★月間レポート★「ひであき」の動き 議会の動き

06年12月 助走!決戦の年へ
●12月31日(日)息子が東京からの深夜バスで帰ってきた。午前中はスーパー3ヶ所で街頭演説。「今年一年のご支援のお礼と来年の政治決戦への決意」を込めながら。それから「ひでレポ」配布を宮下町一帯で。

 午後、愛知代表の中京大中京高校の高校サッカーをテレビ観戦。結局、PK戦になり、敗退。高校卒業後、フランスのプロリーグに行くというスター選手を抱えた選手軍団が駒沢サッカー場に無念さで倒れこんだ姿は、9年前の息子たちの愛産大三河高校の敗退時を思い出させる結末となった。どこの世界も勝負の結果は厳しい。

 夕方から、県営金田住宅、牛川団地、柳原団地と最後の街頭演説。「がんばれ!」と缶コーヒーを差し入れてくださった人もあれば、「自民党とくっついていてよういうな!」との厳しい声も。

 午後9時過ぎ、これから、恒例の「ひでレポ」の年越し配布に向かう。配り終えると「決戦の2007年」が始まる。

●12月30日(土)午前中、年末の買い物客を対象に街頭演説を3ヶ所で、あとは「ひでレポ」配布、午後は支援者回り。夕方はいつもの交差点で今年最後の街頭演説、充実した今年のしめっくくりができそう。天候も穏やかな、暖かい年末。

●12月29日(金)午前中、「ひでレポ」配布、午後は1.11「新春公明党セミナー」の案内状を持って、企業訪問。夕方はいつもの交差点で街頭演説、夜は選対会議。

 「ひでレポ」を配っていて呼び止められた「いつも、楽しみに読ませていただいていますよ。競輪場で貴方が提案してくださって、ジャンバー着て、『ようこそ、いらっしゃいました』と入場口で出迎えるようになったのは、さすがだと思いました」

 飲食店で「伊藤さん、聞いてよ。私は朝2時から中日新聞配って、飲酒運転の関係で夜のお客がなくなったから、モーニングコーヒーやランチを値打ちにやりだしたのよ。そしたらさ、こんな生活なのに、税金がたくさんくるようになったのよ。もらう年金は、店舗の借り賃で消えてしまうしさ〜」

 夕方の街頭演説をじーっと聞いていてくださる女性がいた。「どうかされましたか」と話しかけたら、「私は精神障害で授産施設に通っています。今年から施設利用料が毎月7500円引かれるようになったのですよ。少ないお給料から、この7500円が引かれなければ、病気のお母さんの治療をもう少しできるのに、何でこんなことになるのですか。今年の春までは、一般の会社で働いていたのに、リストラされて、授産施設に行くようになって、何にもいいことありません」

 一つ一つが重い言葉だった。

●12月28日(木)今年最後の三八朝市はいつになくにぎわっていた。「一年間、おせわになりました」と丁寧に、一人一人にあいさつ。

 やっと「公明とよはし」新春号の原稿がまとまった。印刷所にもっていってから、字句の誤りなど数ヶ所発見、校正こそ編集の生命線、集中力が継続できないのは多忙のせいか、年齢か。

 夜、議員仲間で懇親会。「議会改革」の方向性について議論。「地方自治法」が自主・自立の議会のあり方に言及しだした流れを敏感に捉えた地方議会の改革が必要であることを強調したが、思いは通じたのであろうか。

●12月27日(水)年末を迎え、テレビも今年一年の集大成の特別番組。たわいもない番組はともかく、今年一年の総括、特に「世界に挑んだアスリートたち」の壁に挑む挑戦の姿には、ただただ頭が下がる。プロの道は厳しく、壮絶である。しかしまた、それがプロの世界。政治の場もまた同じである。

