★月間レポート★「ひであき」の動き 議会の動き

07年6月 夏の陣!いざ決戦
●6月30日(土)年に一回、この季節に大垣北高校時代の気さくな仲間が集い合う「あかね会」。今年は由比町に集い、由比漁港で桜えび丼に舌鼓をうち、さった峠で雄大な駿河湾を望み、広重美術館で江戸の浮世を学んだ。
 「茜さす 紫の・・・」と歌った大垣北高校の校歌。世の中に「カローラ」が走り始め「平凡パンチ」が創刊された頃である。生真面目に、不器用に団塊の世代が生きたそれぞれの60年、時空を越えて集い来る「あかね」の友よ、いつまでも元気であれ!

●6月29日(金)今日は梅雨に戻って本降りの雨だから7・1年金セミナーの資料作りをあてこんでいたが、蒸し暑く、雨はなかなか落ちてこず。結局、「資料づくり」は午後から始めて夕方までかかってしまった。それでも作り終えた充実感でホッ。

 今日は市議会議員勤続20年の全国議長会表彰伝達式が議長室であった。自分もその対象であったが、党の方針もあり、「市民の皆さんのお陰で、議員を勤めさせていただいている」ので、表彰は辞退した。同期の鈴木雅博、夏目、原議員に、清水前議員も加わっての伝達式であったらしい。
 ロビーで、出くわした夏目議員が「伊藤さん、共済会の祝い金は皆の積み立てで行っているのやから、受け取れるんやろ、事務局長か議長に、すぐ渡すようにいうわ」と配慮してくれた。
 せめても議長か、事務局から「伊藤さん、今日は昼に永年勤続表彰の伝達式があります。伊藤さんは辞退されましたが、折角の機会ですから、懇談の場に来られませんか。またその時、議員共済会のお祝い金をお渡しいたします」くらいの配慮があってもいいのではないか。申請主義なのか、お役所は。

 夕方、「資料作り」を終えて帰る時に、新人議員の豊田氏が「伊藤さん!市政レポートができあがりました。創刊号です」とインクの臭いが真新しいのA4サイズの「豊田一雄市政レポート−きずな」を渡してくれた。地元を代表する企業の秘書室長であった経歴からか、58歳で転進した経過からか、落ち着いた紙面に仕上がっていた。新しい議員が、新しい議員スタイルを始める・・・党派を超えて嬉しいものである。

 午後7時頃、活動に向かう途中に豊川の川面に夕焼けが映えて、独特の風情。思わず携帯電話のカメラのシャッターを切った。

●6月28日(木)朝の「ひでレポ」、街頭、三八朝市、午後の「ひでレポ」配布、夕方の街頭演説・・・。我ながらよう頑張るわ、ほんまに。

 蒸し暑い一日、「公明党は福祉を切り捨ててる」という婦人部に時間をかけて、丁寧に話したつもりやけど、途中で横向いて、何も語らなくなった。
 夜は、年金が裁定書どうりに支払われていないという夫婦と、あれこれ計算したりして解明しようとしたが、いいとこみせれなかった。本当に年金は複雑で、理解しがたい。

●6月27日(水)早朝の、いつもの交差点での街頭演説。「あんた、本当に宙に浮いた5000万件の年金記録を調査して、すっきり解決できると思っておられるのか」と車を止めて言い寄られ、一生懸命に話すが、通じず。

 東雲商店街で「ひでレポ」配りながら歩いていたら、浜松から来たかっての党員さんと7年ぶりに再会。話に花が咲いた。「あなたから、伊藤さんもっと笑顔でといわれて、毎日、毎日、鏡の前で笑顔を作っては外に出ました」と話したら、恐縮して、コーヒーおごってくれた。
 また、「あんたは酔う頑張るねえ、街頭演説も候補者以上に熱く語ってる」とある商店主からいわれ、嬉しかった。

