伊藤ひであきの地方からの提言

近づく新世紀! 変わるのか地方の政治 2000.11.27(12.26加筆)
*****12月30日、31日の東愛知新聞に掲載*****

●50年変わらぬこの地の政治風土

 渥美が生んだ作家−杉浦明平先生は1953年「ノリソダ騒動記」を描かれた。今から47年前の渥美地域の現実の渦中に身を乗り出してのルポルタージュである。
 ノリソダとは海苔の着生する粗朶(そだ=竹で編んだ)のことであり、このノリソダで一儲けするために毎年800人以上の漁民が海部郡のほうから福江の町にやってくる。その地代金をめぐって漁業会長と町長が暗躍するわけです。それを共産党員が暴露し、町民と果敢に戦った記録です。

 改めて読んでみると、今回の渥美の「アサリ騒動」と読み間違うくらい酷似しているのに気がつきます。いや、4年前の豊橋の不祥事ともあまりにも本質が同じである事も・・・。 4年前、市民病院、競輪場、豊橋駅、市役所、動植物園…と併せれば途方もない金額の公共事業をめぐって受注合戦と長きに渡って君臨した市長の構図・・・。

●ヒソヒソで声にならず

「ノリソダ騒動記」の一節に以下のようにあります。『一株四円五十戦なら最小の二十五万株としてもいくらになるか、暗算で答は出てくるだろう。百万円以上の金が地代として木曽川デルタの漁民のふところから出ているそうだ、と福江の漁民達はヒソヒソささやきあうようになった。しかし、いつまでもヒソヒソ、ヒソヒソであって、ちっとも声にならなかった』と。
 渥美町長が逮捕された直後、渥美町で町議会議員に偶然でくわした。曰く「みんなでお願いしてなってもらった町長に、そう簡単に"辞めよ"とは口が裂けても言えないのん」と。
 また、その週末、私はアサリ事件の現場を車で見て回った。途中、渥美郷土資料館や図書館で渥美に関する資料収集をした。
 その時、出会った主婦の言葉が印象的。「今回の事件は、古くて、新しい問題。今の人達だけが悪いのではない。地域で寄り合いがあると、関係者の家族や関係会社の社員の家族が出席していると、皆、口をつぐんで、一言も話さない」と。

●明らかにならなかったのはなぜですか

 4年前もそうだった。市長の逮捕直後、「この2、3年、大型工事に絡んで黒い噂が絶えなかった、どうして議会でもっと追求しなかったのか」市民の言葉は容赦なかった。
「イヤ、そんなことはない。今までの議会で談合問題、公共工事の入札問題については何度も議会論議が行われた。私自身も一般質問で3回取り上げ、追求している」言い訳でしかなかった。
「それでも、明らかにならなかったのはなぜですか 議会がオール与党になってとがめる人がいなくなったからですか」
「いや、そんなことはない。与党でも、野党でも是は是、非は非だ」
「じゃーどうして、最悪の結果を招いたのですか、豊橋の風土ですか」
「あまり明確に黒白をつけたがらない風土はあると思います」
「それが、原因ですか」
「いや、そればかりではないはずです」
「じゃー何ですか」。堂々巡りだった。口惜しかったし、言葉がなかった。

●「まさか」と「またか」を終わりにするために

 この町で起こった事、この市で起こった事は、日本の町や村でも起こり得る出来事であり、同じような政治構造、同じような精神文化が日本全国に広がっているとも言えます。
 繰り返されたこの地の「まさか」と「またか」。こうした事件を今世紀で終わりにするために、私たち政治に携わるものは何をすべきか。

 そのために少なくとも議員は、問題意識を敏感にし、現場を調査し、制度のどこに問題があるのかを精査し、議会で発言し、仕組みを制度を条例を変えなければいけない。ヒソヒソでは、噂ではこの地方の政治は変わらない。
「渥美町の議会」だよりや、豊橋市議会の「議会の記録」をみれば、いかに発言は限られた一部の人に集中されているか明白である。

●市民の連帯で間断なき戦いを

 「政治とは情熱と判断力の二つを酷使しながら、堅い板に力を込めてじわっじわっと穴をくり抜いていく作業である」(マックスウェーバー「職業としての政治」より)の言葉を引くまでもなく、地方の政治風土に穴をくりぬいていくにはこの間断なき活動が不可欠である。
 「人間を幸福にしない日本というシステム」を書いたウオルフレンは曰く「日本が市民の国になるためには障害になるに決まっている生き方が未だ正しいとされている。それは"シカタガナイ"という生き方である」と。
 "シカタガナイ"政治を打破するためにこそ、変革を目指す市民の連帯を強めながら、地道な啓発運動の実践に取り組み、「新しい現実」を生み出す挑戦を開始し、挑戦しつづけなければならない。地方議員の使命と責任は重い。

●クライマックスなしの肩透かしの国政

 大企業がリストラと不良債権への公的資金の導入で業績が上がってきたとは裏腹に、中小企業の閉塞感、不況感は深刻。そして、人生に疲れ、働き盛りの中年を中心に毎日100人が自殺していくという現実。国民は不安だらけで、下を向き暗闇に向かう。
 こんな時こそ、国政が機能しなければならないのに、この国の政治は「コップ一杯の水」が出てきただけの明け方までの大騒動が記憶に新しい。クライマックスはいつも「肩透かし」。こんな茶番劇に国民は唖然、呆然、ただ恥ずかしい。
 市場は敏感。株価はまた下がり、銀行は真っ青。国民から離れたままの国政はとめどもなく漂流する。それでもグローバルに間断なく、勝ち組みと負け組みの厳しい経済選別は続いている。

●この地にも変化の兆し、そして新世紀へ

 それでも豊橋では早川市政二期目のスタートにあたり、今後、十年間の街づくりの大計である「基本構想」が特別委員会の審議のはてに市議会始まって以来の原案否決となり、12月25日の本会議最終日で市長の発言と付帯決議でやっと成立。

 スケボー少年の練習と競技の場にと総合スポーツ公園用地に練習場を作る。また、再来年には岩田市民球場でドラゴンズの公式戦が観戦できる見通しになってきた。
 中心市街地活性化に踏み出した広小路二丁目商店街は今年の秋の慰安旅行を止め、その資金を主に歳末のイルミネーションを輝かせた。三年ぶりの復活である。

 渥美町では新たな町長が12月10日に決まった。事件の後遺症で、農協を初め各種団体も業界も動けなかった中での新町長である。自ら農業を営み、農家の悩みを共有し町議20年間に一貫して貫いた「清潔な町政」への姿勢が評価されたのだという意見が多い。渥美の再生に向け大地に踏ん張った歩みは始まった。

 豊川からは暮れになって、長年の課題であった土地問題と入札問題に同議会初の百条調査権が行使されるというニュースが飛び込んできた。
 「宝飯豊川合併協議会」の設立を求める住民発議の署名活動は、発議に必要な署名の10倍を集め、新たなる段階を迎える。

 それぞれの変化の陰に、懸命になって「これでいいのか」「シカタガナイでいいのか」と奔走し、郷土を見つめ、穴を開け続けた人達のドラマがある。

 夜明け前の混迷から、この地の新世紀への胎動は始まったばかり。そして、カウントダウンは大詰めを迎える。


ホームページに戻る 政策メニュー