●12月26日(火)低気圧が吹き荒れた一日。「ひでレポ」.70がやっと完成。

●12月25日(月)今年もあと、一週間。黙々と今年の総仕上げをと気は焦り、やらねばならぬことがあまりにも多い。

●12月24日(日)先祖が眠る岐阜と養老へ、来春の必勝を祈った。20年間、何とか使命と責任を果たすことができたことを感謝しながら・・・。

 帰り道、木曽三川公園のイルミネーションに立ち寄り、凛としたクリスマスイブのひと時。多くの人が近くの子ども達の「リングベル」の演奏に聞き入ったり、広い園内を散策していた。庶民が願うのは平和な日々、平穏な日々・・・。

●12月23日(土)朝市での「ひでレポ」配布から始まって、午前中の買い物客を焦点に食品スーパー3軒で街頭演説。夕方は、公営団地3ヶ所、そして、締めくくりは、いつもの家の近くの東田坂上交差点で、街頭演説。
 「政治が国民のためにあるのなら、政治は国民に何をしたのか、が問われなければならない」と、7年間の連立政権での公明党の実績−特に児童手当の乳幼児加算と、介護予防、予防医療へのシフトチェンジを力説。併せて、豊橋市議会の議員定数を減らす提案が否決されたことを話した。

 途中、午後2時からの「とよはし100祭 +ネクスト100」、100周年記念行事の閉幕記念式典に参加。「平和・交流・共生の都市宣言」も市内の小学生たちの朗読で高らかに。また記念映画「早咲きの花」表現コンクールの受賞者の紹介もあり、向山小学校3年の高木はるなさんの感想文が、本人から朗読されたが、戦争の時代を生きたおじいさんと、この映画を見ながらのほのぼのとしたやりとりが共感を呼んだ。
 豊橋市出身のディレクター杉田成道氏と「早咲きの花」の菅原浩志監督との「とよはし」対談も歯切れが良かった。

●12月22日(金)三島市へ。「街中がせせらぎ」施策について学んだ。うなぎ、街中のせせらぎ、ホタルなど三島の資源を、活性化につなげようとした商工会議所が立ち上がって展開した所が、おもしろい。人口11.4万人のコンパクトなまちの、知恵と戦略が街中にあふれていて、すがすがしい視察だった。

●12月21日(木)午前中は市議団打ち合わせ。午後、大手建設会社に勤務し、白血病で32歳でなくなった弟の上司だった方が、「お会いしたい」ということで、懐かしく、有意義なひと時を過ごした。「あの時、5歳だった長男は結婚して家庭を持ったこと。3歳だった次男は、医学部を卒業して医者の道をあゆんでいることを喜んでくださった。

 夕方は「ひでレポ」配布。夜は、支援団体の今年最後の集まりの幕間に、二ヶ所で挨拶させていただいた。

●12月20日(水)夜、今年最後の党員会。「三丁目の夕陽」をみんなで鑑賞。昭和の、それも自分たちが生きてきた時代の時代考証そのままに、人情味溢れるヒューマンドラマは終始、笑いと涙で盛り上がった。

●12月19日(火)夜、支援団体の地域別の集まりの「政治学習」を担当し挨拶させていただいた。来年の政治決戦に向けて自らの決意を込めて「負担増の時代の公明党」について語った。

●12月18日(月)12月議会最終日。朝8時半に集まって、議員定数改正案の上程の提案理由、賛成討論、予想されるQ&Aを共同提案の自民党清志会の12人と、公明議員団6人がともに情報共有するために、勉強会。

 午前10時からは「環境経済委員会」。8日に行われた常任委員会のなかで、産業廃棄物施設の設置を許可しないよう求める陳情審査の時に質疑した議員の発言をめぐって、協議。途中休憩を挟んで調整。午前11時55分に再会し、なんとか納まったた。

