伊藤ひであきの市政報告

2010年9月議会 決算委員会のポイント@9/21 19:50改変

 決算年度のH21年度はどのような年であったか。何よりもH21/9に劇的な政権交代が行われた年であり、H20/11に誕生した佐原市政の本格的な一年間でもあった。折りしもH20秋のアメリカの名門投資銀行−リーマン・ブラザーズが破綻し、世界的な金融危機の引き金となり、日本経済を黒く覆った年でもある。

1.2款総務費、2項総務監理費、14広域推進費から

(1)東三河地方拠点都市の指定を受けたのがH5年、「職・住・遊・学」の機能が統合的に加わった魅力ある生活空間−生活の都・東三河を創造しようと発足。当時は東三河4市11町4村、面積1,800ku、人口73万人。
 H19年4月に発展的に「東三河広域協議会」となり、現在は8市町村、人口766千人、面積は1719ku(稲武町が西三河へ移り、豊田市となった関係)。東三河の課題解決のプラットホームとして、広域地域医療検討委員会、広域合併・道州制検討委員会、東9三河消防広域化研究会、シニアリフレッシュ事業研究会、東三河の将来像研究会、三河材活用プロジェクト検討委員会がありへが設置され、取り組んできた。

 特に「東三河の将来像研究会」はそれまでの「広域合併・道州制研究会」を平成19、20年度に区切りをつけて「広域合併を視野に入れた東三河の将来像を研究し、将来的に起こる課題や解決の方法を研究する」ことを明確にして発足している。

 それでも、「動かざること山の如し」とH19年年初の「新春懇談会」では早川市長に冷たい視線とともに向けられた。そしてその年の11月、マニフェストの最初に「東三河政令市の実現」を掲げて佐原市長が当選し、佐原市長に大いに注目が集まった。

 しかし、決算年度のH22年1月の同じ「新春懇談会」前後から急速にしぼんでいった。合併特例法(時限立法)の延長がなくなり、民主党政権の誕生によって、合併推進は大きく後退。それに関連し、東三河の各市長もほとんど口にしなくなった。

 佐原市長がマニフェストに掲げた「東三河政令市の実現」が事実上とん挫し、幻と化した。

(第一問)合併特例法がH22年3月で廃止され、さまざまな恩典がなくなるのをはじめ、民主党政権が消極的な姿勢をみせ、市長も記者会見で「いろんな分野で地域連携を進める中で、合併は1つの選択肢」といった考え方を示すにいたった。東三河広域協議会による「連携の先に合併がある」とする従来の考え方と違った見解を示すにいたった。改めて、あの市長選から2年目、マニフェストの一丁目一番地が頓挫した大きな理由は何か。

(第二問)民主党の代表選が終わった翌日の東愛知サロン会で森田 実氏の政治講演を聞いた。質問で「地域分権、地域主権といわれ続けてきたが、一向に進まない。霞が関の解体につながりかねない地方への財源と権限の委譲など本気になって行われると考えられないがどうか」と質問した。
 森田氏は「この10年、三位一体改革でも、平成の大合併でも、今回の一括交付金でも地方の基礎自治体を弱めることばかりしてきた。基礎自治体を強化することが地方自治法の精神でないかと考えている」と述べられた。広域協議会では近隣の豊田市や、浜松市、静岡市などの合併や政令市を研究されてきたはずであるが、それらの研究の総括として、市長の考えを聞きたい。

2.三遠南信連携事業、三遠南信サミットについて

 H21年11月13日、三遠南信サミットが豊橋市で行われた。その2か月前の8月には「三遠南信地域連携ビジョン」が「三遠南信流域都市圏活力向上プロジェクト」として中部圏広域地方計画のリーディングの一つとして位置付けられ、その推進機関としてSENAもこの年度に立ちあがって、自信をもって交流から連携へと進めるべき(鈴木浜松市長=会長)段階を迎えている。

(1)H21年度から浜松のSENAの事務局に豊橋から職員を派遣している。そのことにより、何にどのような変化が出てきているのか伺いたい。

(2)第17回目の三遠南信サミット、ほとんど毎回出席させていただいているが、そのたびに感ずるのは、行政、商工会議所、議会関係者が中心で、三地域の住民にとっての三遠南信サミット、三遠南信交流という点からはどのように総括されているか。