 夜、活動終わってから、元議員とコーヒー談義。元気そうなので良かった。

●6月26日(火)湿度高く、蒸し暑い一日。毎朝1〜2時間「ひでレポ」を配っていてはダチがあかないので、午前から午後3時頃まで集中的に「ひでレポ」配布を行った。仕上げは桜ヶ丘公園での街頭演説。障害者も使えるバリアフリー公園で、ゲートボールに興ずるお年寄りたちが、熱心に聴いてくれた。

 昼、三河高校サッカー部監督から電話あり、息子たちが京都インターハイに出場して以来、苦節10年、10年ぶりのインターハイ出場を喜び合った。

●6月25日(月)草創の時代から、創価の道を走りぬいて40年、身近な先輩の葬儀に多くの同志がかけつけ、別れを惜しんでいた。享年79歳。合掌。

 昨夜は、後援者との懇親会から帰って、午後9時過ぎにバタンキュウ。今朝は4時頃からおきて、情報整理、「ひでレポ」配布、朝の定例街頭演説。
 午前中、市議団会。参院選愛知選挙区は民主新人の谷岡女史と現職山本の差は開くばかりという報告。投票日が一週間伸び、移動事務所など全て変更。「吉」とでるか、「凶」とでるか。
 午後、企業訪問。夕方、街頭演説後、いよいよメガネをもらいにいった。はめてみた。新聞の文字がこんなにくっきりと読めたのは何年ぶりだろうか。同時に青春が終わったような、寂寞とした思い。複雑である。

 それにしても、北海道苫小牧市の食肉製造加工会社「ミートホープ」(田中稔社長)の牛肉ミンチ偽装事件は、ひどすぎる。世も末の感。一国の政治がだらしなく、右往左往していると、社会全体がモラルを失い、「何でもあり」社会になってしまう。

●6月24日(日)午前中は久しぶりの雨、スーパーなどの街頭演説中止して、情報整理。午後からは支持者回り。たった一人の中学の同級生(正確には二人。もう一人は同じ市議会で机を並べる市民派の渡辺議員)宅で忌憚のない話し合い。
 20年前、「転勤先のこの地で公明党から市議選に出ることになった」と報告に行ったら、血相変えて「そんなことやったらいかん」と反対した彼。あれから20年。笑って当時のことが語り合えることが楽しかった。

 夕方から、後援者4人と懇親会。

●6月23日(土)朝早くから三八朝市用の「ひでレポ」を用意し、初夏の風爽やかな朝市で「ひでレポ」配って、7月1日の「年金セミナー」の参加を呼びかけた。終わって、近くのメガネ屋さんへ。近視・乱視・老眼入り乱れ、いよいよメガネを注文。

 午後、八王子から豊橋の割烹料理屋へご一行が来られ、同席。八王子で修行し、豊橋で開店したという経営者。八王子で身につけて好評だったという「お吸い物」がさすがにおいしかった。様々に話が弾み、生まれて初めての4000円を越える昼食が、またおいしかった。それ以上に八王子から6人で激戦区愛知まで足を運んでくださった、その心根が嬉しかった。太田代表の提案した「夏みかん並木」を案内して、別れた。

 夜は、旭校区の役員会。納涼夏祭り、市民館まつり、青少年健全育成パトロールなど検討事項が多く、9時過ぎまで。

●6月22日(金)夜、雨の中を塗装業を営むご夫婦と一緒に、支持者回り。
 なかには「6月から住民税が大きく上がって、今の政治は与党も、野党も信用できない。とりやすい庶民からばかり税金を巻き上げるどころか、どんどん上げてくる。もう選挙には行きません」とすごい剣幕で、目を吊り上げて怒ってくる奥さんがおられたりして、悪戦苦闘の2時間。