 午後からの本会議、3時過ぎからいよいよ「豊橋市議会議員の定数を定める条例の一部を改正する条例」を本会議に上程。提案理由を読み上げた後、委員会付託を省略し、直ちに審議に入った。
 自民党豊橋市議団、まちフォーラム、共産党市議団、豊橋市民会議の会派から、7人が登壇して質問してきた。ほとんどは議員定数を減らしていいと判断した理由や、減らすことにより幅広い市民の意思が反映されるのか、議会運営委員会から付託された議院運営委員会理事会で審議中のものを議員提案した正当性などに絞られた。審議は4時間かかった。
 午後7時15分すぎに質疑終結、討論、採決となり結局、起立したのは18人。「起立少数で否決されました」と空しく会場内に響いた。ドッと疲れが・・・。

●12月17日(日)午後1時半からと、午後7時から豊橋市公会堂で太田代表を迎えて「公明党時局講演会」。

 60年ぶりに改正された教育基本法など臨時国会における自公連立政権の成果を強調した。
 この中で太田代表は教育基本法について、「公明党は『個人の尊厳』などの基本理念を堅持するよう全力で闘った」とした上で、教育環境や社会状況が制定当時とは大きく変わったことに対応するために、生涯学習や家庭教育の重要性を盛り込んだと強調。「間違いなく、今の日本の社会状況を軸にしたバランスのとれた教育基本法ができた」と力説した。

 また、今臨時国会において防衛「省」移行関連法、改正官製談合防止法、多重債務者の増加防止を目的とする貸金業法などの多くの重要法案が成立したことを紹介し、「連立政権は大きな仕事をした」と強調した。

 さらに、「社会の課題に真正面から取り組み、困っている人のいる現場にすぐ行って解決するのが新しい公明党だ」と述べ、来年(2007年)の統一地方選、参院選への絶大なる支援を呼び掛けた。(以上、公明新聞から)

 「庶民のために、困っている人達のために立ち上がる政治家はいないのか!政党はないのか!」と烈火のごとく怒った戸田先生。そして昭和39年11月17日に公明党は結成されたのです」だから「庶民が悩んでいる!庶民が困っている、そこに行くのが公明党でなければならない」と太田節が冴える!

 終了後も、玄関で一人一人に丁寧に握手する太田代表と、取り囲む支持者たち。熱き交流はいつまでも続いた。

●12月16日(土)午前10時から名古屋で議員総会。子育て支援やガン検診、都市農業についての政策学習も。

 帰りに名古屋の書店で弘兼憲史著「団塊生活」を購入し、一気に読んだ。「発想を転換してしまえば、転ばないための用心は杖でなく、つまようじ程度で充分なのだ。これが人生を楽しむコツだ」と黄昏流星群の作者である団塊の代表ランナーの言葉には重みと安心感がある。

●12月15日(金)議会運営委員会が続く。予定通り「議員定数改正条例」が審議できるのかどうか。午後になって、18日の最終本会議で審議されることになった。議運メンバーの長い努力と、議員の議案提出権を尊重した配慮に感謝。

 夕方、田原支援で旧渥美町へ。

●12月14日(木)夜、支援者の集いにお邪魔し、幕間あいさつを2ヵ所。

●12月13日(水)決算委員会二日目。夕方から「ひでレポ」配布に徹した。

●12月12日(火)今日から、平成17年度一般会計決算委員会。委員でない私は、傍聴。
 朝9時、近くの喫茶店「亜鳥絵」へ。今日からの「秋季企画展 紅葉百歳」に出品した自分の写真を確認に行くのは、ちょっとドキドキである。さすがに力作ばかりの約30枚の写真に混じって、会場の片隅に掲げられた「黄色の世界」にホッ。

●12月11日(月)一般会計予算特別委員会。
 「行政経営は民間に学ぶべき点は学ばなければならない。しかし、市民の参政権、投票権という基本的人権を行使するためには、効率化、コスト意識だけで判断していいのか」と、選挙管理委員会が来年の統一地方選や参議院選挙を前に、1万人を超える投票所を分割し、逆に小規模投票所を併合したが、併合した投票所の校区は、市内で最も高齢化の進んでいる地域である」ことから質疑した。
 また、市制100周年を機に発表される「NEXT宣言」についても質疑があり、採択された。

