伊藤ひであきの視察報告

 岡山で東京事務所を考える(11/19)

●豊橋東京事務所開設に黄信号?

 本年4月、政令指定都市に移行して「水と緑が魅せる心豊かな庭園都市」―岡山市は穏やかな秋の陽に包まれていた。岡山市議会の委員会室で岡山市の前東京事務所長だった田中勝彦現観光課長を相手に豊橋市議会総務委員会の10人が熱のこもった質疑を展開した。

 昨年秋、「チェンジ」をキャッチフレーズに誕生した佐原豊橋市長が掲げた選挙公約の二本柱。一つは入札公告寸前だった「芸術ホール」の見直し、そしてもう一つは豊橋の新たな可能性を開くための「東京事務所の開設」。しかし、「芸術ホール」のほうは一年間の再検討の時間を経て、結局、それまで3年間にわたる議会論議を無にすることはできず、より臨場感のある客席と舞台の距離を縮めるなどの小幅な修正で終わった。この時代に「60億円もかける箱モノが必要か」という一部市民を落胆させた。

 東京事務所のほうは「中核市や中都市の東京事務所が閉鎖や縮減に向かっているのに、なぜ財政難のこの時期に、設置しなければならないのか」と議会は賛成しかねる状態。ましてや「政権交代がなされ、国への陳情も様変わりしてきている状態の中で時期早尚ではないか」という意見も出されている。

 私自身は今週初め16日の総務委員会で「政治も経済も不安定な時代だからこそ、東京に事務所を開くことの意味はある。長く開発のポテンシャルが高いといわれ続けてきたこの地域が、新たなる可能性の突破口を開くことができれば人件費も含めて年間約3,000万円の投資はむしろ安いと思う。指摘していたシティプロモーションビジョンも示されているので、全責任を持って大胆に挑戦すべきだ」と賛成の意を示した。

 豊橋東京事務所は来春からの本格運用を見越して、12月議会の補正予算案として上程される予定で、決着の時が迫っていて、それだけに質疑は真剣だった。

●シティセールスの前線基地

 岡山市の東京事務所はすでに昭和27年に東京丸の内の旧丸ビルに開設されていて、57年の歴史。現在は丸の内の三菱ビルへ移転し、所長1名、補佐1名、主査1名および嘱託員1名の計4名体制。
 今後とも、公然化、公表化される以外の有用な情報を積極的に収集し岡山市独自の政策や施策の立案、遂行に活かすとともに、現場サイドの状況を中央に伝えていく必要がある。併せてフェイス・ツー・フェイスの人間関係づくりに力点をおきながら地元選出国会議員や中央省庁との関係強化に継続して努めていく必要がある。
 また、最近ではシティセールスを強化しており、観光宣伝や企業誘致にも力を入れている・・・。

 「首都圏におけるシティセールスの先鋒として積極的な活動を行う必要があるのではないか」と家族とともに東京で6年間、緊張感のある営業活動を展開してきた田中勝彦現観光課長の言葉にはよどみがなかった。
 また、25年前から岡山市出身者及び岡山市にゆかりのある在京の各省庁に勤務する職員の組織化もなされていて、鳥城会として毎年秋に総会が東京で開かれているという。

 「市民力」、「地域力」と簡単に言うが、じゃーどうすればそれらを都市が身につけることができようか。外へ打って出て、新しい刺激を受けて、壁を乗り越え、活性化に資する以外にその方法は見つからない。


 今回の視察で、東京事務所開設の大きなポイントは派遣される職員の可能性であり、それらを含めてどのようにマネージメントするかにかかっていることを再確認した。またシティプロモーションという戦略は勝てば発展し、負ければ都市を衰退させる。その決め手はトップのリーダーシップ以外にないことも。

 視察に際し、秘書広報室や岡山市議会事務局の皆様にも大変にお世話になりました。ありがとうございました。


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