 それでもずぶぬれになりながら充実した2時間。帰りに家で採れたレモンをいただいて帰った。

 日中、ある事で電話しているときに「伊藤さん、真剣さ、生真面目さは買いますけど、もう少し丁寧に事に処しないと、敵を作りますよ」と指摘され、しばし反省、深く反省。磨かなければならないのは「己が人格」

●6月21日(木)義母が仲人をして、近所づきあいの深かったご主人が亡くなられたということで、午後から急遽、岐阜へ。
 途中、一宮市で実弟宅を訪問。32歳で白血病で亡くなった弟。ちょうど今日が9月21日の月命日。お供えを用意し義妹と懇談。3歳と5歳だった遺児もいまでは独立し、特に次男は名大医学部大学院でドクターコースを歩んでおり、長かった35年にただ感無量。
 岐阜での通夜もとどこうりなく、遅くに豊橋に戻った。

●6月20日(水)午後2時、三河港関連事業説明会。午後4時、環境経済委員会各派打ち合わせ会。常任委員会として「530のまちの推進条例」提案の主旨がなかなか理解が得られていないのが残念だった。

●6月19日(火)午前7時過ぎ、いつもの交差点での街頭演説、午前10時には近くの桜ヶ岡公園でゲートボールに興じるお年寄りたちに「年金問題」について演説。お年寄りたちが一服しながら、真剣に聞き入ってくれて、みんなが拍手してくれた。

 夜、家の前の朝倉川に流れ出る糞尿の臭いに困り果てている家庭を訪問。「公明党がどこまで動いていただけるか、じっくりみせてもらいます」と厳しい視線。移り住んで32年間苦しんできたこの家庭に、絶対に穏やかなすがすがしい環境を作り出してみせると決意した。

●6月18日(月)前日、急遽用意した三八朝市用の「ひでレポ」。朝からの雨で結局、無駄になってしまった。併せて、その紙面でPRしようとした「年金セミナー」を再考することにした。

 午前10時からは市議団総会。午後からは晴れ間も出て、企業訪問と街頭演説に徹した。

●6月17日(日)朝早くから「ひでレポ」配って、午前10時からは2ヶ所で街頭演説。そして、自転車アジア杯で優勝した倉野隆太郎(日本競輪選手会)君の家庭を訪問。優勝を祝い、激励した。23歳、北京オリンピック強化選手にも選ばれ、将来有望な競輪選手。若さは素晴らしい。そして、それを支える両親もまた、半端ではない。

 午後、石巻方面を回っている時に、二人ずれの主婦とバッタリ。公明の支援拡大に懸命な姿に感謝、折角の機会だからと山本勘助の生誕の地と両親の墓を案内。喜んでいただいた。日曜日でもあり、ぞろぞろと見学者が村の狭い道路を歩く姿が目だった。

 夕方、金田住宅で街頭演説。顔なじみになった子どもたちが寄ってきて、一緒に手を振ってくれた。帰り際、障害者1級・介護度5の女性宅を訪問。週末はご主人がシーツを替え、コインランドリーで洗濯し、乾かし、食事を作ってくれるという。そのご主人も体調を崩し急激に10`も痩せたという。よって検査治療中であり、その女性としては訪問介護を週末にも希望するのだが、仕事に行ける家人がいるのだから、週末は訪問介護を受けれないという相談。
 「どこから、どこまではやってもらえて、どこからどこまではやってもらえないのかが解らない。きちっとした説明がヘルパーさんもしてくれない」という不満。
 「とにかく、希望を失わずに頑張って生き抜いてください」と激励するのが精一杯。重い時間だった。

 夜、息子から父の日にということでCD「イマージュ」が届く。「No music,No Life」のメッセージを添えて。

●6月16日(土)夜、座談会で「年金問題」を懸命に説明し、参院選の支援を要請した。「毎朝7時半ごろに東田交差点を通り、朝早くから、力一杯に街頭演説している貴方をみて、元気をもらい出勤していますよ」とある壮年。嬉しかった。

