★月間レポート★「ひであき」の動き 議会の動き

06年11月 悔いなく総仕上げへ!
●11月30日(木)午後、市民病院スタフと公立病院のあり方を議論。中味ある2時間だった。夕方、陽も落ちて冷たい風が吹いていたが、黙々と「ひでレポ」配布。

 夜、岐阜の元町会議員であった先輩から電話。「今、NHKニュースで目黒区議会が開かれ、公明党区議6人全員の辞職が決まった。何をしとるんや、最近の公明党議員は!」と激しい口調。

●11月29日(水)12月議会一般質問通告。初日の12月4日(月)の4番目に決まった。質問者が集まって順序を抽選する会議室に入ったら、ある市議から「伊藤さん、目黒の応援に行かんでいいかね」という言葉が飛んできた。悔しいが、またこれが置かれている現実である。

●11月28日(火)午前10時から、公明党市議団で来年度予算編成に対する市長への要望を行った。特に「いじめ問題」「介護保険、障害者自立支援法」、「勤労福祉会館問題」の三点については緊急を要する重要要望事項としてまとめ、提言した。

●11月27日(月)雨模様の一日。議会運営委員会がもめている。「議員定数削減」のための条例改正案を提出しようとする公明党市議団と自民党清志会の行動が「議運理事会の合意を得て行うという、申し合わせ事項に違反している」と他の会派が主張し、平行線のまま。8年前は最大会派が削減条例提出側にあったのだが、今回は、反対の側に回っていることが、もめている最大の要因。

●11月26日(日)雨の日曜日が予想されていたが、何とか夕方まで曇り空のまま推移した。お陰で、「ひでレポ」配布に徹した一日だった。多くの人と対話でき、多くの人と挨拶を交わすことができた。

 途中、「早咲きの花」の東京ロードショーの前売り券について協力を求められたり、少年野球の監督やコーチスタッフと懇談できたり、充実した一日だった。
 帰ってきたら、電話があり「届けていただいたレポートに写っている写真のどちら側が太田代表で、伊藤議員さんはどちら側の方ですか。息子が太田代表と同じ高校の後輩ですから、東京にいますのでこの話を伝えます」と反応があったのも嬉しかった。

●11月25日(土)とんでもない事件が東京目黒区議会公明党議員団で起きた。政務調査費の使い道が不適当だったとして、公明党区議団(寺島芳男幹事長)所属の六議員全員が24日、辞職願を議会に提出したという。
 それにしても、目黒の話はひどすぎる。自家用車の車検費、カーナビゲーションの購入費、研修費と題したバス旅行代・・・、そんなものが、何で政務調査費で処理するのですか。
 また、このことを記者会見で説明した党都本部の高木陽介代表代行(衆院議員)は「政治活動とプライベートの活動とのグレーゾーンが、多数見つかった」と説明したと報じている。冗談じゃありません!真っ黒ですよ!これが真っ黒でなかったら、黒色ってどういう色ですか!真っ黒だから、公認取り消し、議員全員辞職願い提出となったのではありませんか。

 残念なのは、6人の内1人でも、「こういう処理の仕方はおかしい!支持者や区民の皆さんに恥ずかしくない公費の精算をやりましょう」と懸命に諭す人がいなかったのかということ。

●11月24日(金)豊橋駅前での街頭演説を済ませ、同僚議員4人と近江八幡市に向かった。10月に開院した市立総合医療センターが全国初のPFIで運営を始めたということで視察させていただいた。琵琶湖に面した田園地帯に八幡瓦を使って景観にも配慮したみごとな病院だった。

 予定より、早く近江八幡市に着いたので八幡掘界隈を散策し、昼食をとった。その八幡掘に木橋がかけられていて、何事かと思いきや東映映画「憑神」(新田次郎原作)の映画撮影のためのロケセットだという。思わぬ情景に出くわし、楽しかった。

 夕方までに帰り、そのまま渥美半島の先端まで田原市議選の打ち合わせに走った。

●11月23日(木)名古屋で政策研鑽の一日。頭が割れるくらいに詰め込んだ。帰ってくるともうぐったりだったが、市民相談がたまっていて、現場へ走った。

●11月22日(水)校区の来年度の成人式用にパワーポイントで紹介スライドを作った。午前中で仕上げる予定が結局、夕方まで。今夜の校区の社会教育委員会役員会での試写会に間に合わせた。

 夜は、公明党総支部大会。新しく総支部長に鈴木義則議員が任命され、新出発。議案説明の後、質疑に入り、負担増問題について答弁に立った。
 予定された5分の答弁時間は守れなかったが、分かりやすく、丁寧にまた簡潔に答えたつもり。参加していた山本 保県副代表(参議院議員)が話の中で「社会保障の負担増の問題を先ほど伊藤議員が的確に、明解に答えていただいた。あれだけの説得力で話すのは難しいのですが、聞いていて感心しました」といわれ、ちょっと嬉しかった。