(2)そのビジョンは道・技・風土・山・住の5項目に分かれているが、「道」は「人とものの流動促進」のための「三遠南信地域のゲートウェイの基盤整備」というのは、理解できます。中央道経由で行って飯田まで2時間、下道をとことこ行くと2時間半。飯田山本インターから天竜ICまでの約7.2キロがわずか5分ですから、一日も早い進捗を願うものです。しかし、この道路が果たして、鳳来・引佐まで繋がるのかどうか、そうすれば三ケ日インターまではH23,H24の第二東名と合わせつながるわけです。このビジョンが概ね10年というインターバルを視野にしているわけですが、問題は青崩峠道路。果たして、民主党政権の道路政策の中で見通しが立つのかどうか。

 また、次の推進方針2「新規産業の創造と特徴ある産業クラスターの形成」については、新規産業の創造を図るとともに、産学官連携を強化し、特徴ある産業クラスターの形成を進めますとあるが、歴史的にも精密工業の南信、自動車産業の遠州の集積と比べ、特徴のない豊橋の産業の「特徴ある知的・産業クラスター」についてはどう考えるか。
 これらがポイントであるが、民主党政権の道路行政、さらにはリーマンショック以来の長引く不況、そこへ円高、海外へ拠点移す日本企業もでてきている中での産業政策、これらの外的要因をどのように捉えるのか。

(第二問)
(1)背広を着た人ばかりが集まる、「三遠南信サミット」も結構ですが、普段着9の若者や市民が集まって、人と人とが県境を越えて集い、交流することの素晴らしさを実感できるような取り組みがなされないのかと思う。
 三遠南信グルメB1大会とか、三遠南信伝統芸能大会とか、三遠南信スポーツ大会とか、「ええじゃないか」と「やらまいか」のコラボレイトとか、「飯田の人形劇」と「吉田文楽」のコラボレイトとか、考えられないのか伺う。

3.設楽ダム水源地域整備事業負担金 5,734,136千円、設楽ダム水源地域対策事業負担金 60,044,270千円について

 いずれも、設楽ダム建設に伴う水源地域の振興整備事業等に対して、受益地としての助成を行うもの。
 設楽ダム水源地域整備事業負担金 5,734,136千円は水源地域対策特別措置法に基づく設楽ダム水源地域整備計画事業。H21年度が初年度で平成32年度までの12年間で豊橋市の総負担額は404,411千円。
 設楽ダム水源地域対策事業負担金 60,044,270千円は・水源地域対策特別設置法に基づく設楽ダム水源地域整備事業を補完して実施される負担金。

(1)8月30日の衆議院選挙を経て、政権交代が行われ、その象徴として八ツ場ダムが本体工事中止となり、設楽ダムも見直し対象となった。
 設楽ダムはH7年の河川法改修を踏まえて、「豊川の明日を考える流域委員会」を設置し、「豊川河川整備計画」を策定、H21年2月には地元地権者団体と用地補償基準を妥結。2月5日には設楽ダム建設に伴う損失補償基準妥結調印式並びに設楽ダム建設同意に関する調印式、これらを受けて、地域対策特別措置法に基づく「水源地域整備計画」が策定されてきた経過。現行法制度のすべての手続きを完了した最初の直轄ダム。

 1973年の計画発表以来36年経って、これを一時棚上げ、そして再検証という動きに対して、「憲法第83条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づいて、これを行使しなければならない」など法治国家としてどうなのか、下流域の市長としてどう考えるか。

(第二問)
(1)8/15と8/24の2回、八ツ場ダムの現場に行きました。結論が先送りされたままの現場では、JR吾妻線や、国道の付け替え工事、そして至る所に新築の家が立ち並び新しい地域づくりが行われていました。
 見直す、検証作業といっても、国直轄事業の設楽ダムは国交省中部地方整備局が検証主体となり行われるということだが、具体的な工程はあいまいなままで推移している、国交省出身の市長はこのような動きをどう見ているのか。


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