伊藤ひであきの視察報告

●派遣団(完)ニューヨークごみ事情● 99.10.6

●10月5日、6日
 霧のため発着が遅れたがピッツバーグから飛行機で約1時間半、世界の中心地ーニューヨーク。800万人の人口は昼間人口は1000万人以上に膨れ上がる。マンハッタン島にひしめく高層ビル群ー摩天楼とはよくいったもので、堂々とそびえたつ。ここはニューヨーク、2年半ぶりのニューヨークはイエローキャブといわれる黄色いタクシーもほとんど新しく、近づき難かったスラム街やハドソン川周辺もかなり整備され、安心な街となりつつあるという。  このニューヨークのごみ事情を調査するのである。派遣団にとって最後の視察地。

<<BFI=ブラウニング フェリス社>>
 早朝のニューヨークの朝もやをついて郊外を大型バスでクネクネ。たどり着いたのがBFIという民間廃棄物処理会社の分別工場。ニューヨークでは1989年にリサイクルが義務づけられ、住民のリサイクル意識も高まってきている。このBFIは事業所系廃棄物と市民から収集した一般ゴミを分別し、資源を市場に出す事により成り立っている。

 ニューヨーク市は収集したゴミをトン当たり21ドル払い引き取り分別する。そのうち20%はダンボール、10%はビニールなどでリサイクルできない。残り70%の紙類を梱包し、トン当たり85ドルで売る。オフイスゴミは紙質もよく、更に高く売る。アメリカでは再生紙の流通が確立されているのである。

 事業系廃棄物は42ドルで買い取る。それを分別し、アルミ類はトン当たり900ドル、鉄は35ドル、白いプラスチックは220ドル等で売る事になる。

 ビックリしたのはその分別の仕方である。ベルトコンベアーで運ばれた先には多くの現場作業員が消毒液の霧がかかる劣悪な労働環境で分別作業をしているのである。ニュースペーパー、ボール紙、雑紙、オフイス紙と紙類を分別するライン。鉄、アルミ、プラスチック、プラスチックも赤、青、白など色で分けるのである。300人が3交代で、それも週6日、24時間体制である。

 「アメリカでやっている事は全て正しいとは思わないで下さい」とビッツバーグの環境保護局でいわれた事が思い出された。豊富な労働力で手作業分別、それを可能にしているのはリサイクル商品が間違いなく市場に出せるという事である。

<<フレッシュキルズ埋立処分場>>
 BFIから再びニューヨーク市街を挟んで反対側、3,000エーカーというとてつもない広大な最終処分場。 アメリカは埋立でなく、丘式である。1946年以降、ニューヨークには11ヶ所の埋立場があったが、ほとんど稼動していない。この埋立処分場も2001年には閉鎖する運命。別の州に運んで処理するという。

 ニューヨークの都市ゴミをバージ船で運んできて大型ダンプに積み替え、山の上まで運び丘にしていく。1日26,000トンの処理能力があるが今では8000トン処理している。18フィート(5.4m)ゴミをトラッシュコンパクタで踏み固め、6インチ(18cm)土をかぶせ、30日放置する、やり方。カモメの群れの中でブルドーザによる作業である。

 当初は505フィート(約154m)の高さの積み上げが許されていたが、政府の指導もあり175フィート(53m)の高さの丘にしている。将来、この丘は野生動物の自然公園にしていく計画という。

 所々にメタンガスの回収装置があって、3万世帯に供給している。30年間は供給しつづけれるという。一番神経を使っているのは、メタンガスの臭いを消し、化学物質とバクテリアが反応して150万ガロンの化合物が出てくるのでを処理していくという。

 広大なアメリカの大地。海と山に囲まれ、狭い日本とでは埋立の感覚は全く違う。

 ニューヨーク市役所の建物の中で笑顔で迎えてくれた環境協議会のメンバー。献身的に終末医療を担うメトロポリタンホスピスセンターの人達。そしてメトロポリタン美術館に集う世界の人々・・・・。

 ニューヨークは、いや世界は動いている。とてつもないスケールで音を立てて・・。豊橋という小さな世界では実感できない世界という舞台は紛れもなく新世紀に向って胎動している。12日間のトリード、デトロイト、ビッツバーグそしてニューヨークへと動いた貴重な日々に実感したのはまさにこの事である。


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