●12月10日(日)午前中、我が家の大掃除。午後は、「ひでレポ」配布を黙々と。

●12月9日(土)東海道由井宿の由比本陣公園内に設けられた広重美術館へ。特に「浮世絵の基礎知識」の学習とともに、広重の作品をメインに1300余点の版画が収集されていて、東海道53次の、なじみやすい浮世絵は親近感があり、楽しい視察となった。
 また、隣接する「東海道交流館」では町の職員さんやボランティアが頑張っている姿に感銘を受けた。当時の建築様式をそのまま復元された由比本陣記念館「御幸亭」も一般開放されていて、しばし茶をたしなみ、有意義な一日となった。

●12月8日(金)午前10時からは「環境経済委員会」。「水の展示館」と「職業訓練センター」の指定管理者制度について質疑。

 陳情審査においては「産業廃棄物中間処理施設の建設計画に対し、許可しないことを求める陳情について」地元関係議員からかなり突っ込んだ現況説明を求める質疑が続いたが、後に問題を引きずるような質疑となった。

 午後からは、福祉教育委員会。提出されている請願審査において賛否拮抗。議会内の対決模様。

●12月7日(木)午前中、建設消防委員会傍聴。午後、岐阜から先輩夫婦が豊橋へ。久しぶりの再会、話は尽きなかった。

●12月6日(水)公明同僚議員の、宮澤、沢田両議員が、午後から相次いで登壇。いじめ問題や、ポスト百周年、介護保険や助産士問題などについて、女性議員らしい論陣を展開。確実に、着実に成長している姿が嬉しい。

●12月5日(火)一般質問2日目。隣の議席の山岡議員が「三河市構想の推進について」などで登壇し、4期16年間の議会活動の最後の一般質問となった。終わってから、会場には万雷の拍手が響いた。真面目な几帳面な山岡議員の議会活動に学ぶこと多し。

●12月4日(月)結局、一睡もできず、朝7時の豊橋駅前の街頭演説から戻り、更に、準備をして、ぎりぎりで、定例12月議会の開会に間に合った。
 4人目に登壇した頃は、心身ともに最悪、何とか60分頑張ったが、頭が思うように回転せず、滞りなく終えるので精一杯。

●12月3日(日)明日の一般質問の質問趣旨を書いた「ひであき三八レポート」をもって、早朝から朝市で頑張った。

 午前9時からは、「朝倉川を守る会」の清掃活動。約1時間、心地よい汗をかいた。2グループに別れ、約30人が参加してくださった。集まったごみは軽トラックに一杯。
 たかが、朝倉川のごみ拾いだが、参加した人達をさわやかな笑顔にさせるのは、されど、ごみ拾いといったところ。東愛知新聞社の取材もあり、朝倉川の正月準備は万全。

 夕方からは、地元校区総代会長の溝口氏の瑞宝双光賞受賞祝賀会、通夜と続いた。礼服のネクタイを白から黒に変えて・・・。
 明日4日の一般質問のための準備を始めたのは、結局、午後10時過ぎから、どうなることやら・・・。

●12月2日(土)近所でもあり、お世話になった故人の葬儀などの準備に、精一杯お手伝い。眠るような安らかな如是相に、ただただ「ご苦労様でした」と祈り、私なりに故人との思い出を、命に刻み、悔いなく頑張ることを誓うのみ。

●12月1日(金)議会運営委員会。12月議会の議案など。

 夜、お世話になった老婦人が亡くなった。新しい公明党の出発を心から喜んでいてくださった。特に、生活と戦いながら、地域にへばりついて頑張る地方議員をいつも激励してくださったことが忘れられない。 94歳の安祥とした旅立ちに、ただ合掌。


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