地方政治クリエイト 14/04市議会再編

自民党豊橋市議団再び

■14年ぶりの復活

 年度末の3月31日、豊橋市議会議長あてに新たな会派届が提出された。4月1日付で「自民党豊橋市議団」の新会派が16人で発足することになった。
 今まで9人で構成されていた「豊流会」から近田明久氏(四期、前議長)、伊藤篤哉氏、中村竜彦氏(いずれも二期)の3氏が「新政未来」の13人に加わり、自民党党員による「自民党豊橋市議団」の新会派がスタートした。
 同時に共産党市議団から牧野英敏氏(四期)が離れ、地域福祉に貢献したいと「有志会」を名乗ることになった。

 これで豊橋市議会(定数36人)の構成は自民党豊橋市議団(坂柳泰光団長)16名、豊流会(前田浩伸会長)6人、公明党豊橋市議団(鈴木博団長)5人、まちフォーラム(芳賀裕崇代表)5人、日本共産党市議団(斎藤啓団長)1人、とよはし市民会議(渡辺則子代表)、紘基会(寺本泰之会長)、有志会(牧野英敏会長)それぞれ1名となった。

■離合集散

 96年10月、市政始まって以来の汚職による市長逮捕と、直後の自民党分裂選挙となった市長選を契機に、自民党豊橋市議団の1期生7人が、改革を訴えて決起し「自民党清志会」を旗揚げしたのを契機に「自民党豊橋市議団」は2人まで減り続け、05年には「豊橋自民党市議団」が再編されたりしたが、10年4月には豊橋市議会から「自由民主党」の名が消えていった。

 以後、離合集散を繰り返したが、市議選を経た2011年5月からの今期には保守系は7人の「豊流会」、6人の「豊橋みらい」「日本一愛知の会」1人、無所属7人に別れて始まったが、直後に4期の田中敏一氏(四期)が無所属から「豊橋みらい」に加入し、11年8月に小原昌子氏、市原享吾氏が無所属から「豊流会」に加入し、9人となった。11年10月には尾崎雅輝、近藤喜典、松崎正尚、渡辺誠、山田静雄の各氏が無所属から「豊橋みらい」に加入し、「日本一愛知の会」であった山本賢太郎氏も加わることになり、会派を「新政未来」として13人で再編成し、最大会派となった。

 そして、一昨年の市長選挙、衆議院選挙と「自由民主党の旗のもとに」勝利を納め、豊橋市議会の保守分裂状態の解消が大きな政治課題になっていた。

■蚊帳の外

 11年5月の議長選では、「豊流会」と、「公明党市議団」、「まちフォーラム」のいわゆる“3派連合”が核となり近田明久議長が誕生し、昨年5月の議長選では、「まちフォーラム」の岡本泰議長が誕生。

    その度ごとに最大会派の「新政未来」は蚊帳の外におかれ、最大会派から議長が出ないという事態が続いた。

 ただ、3派連合も完璧ではなかった。豊流会の伊藤篤哉氏や中村竜彦氏が会派の方針に従わずに自分の名前を書いたと言われる。

 伊藤篤哉氏は「自民党豊橋市支部や県連から、自民党員以外への投票については処分するとした圧力があった」ことも明らかにした。

 その伊藤篤哉氏と自民党愛知県連青年部長の中村竜彦氏、そして、三代続く自民党豊橋市支部の象徴である近田明久氏が「豊流会」から「自民党豊橋市議団」に加わった。


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