伊藤ひであきの視察報告

青春の大垣で男女共同参画を学ぶ(2009/03/27)

 岐阜県大垣市は、県内第2位の人口を擁しているほか、岐阜県の西濃地方の中心都市として、「水と緑の文化・産業・情報・交流都市」を目指す。
 2006年3月に安八郡墨俣町、養老郡上石津町を編入。2町とも、西濃圏域合併協議会の失敗の間接的影響で旧・大垣市とは接することなく、日本で唯一の二重飛び地合併という結果となってしまった。旧墨俣町の区域は「墨俣町地域自治区」、旧上石津町の区域は「上石津町地域自治区」となっている。人口16万2千人、面積206ku。

 この大垣市こそ、高校時代の3年間を過ごした大垣であり、企業の営業マンとしての第一歩は大垣営業所から始まったことからも我が青春の大垣である。

●大垣市の男女共同参画の歩み

 その大垣市で「はじめよう!ワーク・ライフ・バランス」をテーマに「全国男女共同参画宣言都市サミット in おおがき」が開かれたのは今年、1月30日。翌日には記念事業「男女共同参画フォーラム」が開かれ、成功裏に二日間のイベントを終えた。
 その陰に初代大垣市男女共同参画室長で、現在は専門員の度会さち子女史の6年間の懸命なご努力の日々があったことが見逃せない。この度会女史は私とは市内の県立大垣北高校の同級の友であり、大いに議論し合った仲間でもある。

 大垣市に「青少年女性課」が設置されたのは平成3年、国で育児休業法が公布された年である。更に5年後大垣女性サロンが設置され秘書広報課女性係が設置され、翌々年の、平成11年に「大垣市男女共同参画プラン」の策定につながる。国においても「男女共同参画社会基本法」、「同基本計画」が施行されたりした頃である。

 そして、さらに5年後の平成15年、民間から一人の女性がスカウトされる。その人が度会女史であり、大垣市に「男女共同参画推進条例」が制定されていく影の立役者である。秘書広報課に「男女共同参画推進室」が設置され、平成17年の「大垣市男女共同参画都市」宣言と歯車は時と人を得てうなりを上げて回った。

 現在、男女共同参画室は、かがやきライフ推進部 まちづくり推進課に属していることからも、大垣市の男女共同参画への取り組みの位置づけがうかがい知れる。

●男女共同参画は、ごく当然のテーマ

 度会女史はいう。「男女共同参画という言葉は、言い換えればワークライフバランスだと思ってます」と。18世紀にフランス革命、人権宣言と人間解放がなされたかのように思われていますが、それは神からの解放であり、その場合の人間は男性をさし、女性は奴隷のような存在であり、当然、選挙権なども認められていなかった」。

 「歴史が動いた陰には女性の力が作用しています。例えば、江戸城に迫りくる西郷隆盛ら薩摩藩を中心とした新政府軍に働きかけ、無血開城の実現にも大きな役割を果たしたのは篤姫であり、篤姫の女性ならではの懸命な戦いがあってこそ、日本は近代の夜明けを迎えて行ったのです・・・」。彼女のライフワークである「世界の女性史」の研究がベースにあって、淡々と静かに語りだすと45年前に高校演劇部に籍を置き、放送部で鍛えたすべてがにじみ出てくる。

 地方都市で「男女共同参画」という概念を市民に定着させていくのは、大変に難しい。そのためにはジェンダー(社会的性別)に敏感な視点の定着、エンパワーメント(女性が力をもった存在になること)の促進、そしてパートナーシップ(対等な協調・協力関係)の確立が大切だと彼女は言う。

 「そのためにも女性はもっと力をつけなければいけない。高められた自分力が地域力となり男女共同参画社会をつくっていくのではないでしょうか」と締めくくっていただいた。



 度会女史はこの3月末で大垣市の職員としての区切りをつけられる。それを祝して花束を贈呈し、ご労苦を讃えた。45年の歳月を超えて青春の友が開いた幾つかの扉を学ぶことは大変に嬉しいことであった。

 視察に際し、男女共同参画推進室長清水千鶴子女史、大垣市議会事務局の皆さんに大変のお世話になりました、ありがとうございました。


ホームページに戻る 視察報告メニュー