑張ります」と。
 嬉しかった。久しぶりの爽やかな風の中で、涙が出るほど嬉しかった。

 夜、ある支持者宅で「市民がローンを組んで、やっとの思いで家を建てようとする時に、下水道工事代金だと本管につなぐ3.5mの工事に80数万円かかる。ミニ掘削機で掘って、埋め戻しして、舗装材で修復するだけの工事になんでこうもかかるのか。市への納付分も高すぎるのではないのか。それも、指定工事業者しか工事は出来ない。
 そのまた工事検査に何人も来てポケットに手を入れて見ている。こんなん癒着じゃないのか。指定工事業者なら、検査しなくてもきちんと工事をやるのが、当たり前でないのか」。

 10年に一度という難病でご主人が入院中の奥さんからは「難病指定を受けていない病気なので、医療費がびっくりするほどかかる。障害者手帳の発行手続きも、障害年金の手続きも、何度も書類を書き直して、親切に教えてくれればいいのに。行政は冷たい」と。

 またある家庭でご主人曰く「印鑑証明をもらいに近くの窓口センターへ行った。前の人の手続きのために、係員が事務所の奥へ消えた。受付の向こうには2人も職員がいるのに、『御用は何でしょうか』と自分に声をかけてくれるまでに5分もかかった。たるんでいるのは社会保険庁だけではない」と。

 年金不信は、政治不信、行政不信に沸点は上がっている。

●7月4日(水)一日中、天候不順で雨がぱらついたりの蒸し暑い一日。それでも街頭演説に、企業訪問に終日。

●7月3日(火)日進市役所で待ち合わせした日進市議会議員神谷繁雄氏。かって豊橋市役所に勤務し、生涯学習部長・行政監・監査事務局長を歴任。退職して6年前に日進市の住民となり、市の各種審議会委員などを経て「NPOまちづくりトライアングル」を設立。今春、71歳で市議会議員に立候補し当選。異色の地方議員が誕生した。
 昼食をともにしながら、濃密な一時間を共有した。「行政側で働いていた時は、中央集権的な3割自治の時代で、地方自治は願うべくもなかったし、矛盾を思い知らされていた。地方主権の時代を迎え、今、自分が何が出来るかを熟考し、腹を決めて立候補した」という。その生き様や善し。

 夜、名古屋で参院選の実質的な出陣式。全てが凝縮された感動と決意の一時間。
 混沌とした現代、年金パニックが優秀とされた官僚機構と営々と築かれてきた日本のシステムの限界と終焉を象徴する。
 理念と哲学を持った新しい勢力が日本の柱となって、どこまでも生活現場主義で、どこまでも人間主義で、未来に責任をもつ政治が要請されていることは、明白。いざ、決戦の25日間!。
 余りにも尊極な師弟の深い契りの日(昭和20年7月3日に治安維持法違反で投獄された戸田第二代会長が出獄し、昭和32年7月3日、池田名誉会長が事実無根の公職選挙法違反容疑で不当逮捕された日)あまりにも気高い出陣である。

 感動的な現場に居合わせて、頭をよぎったのは、「ローマ人の物語」を書き続ける塩野七生女史の言葉「日本に活力がないのは、高齢化のせいではなく、日本のエリートとされる人々の自覚と気概に関わりがあるように私には思えます」。

 久間章生防衛相が原爆投下に関する発言で引責辞任した。久間氏をかばって対応が後手に回った首相の判断と任命責任が改めて問われている。

●7月2日(月)午前10時から、議員団打ち合わせ。政務調査費について、市議団としての自主基準がほぼ仕上がった。どこまでも公金を使わせていただくという基本に徹し、より透明性と市民の目線に立って、一応の域まで達した。

 夜、連絡協議会。参院選に向け、細かく打ち合わせ。状況は厳しく、自分たちでやらねばならぬことに悔いなくやりきることを確認。

●7月1日(日)朝、毎週末に出向いて街頭演説している石巻本町のAコープ石巻店での街頭演説終えて、用具をかたずけていたら携帯電話が鳴り「伊藤さん、今、石巻の辺で街頭演説しておられましたか。毎度毎度のことで、非常にうるさくて迷惑していると女性から県本部に電話がありました」とのこと、素直に反省することにした。でもどうしたらいいんじゃ!。

 夕方、いよいよ「年金セミナー」。何人の人が来てくれるのだろうか、と心配していたが32人の人が集まってくれた。特に地元校区の顔なじみの人達が各々に年金手帳を持って、来て下さった。名前も、またお見かけするのも初めての人もあって、「ひでレポ」を配った成果か、やはり年金問題は個人の家計と老後に直結するからか、何とか50人定員の研修室が、賑わいを見せた。

 質問の中で「昔、一時期納めていた年金基金が反映されていないようだ」
 「豊橋社会保険事務所は混んでる様だが、いついったらあまり待たずに相談に乗ってもらえるか」「最近、警備会社に再就職して、厚生年金の手続きをとったら、もう一つ番号があるということがわかった。どうしたら一つになるのか。今、年金をもらい始めたが、反映されるのか」
 「昔、勤めていた会社が倒産して、なくなってしまっている。どうも私の給与からは引去りして、会社が社会保険事務所に納めてなかったようだ、どうしたらいい」といった質問があって、関心の高さを示した。

 「伊藤さん、よう勉強し取るわ。枯れ木の賑わいで参加させてもらった」と80過ぎても矍鑠(かくしゃく)としておられる自治会長が帰り際に言ってくれた言葉が嬉しかった。

 約1時間の講演をパワーポイントを使ってやるか、資料の内容に従って順々とやるか、迷ったが、今までの経験から、パワーポイントはやめて資料に集中して、話を進めた。パワーポイントを介すると心が伝わらないからだ。これが、結構良かった。何よりも準備した23ページに渡る資料に労力がかけてある。その分好評だった。苦労した甲斐はあった。

 特に、今回思ったのはこうした議会報告や生活直結のセミナーの定期的な開催の必要性である。今回だけで終わらせてはいけないとしみじみ思った。


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