 終了後、ディーサービスを経営するご夫婦と懇談。「ある建設会社の社長が息子を連れて見学に来られ、建設業界は厳しいので息子に介護関係のビジネスをやらせようとしている。率直に聞くが『儲かりますか』と聞かれ、複雑な気持ちになった」と話してくれた。

●6月15日(金)朝5時過ぎ、朝の街頭演説の前に「ひでレポ」を一軒一軒配っていたら、「よう、我が家へ足を運んでくださいました。伊藤秀昭さんでしよ。昭和22年1月生まれの。もう覚えましたよ。よう、配ってきてくりゃーた」と言われ、嬉しかった。

 夕方、5時過ぎ、毎朝、毎夕交差点付近の商店街には迷惑をかけているので一軒一軒丁寧に挨拶に回った。「よう頑張っとるねえ、汗びっしょりで、でも参院選は厳しいんじゃない、自民党も公明党も」にはガックリ。でも気を取り直して、いや余計に力を入れて夕方の街頭演説に徹した。

 夜遅く、ニュースで「公明党福元参議院議員の離党」を知る。「何考えとるんじゃ!誰のお陰で国会議員として12年間も活動できたのか!ましてや比例区候補ではないのか!」怒り心頭。

●6月14日(木)本会議最終日。一般質問でのある議員が「浜松市の市長交代劇」や「交通事故の専決事項」についての発言が不適当だったと削除を申し出て、許可された。

 夕方、電気店で従来からの携帯電話が重くて、ごつくて不自由していたので、結局使わなかったワンセグテレビ機能などがない、シンプルな携帯に変えた。データ移項などの待ち時間に、知己の大学教授に出会った。
 「一連の年金パニックをどうみておられますか」と質問すると、丁寧に考え方を披露していただき、有意義な時間を過ごせた。
 「今回は年金問題という国民生活に直接、結びつく身近な、かつ深刻な問題で、社会保険庁に全ての矛先が向かっているが、優秀だったはずの日本の官僚システムそのものが問われている。単に社会保険庁だけでなく、多かれ少なかれ他の省庁にも似たような制度疲弊があるのではないか」と。「国民の賢明な判断が、参院選にどのような影を落とすのか。非常に興味深いところ」。

 夜、2会場で年金問題について真剣に説明、参院選の支援をお願いした。

●6月13日(水)今朝は5時前から起きて朝のお祈り、「ひでレポ」戸別配布。自動販売機で買ったジュースで喉をうるおしてから、午前7時過ぎから街頭演説を8時前まで、朝食をかきいれて三八朝市に立って「ひでレポ」配って・・・・・。何のためにここまでやるの。拍手も喝采もない舞台で!

 「地方から国際政治家を目指す」と青雲の志し高く、地方政治に取り組んで20年。今ではカーブミラーの伊藤、街路灯の伊藤といわれ、朝市ではおばあさんのアイドルとなり、東に登校拒否の子どもがいれば、行って一緒にキャッチボールをやり、西に軒下の蜂の巣で悩む高齢世帯があれば、行って蜂の巣退治をして、北にリストラされたオジサンがいれば、一緒にハローワークへ行き、南に家庭不和に悩む家庭があれば、行って姑から嫁さんの愚痴を聞いてやり・・・。

ああ20年、青雲の志しいずこへ・・・・。

●6月12日(火)前日の「日経・夕刊」に公明党太田代表のが「こころの玉手箱」での連載が始まり、第一回は「夏みかんの並木道」。青陵中3年の生徒会長のときに提案したいきさつが、書かれている。この記事に使われている写真は日経記者の要請により、私のストックから提供したもので、青陵中の生徒が収穫している模様が写真を通じて紹介されていることは嬉しい限り。

 早速、青陵中へこの記事をコピーし持参し、校長と教育談義。毎朝、東田交差点を通ると良く目立つあなたと出会って、「がんばっとるなあ」と手を振ってるのに、あんたは気がつかんで一生懸命やっとる。迫力あるで〜と校長。ちょっと嬉しかった。

