10月6日(日)、田原市赤羽根の太平洋を望む高台にある一軒の家で小川吉弘(61)さん、弘子(59)さん夫婦にお会いした。
■ライアン農場農園
夏の日の名残りのような日差しが照りつけるなかで、手拭いをかぶり、畑仕事に精を出していた吉弘さん。「泰弘が日曜日ごとに投げるので、今年は畑仕事ができなくて、やっと今日はできました」と汗をぬぐう。そこへ用事を済ませた弘子さんが帰ってきた。
「後援者の人がこんなものを作ってくれた」と「ライアン農場農園」と書かれた看板を指さして、夫婦は笑う。いうまでもなく、今やヤクルトの若きエース小川泰弘投手の両親である。
■逃げない、頑張る
「貧しさを通り超えて、経済的に大変でそれでも逃げない、何としても頑張る以外にないと前を向く以外にありませんでした」と弘子さんは語る。
そんな中でも、二人の励みになったのは5人の子どもたちの明るく、仲よく育っていく姿。3人の娘たちは高校を出て働き、「弟たちを大学へ」が口癖でした。そういう中で4人目の長男は大学へ、末っ子の泰弘さんは念願の創価大学野球部に入学した。
■甲子園で一勝
もちろんそのきっかけは5年前(08年3月)の春のセンバツに21世紀枠で成章高校が選ばれ、甲子園で1勝できたことが、すべて。
創価大学野球部の岸監督から連絡があり、夏のセレクションに行ったりして、創価大学野球部に泰弘さんの気持ちは傾いて行った。
しかし、何よりも、お金の問題が本人を、家族を躊躇させた。当時は、熱心に訪問してくれた名古屋の大学を第一志望にしていたくらい。それでも創価大学のスポーツ枠推薦が決まり、道が開けた。