●11月21日(火)午後、行財政改革特別委員会。
 「豊橋市経営改革プラン」の進捗状況や「H17年度事務事業評価」について質疑。自分の発言の前に「負担増が押し付けられる悪政が続いている」などと「悪政」という言葉が3度使われたので、冒頭に「委員長において議事を整理するように」と要請したら、当の共産党議員から「議事進行!」がかかった。
 委員長は「議事整理権は委員長にありますので的確に整理するということで、よろしいか」と発言があり、その場は収まった。特別委員会でもあり、「休憩」を取らずに、会が運営できたのは、望むところであり、委員長の采配はあれでよかった。

●11月20日(月)東京・青山で音楽事務所を開設した高校の同級生のお祝いと表敬訪問に「八丁饅頭」をもって上京した。紆余曲折を経ながらも、音楽プロデュースの道を一筋35年、その苦労を感じさせない振る舞いに学ぶことは多かった。
 それにしても、渋谷駅からタクシーで一区間の一等地の事務所はシンプルでモダンで、オープン祝いの花で埋め尽くされていた。

●11月19日(日)昼に一宮の弟宅で、長男夫婦と懇談。若い夫婦が真面目に共働きで頑張っている姿が嬉しかった。5歳と3歳の息子を残して弟が白血病で亡くなって24年。今、長男は家庭を持ち、次男は医者の道を歩いている。頑張れ、お父さん(弟)は喜んでるよ!
 午後からは七宝町で会社員時代の先輩と旧交を温めた。地方議員として生き抜いていることを自分のことのように喜んでくださった。
 帰りに豊田の親戚に回り、岡崎で味噌煮込みうどんに舌鼓。充実した友好の一日。

●11月18日(土)奈良へ。来春の統一選出馬が決まった親戚の自宅を訪問。語らいは尽きなかった。我が一族のなかから二人目の公明議員が誕生することになる事は、この上のない喜び。「勝って再会しましょう」と握手して別れた。断じて勝利を、共々に!
 予定より早くつき、近鉄奈良駅前の「奈良町」界隈を散策。古の往来を偲びながらゆったりとした時間を楽しんだ。

●11月17日(金)「いじめ問題」「改正介護保険」の政策課題を研鑽。

 午後、療養病院に入院中の婦人を見舞い、激励。息子や娘たちと離れ、単身の生活を病院で続ける老婦人の思いは、様々に揺れ動く。「老いる」こと、「生きること」の両面から重い現実があり、ここに人生の最終章が凝縮されている。「頑張って!」と握る手が細かった。

●11月16日(木)午前中、「ひでレポ」配布に徹した。

 午後、知人を役所に案内をし、土地の用途替えの手続きに付き合う。その後、警察にも回って、20年も前に防犯活動で表彰を受けた時の、記念のバッジが溶けて汚れたので金を出してでも新しくできないかと相談。
 人生の足跡をきちんと残したいという思いが、バッジにこめられている。たかがバッジ、されどバッジ。しかし、この人には最高の勲章。その思いを叶えてあげる道はなかったが・・。

●11月15日(水)「ひでレポ」配布を精力的に、足が棒のようになったが、「ひでレポ」を配り続けて20年、その手ごたえが至る所で実感できた一日だった。

●11月14日(火)午前11時から予算要望まとめの最終会議、3時過ぎまで。

●11月13日(月)午後から「環境経済委員会」。産業廃棄物処理計画について質疑した。ごみゼロ社会、循環型社会といっても、現場はまだまだ機能していない。道遠くの感。
 水俣病の研究や被害者の支援などを40年近く続け、公害研究の第一人者として世界的に知られていた、沖縄大学名誉教授の宇井 純氏が亡くなった。74歳。合掌。
 40年も前、岐阜大学の教室にもぐりこんで聞いた宇井氏の「たれ流し高度経済成長」の講演の衝撃は今でも脳裏に焼きついている。忘れてはならない日本人が、この世を去った。
 東大では公害問題などについて市民に直接伝える「自主講座」を開講し、昇進の道を閉ざされて「万年助手」と言われながら、反社会的企業や学者を一貫して批判する行動派の科学者としての生き様がいい。
 比べるべくもないが、我もまた地方の生涯一市会議員として、誰に何と言われようがこの道を歩む。

 終了後、海外派遣団の報告書がまとまり、派遣団メンバーで確認。議会で派遣が決まり活動を始めてから、足掛け5ヶ月。9月26日からの海外視察本番を頂点に一連の派遣団の活動は区切りとなった。

