伊藤ひであきの市政報告

2008年3月 教育費予算のポイント

1.10款教育費 1項教育総務費 3目教育指導費 未来を担う子ども勤労観育成事業費、6項社会教育費 3目青少年育成費 神田ふれあいセンター管理運営事業費について

(1)小学3年生を対象に「子ども未来館」での未来を担う子ども勤労観育成事業費に対する質疑が19日に縷々やりとりされたが、伺いたい。

 朝早くから稲刈りに行って、朝8時に小学校のサイレンがなるのを合図に、田んぼから学校へ行き、学校が終わったら、また田んぼへ行って母親が秋刀魚を焼いてくれて一緒に食べて月明かりで遅くまで脱穀して収穫の喜びを味わった。
 大工の棟梁だった父親が、立派な家を仕上げるために採算抜きで木曽のヒノキを求めて東濃地方まで三輪トラックに乗せて連れていってくれた。その家が伊勢湾台風で倒れてしまって、その家の前で、男泣きに泣いている親父の姿に一緒に泣いた。
 そういう悲喜こもごもの働く親の後姿を見ながら、働くことの意味を幼きながらも体にしみこませてきた実体験から、果たして「子ども未来館」での仕事体験や街中の商店街見学で、働くことに対する見方や考え方が、育成できるほどのPRGが用意できる自信があるのか。いつのまに「こども未来館」は教育委員会所管の職業観育成場になったのか、伺う。

(2)市内には豊橋の地域資源として一五の市(羽田八幡宮)、二七の市(松山公園)、三八の市(前畑)、四九の市(西光寺前)、六十の市(柱一番町)。高齢化の波も押し寄せさびれる一方。
 あるとき東田小学校の子ども達が、自分達の畑で収穫したかぼちゃを売りにきた。事前に校区内に販売チラシもまいた。段ボールでのぼりも作ってきた。もっと、おもしろいのは女の子達は買ってくれたお客にかぼちゃを使った料理レシビをおまけにつけた。客を呼び込み、値切り交渉もこなして、生き生きと取り組んでいた。

 「子ども未来館」でのお店屋さんごっこもいいが豊橋の人文資源の朝市での実体験など大いにとりくんだらどうか。

(3)来年度から総務・文部科学・農水の3省が連携して「子ども農山漁村交流プロジェクト」が始まる。自然の中での体験活動という教育面での効果はもちろん、受け入れ側の農山漁村の活性化にもつながる。
 国は12年度までの5年間で、全国2万3000小学校すべてで実施していく方針。国民の間に定着する息の長い事業として成功させるためにもきちんとした制度設計が求められる。

 その点から、包括外部監査では「神田ふれあいセンターを常設の教育委員会青少年課所管の施設として年間契約で借受けていることの意味を再確認することが望まれる」と指摘している。
 神田ふれあいセンターの事業は豊川水系流域交流事業の一環でもあり、ここでの事業は6/18そば打ち体験、2/18黒倉田楽鑑賞・体験、草木染め体験が行われ、参加者は93人、これをふくめても年間3011人。年間維持管理料は6,221千円。
 設楽ダム関連で上下流交流施設の問題も取りざたされているが、この神田ふれあいセンターをこうした豊橋の子どもたちの山村交流体験の拠点として、大いに取り組むべきではないのか、包括外部監査の指摘を受けて新年度予算をどう組まれたのかも併せて伺う。

7項保険給食費 2目学校給食費、3目学校給食共同調理場費について

 学校給食については食料品値上げなどに対応して、やむを得ず小学校で16円、中学校で14円値上げになる。安全食材を求め学校給食現場はその対応に追われている。
 そうした中で文部科学省は食事を通じた教育を推進するために、学校給食法の目標に新たに「食育」を加える「学校給食法」改正の動きがある。
 学校給食法の制定は1954年と古く、2005年に「食育基本法」が成立しているが、給食での食育の法的位置づけはあいまいだったという背景がある。
 給食について準備や後片付けを通じて望ましい食習慣や人間関係を身につけさせたり、地場産品や郷土料理を取り入れることで地域文化や伝統への理解を深めたりする「教育の場」と位置づける。
 また04年度に制度化された「栄養教諭」についても、給食での食育の旗振り役とする。また地場産品を安定して給食に取り入れられるよう、国が地域の農家や企業を支援することも検討されている。

(1)こうした給食に関わる変化と本市の対応、またこうした動きに北部給食センターで検討されているPFI手法は対応できるのか伺う。

2.8項市民体育費 2目市民体育振興費から

 いよいよ明日から始まる春の甲子園、成章高校が同校としては36年ぶり、東三河地方からの甲子園出場は国府高校以来33年ぶり。
 地方都市としては画期的な32団体が加盟する豊橋市体育協会、スポーツ少年団は85団体、少年野球も活発で昨年夏の豊橋少年軟式野球大会は65チーム1200人のチビッ子球児が参加して行われている。その歴史は昭和23年から実に60年という歴史の重み。
 これだけの広がりがありながら、昭和28年春の甲子園大会に時習館高校が出場して以来、実に55年間、豊橋の高校が甲子園にごぶさたしている。中京大中京へ、成章高校へ、静岡の常葉菊川高校で、あるいは昨年春、夏には日大大垣高校のエースなど豊橋出身の球児たちが頑張っている。
 今まで、過去5回、豊橋の高校から甲子園へ行けばどれだけ豊橋市民は自信と誇りを持つだろうかと取り上げ続けてきた。この夏の大会は90回記念大会となり、東西三河から代表校が出れる。早川市長の時代に豊橋の高校が甲子園へはいよいよ夢か。結局、豊橋の高校野球には求心力がないということか。


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