★月間レポート★「ひであき」の動き 議会の動き

07年5月 新緑の風の中を!
●5月31日(木)朝5時から、「ひでレポ」を配って、午後7時過ぎからは近くの東田坂上交差点で「街頭演説」。4日目の朝立ち、車で出勤する人達もほぼ同じ時刻を通過するので、少しづつ目と目で挨拶できるようになった。7月4日の参院選公示まで続ける決意を固めた。

 街頭演説の用意をしていたら歩いて出勤途中の市幹部。「伊藤さん、答えにくい質問項目ばかりですね」と一般質問通告について話しかけてきた。答えにくいかどうかはともかく、統一選で走り回って実感した市民の声の率直な代弁である。
 また、午後、庁内で「伊藤さん、ホームページを毎日更新してくださいよ」と強い要請あり。何と答えていいのか、個人の私生活を、公開することの微妙さ、あやうさ、その効果もよくわからないまま「ひであきレポート」は、今日も更新、何せ庁内きっての樋口可南子似の才媛からの要請には応えなければならない。

 夕方、中日×楽天のプロ野球公式戦のために多くのファンが豊橋を訪れている事を意識して、いつもの交差点で約1時間、汗だくの街頭演説。

●5月30日(水)午前5時45分からの「市消防団操法大会 出場分団壮行会」に出席。我が旭校区の旭分団と下条分団の懸命な取り組みに頭が下がる思い。

 午前10時からは6月議会一般質問通告。初日の6月4日の最後5番目に登壇することになった。それにしても当選したばかりの新人議員10人の中から2名が通告。緊張しながらも取り組む姿に、20年前の自分が重なる。

 それにしても通告者の順番を決める抽選会に「どんな風にされるのか」と会場に来ていた新人議員が結局、開会前に外に出ることになったが、議長の采配で許可することができないのだろうか。それほどに堅苦しいものなのか。

 国会は宙に浮いた5千万件の年金記録を巡って大荒れ。参院選の焦点にして、政局にしようとする野党の思惑、問題の鎮静化を図りたい与党の対応がぶつかりあう。政治が一体となって年金不安を一掃することが第一義である。争っている時ではないはず。

●5月29日(火)「戦後初の現職大臣の自殺という衝撃的なニュースが駆け巡っています。死者に鞭打つつもりはありませんが、死ぬ前にやらねばならないことがあったはずです。『政治とカネ』についての説明責任を果たすべきだった。いや果たせなかったとするなら、その深い闇こそ、日本の政治が長く背負っている「政治家とカネ」の負の遺産、そのものではないでしょうか。
 私たち公明党は「政治は清潔でなければならない」「政治は国民のためにある」の強い思いから昭和39年に結党されたのです。そして、「大衆とともに」の立党精神で日本の政治の激流の中で、愚直に、懸命に頑張ってまいりました。それが公明党です。それが公明党の政治です」。
 夕方の、「とことん街頭遊説」で、懸命に訴えた。

 現職閣僚の自殺、宙に浮いた年金記録・・・・。自公政権に、そして参院選にどのような影響があるのか、政局はどう動くのか。地方にいる私ごときの想像力をはるかに超えている。
 しかし、そんなこと恐れていては、戦いは進まない。最高の戦いに、最悪の環境−進む以外にない。

●5月28日(月)議員団の打ち合わせを終え、午後から黙々と「ひでレポ」を小脇に、支持者回りをしていたら「長久手のぶざまな対応で、しゃーもない53歳のオヤジを助けて、23歳の若者が命を落としてる。そのうえ、今日の松岡大臣の自殺だ。しっかりやってくださいよ!議員さん」と言葉をかけられ、絶句。「そんなニュースも知らんのか!」と叱られた。
 急いで、携帯電話のモバイルニュースで「松岡農水大臣、自殺」を確認した。何と卑怯な結末だろうか。怒りで足が震えた。

●5月27日(日)延期になっていた地元小学校の「こいのぼり運動会」。今年のテーマは「元気100倍 旭の子」。小学校1.2年生がヴィシックスの「HONEY BEAT」を元気にダンスすれば、3.4年生は「じょんがらまつり」を元気に舞う。
 また演技中は正面にデジカメやデジタルムービーを手に沢山の保護者が並ぶ姿も年々多くなってきて時代を反映している。

