伊藤ひであきの視察報告

福井の高い出生率の決め手は何か(3/27)

●不死鳥のまち-福井

 福井市はいうまでもなく福井県の県庁所在地。国から特例市に指定されている。戦国時代の武将柴田勝家の北ノ庄城から城下町として形成しはじめ、江戸時代に福居、福井と地名を変えた親藩統治を経て、現在もなお県政の中心として福井城天守閣のあった場所に福井県庁福井市役所を始め、官公庁が集中する。

 また江戸時代福井は全国屈指の大都市で朝倉氏滅亡後一乗谷から移転した文化人の影響もあり華やかな文化や行事が行われていたことが「福井市立郷土歴史博物館」で知る事ができる。折りしも3月21日から5月6日まで春季特別展「大奥」が開催されており、一見の価値あり。

 1945年7月19日の福井空襲、1948年6月の気象庁が震度7を設定するきっかけとなった福井地震、9月九頭竜川堤防決壊の短期間3度にわたり当時の市のほぼ全域が受けた壊滅的被害から復興し、「不死鳥のまち」である。面積536.17km2、総人口 268,080人

 この福井市は出生率NO1である。平成18年度指標では、全国が「1.32」、福井県が「1.50」、福井市では「1.53」と高い水準となっている。
 その決め手は何か、3月27日、大垣から福井へ年度末のスケジュールの中で動いた最大のテーマです。

●働く女性を支える多様な保育や子育て支援事業

 「福井の女性は日本一の働きもの」といわれるが福井県の共働き世帯割合が福井県は58.2(H17年国勢調査、全国は45.14%)、また女性の就業率が51.6%(全国46.4%)。ゆえに福井市においては共稼ぎ、女性の就業を支えるために保育や子育て支援の充実に取組む事が必然的に重要施策となっています。

 福井市では、昭和10年4月、市内に初の保育園の設置以降、幼児保育事業に積極的に取り組み、公立・私立保育園を併せ、平成20年4月現在、78園を有し、7,281人の乳児・児童の保育に取り組んでいるところです。

 この間、昭和47年には乳児保育、昭和52年には、7ケ所の障がい児保育所指定し昭和58年からは全保育園に障がい児保育を拡大するなど保育の充実に努めてきている。
 また、平成2年10月より一時保育事業の取り組みを始め、多様な保育ニーズに対応するとともに、平成8年4月からは多子世帯における経済的負担を軽減するための「すくすく保育事業」、平成10年3月には「不死鳥ふくいエンゼルプラン」を作成し、同年4月からは午後6時30分までの「長時間保育」、「緊急一時保育」、「早朝保育」等の特別保育の充実や、児童福祉法の改正に伴う「広域入所」、さらに、平成13年9月から一時保育を全園で実施するなど、保育環境の充実に取り組んできている。

 一方、平成15年4月に「福井市少子化対策総合計画」、また平成16年3月に「福井市次世代支援対策推進行動計画」を策定し、子育て世代に対する経済的負担の軽減や子育て支援事業の充実に取り組んでいる。

●決め手は「安心感とゆとり」

 こうした取り組みにより、就学前児童数については減少傾向にあるものの、3歳未満児の入所が年々増加していることから、保育園の入所児童については、年々増加傾向となっている。

 そして、福井市においても、就労形態の多様化や女性の晩婚化などにより、各年齢における未婚者の割合が増加し、人口変動の主な指標である合計特殊出生率の減少傾向が続いていたが、これらの保育対策や子育て支援の充実などにより、平成15年度以降増加に転じ、前記のような高い水準となっている。

 さらに、最近では児童館の建設など児童厚生施設の充実や、児童クラブなどの児童の健全育成対策を推進している。 

 意外だったのは乳幼児医療費等助成制度は小学校入学前までであり、豊橋市を始め全国で通院は小学校卒業まで、入院費は中学卒業まで無料化などと、市単独で拡大していない事である。

 保育児童課の岩崎主任はいう「福井では3世代同居率も高く、同居でなくても同じ敷地内での生活形態が多い。ゆえにおばあさんが洗濯や炊事の家事を受け持ってくれる。その分共稼ぎであっても、生活時間にゆとりがないとか、住宅ローン負担が重くのしかかったりすることはない。その有形無形の安心感とゆとりが高い出生率につながっているのではないか」と。



 視察に際し、福祉事務所主任岩崎文彦氏をはじめ議会事務局の皆さんに大変にお世話になりました。


ホームページに戻る 視察報告メニュー