伊藤ひであきの視察報告

◎中国訪問記◎(4) 蘇州から再び上海へ 97・11・09

11月9日 秋晴れの日曜日 蘇州の街は休日を楽しむ人で活気が満ちている。市 区だけでも100万人を超えるという蘇州は紀元前10世紀前後の呉の都。呉越同 舟というのはこの蘇州の呉と抗州の越とのこと。蘇州はまた「絹の都」「刺繍の 都」。日本の呉服という言葉も古代の交流から日本にもたらされた言葉だという。

 市の西部の寒山寺を案内してもらった。唐代の名僧”寒山”が住職をし、漢文 で習った張継の詩ー楓橋夜泊で有名。「月落ち鳥鳴いて霜天に満つ 江楓漁火愁 眠に対す 姑蘇城外寒山寺 夜半の愁声客船に到る」の寒山寺である。また、虎 丘は1000年以上も前に建てられた仏舎利塔が傾いたままで、中国版「ピサの斜 塔」。蘇州の幾多の庭園の中でも最大の拙政園は小説「紅楼夢」の舞台にもなっ た。

 一つ一つの名所・旧跡はひも解けばなじみ深いものであり、それぞれに歴史の 風雪を経て見事な調和を保っている。そして溢れるばかりの休日を楽しむ人達。 それともう一つお土産売りの商魂のたくましさ。刺繍工場でも、絹工場でも・・ 値段がどこに真実があるのか分からない。通訳とセットされているような仕組み には僻々。

 上海へは高速道路(無料)で約2時間。車中で「中国の近代化について」終始 同行してくれている郭君と論議。中国の市区住民の年収は約7万5000円。農民の それは3万6000円位だという。都市に生まれれば年間14キロの食糧券が支給され 食糧は保証されるが、農家に生まれれば保証されていない。自らの収穫で営む以 外にない。

 この市区と農村区には強い階級制度で区別されていて貧富の差、地域の差は歴 然とのこと。それでもまだ中国の東部の都市周辺の農村は恵まれている方で、西 部の奥地へ行けば草藁の家屋に住み、豚や牛同然の生活を強いられ、都市部に何 の保証もないまま出稼ぎに行く以外にないとの事。「開発・開放を進めながら、 人民の不満を解決していく以外にない」、北京大学を出て南通市対外交流担当の 郭君の言葉は重みがあった。

 中国最後の夜は「上海雑技団」の見事なるサーカス。約90分にエンターティメ ントとしてまとめあげられた若い、躍動的な演技の数々にしばし堪能。南通人民 政府の配慮に感謝。

 あっという間の6日間。とてもとても広大な中国、4000年の悠久の歴史を 理解するどころか、大国中国をほんの少し触れたに過ぎないが、21世紀の世界史 の重要な鍵を握る中国を、特に南通市民との交流を通じてほんの少し理解する事 ができた。そしてあまりにも隣国中国の事を知らなさすぎた自らの不明を恥じた い。よって、知り得た、この目で見た中国人民の姿を少しでも多くの豊橋の、日 本の人々に伝えていこうと決意した。日中友好という世界平和の砦を築くため に・・・

南通市・豊橋市友好都市提携10周年記念

豊橋市友好訪問団   伊藤 秀昭


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