 開会前に呼び止められた父兄から言われた一言が嬉しかった。「孫の成長ぶりを見に市内だがかなり離れた所からこの5月の『こいのぼり運動会』と9月の『校区運動会』にこさせてもらっている。そのたび毎に開会前からテント張りを手伝ったり、閉会してからも後片付けを手伝っている貴方の姿をじーっと見てきた。それで投票するなら貴方のような議員に投票しようと、家族中で応援させてもらっていますよ」と。
 市民は見ている。ジーっと見ている。選挙の時ではなく、日常の活動を。

●5月26日(土)夜来の雨も上がり、見事な五月晴れ。早朝の「ひでレポ」配布、街頭演説と懸命に汗をかく。その汗をふきながら、地道な活動の中で「何のためにこんなことを続けるの」という自分と「市議会議員としての使命を全うし、党勢拡大に頑張るんだ」という自分との戦いである。

●5月25日(金)久しぶりのまとまった雨。溜まっている書類や資料の整理、「ひでレポNO72」の2版を作成し、印刷。夜、支持者宅で懇談。「伊藤さん、地域活性化に向けて360度展開でなく、何か焦点を絞ったら」とアドバイスあり、感謝。

●5月24日(木)夕方、近くの交差点で「とことん街頭演説」。
 「公明党こそ、改革のエンジン役、推進力です。公明党の連立参加により、日本の政治は安定し、構造改革が進みました。日本経済は景気の低迷を脱し大きく改善されました。経済の立て直しに1つの区切りが付いた今、改革の推進力として公明党らしい闘いを縦横無尽に展開していくことこそ国民の期待にこたえる道であると確信いたします。
 改革の推進力とは、改革断行のアクセルと、国家主義・政治腐敗へのブレーキをともに果たし、日本の進路を正しい方向に導く役割ということです」など約一時間に亘って夕陽を浴びながら頑張った。

●5月23日(水)夜、党員会。みんな喜んで集ってくださった。そして、7月の参院選に向けて次々と決意発表があった。また懸命になって用意したパワーポイントソフトで作った「07政治決戦−参院選」が分かりやすく、好評であった。

●5月22日(火)夜、お世話になった方々を訪問。もう一ヶ月もたつのに我が事のように喜んでくださる。やはり戦いは勝たなければならない。勝ってこそ正義、勝ってこそ笑顔。

●5月21日(月)地元紙が例によって「豊橋市議会正副議長改選劇」を連載中である。記者独特の視点からの記事なのであることは承知ではあるが、事実とかなり違う箇所が何ヶ所かある。「事実はノンフィクションより奇なり」という事か。

●5月20日(日)初夏の日差しの中を知多に出向き、コマツ時代の上司を訪問した。「訪ねてきてくれることが嬉しい」と再会を喜んでくださった。「新聞で豊橋市議選の開票結果をみて、上位で当選していたので嬉しかった」とも。脳卒中の後遺症に不自由しながらも元気な姿が嬉しかった。

 途中、知多市郊外の「佐布里緑と花のふれあい公園」に立ち寄ったが、見事に整備された公園に感心した。

●5月19日(土)夕方、近くの大きな交差点で「とことんやりぬく」の旗を立て、約一時間「年金問題」や「児童手当」について街頭演説を続けた。風も強かったが、市議選のときとはまた違った手ごたえと緊張感に包まれた。

●5月18日(金)夕方、「ひでレポ」を配っていたら、元教育者の玄関先で「豊橋市議会は何でこうもゴタゴタが続くのでしょうか」と話しかけられた。
 「そうですねえ、かっては村田敬次郎代議士や上村千一朗代議士の両派に分かれた保守分裂の時代や、11年前の早川市長誕生時の3分裂、そして統合・離散を繰り返してきています」と話したら、「いやいや初代大口市長の時代から、豊橋市政界はゴタゴタを繰り返してきている。これだけのエネルギーをまちづくりに向けてきたら、豊橋は素晴らしいまちになっただろうに・・・。市民そっちのけで権力争い、離合集散を繰り返している、情けないことだ・・」と。

●5月17日(木)午後から、85歳になる一人暮らしの老婦人が「現在の借家が取り壊しになるので、今後のことを考えて経費老人ホームに入居したい」ということで、年金収入に見合った施設の下見に同行した。結局、夕方までかかったが、費用の仕組みや施設の実態など実際に勉強できたのがよかった。現場が全ての教科書である。

 それにしてもマスコミ関係者が盛んに聞いてくる。「公明党市議団が自民党清志会と別れて、自民党豊橋市議団と手を組んだのは、やはり副議長や、あわよくば議長のイスを得んがためでしょうが」と。
 そういうふうにしか物事をみれないのが、マスコミなのだろう。もしも「公明の6票が清志会の岩瀬氏に向けられていたら、結果は違っていたでしょうね」と記者。
 「そうかもしれない。しかし、そうなれば、自民系二派の対立の構図はいつまでも続く。もはやそんなことを繰り返している時代ではない。それぞれの会派が真摯な政策論争を展開し、豊橋の展望を開いていかなければならない大事な時だ」と答えるのだが、「伊藤さん、そんなきれいごとじゃないでしょう。議会役員争いは」と反論される始末。もう、うんざりである。