●6月11日(月)週末の落雷やドシャ降りの雨など気圧の不安定な天候とは裏腹に、真夏の太陽を思わせる日差しが朝方の東田交差点に降り注ぐ。元気一杯に、渾身の街頭演説が続く。

 午前10時からの予算委員会。一年生議員諸氏がきちんとまとまった質疑を展開する。市議会の風景が変わってきた。何と嬉しいことか。この時を待っていた。

 夜、集った支援者の会合で、懸命に年金不信を払拭し、必ずや皆様の期待に答えます。何とぞご支援を!」と懸命の訴え。

●6月10日(日)名古屋でコマツ時代の前支店長を尋ねた時に「元気に現役で頑張れるのはいいことだぞ」とこの春、一線を退いた先輩が、訪問したことを喜んでくれた。
 また、親戚の家で「年金問題」について懇談した時に「私たちのような歳になると、今更、昔の記録をみせられて、身に覚えがありませんかと聞かれても、記憶がはっきりしないので、なかなか難しいのではないでしょうか。その作業を一年でやるといわれても、なかなか信用できません」とグサリ。

 帰宅が午後10時、疲れてしまって、予算委員会の勉強は明朝、街頭演説の前にやることにして、一杯飲んでバタン。

●6月9日(土)夕方、名古屋で「年金問題」の学習会。参院選愛知選挙区の状況厳しく「断じて、断じて勝たなければならない。全てをこの一点に賭けて、候補者になったつもりで、真剣勝負の街頭演説を!学習会を!」と檄が飛ぶ。終日、気圧の変化激しく、雷雨。

 支持者名簿の整理などで、名古屋から戻ったのが明け方。「ひでレポ」73号印刷。

●6月8日(金)午前中、環境経済委員会。

 陳情審査の中で、風力発電と健康被害について、産廃処理施設建設反対についての陳情などに現状を質問。話しの中で、ふと北海道の風力発電のまちを視察した時のことを思い出したが、都市名が思い出せず、何とかのまちといってしまった。イトコンが時々、いやしょっちゅう、動きが遅くなる時がある。こうして、キーボードを叩いていても、入力間違いが多すぎる。前途危うし。
 この一年の環境経済委員会の取り組み事項の話し合いの中で「常任委員会に条例提出権ができたので、630のまちの530推進条例などといった条例提案ができるような取り組みを提案、全員の賛同を得た。

●6月7日(木)投票日まであと45日。朝の街頭演説にも自ずから力が入る。

 午前中は建設消防委員会、午後は総務委員会。どちらも一年生議員が一生懸命に勉強し、委員会デビューしているのが頼もしい。

 市役所で呼び止められて「HPの中に婦人という言葉が使われていますが、使っちゃあいけません。女性と書かないと」と指摘されたが、HPで公文書を作っているつもりはない。婦人は婦人でいいのではないだろうか。一生懸命応援していただく創価学会婦人部は創価学会女子部とはいわない。

●6月6日(水)一般質問三日目。新人でトップ当選した廣田議員が三番目に登壇したが、初質問であり多くの傍聴者がかけつけていた。その中に、青年が5.6人参加している姿は好感が持てた。質問も元気で歯切れ良く「さすが」と思った。ベテランはしっかりしないと、恥ずかしい。

 夜、マンションの党員を訪問していて、13階からふと外を見ると、夕陽に水を張った田園風景が映え、遠くに中心街の明かりが点り、幻想的な風景−豊橋のすばらしさを思い知らされた。

●6月5日(火)今朝の新聞各紙は昨日の一般質問で私が取り上げた「首長の多選問題」に関し、「早川豊橋市長が四選出馬に意欲があるのではないか」と疑心暗鬼で書いている。「質問した伊藤氏も『やるきを感じた』」とも。政治家は出処進退は明確にしなければならないが、任期を来年11月まであることから、「現時点での明解な態度表明を避けた」と見るべきではないだろうか。