●11月12日(日)深刻な事態が続く。「いじめ問題」で社会全体が立ちすくみ、戸惑っている。連鎖反応のようにいじめに起因するとみられる児童生徒のの自殺がやまない。そして校長までも命を絶った。悲痛な連鎖を断つには何をすべきなのか。

 首をつった埼玉県の中学3年の少年は同級生から金を要求され今月6日に学校に相談した。学校も「いじめ」と判断したが、相手への指導は「これからする予定だった」と手をつけていなかった。
 また飛び降りて命を絶った大阪府の中学1年の少女は、小柄であることを小学生の時以来からかわれ続けていた。いじめの内容は陰湿で痛ましい。
 もう一つの側面は、いじめる側の子とその保護者への対応の難しさだ。いじめは「いじめをする者」がいて発生する。被害者だけの対応では容易に根は絶てない。由々しき事態だ。

●11月11日(土)雨模様の一日。1ヶ月分の公明新聞記事を整理。「ひでレポ」2500枚増刷。

●11月10日(金)朝早くから「ひでレポ」配布。そののち豊橋駅に出向き7時から街頭演説。民主党の県議選候補者がラグビー姿の若者と一緒に街頭演説を行っていたが、マイクのボリュームをあげて負けじと頑張った。
 特に公明党が何故に連立政権に参画したのか。そして、足掛け7年間でどのような成果を収めたのかを強調した。

●11月9日(木)午前10時から、予算要望のまとめ。この機会に市議団の政策を精査するのは意義あること。精力的に行った。

●11月8日(水)夜、党役員会。11/22の党総支部大会の打ち合わせ。参加した役員からは「首長の退職金の問題」や「いじめ問題」など率直な意見が相次いだ。きちんと説明することの重要性と、情報がきちんと党の役員にまで伝わっていないことを思い知らされる。

●11月7日(火)朝5時、暗いうちから「ひでレポ」を配った。それでも、ごみ出し日だったので、多くの地域の人と会え、あいさつを交わせたのはよかった。

 その後、岐阜に向かい、長良川沿いの「国際会議場」で「中核市サミット」に出席。
「一層の分権型社会の構築に向けて」をテーマに中核市37市の市長や市議、職員が集った。来賓挨拶の中で、古田岐阜県知事の代理で原副知事があいさつしたが、真っ先に裏金問題に対してのお詫びがなかったのは、残念である。地方分権改革の旗手と思われていた、梶原前知事の時代にあれだけの裏金問題が行われてきたのだ。
 「10年前のこととはいえ・・」などと挨拶の途中で触れられたが、そういう他人事のような体質が問題ではないのか。

 「歴史にみる地方行政改革」と題した童門冬二氏の流れるような講演には深い感銘を受けたし、参加した甲斐があったというもの。

 四分野に分かれて分科会があったが「地域に根ざした教育の活性化」の分科会に参加したが、総花的、かつ7人の市長のおらが市の教育の取組みについて、ながながと自慢話が続いた。今、もっとも重要課題である「いじめ問題」に突っ込んだ議論を期待したが、見事に肩透かし。
 終了後、正面のカーテンが開き、夕闇迫る金華山と岐阜城が現れたのは、大変に結構な演出であった。

 青春時代を過ごした岐阜の町、牛乳を配り、悶々とした青春の舞台がなつかしかった。岐阜を離れて、27年。我がふるさとはまぎれもなく道三のまち-岐阜である。

 岐阜出身の富山市議や岐阜の仲間と、夕食を共にし、一献傾けた。会話が弾んだ。

●11月6日(月)来年度予算編成に当たっての市議団の予算要望をまとめる作業が始まった。各自の所属委員会の分野の予算要望項目をまとめて集うことになっていたので、今朝4時半までかかって必死にまとめた。当然だ。皆の約束だから。

●11月5日(日)校区市民館で「校区市民文化祭」。開会式後、芸能大会が夕方まで。会場の外では焼きそばや綿菓子、だんぺいなどでにぎわった。綿菓子作りを昼まで手伝った。一休みしてから、夕方まで黙々と「ひでレポ」を配った。爽やかな一日だった。

●11月4日(土)後援会の人達と車で長野へ。来春の市議選への体制作りと戦略を車中で検討。栗ご飯がおいしかったし、須坂のクラッシック美術館がよかった。
 明治から昭和にかけて生糸の町として栄えた須坂。蔵の町並みが残る旧市街の街道沿いに建つ須坂クラシック美術館。手描き風に仕上げられた型染めの着物が古い民家に見事にマッチしていた。
 今年6月に視察で歩いて、前知識もあったが、その時とはまたちがった趣と風情のなかでゆったりとした時間をすごした。後援会幹部も喜んでくれた。