 愛知県長久手町で拳銃を持った元暴力団員が、家族を撃ち、元奥さんを人質に立てこもるという事件がおき、深夜になって若きSAT(特殊)隊員が銃撃され殉職という最悪の事態を招いている。

●5月16日(水)早朝のひんやりとした空気の中を「ひでレポ」を配りながら、歩くことは爽快である。

 今朝の地元紙は「現在の市議会からは分権確立の意思も、地域振興への熱情も一向に伝わってはこない」とし「責任放棄、埋まらぬ亀裂」と報じている。自民系二派の合併が愁眉なのに、それにこたえる努力をなぜしないのかと厳しく報じている。責任は重大である。

 午後、「伊藤、ナゴヤドームへ行くぞ、何か約束してあることがなかったら一緒に行こうよ」とある後援者に誘われて、中日×ヤクルト戦を観戦した。若い浅尾の小気味良い投球、荒木の球際に強い守備、代打間中の同点打、代打立浪の進塁打、職人井端の決勝打、中村のダメ押しライナーのホームラン、岩瀬の完璧な抑え。一球にかける男達のドラマに堪能。
 この時に気を使ってリフレッシュさせてくれた後援者の気持ちが嬉しい。さあ、明日からまた黙々と人間の大道を走る。自分を磨く以外に道はない。

●5月15日(火)豊橋駅前で早朝街頭演説。昨日、成立した「国民投票法案」を中心に話した。「うるさいぞ!自民党とくっついとって何を偉そうに話しとる」とはき捨てるようなヤジも。

 午前10時から5月度臨時議会。開会前に市議団で最終協議。議長は最大会派の自民党豊橋市議団が推す村松氏に、副議長はまち・フォーラム(民主系)の岡本氏に投票することを決めた。
 長く続く豊橋市議会の自民系会派のゴタゴタに終止符を打ち、「議会の本務を果たし、真に市民の負託に応え得る議会改革に進むべきだ」と意見を集約し、態度を決めた。
 結果は、議長は村松氏に、副議長は岡本氏に決定。特に副議長選は自民党清志会の推す候補者との差は11票であり、結果として公明の6票が決定打となった。

●5月14日(月)午前10時からの「世話人会」、それに続く午後からの各会派の動きが慌しくなってきた。夕方、議員団集まって協議。

●5月13日(日)午前中は「三八朝市」。いつもの交差点とスーパー3ヶ所で街頭演説「実現力NO1の公明党の実績」チラシを配り、訴えた。
 午後から名古屋で投票日まで70日と迫った参院選挙に向けて、総決起の会合。戦いの要諦は「戦をする時は阿修羅のごとく戦え!」。勝利への鍵は「戦う目的、目標、相手。この三つを明確にして戦う」。また対話のポイントは相手の心に飛び込む「勇気」、正邪を言い切る「誠実」、友情への「信頼」。愛知の、そして中部の怒涛の大前進が始まる。
 今朝の中日新聞朝刊は「民主150万票狙う、選挙区2人当選で勝利」と2議席獲得に執念を燃やす記事が踊る。

●5月12日(土)夏日を思わせる日中を「ひでレポ」を黙々と挨拶して配った。途中で、沖野地区の開発の問題や、議会改革について青空の下で大いに語り合った。

 夕方から、町内の新年度総会。顔なじみの知ってる人ばかりの地元の会合は、率直に語り合えて楽しかった。名古屋から移り住んだ若い夫婦も町内に溶け込んで楽しそうだった。地元の人達が選挙の勝利も一緒に喜んでくださった。有意義な会合。

●5月11日(金)自民党二派の話し合いが注目されたが、結局、大同団結は見送られることになったとか。役員選挙がらみで、相変わらずのゴタゴタは続く。我、全く興味なし。午後からは、「ひでレポ」をもって地元を丁寧に回った。

 夜、党員会の連絡で回っている途中に、選挙中に気になっていたある家庭を訪問した。選挙中の街頭演説でお会いした婦人のご家庭。当選後、お邪魔した時には留守だったので「選挙中に思わぬところでお会いでき、激励頂き嬉しかったです」とメモ書きしてポストに入れてきたままになっていて、「ひょっとして間違っていたら失礼になるし・・・」と。
 そんな思いで再度訪問した。余計な心配は不要だった。「以前から時々、訪問していただいてるので、夫婦で応援させていただきましたよ」と温かく迎えてくださった。嬉しかった。