 一般質問二日目、3人目に登壇したオンブズマンの寺本議員。傍聴者も多く、注目されたが、いかんせん一般質問の最低限のマナーとルールに欠けていた。「初めてのことだから」は許されない。それを整理する議長の言動も不慣れなせいか、要を得ていなく、混乱。

 夕方、国道一号線で街頭演説していたら、一台の車が近づいてきて「頑張っていていただいて、ありがとうございます。お世話になります」と声をかけていただいた。豊橋指導に来豊中の全国婦人部幹部一行であった。喜んでいただいて嬉しかった。

●6月4日(月)6月定例議会開会。一般質問第一日。5番目に登壇。自分なりのまとめ上げた60分。首長の多選問題、退職金問題、東三河市構想の推進など一歩進めることができた。
 結局、明け方4時頃ウトウトとしただけで、徹夜で一般質問の原稿をまとめ、朝を向かえ、シャワーを浴び、ギリギリ開会に間に合った。60歳、いつまでも書生っぽい、青二才の自分である。

 夜、3会場で「年金問題」について丁寧に話す。少しは納得していただいたのだろうか。それにしても、安倍内閣の支持率急落!「年金問題」「政治とかね」「憲法改正」どれも庶民の神経を逆なでしている。当然といえば、当然である。どうする公明党、安倍と心中するのか。

●6月3日(日)初夏の風を浴びた日曜日の三八朝市。200枚の「HIDEAKI 三八 レポート」を配るのに8時前から11時までかかった。夕方はスーパーなどで街頭演説3ヶ所。夜は、一般質問に備えて準備。今夜は寝れそうにない。

●6月2日(土)午前中は9時半頃から賑わう食品スーパーの前で街頭演説2ヶ所。「HIDEAKI FAX レポート」発信。

 午後、浜松市の「浜松こども館」を訪問。サザシティ浜松の6.7階にあるこの施設。元気一杯の子供たちが大きなネット遊具、遊びの仕掛けのある円形の空中トンネル、階段・屋上遊具などいろいろな場所でたっぷり遊んでいる姿が楽しい。そして、何よりも日替わりのギッシリのプログラムには驚かされる。
 豊橋の「子ども未来館」にこれだけのスタッフと何よりもノウハウの蓄積がなされるのであろうか。

 夕方からは「豊橋岐阜県人会」の役員会。夜、冷たいジュースを買いにコンビニに行ったら、店員さん曰く「今日、垢抜けした女性が入ってこられた。聞けば東京から友人を訪ねて来られたとか。太田代表のお嬢さんと親しくて、父親が豊橋出身なので親戚を訪ねてこられたとか。すごいんですねえ、公明党は」と。頭が下がるほどの全国からの応援。

●6月1日(金)今日から6月、午前7時過ぎの初夏の風が吹き抜ける東田坂上交差点。
 道行く人々に「皆さん、ご安心ください!年金は消えたわけではありません」と力説。さらに、「与野党がともに責任をもって早期に対応すべき問題を、参院選に利用しようとする民主党の姿勢は、まったく無責任というほかありません。公明党は、年金加入者の立場に立った大胆な対応策を提案し、社会保険庁の解体的出直しを行う「日本ねんきん機構法案」、「年金時効撤廃特例法案」の早期成立を主張するなど、政府・与党の対応をリードしています。政治の責任として、皆様に安心していただける年金制度の構築に向けて、全力で取り組んでまいります。どうぞ力強いご支援を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます」。と訴え続けた。

 午後、一般質問の内容について各部署と情報交換。

 夜、ディサービスを経営するご夫婦と懇談。介護認定のあいまいさや、ケアマネの民間委託問題など現場の課題をレクチャーいただいた。貴重な時間だった。


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