HIDEAKI REPORT NO.48 臨時 2001/10

今こそ非暴力の勇気を!

憎悪を平和に変える回転軸とは何か!

 米国で起きた史上最悪の同時多発テロが、重大局面を迎えようとしています。断じて許すことのできないテロ行為、それに向かう報復という軍事行動。しかし、報復は報復を生み、人間同士の殺し合いは拡大していく。誰もが同じ人間なのに、誰もが幸福と安穏を願っているのに・・。憎悪を希望に変え行く回転軸はないのか。冷静な「人間の英知」が今、グローバルに問われている。

 9月11日、それはまるで「007」の映画のシーンかと思わせるように国際貿易センタービルが崩壊し、あまりにも残酷なテロが実行されました。どんな理屈をつけようとも、こんなやり方に誰が共感しようか。

 「本来、宗教は人の魂を救い、人間が人間らしく幸福に、平和に暮らすための役割をもっています。これほど悪い残酷な宗教ならばこの世にある必要がない。あらゆるテロを絶対悪として断じて許してはならない。(池田SGI会長、9月25日付毎日新聞)。

 問題はどうすれば、テロを根絶し、憎悪でなく希望の歴史へ歯車を回転することが、できるのかということです。今、アメリカが中心となって具体化されようとしている軍事的な報復によって、それが可能でしょうか?間違いなく、さらに憎しみをかきたてるだけで、火に火を加えて、世界を燃やし尽くす争いへと拡大してしまう事を私は恐れます、いや、「断じてあってはいけない」と叫ばずにはおれません。

 なぜかなら、テロの背景にはアラブ世界に広がっている「強い反米感情」があることを考えれば、ガスが充満した部屋に火を投げ込むことになりかねないのです。仮に、当面の"敵"を制圧できたとしても、それで本当に「平和」が来るのでしょうか?
 積もり積もった「憎しみ」は、いよいよ地下にもぐり、世界のどこから現れるか予想もつかなくなり、いよいよ不安な世界、「戦争の世紀」に戻るのでしょうか。

しかも、軍事行動となれば、罪なき民衆の犠牲も出ます。軍事用語でそれを「副次的被害」と呼ぶそうですが、なんと冷ややかな言葉でしょうか!
 アフガニスタンの民衆は、戦乱と干ばつで疲弊しきっていると伝えられています。「食べ物すら無いアフガニスタンには、50万人以上の 身体障害をもった孤児がいる」と現地をしばしば訪れている黒柳徹子さんは報告しています。
 国土は地雷に覆われている上に、農場は長い戦乱で破壊されたままだという。国連の警告によると、アフガニスタンに報復攻撃が加えられたら、更に食糧不足が悪化し、「人口の四分の一にあたる六百万人が飢餓状態に直面する」という。そんなことをやる権利が誰に与えられているのでしょうか。

 今こそ叫ぶ。「武力による解決でなく、アラブ世界との大いなる対話を開始し、犯行者に対しては国連が中心となって、テロリストを国際的な司法の場で裁くシステムをつくるべきだ」と。
20年前、創価大学通信教育の授業でアラビア研究の先覚者川崎寅雄先生が口ぐせのように語っておられた。「日本ではアラブというと『こわい』イメージがある。でもみんなおなじ人間なんだ。みんな楽しい暮らしを待っている・・・」。

 抜けるような秋の青空は世界中のどこにでもなければならないと思います。爽やかな風と一緒に・・・。


 以下は友人から、転送されてきたMAILです。千田悦子(ちだ・えつこ)さんは、国連難民高等弁務官でオサマ・ビン・ラデンが潜伏していたというカンダハール事務所で仕事をしていました。以下はパキスタンに「避難」の最中に彼女がしたためた手記です。できるだけ多くの方々に読んでもらいたいということですので紹介させていただきます。

報道機関が煽(あお)る危機感!2001.9.13

国連難民高等弁務官カンダハール事務所 千田悦子(ちだ・えつこ)

 9月12日(水)の夜11時、カンダハールの国連のゲストハウスでアフガニスタンの人々と同じく眠れない夜を過ごしている。私のこの拙文を読んで、一人でも多くの人がごく普通のアフガン人達がどんなに不安な気持ちで9月11 日(昨日)に起きたアメリカの4件同時の飛行機ハイジャック襲撃事件を受け止めているか、少しでも考えていただきたいと思う。

 テレビのBBCニュースを見ていて心底感じるのは今回の事件の報道の仕方自体が政治的駆け引きであるということである。特にBBCやCNNの報道の仕方自体が根拠のない不安を世界中に煽っている。

 事件の発生直後BBCは早くも、パレスチナのテログループが犯行声明を行ったと、テレビで発表した。それ以後、事件の全貌が明らかになるにつれてオサマ・ビン・ラデンのグループの犯行を示唆する報道が急増する。その時点で我々はアメリカがいつ根拠のない報復襲撃を大多数のアフガンの普通市民、人道援助に来ているNGO(非政治組織)NPOや国連職員に始めるかと不安におびえている。

 1998年8月にケニヤとタンザニアの米国大使館爆破事件があった時、私は奇しくもケニヤのダダブの難民キャンプで同じくフィールドオフィサーとして働いていた。その時も物的確証も無いままオサマ・ビン・ラデンの事件関与の疑いが濃厚という理由だけでアメリカ(クリントン政権)はスーダンとアフガニスタンにミサイルを発射した。

 スーダンの場合は製薬会社、アフガンの場合は遊牧民や通りがかりの人など 罪の無い人々が生命を落としたのは周知の事実である。標的であった肝心のオサマ・ビン・ラデンに関与するグループの被害はほぼ皆無だった。タリバンや組織のメンバーは発達した情報網を携えているので、いち早く脱出しているからだ。前回のミサイル報復でも、結局、犠牲者の多くは子供や女性だったと言う。
 今、まわりでは「アメリカはミサイルを既に発射したのではないか」という不安が募る。アフガニスタンに住む全市民は、毎夜この爆撃の不安の中で日々を過ごしていかなくてはいけないのだ。

 国防長官は早々と戦争宣言をした。アメリカが短絡な行動に走らないことをただ祈るのみである。逃げる場所があり、明日の見通しがたっている我々国連職員は良い。ところがアフガンの人々は一体どこに逃げられるというのだろうか?
 アメリカはオサマ・ビン・ラデンを擁護しているタリバンそのものも槍玉に挙げている。タリバンの本拠地-ガンダハールはもちろん、アフガニスタン全体が標的になることはありえないのか。

 世界が喪に服している今、今回のテロで亡くなった人々の家族が無念の思いを怒りと共に抱いているように、アフガニスタンにもたくさんの一般市民が今回の事件に心を砕きながら住んでいる。アフガンの人々にも嘆き悲しむ家族の人々がいる。

 オサマ・ビン・ラデンがテロリストだからと言って、無垢な市民まで巻き込む無差別なミサイル攻撃を国際社会は何故、過去に黙認しつづけてきたのか。

 「これ以上、世界が危険な方向に暴走しないように」、「どうか、これ以上災難が続かないように・・」今はただ祈っている。そして、こうして募る不満をただ紙にぶつけている。

千田 悦子    2001年9月13日 筆

2001/9発行のNO.47へ ホームページに戻る