●5月10日(木)夜、連絡協議会。参院選に向けて様々な角度から協議し、話し合った。

●5月9日(水)夜、党地区委員会。統一選の反省点を中心に大いに語り合った。詮ずる所は議員の日常活動がどのようにおこなわれているか全てである。
 なかには、芸能人の「伊藤英明」と同じ名前で、ポスターの写真が良かったから票になったとか。もっと候補と有権者が接触する機会を作れば、もっと票になったとか。日常的に「議会報告会」を開催すべきとか。様々な意見が飛び交った。

●5月8日(火)午前10時から2回目の議員全員協議会。議場の議席や、控え室、在庁表示などを全員で決めた。
 注目の議長・副議長は自民系2派が合流に向けての話合いが行われているとか。

●5月7日(月)午前中、市役所で市民相談などの懸案事項を処理。午後からは「ひでレポ」配布が続く。多くの人が勝利と頑張りを喜んでくださる。笑顔と笑顔が、重なり合うことは楽しい。
 夜、市民相談で議員の力ではどうにもならないことを伝えに行く。でも迎えてくれた母娘が、明るく再起を期していたのが嬉しかった。

●5月6日(日)気圧の谷の通過で不安定な空模様。体を休め、書類などの整理に費やした。ゴールデンウィークが終わる。戦いが始まる。

●5月5日(土)お世話になった事務所のスタッフと岐阜県中津川へ。過日NHKニュースで放映された「芝桜の里」を見に行った。今年84歳になる青木翁が自分の屋敷内に43年の歳月をかけて手作りで作られた見事な芝桜にはその苦労が偲ばれて感動した。
 「多くの人に見に来てもらって、喜んでもらえればそれでいい」訥々とした青木翁の言葉が印象的。
 持続は力である。コツコツとした積み重ねの繰り返しが大きな花を咲かせることは、どの分野でも同じである。

●5月4日(金)奈良で公明党の町会議員になった親戚夫婦が東京からの帰りに豊橋で途中下車し、訪問してくれた。昨年秋に、奈良でお会いしたが、共に勝って再会できたことを喜び合った。
 また、千葉市で市会議員になった豊橋、それも近所出身の公明議員が奥さんと訪問してくれた。颯爽とした凛々しい青年議員の姿に頼もしく思った。

 合間に訪問活動。午前中はお世話になった方々を、夕方からは地元地域を丁寧に回った。

 ドラゴンズ、昨日に連敗を脱出し今日も横浜に快勝。

●5月3日(木)5・3を記念して街頭演説を精力的に行った。選挙中に行った団地やスーパーや交差点など8ヶ所で、「公明党の政治」特に憲法記念日でもあり、公明党の加憲の考え方や安倍首相の下で始まった有識者会議の設置や国民投票法案については、決して憲法改正のためのものではないことを強調し、自衛隊の存在や国際貢献のあり方を「加憲」の対象として慎重な論議を進めている」ことを強調した。
 しかし、いくら憲法記念日とはいえ、ちょっと中味が地味すぎるので、途中から「未来に責任を持つ公明党の政治」を熱く語った。

 選挙中、修理に出していたデスクトップパソコンが戻ってきた。再設定がなかなかうまくいかず、再インストールを覚悟したが、何とか、再設定がうまく完了して一安心。パソコンは便利すぎるが、ひとたびトラブルになると、もう大変である。

●5月2日(水)午前10時から議員全員協議会。動向が注目された保守系新人の会派所属。結局、4人が無所属でスタートする事になった。自民豊橋と清志会の議長選がらみの獲得運動に嫌気がさしの判断とか。議会の会派構成は自民豊橋11人、清志会10人、公明党6人、まちフォーラム4人、共産党3人、市民会議1人、無所属5人。
 連休中、議長選がらみの水面下の調整が続くのだろうが、議会に身をおく以上、ゴタゴタは避けて通れないが、自分が議員を続けているのは役欲しさのためではない。市民の中へ、特に困っている人達のために働くために議員を続けているのである。

●5月1日(火)今日から新緑の5月。広い豊橋市内を回っても、回っても行かなければならないところばかり。市南部方面では産業廃棄物問題が、西部方面では交通渋滞の問題が、そして、中心部では商店街活性化の問題が・・。どの課題も重い。

 夜は、市民相談に奔走。


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