●11月3日(金)三八朝市で「ひでレポ」配布を約3時間。途中、市民の方から鋭い口調で「税金を一括支払いすると割引があったのに、議会がその制度を廃止したではないか。何を考えとる」とすごまれた。丁寧に納期前納付の時代でないことを説明したが納得いただいただろうか。

 そこへ、市のごみ収集車が狭い坂道から朝市の人ごみの中へ降りてきた。年寄りも多く往来している所へ4d車がやってきたのだ。「誰か車から降りて誘導したら」と話したら、やっと職員が降りてきて、誘導し事なきを得た。
 休日に出勤しての収集業務はご苦労だろうが、歩行者天国になって朝市が行われている道路を横切る時には、ひょっと降りてきて、収集車を誘導するなどという当然のことがなされないことが残念だった。

 夕方は、大型家電ショップと駅前の携帯ショップ前で街頭演説。
 同僚の宮澤佐知子議員と行ったが、駐車場でじっくりと聞いていてくださった婦人が気になったので、そばへ行ってお話したら、岡崎のほうから豊橋へ来たついでに家電ショップにきたら、公明党の旗を立てて街頭演説が始まったので聞き入っていましたとの事。
 「豊橋の公明議員さんは頑張っておられますね」と思わぬ言葉が嬉しかった。

●11月2日(木)長野から松本へ。紅葉真っ盛りで、視察の帰途、松本駅へ向かう途中に車窓から見た松本城の紅葉にたたずむ勇姿は見事だった。

 松本でも公明仲間が「野沢菜」を持って会いにきてくれた。このネットワークが公明党の強み。来春の市議選で松本市公明市議団は1議席増に挑むという。健闘を祈らずにおれなかった。

 豊橋では、4年目のこの時期のこの視察が終わると統一選挙の戦国モードに入る。いよいよである。断じて6度目の戦いは総仕上げの戦いにしてみせる。早速、「市議選戦国図」も作成した。

●11月1日(水)妙高高原をトコトコと越えて、長野へ。あの冬季オリンピックから8年。豊橋と同じ38万人の長野市があれだけのイベントを大成功させたことは記憶に新しい。足元にまかれた可能性の種とその芽生え、一方で、巨大イベントは利益を分け合ってきた地域経済や地域社会といった枠組みがどう変容してきているのか。そのことを検証にもう一度訪れたいまちである。  夜、ホテルで公明新聞記者としばし懇談。楽しいひと時だった。 ●10月31日(火)朝暗いうちから「ひでレポ」配布に出かけ、爽快な汗をかいたのち、環境経済委員会の視察で金沢、長野、松本と二泊三日のスタート。

 昨年、秋以来3度目の金沢の駅は北陸新幹線を迎え入れる駅工事で動線がかなり変更されていた。「昼と夜の顔をもつ商店街の街づくりについて」市役所でれレクチャーを受けた後、片町商店街を歩いて、現地視察した。
 おしゃれなオープンカフェやファーストフード店が集約された商店街の一角は、これが金沢なのかと思うほど。その陰に必死の取組みがあったであろうことが忍ばれる。

 その合間に金沢市議会公明党の皆さんと懇談の機会を得た。北陸特有厚い壁に党勢拡大に頑張る同志の健闘を祈らずにはおれなかった。帰り際、互いの健闘を期して握手して別れた。

●10月30日(月)朝、6時から早朝に「ひでレポ」配布。午前10時からは、海外視察報告書の内容チェックを、派遣団全員で。

 午後から、爽やかな秋空の下で、「ひでレポ」を一軒一軒配った。留守家庭も多かったが、できるだけ地域の方に会えるように、もはや統一選を前に、空回りにならないように真剣勝負モード。

 いじめ問題、高校の履修単位不足問題が日本列島を覆っている。遂に茨城県では県立高校長が自殺というニュースも。いじめ問題はどこの社会にもある。そうした人間同士の格闘で成長しているのが人間社会でないのか。特に子どものいじめの世界に大人が介入しすぎていないのか。
 高校の履修単位不足問題は「教育は何のため」を忘れ「教師こそ最大の教育」であるはずの教師がいかに特有の世界に閉じこもっているかを露呈している。
 日本の教育現場はいまや混乱のきわみ。

●10月29日(日)朝早くから、名古屋に向かって、コマツの先輩を訪ね、コーヒー飲みながら、久しぶりの対話。特に林業機械の拡販に取り組まれていたので、日本の林業政策の無策をレクチャーいただいた。
 また、小牧市の親戚ではモノレールが廃止になったことから、公共交通機関の問題点など生活する側からのご意見をじっくり聞かせていただいた。実りある友好活動だった。

 夜は、総支部議員会。鋭きも鈍きも ともに捨てがたく錐(キリ)と鎚(ツチ)とを、使い分けなば」という言葉がある、しかし、捨てなければならない鎚や錐もあるのか。


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